『ヨーロッパ退屈日記』昭和49年8/10文春新装版一刷 読了

今週のお題「海外旅行」
自分の海外滞在時の日記は散逸、写真は捨てました。
ので、ほかの人の海外旅行の本を読みます。読んだのは題記のソフトカヴァー版。
表紙は、これも文春文庫も現在の新潮文庫もいっしょみたいです。

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

なぜかアマゾンは帯で表紙の文章、
この本を読んでニヤッと笑ったら、あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです
を隠しているので、ほかから文章が見える画像をお借りしました。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/03/0001096903/10/img0dcb1afbzik8zj.jpeg
記念館からお借り出来ればとも思いましたが、保護されてました。
http://itami-kinenkan.shop-pro.jp/?pid=14582650
裏表紙に山口瞳の推薦文があり、知り合った当時十九歳の彼が、
酒を飲むのに少年と形容されていたのはどうでもいいですが、
Wikipedia*1を見ると、20歳で高校卒業とあり、12歳旧制中学入学、
 その時に父を失くし、度々転校しているとあります)
それよりも、下記がなるほどと思いました。

裏表紙推薦文 山口瞳
本書を読んで、ある種の厭らしさを感ずる人がいるかもしれない。それは「厳格主義の負うべき避けがたい受難」であろう。

表紙の文章もそうなのですが、確かに文章にクセがあって、
最初はかなり気になりました。この顔で一人称わたくし、とか、時折の上から目線とか。
ボーツー先生は一見無頼派西村賢太の一人称がボクなので、
ええ家(し)のぼんであると対談で北町貫太本人にface2faceで直言してます*2が、
伊丹十三にも同じことが言えるのかと。
戦争末期に実験的な英語教育に特化した小学校に転入するなど、
ツィンズなので東京教育大付属だかで一貫教育受けた大竹まことを連想しました。

文章は、読み進めると気になりません。イラストはすべて本人。
ジャガージャギュアと書いてたりするのが嫌な人もいるでしょうが。

頁72
 まさか、外国へ行って、コフィをコーヒーといったり、プディングをプリンといったり、トラウザーズをズボンといったりする人はあるまい。(中略)
 ところが、洗濯屋をランドリー、と、誤って覚えている人は随分いる。これは、当然、ローンドリィでなくてはならぬ。ガレージなんぞもそうだ。これはギャラージュでしょう。

そうなんでしょうか。トラウザーズという単語は知らなかったので、検索しました。

コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BA-585336
Weblio
http://ejje.weblio.jp/content/trousers

そのわりに、アメリカンについては手厳しい。

頁224
 日本の飛行機の、機内アナウンスにしてもそうである。「トゥエニイ・セヴン」とか「フォーリイ・ファイヴ」なんぞと、得々としてやられると背すじが寒くなるではないか。
 こういう手あいが、子供を作ると怕ろしいよ。自分たちを「ダディ」とか、「マミイ」とか呼ばせるようになるのだ。
 何でもかんでも略さないと気が済まない。リモート・コントロールをリモコン、マス・コミュニケイションをマスコミなぞという。

どんどん話がすべっていき、この後、戦後訪日した田中路子*3が、
マスコミさんという苗字の人が日本では強大な権力を奮っていると考える話が出ます。

家族といえば、頁205に、たぶん光くんのことになるのでしょうが(ちがうかな?)、
大江健三郎から、来年の話だが、という前置きで、
「戸祭」という名前にすれば、大江戸祭だ、
という手紙が届いたとあります。戸捜査網。死して屍拾うものなし。

ほかに出てくる日本人というと、共演した世界のミフネ、黒沢(ママ)明、
頁178の白洲春正(次郎の長男)*4、と錚々たる顔ぶれで、
あとまあ、頁240に、後年学会幹部になると書かれている、
「ピアノ弾き」なる人物が出てきて、
今回改めて検索した伊丹十三の死についての箇所*5を、少し連想しました。
小学校の同級などの箇所で、Wikipedia書き手は、この本も参照してるようです。
(あとあちらの人、チャールズヘストンとか、
 ピーター・オトゥールとか、知らない人とかもたくさん出てきます。
 「人種分離法」の妥当性と、全く正しい運用から保たれている治安秩序について、
 得々と説明する米国南部白人とか)

記念館もニンスタついでに行ってみたいけど、
まずニンスタにいつ行けるか分からない。年々アウェイ遠征とかありえなくなる。

この本の著者がなぜヨーロッパにいるかというと、
北京の五十五日に抜擢されて、というかオーディションも含めて、
長期欧州滞在しているからで、欧州以外に、カンボジアと香港も出てきます。
香港の対岸の文化大革命とか、香港における中華民國正統中華振興中華は、出ません。

山口瞳の推薦文によるとご多分に漏れず貧乏青年だったイタミが、
1ドル360円時代、じゃぶじゃぶ贅沢をして高級ホテルに泊まりジャガーを買って
一流ブランドを買っていて、それでたぶん、或る程度の意志の疎通も英語でこなせて、
カタコトなら欧州複数言語が出来て、というところが当時の読者を捉えたのか、
そうでなければ、何がウケたんだろう、と思いました。

頁18
 イギリスで車の中から人に道をたずねる場合、Am I on the right way to 〜 please? という表現が多いようです。
 交叉点、曲り角は turning が多く、突き当りは top あるいは bottom、左に曲る場合 turn to the left のほか、bear left というふうにいう人もいる。
 まっすぐ、は、straight ahead、も少し先は、still farther on、信号 traffic light、ロータリー roundabout、工事中 road work(それにしても日本の under construction というのはどこから出たのかね)。

頁180
 またぞろミドル・クラスでしつこいようだが、一所懸命に上品ぶろうとしているミミッチイ感じ、とでもいおうか。英国で最も注意を要するのはこの点だろうと思う。
 たとえば、便所のことをトイレットといいますね。これは英国では絶対に使ってはいけない。即ち、これはロンドン郊外の、ミドル・クラスの主婦が、せい一杯上流ぶろうとする時の表現である。
(中略)
 便所のいい方は、ジェントルマンズ(あるいはレイディーズ)ドレッシング・ルームなんぞという掲示が、古風なホテルなんかには出ている。
 そういうのから、メンズ・ルームとかジェンツとかいうくだけたいい方、あるいは、ジョンとかルーという俗語まであるが、普通はラヴァトリイでよい。また個人の家ではバス・ルームでよい。

頁217
そもそもカルボナーラというのは下品で旨い。いわば屋台店的な食べ物であって、ローマでも川向うの場末に行かなきゃ食べられない。これをパリで食ったら四人で二万円ふんだくられたね。無論非常に旨かったが、しかしねえ。つまり、これはタヌキそばと豚カツ一皿で五千円、というような話ではアリマスマイカ

当時日本の初任給幾らだよ、みたいな。こうした前世紀の階級観価値観が、
現代でも変わっているか否や。いま思い出しましたが、
洋酒天国とその時代』*6にこの本が出てくるので、読もうと思ったのでした。以上