カバー画 柳智之
あとがきあり。
「小説新潮」1992年2月~1993年7月号連載『三界に住処あり』を構成し直して、1994年11月新潮社から『イリノイ遠景近景』として単行本化。ちくまがそれを2022年9月に文庫化。
五つに章立てされていますが、八種類くらいにジャンル分けするのがてきとうかもしれません。(あ)イリノイ州シャンペンの暮らし。(い)黒人女性について。(う)「シェルター」と呼ばれる米国の民間一時避難施設(DV等の一時避難宿泊施設兼出所後に住む当てのない人の更生保護施設兼ホームレスの自立支援施設兼依存症の中間施設)ボランティア体験記。(え)(う)に含まれる、マキシーン・ホン・キングストンからの流れの、中国系移民の入国審査秘録。(お)(う)に含まれる、ホロコーストをヒトラー・ユーゲントとして生き延びたユダヤ人少年の実話。(か)ベルリン滞在記。(き)(か)に含まれるペルー。(く)アメリカ先住民聴き語り。
カバー裏のあらすじ。連載時のタイトル『三界に住処あり』がことわざ「女三界に家無し」を踏まえていることは解説者も指摘していて、作者によると「こんなところに日本人」はアクロバティックなことでもないデスヨと言いたかっただけ、ということだそうです。女性うんぬんは別にして。
「虎に翼」のこの清朝をバリバリ思わせる法廷ファッションを見る度、周星驰《九品芝麻官》など香港映画の判官ものを思い出します。
下記は有料。
「こんなところに日本人」に出てくる日本人女性はつるこ教の合同結婚で当該国男性と結婚することになった女性が多かった、というまとめサイトを見たことがあるのですが、今検索しても見つけられませんでした。ネットのデマだったのか、真実がもみ消されたのか。
(あ)イリノイライフ
米国ユダヤ人男性の夫と、ペルーで養子縁組した(『ペルーからきたわたしの娘』*2その時は生まれたばかり)娘、という家族構成は知っていましたが、娘に弟がいる=息子がいるとは知りませんでした。自身の不妊治療についても著書*3に書いておられましたので、息子さんの来歴が気にならないこともないかったのですが、書いてないんだから仕方ない。頁13によると、姉の三歳年下。
頁46にイリノイ州のお通夜とお葬式が出てきて、アメリカにもお通夜があるんかと検索しましたら、お通夜が"Viewing"でお葬式が"Funeral Service"だとか。イリノイ州の老人は終活、エンディングノートをかかさず、葬儀の要望、死化粧、死に装束、髪型、棺の種類、埋葬方法など細かに指定しておくんだそうです。街の床屋さんはそれもこなして食ってけてるんだとか。
頁53
「(略)それにさ、これは重要なことだが、髪をセットしてあげて、まあ、フレッド、こんな髪型は気にいらないわ、さっそくやりなおしてちょうだい! と苦情をいわれたことはないからね。遺体と化したお客はまったく例外なく、ぼくの最後の結髪を気にいってくれるよ」
頁59に、ミシシッピーにはホット・コーヒーという名前の町があって、由来はズバリ農作物の行商に村から街に行く人々がここでコーヒー一杯ありついたから、だとか。イリノイから近いのかと思ったら全然遠かった。車で10時間。
鼠入りリブポークのフォークロアの見出しが「マクマウス!」なのですが、「マクドマウス」と言ってもらわないと分からないと思いました。頁64。不良少年に体罰を加えるわけにいかないので、フランク・シナトラの歌をえんえん聴かせると彼らにはこたえるらしい、という話の次。住民の話に聞き耳を立ててそれをエッセーにするのもわりとすぐネタ切れになったようで、最後はタブロイド新聞を買ってトンデモ記事を拾ったりと、涙ぐましい努力をしています。デーブ・スペクターが東スポの記事をアメリカに紹介するようなもの。総じて、高カロリーによるアメリカ人デブ化現象がもうこの頃如実に表れていたことは分かります。ベースボールキャップのじじいたちもデブ、スイミングプールの老婆たちもデブ、ヘルスエンジェルスのハーレーニケツ夫婦もデブ、みんなデブ。
『ワインズバーグ、オハイオ』*4のイリノイ版を目指したいのかと思いましたが、デブの壁は厚かった。薄かったらそれはデブじゃない。
(い)黒人。
頁100、デューク・エリントン「サテンドール」のモデルになった女性がミルウォーキーにいるというのでインタビューしようと何度も電話するのですがコンタクト出来ないという話が出ます。今ならメールかLINEで取材の申し入れでしょうか。
(う)シェルター
頁137にイサーク・バーベリ作品集の中の『養老院の最後』という小説が出て、読んでみようかと思いましたが、邦訳された作品集には入っていないようです。
(Конец богадельни) "End of the Almshouse"という話みたいです。
本書の日本語に翻訳された英語会話を読みながら、原文はどんな英語だったのか考えたりします。
頁144
「おかえりなさい」
「スープ飲んでいいかな」
「いいんじゃない」
英語の"You're back"は日本語の「おかえりなさい」より中文の”你回来了“のほうが近いと思うんですが、どうでしょうか。この「いいんじゃない」は"Sure"なのかなあ。だったら「もちろん」と訳すべきジャイカと思ったり。
頁145
「あんたもほしいの?」といった。「おいしいよ、甘いよ」と黒い目でじっと見て。
「ほんとに、おいしそうねえ」
「一本あげるよ」
「気前のいい人なのね。でも、いいわ。あたしはいまオレンジ食べたばかり」
「ふうん。でも、気が変わったら、あげるからね」
"You're so generous man. but,no thank you, I just ate a whole of orange, right now."
"OK. But you change your mind, I give you any time." この英語で英検二級が受かると思う人の数⇒ 今ココ
(え)埃崙 Angel Island.
中華人民共和国の諜報員ポールが登場し、下記の本に出てくる天使島中国移民強制収容所の壁に書かれた移民の漢詩をクサします。
19世紀末から20世紀初頭にアメリカに来た中国人は肉体労働者の苦力なので、こんな漢詩が書けるわけがない。文盲で無知な人たちだった。おまけに南方人だったし。知識階級のアメリカ移民は1930年代を待たねばならなかったんだ。etc. 藤本サンは逐一反論しますが、会話が不毛なのでアホらしくなります。上の本は本書ではヒム・マーク・ライ、ゲニー・リム、ジュディ・ユン三人の共同編集ということになっているのですが、上のアマゾンではジュディ・ユンとエリカ・リーという人の共著です。中文タイトルは《埃崙詩集》で、確かに書評が一件ヒットするのですが、神保町の中文書店でもネットの中文書店でも出ません。藤本サンが紹介するのはおもに英訳の邦訳で、ひとつだけ漢詩をそのまま書いてるのですが、どうも私はそれを読んで和臭がして、邦人の漢詩じゃいかと思いました。
頁167
乙月被囚履不前、
満州輪來蒙古旋。
但得南洋登程日、
求活何須美利堅。
1階部分には移民局時代の中国系移民による書き込みが多く、また2階部分には捕虜収容施設になってからの日本語による書き込み(62か所)や英語による書き込み(89か所)も確認されている。これは、後に収容された日本人捕虜が、中国系移民の残した漢文の書き込みに触発され、自分達も言葉を残したものと考えられている[22]。
「満州」「日」「メリケン」などの単語から考えるに、上の漢詩は和製漢詩ではないかと。ちがうかな。
(お)ドイツ
頁218、ベルリンのレストランで、あからさまにくさったフリカッセを出されます。抗議するも、英語がヘタな東独出身店員とは会話が成立せず終わります。あからさまなオリエンタル差別の場面に見えるのですが、藤本サンは事実をたんたんと書くだけで、声高にヒドイヨーヤラレタヨーとは書きません。
頁192、ナチの「学説」によると、アーリア人には六種類あって、純粋度によって分かれるんだとか。いちばん純粋なのは北欧ゲルマン人、「ノルディック人」だそうです。ヒンディー系インド人、スリランカのシンハラ人はそれで行くとどのくらいのアーリア人になるのかなあと思いました。六種類の中に入ってるのかどうか。インド=アーリア語族。「これはあまねく知られてることですが」とあるのに私が知らなかったことで、ナチスはドイツ人がすべてノルウェー人になれるよう、ノルウェーから青年を連れてきてドイツの若い女性とつがわせ、総統にささげる赤子を生ませたりしたそうです。そのせいで、本書の頃のドイツには、父親はノルウェー人ということ以外何も分からない人がけっこういたんだとか。その後DNA鑑定が進んで、調べたりしたのかどうか。その後に書いてある障がい者のナチスの扱いは、知っています。
(か)ペルー
ベルリンのハイライトはペルーに関するくだりで、藤本サンがジョササンに遭遇する前がいいです。藤本サンと(実はユダヤ人の)ペルー文学の権威が意見を一致させてマリオ=バルガス・ジョササンの最高傑作と推すのが『緑の家』なので、読んでみます。
アマゾンに接するペルー奥地は、私がむかし新川で出会った、金を掘りにジャングルに入って、世界はヒドラに支配されているという天啓を得たペルー人を思い出させます。川崎の東芝サイドのペルー料理屋にその辺境のまちの観光案内があった気瓦斯。荒井商店の店主もそこまで行ってるんですよね。在日ペルー人の大半がリマで、そうでなければアレキパとかにとどまっていて、その国の人であってもその国の辺境に詳しいわけではないという鉄則そのままなのですが、だからこそ行ける時に行ける幸せをかみしめると。
(き)インディアン
主にゲージツ家のインタビューで、頁325、母語が禁じられた父母の寄宿舎生活時代などが書かれます。
頁328
インディアンは生理的に多量のお酒に耐えられないと思う。そういうと、おまえは人種差別主義だといわれるんだけど、ロサンジェルスにいたとき、ダウンタウンでアルコール依存症の人達をよく見かけた。ずいぶん年とった人たちが多かった。でも年よりのインディアンのアルコール依存症患者を見かけることはないのよね。年よりになるまで生きていられないのよ。若いときに飲みだして、数年もすると死んでしまうもの。
前の夫は自分が酒を飲みすぎると感じて、治療をうけることにした。そして三十日間のプログラムにはいったの。最後の週は家族も参加することになっていたので、わたしは娘たちも連れていった。ちょっとした休暇にいいと思って。ところがとんでもない、毎晩宿題の本を読んだり、大変だったわ。アルコール依存症は遺伝性のもので、依存症になるということはそのような遺伝子をうけついでいるということなのだ、という話だった。
私は兄を二人、アルコール依存症で失った。肝硬変で。遺伝だ、というんだけど、信じがたいわね。祖父はお酒を見たことさえなかったと思うし、父はぜんぜん飲まなかった。それなのに突然わたしの兄は依存症になった。
以前はね、インディアンは酒を買ってはならない、という法律があったの。そんな差別法なら残しておいてもらったほうがよかったくらい。でも法が変わって買えるようになったらもうまるで前後のみさかいもなくなって、貧乏な暮らしをしていたのにもかかわらず、お酒におぼれるようになった。現在でもインディアンの芸術家たち、酒を飲んで死んでしまう。若くして。わたしの前の夫がその例ね。陶芸をはじめて、うまくいくようになって、すこしお金がはいるようになったら飲みだしたの。そういう例が無数にある。お金の使いかたがわからない。飲酒量をコントロールすることができない。あっというまに、お酒にのまれてしまう。
希死念慮がある人は引きつけられるのかな、と思ったり思わなかったり。
私は本書を当米国カントリーサイドのスケッチ、ワインズバーグ、オハイオに触発された作品群*5のひとつとして読みだしたのですが、本書はもともと「三界にいどころなし」へのアンチテーゼとして書かれた面があったわけで、最後はナヴァホ人女性の織物工芸家組合を組織した中国系女性が、「居所がない」のでなく、人間の集體を組織することで生き抜くさまをえがいて〆ており、『プロテスタンティズムと資本主義の精神』まで話が進んだ気がしました。
頁354、見事にユダヤ系の父を持つ女性ばっかりのチンイツで怒濤の攻めを見せます。シモーヌ・ヴェイユ*6は「社会的な意味でも、植物的な意味でも、自分で自分の根を抜くこと。地上のどんな場所からもたちのくこと」と「自分をなき者にする方法」について書いたそうで、ナタリーア・ギンツブルク(ママ)*7は産褥死した姉について「姉はそもそも生きる意欲をもつことなくこの世に生まれてきた」とさんざんな意味のことを書いていたとか。で、フリーダ・カーロ*8サンは「生よ、永遠なれ」という題の静物画*9が遺作で、しかし日記の最後の頁にはこう書いていたそうです。
頁355
「退場は心たのしいものとなりますように――そして二度とふたたび帰ってきたくはないものだ」
年を取ると、先行くものがどんどん死んでゆき、死に水をとっていくうち、死ぬのがこわくなりますが、逆に、もう一度人生をやりなおしたいかというと、もういいかなとも思ってきます。その分今をじゅうじつさせたい。異世界転生ものばっかりの日本の現状を見て、そんなに輪廻信じてインカ帝国、日本人はなんだかんだ言って仏教徒なんだなあ、と思ってましたが、あれは実は、回教や基督教の天国地獄観念で、転生でなく、自分に都合のいい世界(=異世界)でずっと過ごしたいという虫のいい考えの表れなのかなと、本書を読んで思いました。ナヴァホ人の世界でアジャスターとして生きることに生きがいを見出し、いどころすなわちワーク! という結論に達した本書とは別の極北と思います。以上
*2:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*3:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*4:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*5:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*6:
*8:フリー・ダカーロ
*9:
"Vi va la vi"と藤本サンは書いてますが、"Vi va la vida"が正しい題名みたいです。コールドプレイ。