『1984年に生まれて』《生于一九八四》郝景芳 "Born in 1984" chapter 12 and 13. by Hao Jingfang 第十二章、十三章 読了

十二章は幕間というか、邦画が後半なかだるみするあの時間に似ています。洋画のように最後まで疾走し続ける論理力のスタミナがない。

主人公が幼少期から好きだったものがクロニクル的に並びます。私含む読者は別に作者とマッチングアプリで趣味紹介をしているわけではないのですが、このように趣味のよい遍歴を吐露してもらって、嬉しくない人はいないということなのか。

日本の少女漫画、レベッカなど西洋の小説、武侠小説漢詩、UKロック。ヘヴィメタや日本のビジュアル系は苦手だが、UKは唯一共感が持てたのだとか。ブレイディみかこと話があうのかどうか。出て来るバンドは、

"Joy Division"

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このバンドだけ漢語名《碎南瓜樂團》が中文版ウィキペディアの題名になってないので、なんか場が壊れると思いました。

"Suede" ヴィッキー・チャオ監督映画で、「それが大事」広東語ヴァージョンといっしょに出て来た気瓦斯。

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"Blur" これがいちばん難解な漢訳(と個人的に思います)

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楽曲"London Loves"が出てきます。

"Oasis"

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"Coldplay"

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このバンドだけ半分音訳です。ほかはぜんぶ意訳なのに。例の、クールの〈酷〉が、コールドなのに使われていて草、とは1㍉も思いませんでした。

"Fix You"を聴いて、「落雷で一瞬で黒焦げになった樹木の気分になった」「イヤホンをつけてこの曲だけを繰り返し聞きながら、大雪の中を長い間一人で歩き回った」(頁270)そうで、それほどの曲なのか。

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"London Loves"といい、男性ソプラノがツボってだけなんじゃねーの、とは1㍉も以下略 本書では漢語名でなくアルファベットで表記しており、原文もそうだと思われるのですが、なんとなく意訳ばっかりの漢語版ウィキペディアを貼りました。ブハオイース

東山彰良の台湾小説に出て来る父親世代の青春だと、ここはレンタルCD店に入り浸る展開。日本は自分でダビングするのですが、台湾はお店がダビングしてくれる、そこがちがうなど豆知識があります。しかし大陸のかくけいほうサンの前世紀末の青春では、出た!!!!!!!!!!海賊版CD!!!!!!!!!!!の世界で、とにかくあの頃の中国はどんな洋楽マイナーバンドでも海賊版(倒版)CDがあった、そのまんまの情景が展開されます。お店はちんけな商場の片隅にあり、店主はリビングインザミュージックinチャイナみたいな人物で、掘り出し物を見つけ出して買おうとすると、お前分かってんじゃんみたいな感じで、原価で売ってくれる。

移り気な性格なのか、大学で参加したサークルも多岐に渡るとあります。漫才(相声)倶楽部、アニ同、けいおん、登山部(部内選考に合格したレギュラー部員だけが山行出来るそうで、主人公は不合格の常連)頁272。行間を読むところとしては、「環境保護団体にも参加したが、残念なことにこのサークル自体の活動はほとんどなかった」でしょうか。環境問題は、有関部門から制約が加えられるジャンルのひとつとはよく聞くこと。

また、此の頃学生がよく行く「パブ」が世に現れて定着したそうで、「パブ」と訳されているのですが、おそらくひとむかしまえの日本で、「カヘバー」否「カフェバー」などと言われていたものの同工異曲ではないかと。日本のそれはそもそも学生街がそんなになかったこと(神保町といえばカフェバーというイメージの人は少ないはず。スキー用品店はようけありましたが)大学がガバチョと郊外移転したことなどで、見なくなったと思うのですが、韓国ソウルの梨花女子大のほうとか、ありげなイメージがずっとありますので、韓国から中国に伝播した文化な気もします。前世紀末に北京ではすでに朝陽門外の大使館街のさらに一歩外の三里屯に《酒吧街》というのがあり、ファンキー末吉が《JAZZ屋》という店を開いたりしていたのですが、これは日本でも大使館街の近くにギロッポンや麻布があるようなもので、学生街が集中する海淀区などに同種のものが現れたのが、本書で描かれる、21世紀ゼロ年代なのでしょう。

この頃、天安門はさすがに無理ですが、大躍進や右派闘争、文革はある程度までネットの流布が黙認されていたので、諸説を知ることが出来たとか。でもこういうのも、海外の工作員の暗躍(中華民國含む)に疑心暗鬼になったりして、終わってゆくのでしょう。

十三章は、中国の現代小説にはほかにもこういうのあるそうですが、こういう芸です。

句読点のない文章のラレツ。

ダヴィンチコードが仕込まれているのか、それも不明。

ひとつ言えることは、執筆当時はまだAIがたいしたことないので、AI生成で作った文章ではないです。

これが六ページ続きます。最後の六ページ目は、24行中7行と半分空白。

以上