何かで、フジモリサンらに触れた部分があるジョササンの小説と聞いたので読んだのですが、どうもまた模造記憶で、東京に触れた部分があるジョササンの小説でした。それも80年代の東京、まだ1ドル200円くらいの貿易不均衡時代の東京をエトランゼ視点で描いた箇所のある小説でした。それでもまあ、ペルー人でありながら日系にほとんど触れないジョササンなので、この人にしてはよく書いたというところなのかなというところ。
(1)本書邦訳時の2011年に四度目の来日を果たしたということなので、執筆刊行の2006年には二回か三回は日本に来ていたわけで、それなりに地ならしは済んでいたと見るべきでしょう。全七章のチャプターのうち、東京が舞台になるのは第四章、「シャトー・メグルのタルジュマン」《IV. El Trujimán de Château Meguru."》ですが、「シャトー・メグル」はどう考えても目黒エンペラーです。ロンリー・プラネットが日本のラブホ文化について多大な熱量を持って書いていたのを、白人旅行者目線で受け入れたラテン・アメリカ文学の精華が本書なのでしょう。しかしジョササンは、『シンコ・エスキーナス街の罠』"CINCO ESQUINAS"*1でマイアミのキューバレストランを出した時は実名で出してるので、なぜトーキョーのラブホはマスクしたのか、気にならないでもないです。
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(2)エロ小説としての描写の多さが、それまでの歴史小説の硬派のイメージとがらっと変わったということなのですが、2006年には70歳なので、色ざんげというか、こだわらなくなる年なんだと思います。よく舐める。作中で。英語圏では本作は『ボヴァリー夫人』のリメイクというあられもない評価*2で、英題も"The Bad Girl."と、「イタズラ」はどこ行ったずら的なてきとうな題名です。その辺、英語がスペイン語をちょっと軽く見てる感じが透けて見える気もします。
左は英語版ウィキペディアにあった原書初版表紙。建物が何か分からず、ノートルダム大聖堂だろうか、でもこんなちっさくなかろうと思いましたが、グーグルレンズで検索したらノートルダム大聖堂でした。松本城でもポタラ宮でも実際に撮るとこんな感じになっちゃうのかな。
日本語版カバーはジョン・ウィリアム・ウォーターハウスという19世紀末から20世紀初頭にかけての英国画家のしと*3の絵で、オモテが「ユリシーズに杯を差し出すキルケ」ウラが「嫉妬に燃えるキルケ」だそうです。編集担当…青木誠也 本文組版…前田奈々 装幀…小川惟久 巻末に訳者解説。
(3) 要するにファム・ファタール、悪女の物語なのですが、悪い娘の意味のスペイン語が「ニーニャ・マラ」で、「マラ」が出てくる以上、魔羅*4*5ですから、ヤリチンとかヤリマン(地方によって主客転倒する)の意味も込められているのではないかと思います。白人スペイン中心主義のジョササンにそこまでの「KAWAII」に関するオリエンタル知識はないかもしれませんが、でも作品はいったん公開されたら、あとはもう作者の手を離れて、読者がおのおのその豊かな感性で受容するに任せるしかないですよね。(例:カジはミサトがころした)だから魔羅でいいと思います。マラドーナの弟*6はかつて鳥栖フューチャーズでプレーしていた。
また、娘さんを意味するニーニャは、ポルトガル語のほう、ブラジル関連の小説でも読んだ気がしていて、角野栄子サンだったかなあと感想*7を見返しましたが、出てくるのは「ガロッタ」"Garota"「モシンニャ」"Moçinha"でした。ニーニャじゃなかったにゃ。ちなみに、「ニーニャ・マラ」"Niña Mala"「悪い娘」の本書での反意語は「ニーニョ・ブエノ」"Niño Bueno"で、グーグル翻訳では「グッド・ボーイ」ですが、本書は「よい子ちゃん」と訳してます。
2022年にメキシコがテレビドラマシリーズ化してます。中南米ならコロナカも終わったでしょうに、なぜにそんなネタがなかったのか。あと一年待てば、日本から「セクシー田中さん」が輸入出来たのに。
Travesuras de la niña mala - Wikipedia
(4) 本書は、ラテン・アメリカ出身者の故郷喪失の物語でもあります。フィリピン文学でも、最初っから最後まで香港のフィリピン人社会を描いたような上流階級故郷喪失者の文学があります*8が、同じラテンなので南米にもないわけがなく。だいたい南米の経済が破綻してあれだけの日系人が日本にもデカセギに来ていて、その中にはあらゆるコネを駆使して日系人につながった日系でない人も相当数含まれていた*9わけなので、コンキスタドーレスの保守本流、スペイン系ポルトガル系イタリア系が北米や欧州に還流したとして何の不思議もない。その数はニッケイとはくらべものにならないくらい多かったはず。母を訪ねて三千里のマルコはイタリアのジェノバからアルゼンチンまでデカセギの母親を探しにノービザで行くじゃナイデスカ。あれがオッサンになってラプラタ河をとってかえし、イタリア北部、トリノのフィアット工場にデカセギ盲流したと思いなせえ。そういうことですよ。アメデオ、やめてよー。
(5) 本書第一章は「チリからやってきた少女たち」《I. Las chilenitas.》です。要するにチリ人を偽装したペルーの地方出身者なのですが、チリの悪女といえば私たちにはいまだ記憶鮮明なアニータサンがいるじゃないですか。悪女がチリから来たといえばアニータ、アニータといえばチリ、チリといえばアニータです。
Anita Alvarado - Wikipedia, la enciclopedia libre
本書のファム・ファタールはキューバの老革命家、フランスの老ユネスコ職員、英国の馬主階級と次々に男を手玉にとってその資産を横領し、成り上がっていくのですが、まあチリ人だからアニータだよ、と、序盤から早くも読んでてどうでもよかったです。なんぼでもやりなはれ。あんたはアニータや。その悪女が完全に洗脳というか心理的に従属させられるのが1ドル200円時代の日本ヤクザで、「日本ヤクザにしたのは(大統領選でジョササンが敗北した)フジモリへのあてつけデスカ?」という愚問をジョササンはくらったそうですが、そんなことより本書唯一の実話ベースの箇所、冒頭、田舎の貧乏人が都会のコンキスタドーレスの末裔たちと対等にやりあうため自身の出自をチリ人とウソつく場面、これ、魔術的レアリスモの先行者兼ラテンアメリカ文学の巨匠・マルシア・ガルケスサンの『戒厳令下チリ潜入記』へのあてつけじゃないんですか? と聞く人はいなかったんでしょうか。
Acta general de Chile - Wikipedia
南米各地の軍事政権やら独裁政権に対する民主化と自由への戦いとそれを支援する東側勢力、常に干渉しようとする北米CIAという構図に関して、先行者マルシア・ガルケスサンがニーニョ・ブエノ、よい子ちゃんであるなら、マチスモでコンキスタドーレスなジョササン(彼の初期作品は、親族が制圧する牧場でなら親の威を借りて無敵な少年たちが軍人・軍隊というある意味平等社会に放り込まれていじめと抑圧に呻吟する姿を描いていると言えなくもなく)は「ニーニョ・マロ」"Niño Malo"(与太郎)を気取った、といううがった見方があってもよさげに思われます。
頁13、ペルーのケーキが出ます。「スポンジケーキをアイシングでコーティングしたビスコンテラ」「三層になったクッキーのあいだにブラマンジェのたっぷり詰まったアルファホール」「ロールケーキの上に絞り出された焼き色のついたクリームが絶品のピオノノ!」
「ビスコンテラ」"bizcotelas"は、食べたことないかも。
「アルファホール」"alfajor"は日持ちがするので、けっこういろんなペルー料理店や雑貨店にあるのですが、そんなに私は手を出さず。
「ピオノノ」"pionono"はペルーというよりスペイン語圏ぜんたいにあるスイーツなのかな。カヌレみたいだなと思いましたが、下のフィリピンの写真を見るとぜんぜん違う。
私がよくペルー雑貨店で買うチョコレートケーキ(名前忘れた)やトレスレッチェ(三種のミルクケーキ)ケケドさなおうりや(にんじんケーキ)はここには載ってませんでした。基本的に激甘が好きな人は南米のケーキだいじょうぶ、激甘は苦手な人はダメです。
頁23
「チリ人なんてとんでもない! この娘たち、一度だってサンティアゴを訪れたことはないわ! これでチリ人なんだったら、私だってチベット人になれるわよ!」
«¡Qué chilenitas ni ocho cuartos! ¡Esas niñas no han pisado jamás Santiago y son tan chilenas como yo tibetana»!.
ここまでが第一章。「第二章 孤高のゲリラ兵」は原題《II. El guerrillero.》(ゲリラ)です。
頁48にアリアンサ・リマというサッカークラブが出ます。今でもあって、今でも強豪みたいです。
プリメーラ・ディビシオン (ペルー) - Wikipedia
第三章は「スインギング・ロンドン、馬の肖像画家」《III. Retratista de caballos en el swinging Londo》ロンドンがスペイン語だとロンドになっていて、ホントは"Londres"らしいのですが、ペルーだとロンドなんだろうか、輪舞曲のロンドとかけてるんだろうかと思うと、輪舞曲のロンドは”rondo”らしいので、エルとアールの区別がつかない日本人が孔明の罠にハマった回数をまた一つ増やすだけという…
頁110にはペルー料理が出ます。「マッシュポテトにひき肉や玉ねぎ、ゆで卵などの具を加えて素揚げしたパパ・レジェーナ」「トウガラシのピリッときいた鶏肉のチーズクリーム煮アヒ・デ・ガジーナ」「魚介類のマリネのセビーチェ」どうも時代の趨勢として、セビチェと伸ばさないで書く派は私も含めごく少数派だなと。上の三種類はどれもオイシイです。話は変わりますが、よしながふみ『きのう何食べた?』で最近ジルベール御一行がペルー旅行したというネタがあって、現地の本格ペルー料理がコッテリアンドボリューミーな白人料理なのでオリエンタルのデイトレーダージルベールは太刀打ち出来なかったという展開はまだしも、それじゃあとシロサンがセビチェにキヌアをどばっと入れるなど、よく分からない和風アレンジをかましたクリオージョペルー料理を披露していて、なんでセビチェにキヌアなんだとか、頭クラクラしました。
湯河原のペルー料理店にあった、新進気鋭の日系ペルー料理人ディエゴ・オカの写真。こういう世界のお眼鏡にかなった創作ペルー料理なのか、ただたんにアレンジしただけなのか。料理に権威がどれだけ必要なのか私には分かりませんが、伝統を崩すなら、なんらかの根拠が欲しいと思いました。
第四章、「シャトー・メグルのタルジュマン」《IV. El Trujimán de Château Meguru."》の「タルジュマン」は、トルコのスファラディで、ユダヤ系スペイン語の古語をしゃべる通訳の同僚(引く手あまたで専属を受けなかったが、なぜか東京の三菱の専属になる)がよく使った、アラビア語源の古語「仲介者」だそうです。
頁176
(略)ペルーに帰国してまもなく送られてきたリマの新聞の切り抜きには残虐な写真が添えられていた。首都中心部の電柱に犬の死骸が吊るされて、その首には鄧小平と書かれた紙が貼りつけられている。正体不明の毛沢東主義者たちの仕業で、毛沢東を裏切り文化大革命に終止符を打った鄧小平を非難して、裏切り者には死の制裁をと宣言したものだという。そんなふうにして始まったセンデロ・ルミノソの武装蜂起は、八〇年代全般にわたって繰り返され、ペルー史上例のない血の惨劇をもたらし、六万人以上の死者・行方不明者を出す結果となるのだった。
(opmitido)el tío Ataúlfo me envió unos recortes de periódicos de Lima con unas fotos truculentas: unos desconocidos maoístas habían ahorcado, en los postes eléctricos del centro de la capital, unos pobres perros a los que les habían pegado unos carteles con el nombre de Teng Hsiao-ping, al que acusaban de traicionar a Mao y de haber puesto fin a la revolución cultural en China Popular. Así comenzaba la rebelión armada de Sendero Luminoso, que duraría toda la década de los ochenta y provocaría un baño de sangre sin precedentes en la historia peruana: más de sesenta mil muertos y desaparecidos.
鄧小平がピンインでなくウェード式(臺灣中華民國の國語ローマ字表記)の"Teng Hsiao-ping"で、へえと思いました。ペルーの中華人民共和国国交樹立は1971年5月で、中華民國との国交断絶は1971年11月2日。だいぶ昔でしたが、この箇所の80年代でもまだウェード式がけっこう使われてたんだなと。ピンインの鄧小平は”dengxiaoping“,「鄧」の簡体字は〈邓〉デス。
この章の東京の描写は例えば下記。
頁189
(略)ホテルから二、三ブロックほど離れたバス停まで歩く。乗り込んだバスの車内は異様なほど清潔で、運転手も乗客の多くも、道行く人々までマスクをしているのには少なからず驚いた。何だか東京全体が診療所のように思えてくる。
発表が2006年なんで、コロナカの記述ではないです。櫻の季節なので、花粉症対策と思われ。主人公は悪女に、なんでヤクザ差し回しの車がないのか聞きますが、日本では金持ちほどふつうを装い、貧乏人ほど見栄を張るからと返されます。でも欧米人なら車使うだろうと私も思いました。ただ、80年代タクシーの外国人に対する乗車拒否は熾烈なものがありましたので(日本人だけ載せて、じゅうぶん商売になる。外国人は乗車拒否されても近代化センターに通報なんか思いつきもしないし、通報してもそこでも受付に言葉が通じない)ここはそれも踏まえた描写かもしれません。運転手をあてがうほどボスから信頼されてない独立独歩の外国人女性(運転手を抱き込んだりそそのかしたりしそうだから)で、タクシーは止まらない。じゃあ公共交通機関に習熟するしかない。自分で運転するのなんか論外で、右折禁止だなんだを守らずすぐおまわりさんに止められて外登拝見でなんじゃこりゃあになるので、許されてないと見ました。
頁190
人でごった返す公園の前でバスを降りた。青々とした芝生が広がり、池には鯉が群れていて、会社員たちがサンドイッチや飲み物を手に木陰で昼食をとっていた。広い公園の一角にある喫茶店に、ニーニャ・マラは僕を連れていった。座り心地のよさそうな肘掛け椅子の小ぢんまりしたテーブル席が並び、おのおのが屏風で仕切られ、ある程度のプライバシーは守られている。(以下略)
これもコロナカじゃないんでパーティションはないだろうと思ったり。パーティションが屏風は盛ってるだけと思います。上野公園なんだか日比谷公園なんだか。ここで二人は、不惑を越えた歳になったので、「ニーニョ・ブエノ」でなく「ビエホ・ブエノ」"Viejo Bueno"だと笑いあいます。
下は、ニーニャ・マラを支配し従属させている日本人ヤクザと主人公の会話。
頁209
(略)一度だけだったと思うが、英語で僕にも話しかけてきた。最近のペルーの情勢はどうか。噂ではかなりの規模の日系人コミュニティーがあると聞いているが、そのなかに誰か知り合いはいるかと。それに対して僕のほうは、長年ペルーには帰っていないので現状はわからないし、残念ながら日系人の知人はいないと答え、十九世紀の終わりに、ブラジルに次いで二番目に日本からの移民を受け入れた経緯もあって、ペルーには大勢日系人が住んでいるのは確かですがとつけ足した。
これは、コンキスタドーレスの子孫で、その範囲内では国と国の境界をまたいで暮らしているジョササンの認識と同じだと思います。本書ではペルー日系人強制収容の話なんか出ませんが、ほかでちょろっとでも書いてるのかなあ。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
上は、ホントのジョササンの自伝的小説。ボリビアから再婚相手を探しにリマにやってきた一回り上のオバサンとジョサ青年が結婚しちゃう話。登場するシナリオライターは、ちょっと、本編のタルジュマンに似ています。
第四章の、白人ホステスを支配するジャパニーズヤクザという構図は、そのまんま豪州やキーウィ、中南米出身の白人ホステスたちが東洋に対して抱いていた漠然としたイエロー・ペリル、黄禍論の具現化だと思います。市橋被告のリンゼイ・アン・ホーカーサン事件はストーカーですが、夜の蝶たちのコーカソイドのあいだでは、ルーシー・ブラックマンサン事件のほうが自分たちひとりひとり、誰にでも起こりうることだったので、戦慄きわまりなかったようです。
Murder of Lindsay Hawker - Wikipedia
正直、読んでて第四章は、ペルー人ホステスも同じ体験をしてるんでしょうが、なぜかやたら大久保にいたコロンビア人の立ちんぼなどを思い起こすことしきりでした。直木賞作家の南米紀行文*10などを読むと、コロンビアにも日系人がいないことはないそうですが、やっぱりとにかくアブナイ国がコロンビアだと思っていて、なぜ80年代にはそのコロンビア人がひょいひょい日本にいたんだろうかと、ものすごく不思議です。
ぜんぜん関係ないですが、市橋被告もずいぶんよく逃げてたわけですが、今逃げてる人(もうタヒんでるかもしれませんが)といえば八田與一で、なんで台湾の治水工事で名を馳せた人と同姓同名なんだといつも思います。
左は裏表紙の絵。
石平サンは中共からの帰化者なので何をしてもいまいち信用されなかったりして、"This is Japan."という感じですが、かつて同じ役割を果たしていた黄文雄サンは台湾の人なので無条件に信用されていて(たぶん金美齢サンより信用されてる)その黄文雄サンも同姓同名の人がかつてアメリカで蒋経国緫統狙撃未遂事件を起こしていたので、同じ人なのかとかつてはずいぶんおどろきました。
第五章は「声をなくした男の子」《V. El niño sin voz.》で、パリでの良き隣人、だいたい外国人同士のアパルトマンなのですが、ベルギー出身のグラヴォスキー一家、奥さんは同じ南米ベネズエラ出身のエレーナ、ベトナム出身の養子イラルとの付き合いの中で、ヤクザに完全に精神をブッ壊されて摂食障害自傷ほかいろんなことになったニーニャ・マラが回復してゆく物語です。ベルギー出身なのにグラヴォスキーだなんてポーランド人みたいな名前だなと思ったんですが、説明はありません。白人同士でもだんだん欧州は不法移民に厳しくなっていて、フランスで結婚詐欺罪、イギリスで重婚罪で追われているニーニャ・マラは偽造パスポートしかもっていないので、治療を受けるにも事務方が偽造パスポートに目をキラリとさせるのですが、なんというかここはご都合主義で終わります。
第六章は「防波堤造りの名人、アルキメデス」《VI. Arquímedes, constructor de rompeolas.》で、舞台はふたたびリマに戻ります。頁323にもペルー料理が登場し、「ニベのセビーチェ」「チュペ・デ・カマロン」「アロス・コン・パト」「ロモ・サルタード」「カウサ・レジェーナ」「セコ・デ・チャベーロ」が出ます。どうしてセビチェというとニベという魚*11になるんだろうと思ったり、海老のスープのチュペは、この場合「チュペ・デ・カマロネス」になるんじゃないのと思ったり(なんで単数形なんでしょう。タマーレスがタマルーになるのとは違うと思うんですが。海老一匹しか入ってないわけじゃないだろうに)鳩が「パト」なのをよく自分は忘れると思ったり。中文では〈鸽子〉"gezi"という別の漢字を使うので、「鳩」という漢字を忘れそうになるし、よしんば使ったとて〈鸠〉は"jiu"なので、日本語のハトがスペイン語でパトになるのとは無関係だしともやもやしたり。セッコといえば牛肉のパクチー煮込みですが、ここのチャベーロは分かりませんでした。何を指すんだろう。
頁342の「ブティファラ」も分かりませんでした。ソーセージやハムを入れたバゲットサンドなのかな。
Butifarra (sandwich) - Wikipedia
頁346によるとブティファラは「バゲットに豚肉、レタス、タマネギを挟み、ピリッとトウガラシのきいたソースで味つけした逸品」だそうで、豚肉だとパンコンチッチャロンじゃないの、などなど思いました。
愛川のパンコンチッチャロン。
けっきょく本書もフジモリ登場前夜で話が終わってしまうので、ジョササンから見たフジモリの功罪は分からないままですが、まあもう70歳なので、いいやと思いました。第七章は「ラバピエスのマルチェラ」"VII. Marcella en Lavapiés." で、物価の安いスペインに親子ほども年の違うイタリア娘と移住して、ニーニャ・マラが嫉妬むき出しで追ってくる話。本書の主人公はやせたインテリなのですが、性戯には自信があるようで、カラダの相性以外共通点のなかったユネスコの同僚含め、ニーニャ・マラ以外とはカラダの愛称ばっちりです。なめだるまらしいし。そこはジョササンが譲れない一点なんだろうと思いました。
以上
*1:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*2:
Journalist Kathryn Harrison approvingly argues that the book is a rewrite (rather than simply a recycling) of the French realist Gustave Flaubert's classic novel Madame Bovary (1856).[4]
(グーグル翻訳)ジャーナリストのキャサリン・ハリソンは、この本はフランスの写実主義者ギュスターヴ・フローベールの古典小説『ボヴァリー夫人』(1856年)の単なる焼き直しではなく、リライトであると賛同して主張している。[ 4 ]
ホメ殺しとはこうするのだよ、というお手本みたいな文章。みんなも真似してみよう!
*3:ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス - Wikipedia
*4:
*5:
*7:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*8:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*9:
1995年刊。日系人労働者の現場に飛び込むため季節工の仕事について、正社員の警備員かなんかから「いい歳こいてほかに仕事ないのかね」と云われる場面が秀逸。竹中平蔵非正規雇用本格化前夜のルポとしても読めます。
*10:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*11: