「この漫画が凄い二〇二四」*1第一位が、リイド社のこの短編集だったので、へえと思い、読もうとして、大塚*2の旭屋書店で買いました。瞬間的に売切増刷待ちになる前に買おうと焦ったのですが、後述するようにそれは杞憂でした。
編集 中山望 装丁 名久井直子 初出は2作以外すべて「トーチ web」
(1) 帯、増刷について
前日の夜にウェブを見て、新宿の紀伊国屋は在庫僅少。厚木の有隣堂も。翌日の行動経路上でいうと、足を伸ばせば神保町に行ける。だけど、あそこはマンガ一冊を買いに行くにはコアすぎる。当日電車に乗りながら、ふと、池袋に行こうか、ジュンク堂に行くのも久しぶり、でも池袋に行くとしたら本来の用事絡みの場所忘れていてスマホがないから調べられないし、あまり知った顔の人もいないだろうから、手土産を渡すのも気が引ける。歩きながら都バスのバス停を見て、ここから馬場に出れるのか、そしたら芳林堂。でもわりと待つのか。等々考えながらあれこれこなして、大塚の駅ビル四階の旭屋書店で買いました。ふつうに平積みだった。
すでにもう帯が刷り上がって巻かれていて、この時点で、なあんだという感じ。
読んだのは今年十二月増刷の四刷。第何位かは分からなかったかもしれませんが、ノミネートの時点で増刷を決めたんだと思います。ので、手に入らないということはないかった。まったくの杞憂。
むしろ、昨年十二月に、受賞決定時期にカブッて発刊された本が、じゃーノミネートは翌年回しね、で、一年待って、誰にも追い抜かれず首位通過の事実のほうがすごいと思います。それだけのことはあるマンガなのですが、それにしても、人は絶えず新しいものに揺さぶられるのに、このまんがは年間通して独走した。そりゃァすごい。
(2) 著者について
(a) 雪
収められている七つの話のうち、ひとつを除いて冬です。
- ・冬の海を見に行く話。
- ・雪道渋滞で雪女に遭遇。夏の再会を約束⇒
- ・透明人間が積雪の上をごろごろ転げまわる。(日常はどてらかジャージ)
- ・大雪で電車が止まって家に帰れない。
- ・特にないが服装がコートやマフラーなので冬。
- ・葬儀帰りの雪の街を歩いて、故人がよく食べたデニーズのハンバーグカレードリアを食べに行く。
- さいごのはなしだけ、半袖なので夏。
2015年からコミティアなどで創作系の活動を始めたそうで、和山やまという人もそうですが、ふと、昨日の読書感想にも出て来た『GET!フジ丸』という高校サッカーまんがで、ブラジルでジョガトーレを夢見る少年が日本の高校サッカー助っ人を勧められ、迷って恩師に相談する場面で、「忘れるな。人間はどこにいても輝くことが出来る」と言われたところを思い出しました。そんなこと思い出すのは漫画家さんとコミティアに失礼かもしれませんが…
沖縄出身だそうなので、それで雪が好きでとくべつな思い入れがあるのかなどと考えるとそれはたぶんステレオタイプな紋切り型の発想で、実はその辺のおやじに中央線沿線の飲み屋で賭けして負けて罰ゲームで雪の連作を描くことになった、なんてあられもない事実があるのかもしれません(ないと思いますが)
沖縄は雨季と乾季なので、私も十二月に行って、もわっとした熱気で汗だくになった思い出がありますし、池上永一サンの小説でも、木枯らしが吹いてセーター着るくらいでもう「寒い冬」だったかと。
(b) 太白
お名前が漢字四文字ですので、"dabaixiaoxie" と漢語でうっかり読むかというとそういうことはなくて、大城サンは沖縄によくあるみよじなので、それをもじってるのかなと思いつつも、「大白」でなく「太白」と、ちょんをつけた字に空目してしまいがちです。なんとなく、ごま油と、私特有のこんぐらがった思い込みから。
沖縄にもたくさんいるモクズガニはニアイコール上海蟹だと沖縄でも広く認識されているわけですが(私自身西表でそう自慢された)上海蟹があちらで《大閘蟹》"dazhaxie" と呼ばれているのを、私がおとくいの模造記憶で、太白湖というところでもカニが獲れ、それで太白小蟹というペンネームなのかと勝手に思い込んでしまったです。
湖北省黄岡市と山東省済寧市に太白湖があるそうで、さらに日本の仙台にも太白という地名があるとか。
沖縄にはガザミやヤシガニ(絶滅寸前)もいますが、本書とは関係なさげ。
(c) 短歌
帯裏 なんで俵万智なのか最初分かりませんでしたが、各話終わった後にキャッチコピーというか五七五七七っぽい句、否歌が白地一ページブチヌキで書いてあって、短歌が趣味とあって、ああそれでなんだと分かりました。国書刊行会でもマンガ出しそうな。オファーはありそうに思います。
(3) 以下各話感想。
『うみべのストーブ』"The Electric Heater at the Bay. " 2021年7月掲載
振られた男が海を見に行く話。電気ヒーターがいつの間にか人語を解する存在となり、同行します。これを女性が描くとこうなるのかという、目からウロコの一篇。
とにかく女性が振る際に理由を明示するのと、その時の涙が、とてもよかった。イヤになる理由もあるけど好きになった理由もあり、結果前者に傾いてしまった、自分の先を見通す目のなさに悔し泣き。相手に変わってほしかったけれど、相手は自分でない、べっこのにんげんなので変われるはずもなく。だいいち、相手への思いやりからはっきり相手にそれを告げてないかった。
旬の歌ですけど、上記を聴いた時、このまんがのことかしらと思ってしまいました。「君を泣かすから」が強がりで、実は自分が泣くから、と解釈するとこのまんがになる。
人間だからね たまには違うものも食べたいね
別に浮気とかでなくて、オカアサンにおさんどんしてもらってる中学生の感想でしかないと思うんですが、同棲相手と食の好みが違うケースを鑑みると、それはとても深刻なので、とても分かる気がする。
ただ、ストーブは石油ストーブやガスストーブのように、燃料を燃焼させて暖をとるわけで、この場合遠赤外線だかニクロム線だかの熱であったかくしてるので、ストーブでなくヒーターだよなあと思いました。
ヒーターは温風や放熱により空気を間接的に暖める器具であるのに対して、燃料を燃やすことで発生した熱で直接暖める器具がストーブです。
主人公が都内在住でなく郊外在住なら、ぜったい車持ってると思うので、ストーブを後部座席に載せて海に行くと思うのですが、主人公は都内在住のようで、電車です。液体燃料のような炎上爆発の可能性もある危険物を携行して電車には乗れません。それなので主人公が電車に行く際携行するのは電気ヒーターでなくてはならず(ガス管外してガスストーブでもいいかもしれませんが)それなら題名はストーブでなくヒーターにすべきではないか、いやだからそこが作者が冬のない沖縄出身だからで、ストーブとヒーターの違いをよく理解してな…あぎじゃびよ!ワンを上から目線で見ないでクラサーイ、とは思いませんでした。
英訳したらどうなるか考えた時、これはエレクトリックヒーラーだよなあ、英語でストーブと言ってしまうと、調理器具のこんろの意味合いも出てしまうし、など考えて、アメリカーが身近にある沖縄なのに、どうしてこういう日常遣いの英語が分からないか、そんなの関係ないでしょう、こういう英語はフワちゃんに聞いてくださいよ、いつまで沖縄にいたかも関係あるし、沖縄だから米兵が身近ってのは、偏見です、そもそも亜熱帯なんだから英語話者も沖縄でヒーターとかストーヴとかめったに言わないでしょう、上から目線で見ないでクラサーイ、とは思いませんでした。
石油ストーブって英語でなんて言うの? - DMM英会話なんてuKnow?
頁31の漁火もしくは対岸の工業地帯のネオンの絵がよかったです。私の八百万画素では撮れない写真。三千万画素なら撮れるのでしょうか。
『雪子の夏』"The Summer of the Snow Woman." 2022年5月掲載
カバーの上の裏表紙の右側、和服の女性が雪女。左の女性ドライバーを凍死させるため、雪道渋滞に現れる。とてもこわい導入部です。
中型トラックなので、ルートの配送仕事だとしたら、とても大変だと思います。荷下ろしもあるだろうし、納品の時間や搬入方法もつど細かく決められていて、ぜったい大変。遅れたら弁当など売り時のある商品はすぐ売れなくなるわけなので、その辺の圧もすごいし、道は混むし。ので、大型トラックのほうが実は女性ドライバー見ます。
大白サンは誰に教わったわけでもないでしょうが、ストーリーの演出上のキモをいくつも心得ていて、そのひとつが、「さいてい二回(前半と後半)は読者の印象に残る決め台詞のブチヌキを作れ」だと思います。このまんがは典型的で、頁47「今ひとりで超楽しく生きてる」でガツンとやられ、頁69「あ わたし きっとこの先 死ぬまでずっと 夏が来るたびに 今日のことを思い出す」でダメ押しされるわけです。もちろんこのほかにも大ごまは各所にあって、車内のサイドミラーに、近づいてくる雪女が映るブチヌキや、夏の農道、夏の夜が「きーん」と凍る見開きなどが効果的に使われていて、それが効果的だったことはあとで気づくのですが、決めゼリフはその場で直球で刺さりますので、ただただ幸福です。こういう飛び道具を何本も隠し持っているまんがはすばらしい。
小学館の編集者が「ふむふむ」とかこれを読んで、新人に「これでも読んで勉強して」と投げつけたらそのパワハラをまんがにしたらいいかも。
「良いよ」という口ぐせは、最初キャラ特有かと思ってましたが、今の若い人の言い方なのかもな、と思い直しました。また、スターウォーズをそのまま使えず、スペースウォースにしてるところは、トーチカ編集部やリイド社の目の配りどころや力関係がそうなんだなと思いました。小林よしのりが『東大一直線』のその辺りの巻でストーリーそっちのけで作者を出して「(日本上映前に)わしなんかスリータイムハワイで見てきた」と豪語したくらいの映画だから、しかたない。
『きみが透明になる前に』"Before You Become a Hollow Man. " 2022年9月掲載
トラック事故で薬品を浴びて透明人間になってしまう*3という、アマプラやネトフリやディズニープラスでB級映画み過ぎだろみたいな男性と、そのツレの女性の話。男性がメガネのセクシー男性(ヒゲあり)で、眼鏡っ娘というジャンルは知ってましたが、男性版もあるんだなと改めて。もう時代は時東ぁみではないんだと。赤坂泰彦のラジオマンジャックでたまに聴くくらいなので、メガネしてるかしてないかは完全に関係ない存在になってますし。この男性は在宅ワークで、ジャージやドテラなのに清潔そうで、おなかもしゅっとしてるのがすごい。ジム通いしてる場面もありませんし、すごいなあと。透明人間のジムワークは絵になると思うので、紙数の関係で割愛でなければ、作者が思いつかなかった可能性もあります。運動してないのにおなかがひっこんでる男性を現実に知ってるなどの理由で。
このまんがのツボは頁83真ん中のコマで、こういうイヤそーな表情、相手を萎えさせる表情を、人はついついやってしまう。これがあまりにリアルで、これがなかったら、セクシー男性の甘えに母性本能満開で答える女性という、一部にキモがられる展開にしかならなかったと思います。頁87で天丼されるので、読者の脳細胞に完全に爪痕残るし、その辺もちゃんと「分かってる人」の演出で、すばらしい。
頁89
わたしが愛していたのは彼そのものじゃなくて
ご飯のタイミングとか家事とか掃除とか
そういうのがうまく回ってる
彼との生活の方だったのかって 思っちゃったりして
『雪を抱く』"EMBLACE THE SNOW. " 2022年1月掲載
抱きしめたい!って英語でなんて言うの? - DMM英会話なんてuKnow?
hugは口語的で、embrace はフォーマル風、hold はその中間という感じです。
このまんがは頁126の、目が合うふたコマが好きです。あと、頁131「夜道でも心強いです」
帯裏の女風呂の場面は、このまんがです。女性同士。電車が止まって帰れず、宿も満室で行くところもなくこころぼそい思いをしていた女性同士が、追い出される前のマクドでふと挨拶をかわし、「ふたりで居れば 夜道でも心強いです」
ただこのまんがは、24時間営業の銭湯なんて公衆浴場としての銭湯にはないのに、あるかのように描いてしまっているので、そこが大きなネックです。たしか菌が繁殖したりしないよう、時間を決めて殺菌とか消毒とかお湯の入替とか掃除をしてるので、24時間営業は銭湯組合の浴場にはありえず、スーパー銭湯も時間を決めて朝方一度閉店してるところがほとんどだとか。ナニ菌を抑えるのか知りませんが、消毒に関する画期的な発明がなされれば、銭湯業界的にはノーベル賞ものだとか。「解放区」という女湯の表現はよかったのに、う~ん。
このまんがは最後の短歌で「センター街」と歌っているので、渋谷から歩いて37分で行ける銭湯を探して聖地巡礼しようという人たちが、初版から一年も経ってますし、それなりにいるかもしれませんが、24時間営業はフィクションなので、このまんがのように「その手がありましたか」(頁130)で納得しないでください。その手はありません。少なくとも、このまんがのように、老若ともに通う、富士山のペンキ絵の銭湯は24時間営業ないです。スパやサウナなら上の知恵袋のように、相当歩けばあるかもしれませんが、それだと洗い場や湯船の絵が違う気瓦斯。
主人公は妊娠が判明した整体師。整体は民間資格なので、国家資格の柔道整復師や鍼灸師がとれるようになればいいですね。時間はもちろん、お金もかかるそうですが。
『海の底から』"From the Bottom of the Sea. " 2022年7月掲載
けっこう背が高いが彼氏(調理師)よりは低い女性が主人公で、この話の主人公がいちばんホワイトカラーのワーキングウーマンらしい外見です。このまんがの主人公が、いちばん髪の毛が短くて、いちばんまつげが長い。🚚ドライバーがいちばんまつげが短いのですが、髪がいちばん長いのは透明人間の妻です。
めずらしく舞台が大江戸線の落合南長崎駅と特定されており、これは、地下深くまでもぐる地下鉄で通勤してる設定なので、具体性を持たせたかったのかもしれません。ようするに中央線沿線青春群像の亜種。
彼氏のアーモンドアイの調理師の上着が、もう何十年も前なのですが、京都の飲み屋で夜店を出る時、寒いから着てき、着いひんからいらんし、返さんでええから、と言われてもらった服と同じで、けっきょく自分でも気に入らずすぐ人にあげた服なので、子の服って今でもあるのかと思いました。私の話は後日談があって、それからしばらくして、人生で最初で最後に「友人の結婚式」に新幹線に乗って上京して出席した際、博報堂から独立するとか年俸制になったとか言ってた人が同じものを着ており(ブランドは違ったかもしれません。ザギンで買ったもので、韓国から流れてきたものではない)いやーこれって、東京の業界最先端の人が着るものなんだ、でもいらないから人にあげちゃったしなーとその時思ったです。ちなみにその時私が来てた上着は、踊る大捜査線の青島刑事みたいなペラペラのアーミーだったような。ラサで買った人民解放軍絡み。
この彼氏は調理人ですが、板前とかではなさそうで、主人公女性の知的会話をうまいことキャッチボールさせる才は、いぜんイタ飯屋に行った時、女性客ばかりのあいそというかごきげんをとにかく男性スタッフがとりまくりながら調理もこなすという、超難易度の高い変態プレイをかろやかにdoneしていたのを彷彿とさせました。そういう感じのお店の人なんだろうなあ。美容院のようなリストランテ。
『雪の街』"Snow Town. " 2018年5月 自費出版
自費出版とありますが、たぶん創作系同人。商業誌(ウェブサイトですが)とはタッチが違います。このまま小学館でデビューしてたら、今ビッグコミックなどで少ないページ数に悶々としながら煮詰まった短編載せてる人たちと変わらなかったかもしれません。ひとの人生は至るところに分岐点、青山ともいいますが、それがある。
家族葬ですが、家族以外に主人公だけ呼んでほしいという故人の遺言で、それって重くないかと思いながら読みました。まんがの設定だから現実じゃないんですが。
喫煙の場面もあるし、デニーズのハンバーグカレードリアを食べると聖地巡礼になります。後輩がきれいなまま終わって、実はストーカーでしたみたいな展開でなかったので、それはそれでよし。
『たいせつなしごと』"The Important Work." 2021年6月ツイッター(現エックス)にて公開。
この話だけ半袖で、夏です。味覚障害と言ったら言い過ぎか、的な、東京砂漠で働く女性が、ガテン系の天職を見つける話。ネットはべんり。短いページ数なら短いなりに、ブチヌキはぶち抜かないでコマ割り等でうまく見せればいいし、二度も三度もヤマを作らなくていい、と言いたいわけではないと思います。転職先の上司がオラオラ系でなくてヨカッタデスネという。
(4) トーチコミックス
背表紙にこういうマークがあって、トーチコミックスというのがあるのかなと思うと、特に公式にそう書いてあるわけでなく、奥付にもそういう記載はありません。このマークだけ。しかし、アマゾンでは必ず「(トーチコミックス)」と書いてるので、やはりそれはあるのかなあと。
トーチ自体は別のロゴを持っていて、それはそれで立派です。
一年寝かせても一位になるほどの作品を出している誇りがありそうなので、この辺も整理してもらえたら、なんとなく釈然とするので、助かります、細かい人が。
奥付に、たぶんアナウンサーでなく漫画家の山本美希サン、初代担当編集山田翔サン、パートナー、家族、読者各位への謝辞。
以上
【後報】
座間
(2024/1/31)