ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン・ジウベルトとは誰も呼ばず【ラマダン開始まであと九日?】

人形シリーズ 伊勢原

今朝、六時に起きたら雨でしたので、ラジオでラジオ体操しました。六時二十分には雨上がったかもしれません。でももう家でやると決めたので、迷わず家で。

その後自由が丘に行こうと思いつつ家であれこれやってるうちに気温がぐんぐん上がって、こりゃいいやで布団干しました。干したら午後一時半くらいには取り込んだほうがいいので、出かけずに家でゴミを整理したりDVDを本棚に並べたり。あげく窓拭きまでしました。あったかかったので、あれこれやりやすかった。ペシャワール会ほかのNPOやらファンクラブやら(忘年会絡み)用事やらの紙類が数年分たまりまくっていたので、分類して整理しました。

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上は、ワールドロックナウ二月最終週でかかってた曲。眠いので、後は明日朝追記します。

どうも靴下を穿く時、椅子に座ってでないと穿きにくいので、姿見の化粧台の椅子を出しました。でも座高が低いので座りにくい。むかしの人用。車検と名義変更に出す軽トラの荷台から肥料袋や草削り、円匙をおろしました。

夜はまた雨。

室内作業でしたのでファンキー・フライデーを聴きながらやりましたが、とにかく午前中はブツブツ通信が切れて困りました。雨があがって晴れて、急に気温が上がる時間帯に、はれっ? 今聞こえなくなった、て感じで、通信が切れる。都度モデムを挿抜したり、パソウコンを再起動したり。そうするとしばらくは持つのですが、まただめで。しかし午後には安定し、三時過ぎには食事をしてないかったので出かけましたが、帰ってきたらヒャダインの番組が元気に流れていました。

で、小林克也サンが、空港名にもなったブラジルの音楽家というクイズを出していて、検索するとアントニオ・カルロス・ジョビンなのですが、なぜかそこでジョアン・ビレイラ・ビント、否、ジョアン・ジルベルトイパネマの娘のあのオジサンの名前が出て、小林克也翁は最初、「ジョアン・ジルベルト」と言ってから、一拍おいて、「ホアン・ジルベルト」と言い直していました。

アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港 - Wikipedia

pt.wikipedia.org

ホアキン・フェニックスとかの例もあるので、英語圏の小林サンは混同したんだろうかという。ジョアンがスペイン語圏の人間だったらホアンですが、彼はポルトガル語圏。"J"は"J"のまま。かわりに、ロベルト、ロドリゴなど、ブラジルでは"R"がハ行になるはず。ホベルト、ホドリゴ、シェハスコ、ヒオデジャネイロ(知らんけど)

https://ja.forvo.com/word/jo%C3%A3o_gilberto/#pt

リオデジャネイロ - Wikipedia

しかし自信がないかったので、日系ブラジル人のしとにはっちょんを確認しましたら、ジョアンはカタカナで書くほどハッキリはっちょんしないようで、私が何度「ジョゥン」「ジョーン」とそれっぽく言ってもオーケー出ませんでした。だいたいこういうのは、行きずりの旅行者レベルでは、よほど耳とカンがいい人以外は正しく習得出来ない。私は中国語でそれをハッキリ自覚しているはずなんですが、イチから語学をやるのはとてもしんどいので、ついついこういう行きずり会話ばかりしてしまう。きっと、一世以下のポルトゲス能力の邦人旅行者レベルと思われているのでしょう。実態として、旅行者ですらありませんが。

それで、帰宅途中、瓦斯や湘南にいたジャーンのジャーンは、ジョアンなんじゃないかとの仮説を立て、有頂天で小躍りしましたが、ちがいました。ジャーンはJeanで、Juanじゃないかった。

ジャーン・カルロ・ウィッテ - Wikipedia

冬季限定、からだがあったまるマトンスープ(チキンスープもあり)

拡大。

ストリングホッパー。イディアーッパ。

ストリング・ホッパー - Wikipedia

イングリッシュ・ペイシェントの原作者マイケル・オンダーチェサン(カナダに移住したスリランカのバーガー、蘭葡系欧州人の末裔)はこれさえあればゴキゲンだったそうなので、料理を純粋に舌で味あわない私はそれ以来これをときどき食べることにしています。それまでは、ビーフンまで手食でカレーをつけて食べようとするインド亜大陸に、ついていけないものを感じてました。本来昼食に食べるものではないそうですが、私は夜外食に行くことが少ないので(この時季は寒いし)この日は昼に食べました。

ビーフン。固まりごとに手食出来るようになっています。海苔をつけてオカカやシャケを入れてオニギリにしてもいいくらい(うそ)

ポルサンボル。この日もシニサンボル(砂糖入り)の存在を聞き忘れました。

何も言わなかったので、チキンカレー。

サツマイモのマッシュだか、豆だか。黒いのは胡麻に見えましたが、訊いてません。ちがうかもしれない。

私はまだ手食しないのでフォークでつかんで。

カレーに浸して食べる。

このように、具をはさんでくるんでも食べる。

さいごの一枚。長浜ラーメンではありませんが、替え玉ならぬ追加も出来たはず。二枚でいくらだったか忘れましたが。

完食。いつもならこの後、ランチタイムは百円でキリティースリランカシンハラ語圏ではチャイをチャイと呼ばず、こう呼ぶとか)が飲めるので頼むのですが、なんとなくぼーっとしてました。ほかの客が入って出てくのを見てた。

イディアーッパは南インドにもあるというか、ウィキペディアではそちらが本場のように書いてあるのですが、ミールスを出すようなマラヤーラム語圏インドの料理屋でまだ見たことがないです。タミル語圏のインド料理屋は、この辺にあるのかどうか知らない。回教徒スリランカ人の店は少なくとも三軒ありますが、フライドライスを出すパン屋(ワデもあります)が一軒、フライドライスとコッツを出す店が一軒、ワニのパンなどパンとドルフィンコッツ、チーズコッツを出す店が一軒です。最後の店はUAE製バービカンを出します。バービカンというとノンアルビールの名前でしたが、UAE製はただの柑橘系サイダーです。いずれもストリングホッパーはありません、行った時点では。

そうこうしてるうちに店主顔見知りの人たち(邦人女性やスリランカ人女性)が、スリランカ旅行の帰りに店に直行してきて、現地の知りあいの話などしだして、それを潮に店を出ましたが、その前に、若いスリランカ人のチャンネーが二人入ってきて食事をしだし、へえと思いました。インド亜大陸以西の店って、エスコートする男性がいないと、女性同士で外食なんか行かない(ムスリムは戒律で親族男性の同行必須)と訊いており、スリランカはシンハラ人が仏教ですが、かつてはやはり買い物など外出は男性パートナーもしくは男児の仕事で、女性は外に出なかったそうですので*1、今はゆるいんだなと思ったです。これが東南アジアなら、ベトナムタイフィリピンは言うに及ばず、インドネシア人女性もバンバン女性同士で外出するわけなので(ただし近年は原理主義者のイチャモンがいやなので、知り合いに見られそうな場所にはブルカガッチガチで行く)(そして今は群馬県でよそものの邦人男性にナンパされて殺されてるのでちょっとちがうかも)スリランカは男性の腰巻やビーフンは東南アジアから受け入れても慣習は南インドと共通も多い(女性はサリーだし)けど、徐々に変わっていってるのかなと思いました。

しかしこの若い女性二人が、当然のように食事前に手を洗って手食していたのですが、背筋をピンとのばして食事をするということがなく、ほとんど猫背、犬食い一歩手前のように前屈して手食していたので、こんなに凛としない手食は初めて見たと思いました。インド亜大陸の店やインドネシア料理の店など、手食を見る機会は少なくないのですが、こんな前傾姿勢で食べる人を見たのは初めて。ほんと犬食い一歩手前なので、今度誰かと話してみます。しゃんとして食べなはれ。

寝ます(寝ました)

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。