『やりたいことは二度寝だけ』"All I want to do is sleep again. " by TSUMURA KIKUKO 津村記久子 読了

この人のエッセーも読んでみようと思って読みました。装幀 名久井直子 装画 木下晋也 章の終わりと表紙くらいしかイラストはないのですが、このポテン生活の人のイラストはキラーコンテンツなので、全編ポテンヒット色に染められていると言っても過言ではないです。

左はカバー折のイラスト。コロナカ先取り。
読んだのは単行本で、相変わらずこの人は単行本と文庫本が同じ表紙で好感が持てるのですが、ちょっと文庫本のほうがタテに引き伸ばされてる気もします。イラストの縦横比を変えるのは装画家に対する冒とくなので、そんなことはしてなくて、目の錯覚だとは思うのですが。

あとがきあり。あとがきでだけ二度寝に触れています。この人はリーマン(リーパーソン)時代二足の草鞋を履いていたので、それでこういうタイトルかと思ったのですが、専業になってから朕はタップリ寝ておるぞ、汝ら人民どうのこうの(そんなことは書いてませんが)でしたので、腰砕けです。この人はデビュー作を『マンイーター』から『君の膵臓が食べたい』否『君は永遠にそいつらより若い』に変えることで、なにがキャッチーなタイトルで売れるのか開眼したようで、賞をとった作品以外、というか私がこれまで読んだ著者の作品のタイトルはすべてキャッチーです。

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どのように書く時間を確保していたのですか。

津村:5時半に会社が終わってから8時くらいまで喫茶店であらすじを練って、帰って10時くらいから夜中の2時まで寝て、2時から5時くらいまで小説を書いて、また寝て起きて会社に行く生活でした。寝る時間を分けるのは私に合っていたと思う。小説用の時間を無理矢理作って、眠いけれども3時間だけだから書こうと思えたし。(以下略)

四章構成で、一章は日経新聞から飛び込んだ夕刊連載エッセーというビッグビジネス、二章はビッグビジネスとは全く書いてませんが痛快!布マスク新聞大阪版夕刊連載エッセープラスアルファ、三章と四章はその他いろいろ。一部加筆修正したり題名を変更したりしてたそうです。第一章は、書くことがないので津村サンが当時いちばんよくやっていた、「検索」の検索ワードについて縷々しるす、というコンセプトで始まったのですが、すぐその路線に行き詰ったのか、なかったことになっています。あんましおもんなかったのか。

頁16、「ライフハック」ということばを検索してますが、私はこの言葉が苦手です。ハックって、ハッキングのハックですよね。生活をハッキングするって、生活を盗んだり乗っ取ったりするってことじゃないんですか。

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ハックルベリー・フィン。頁31にアッパッパーが出ます。私は津村サンが大阪人であることをその著書からなかなか読み取れないのですが(お好み焼きをおかずにごはんを食べる描写がほとんどない、などがその理由と思われます。ほとんど三食うどんの食生活を送っているという描写はあるのですが、生醤油で食べてるという余計な形容があったので、私の脳内では「丸亀製麺の常連」という全国区のネタに変換されています)アッパッパを着ているというと、なるほどなと思います。「アッパッパーを着ているのは腹が出ているからなのだが」(頁32)などと身も蓋もないことを書いていて、さらに「わたしが先ほどからアッパッパーと言い切っている服の型は、服屋は「チュニック」と呼んでいる型のもの」だそうで、パパ活に着ていかない服上位ランキングと私が勝手に思っている服のようです。着ていってもいいのに。私には関係ないことですし。

この本を読んだ直後に読んだ下記の表紙の服が、チュニックだろうなと。スリランカからフィットネスウェアーを日本に販売する会社を起業した女性の自伝です。売ってるのはフィットネスなのに、表紙は体型を隠す服。中の写真にはJD時代のビキニもあるので、その辺の複雑さを読む本のようです。

頁128で平野の杭全くまた神社に行っています。平野はいい街でした。私が初めてイカ焼きを食べた町。下記に行ったです。

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左はマニア垂涎の緊縛ポテン生活。裏表紙。
津村サンはラテンアメリカに造詣が深く、それはサッカーとスペイン語両方から説明がつく、前者は趣味で、後者は、なんでだろうと思ってましたが、友人がスペイン人と結婚したからだそうです。式で流される、新婦のおいたちのビデオに新郎の親族がこぞって泣いたのが印象深かったからだとか。頁172、"trabajo mucho"「わたしはたくさんはたらく」は覚えました。しかし主語の一人称が分かりません。とらばーゆがとらばっほになる、というのは分かりますし、ムーチョムーチョベサメムーチョのムーチョ。カラムーチョすっぱムーチョのムーチョなので、ここも分かる。でも主語の一人称が分かりません。

頁193、スミスのモリッシーは、ファンの自殺に対し「彼にはスミスがあるだけ幸せだった」と言い放ったそうです。その話がドラクエ愛を語るエッセーに出て来る不自然さ。仙道つながりでスラダン愛を語る随筆に出て来るのなら、まだ分かるのですが。

頁199、好きなピクサー映画三本の次のエッセーが、甲子園体験記です。駅から球場まで、オフィシャルなのか勝手なのか不明だが、グッズや飲食物がいたるところで売られているそうです。セル爺が言った、むかしのブラジルの、サッカー場までの風景のよう。祝祭。甲子園球場の中の食べ物売りブースの多さにも津村サンは感心しています。長居や万博ですと、そんなのべつまくなし売店があるわけでもないのですが、老舗はちがうということか。

頁206、「ファイナライズできてない」という、ちょっと分からない日本語が出ます。同じページに、「超ごまめオーディエンス」という単語があり、ごまめかっ!!!と思いました。河野太郎とゆかいな仲間たち。

頁219、箕面カルフールに行く話。ショッピングセンターの外には民家が数軒あるだけでまっくらで、シャトルバスに乗り遅れるとおそろしいと思った津村サンは速攻帰宅します。

頁232、「北京五輪の夏にやっていたこと」というタイトルのエッセーで、小藪千豊かずとよ芥川賞を受賞する夢を電車の中で見た、と書いています。頁236では、賞選考中の待機会に出る機会はもうないだろうと書いていて、芥川賞のことなのですが、まだノーベル文學賞がありまんがな、夢は大きく持ちなはれと思いました。

あとがきで、「小説の方でお目にかかれたら幸いです」と書いていて、小説に自信がある証拠だと思いました。

以上

【後報】

待機会は食事がおいしいらしいです。オードブルかなあ。

(2023/12/5)