『1984年に生まれて』《生于一九八四》郝景芳 "Born in 1984" chapter 9. by Hao Jingfang 第九章 読了

前章のさいごで、ピンションはまた院試に落ちます。蘇るハズの院浪は、またも甦らなかった。

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 転換点は二〇〇八年四月、突発的に起こった(略)オリンピックの聖火ランナーの中国人女性がフランスで襲われた。その後引き続いて抗議の嵐が巻き起こる。私はこの目で、スーパーの入り口に集まった群衆と扇動的な怒りのプラカード、激高した一人の若者が頭の禿げた中年の男につかみかかり、ミネラルウォーターのボトルで相手の頭を叩く様を見た。バスに乗っていたため彼らが何を叫んでいるのかは聞き取れなかったが、野次馬がワイワイガヤガヤとスーパーの入り口を取り囲んだ。数人が殴り掛かった者を煽りはやし立てると、場が混乱しはじめ、誰が秩序を守ろうとしているか、すぐには見分けがつかない状態になった。一連の暴動はすぐにトップニュースになり、似たような事件があちこちで起こった。数日経つ頃には騒ぎも次第に収まり、人々のちょっとした話のネタになる程度だったが、(略)この事件ののち、いかなる集会も厳しく制限されたのである。普段の規制よりも格段に厳しく、(以下略)

仏資本のスーパー、カルフールなんかの話でしょうかね。北京五輪聖火リレー妨害に関しては、それからも続々と、ロンドンほか世界の主だった都市で、チベット弾圧への抗議として行われたわけですが、サスガに中国でその理由を書くのは困難だし、一般大衆は知らされてないかったのでしょう。だから長野でも、ワンチャイナとか、受け手とズレた標語を連呼して、それで日中が友愛し、分かりあえると留学生たちは思ってたのかもなあ。思ってなかったかもしれませんが。

長野駅前。聖火リレー当日朝。沿道の中国人留学生たちと、雪山旭日のチベット旗どころか、水色新月東トルキスタン国旗、はては黄色地に赤線の南ベトナム国旗迄持ち出してきた反中デモ隊。

団体バスから朝おろされて、寒いので国旗で全身を覆って暖を取る留学生たち。右は粛々と聖火リレー会場まで行進する留学生集団と、車から五星紅旗を振るマイカー組。

大半は聖火リレー会場のほうに行って、ランナー福原愛サンの前に台湾在住チベット人が飛び出して留学生集団に囲まれて国旗で包まれて外から見えないようにして以下略 

とかだったそうですが、駅前に残った連中同士も睨み合って、なぜか駅前の築山の山頂に自分たちの国旗を立てる競争を始め、足場の悪いところでもみ合いになって危ないので、数にまさる中国勢が勝利した後、警官隊が両者を排除して、築山に入れないようにしてました。左はその写真。

帰りに何故か川中島のほうで働いてる研修生中国人のオサーンに切符のことかなんかで話しかけられて会話が始まり、留学生とはクラスが違うオサーンらにとっては、いい物見遊山の見物で、おもしろかったとのことでした。玉樹の公開裁判で、党書記殺害の件で盗賊団首領に死刑宣告された時の群衆と変わらんと思いました。今さらここで魯迅の、まんじゅうに血を吸わせて結核患者に、の話を重ねる気もありませんが。

これが理由か知りませんが、長野駅前の築山は現在はありません。平らになった。

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私はこの頃の写真は電子化された形で持っていたので、今でも持ってるのですが(でも大半はイメぴた*1に飛ばしたので、消えました)印画紙の写真はすべて、いちばんまいってた時に、タヒのうと思って捨ててしまい、今、死ぬほど後悔してますが、どうしようもないです。主人公は同様に、仕事をやめてからずっと推敲してきた、いつか文筆業で身を立てたいという夢とチボーの詰まった原稿ファイルを、ぜんぶデリートしちゃいます。理由は、人生がうまくいかなくて、あんなつまんない男のピンションですら、「メンタルが不安定でほっとけない女性がいる。彼女にはオレがしつようなんだ」と言って去ってしまったからです。

今週のお題「こぼしたもの」こぼした1/2

パソコンにはこぼさないように☕✖ 悲劇が起きないように! 今週のお題は「こぼしたもの」です。 覆水盆に返らずといいますが、液体をこぼした瞬間は時間が止まったように感じるものです。止まった時間のことは、ブログに書いておきましょう。今週は「こぼしたもの」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「パソコンにコーヒーをこぼしてしまった」「子どもが牛乳をこぼさず飲めるようになった!」「料理のゆでこぼすってなに?」など、あなたの「こぼしたもの」にまつわることを、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

長野から京都に帰って、聖火リレーに行ったチベット支持者のブログを見ていたら、チベットに行ったこともないくせにみたいなことをその辺の中国人留学生が言っていて、その人は中国語が出来るので「行ったことあるわよ、その上で抗議してるの。あなたは?」と中国語で返し、その後少し言い合いになって、論破された小皇帝世代あるあるで、留学生はフンッ!とそっぽをむいてそれっきりだった、かな? ですが、この頃もうけっこう中国の若者はディスカバー・チャイナで、国内旅行にどんどん出て行ってたみたいで、その上で、自国の少数民族政策を支持するものもいたのではないかと。主人公のシーカレの平生も、アムドのアバのすーぐーにゃん山を登山旅行に行って、そこで乗鞍岳、否、乗り換え彼女と出会ったとのこと。

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ディスカバー・ジャパン全盛の頃、西木正明サンのようなカニ族が白老や二風谷でアイヌシンパの白人に出会って、アイヌ文化復興のみならずアイヌ自治アイヌ独立を滔々とまくしたてられたらどうなるかは知りませんが、木彫りの熊とかイヨマンテとか見て、いろいろ勉強した感が高まった時に上からでマウント取られたら、そりゃいやですよね。

とまれ、主人公はその一件を機に、自分もメンタルの調子を崩し、様子を見に天津から北京に襲来した母親を嘆かせるほどどんどんアレになって、措置入院します。医師の診断は、躁鬱に軽度の統失、その初期段階とのこと。読んでて、なんぎな時代やなあと思いました。今なら、適応障害の一語でFA、適応障害一択でおk、ではないでしょうか。あれこれいらん。

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 春、万物は内なる命の衝動にそわそわと落ち着かなくなる。外に一歩出れば柳絮が体にくっつき、部屋に足を踏み入れれば乾燥した空気の中でいてもたってもいられなくなる。強風に吹き付けられて人々の顔は真っ赤になり、頭髪に静電気が走る。

「中国の場合、それに加えて黄砂があるよね。あとPM2.5」「(柳絮りゅうじょ舞う北京の春の話がしたかったのに…)どうして中国の悪いとこばかり!!!フンッ!!!!」という会話はありません。以上