元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世 (中公新書 (740))
- 作者: 神坂次郎
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読みましたが、だいぶ違う。
俗物で、後に海軍大臣まで上り詰めるピープスさんと、
ブンガク好きで、荒れた生活が原因で死んでしまう朝日文左衛門は違う。
しかも寝タバコのまんが家の人がマンガにしていたなんて。
引用したい箇所もいくつかあり、眠いのでまたこんど。
【後報】
この本は、記録魔朝日文左衛門が、
瓦版以前に瓦版のように見聞きして書き散らしたニュースを抄録した部分と、
朝日文左衛門自身の行状に就いて書いた部分にわけられます。
私は、前者にはあまり関心がなかったです。
月に三度だけの昼夜勤サラリーマン武士ということですが、
頁28
『鸚鵡籠中記』でみる限りにおいて、当時の藩士たちの死因でもっとも多かったのは、酒毒と腎虚。つまり大酒とセックス過度。退屈をもてあました結果である。
酒はともかく、腎虚で死ぬサラリーマンは(滅多に)いない。
例えるなら、古代ローマ人とかではないか。
作者は触れてませんが、頁133で、京で水商売をしていた過去をもつ心中女性を、
崩れ瘡毒の娘と書いており、腎虚以外に性病とかもあったと分かります。
(書いてなくても、コロンブスより後の日記だから当たり前か)
酒は、吐くまで飲んでぶっ倒れる記述が数十箇所あるそうです、
頁33に結構抜粋しています。臓腑乱激し、吐逆すとか、心神例ならずとか、
従来謹むべしとか、甚だこまるとか、
愚かなるかな愚かなるかな、今夜より禁酒とか、甚だ懲るとか、
ああ戒むべき哉、戒むべき哉とか言って、
喉元過ぎるとまた深酒。
江戸時代はヨメとメカケが同居せざるを得ない武士家庭が珍しくなかったとあり、
それと疱瘡やまいでヨメがヒステリー状態となり、朝日文左衛門は、
頁66
すっかり女房恐怖症になってしまって、友人宅を転々として深夜まで飲みにまわっている。
剣術の師の娘である嫁と離縁して同時に妾も消えるのですが、
再婚した百姓の娘がまた暴れ狂う女で、その状況下でまた女中に手をつけ、
頁69
文左衛門がふたたび乱酔し、深夜の帰宅をつづけるようになるのはこの頃からである。
文左衛門は仕事柄何度か上方出張をします。で、関西商人の酒色接待責めにウハウハとなり、
頁82
この日はひどく蒸し暑い日で、途中、朝廷の尊崇厚い石清水八幡宮参詣のため船を着けるが、山上への登り参道を文左衛門だけは京、大阪での歓楽がたたったのか青息吐息で踵があがらず、ついに「心神甚労し、社参することあたはず」と断念し、同行の者たちが降りてくるのを山すその茶店でぐったり横臥して待つという有様であった。
横山マンガの下巻表紙は、頁87、上方料亭で七合五尺入り大盃を飲み干すシーンです。
朝日文左衛門は博打も嗜んだようですが、
頁105どのような種類の博打なのか、賭けの方法となると判然としないのが多いとのことで、
結果も、頁108を見ると連日負け続け。そういうのも酒にいくんですかね。
この頃は前近代ですから、連続飲酒出来る程毎日酒が手に入るのかなあ、
と思いましたが、まあ入るんでしょうね。前妻の生んだ娘さんが無事片付いて、
三十台後半で、頁192眼中黄ばみ小便濃し、
父親に節酒を諭されるも実行出来ず、41の時父は逝去。
母も戒酒を遺言に、42の時逝去。
頁193
「予、先妣(母)の遺戒に背くこと胸を叩いて蒼天に哭するばかり。吁々(ああ)、とかく酒をとどめんとする」
止まりませんでした〜、その後も彼は吐きながら飲み続け、本文では省略されてますが、
巻末の年譜によると、44歳で年始に遅刻して上役より叱責、上方出張もナゾの中止。
この年を最後に日記は断筆。翌年朝日文左衛門は没します。
その七年後、養子が病没してお家断絶。お墓は、太平洋戦争で疎開して、
八事墓地の無縁墓石のどれかだろうけど、分からないそうです。
なんというかなあ。これも酒の本だったとは。不思議です。
(2014/1/19)