『韓国の「民族」と「反日」』(朝日文庫)読了

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作者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%98%8E

関川夏央の下記でこの人を知り、何か読もうかと読んだ本。

2018-06-05『やむを得ず早起き』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180605/1528177891
2018-05-27『豪雨の前兆』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180527/1527438165

八十年代前半のエッセーを集めた本。教科書問題が勃発した頃で、その頃の親韓日本人といえば反共同盟の右寄りの人々で、彼らは教科書問題で韓国人が挙げた声に眼がテンになって黙殺というか距離を置くというかして、それまで左派日本人は、岩波新書のT.K.某「韓国からの通信」とか戒厳令とか北朝鮮は地上の楽園とかそういう観点から南朝鮮のシンパの反対=アンチで冷ややかなまなざしだったのが、もともと教科書問題は北京政府が言い出したことだからかどうか、韓国マンセとかそういう感じになって、今度は韓国マスコミが無定見に日本のパルゲンイを称揚したりしなかったり、というドタバタコメディの時代だったとか。
…そういう時代のエッセー集が、草風館から1984年『朝鮮断想』のタイトルで出て、それをもとにした文庫本が朝日文庫から出てるというのも縁は異なもの乙なもの。あとがきと、文庫あとがきあり。そこに各編集への謝辞あり。解説は川村湊。カバー装幀=多田 進 Photo=ポンカラー ⇒具体的な写真は本書に一枚もないので、この表紙が、抽象写真なのかと。

頁21「朝鮮情勢を見る視角」
 このように日本人と韓国人は、互いに似ているところがあり、少々知っているところから、何でも自分に引きつけて相手を判断してしまうところがあります。そして全体を見て問題を判断しようとはせず、自分のちょっとした知識や経験から、すぐ「韓国とは」とか「日本とは」とかいいがちです。

隣国ってそういうものだと思います。ドイツ人とフランス人、フランス人とイギリス人がそういう態度から脱却するまで二世紀くらいかかってる気がします。そして通信速度の発達とメディアの伸長のあと比較的そうなったのかと。

頁55「朝鮮半島における国民意識の形成」
 韓国には「洋間島」という言葉がある。朝鮮と国境を接している中国の間島地方は、「日韓併合」以来、日本の支配下を逃げ出した朝鮮移民の急増した地域である。韓国の重鎮作家であった故安寿吉氏に「北間島」という大河小説もあるくらい、韓国人にとっては特別な意味をもったところだ。「洋間島」とはそれをもじった言葉で、アメリカやヨーロッパへ移住した人を意味する言葉になっている。そうした言葉ができたのは、分断と戦争への不安が、韓国人の間に、韓国を終の栖と思わせない思潮が絶えないことを意味している。

もうそういう人はいないと思いますが、分かりません。「間島」も、カンドで変換出来るよう登録すればいいのですが、ものぐさなので、「まじま」で変換しています。韓国社会は儒教が強く根付いていて(21世紀の中国人もよく、韓国は儒教の優等生と逆説的に揶揄する)、忠孝と二つ並べると、忠節より孝行が上位に来るので、それを優先させるので、国民国家より氏族社会のほうが上位に来る、的な考察をしています。忠より孝の強調姿勢は、李朝時代の人が明に対してへへーんと胸をそらせた話があるとか。
で、それが、頁78以降の「北朝鮮における権力世襲の一側面」で、北朝鮮は従来の氏族社会をほぼ完全に破壊し、社会主義の特徴である移動の制限や移住の奨励、富裕階級の門中財産没収、それによりチェサの費用がまかなえなくなる、どうのこうのどうのこうので、ウォンスニムを疑似的な家長とする疑似家族体制を全国民とのあいだにケーヤクするのに成功した、とあります(私はそう読んだ)氏族民のままなんだけど、家族のおさが国家元首になって、国民一人一人がそこに帰属、みたいな。
中国の皇帝独裁はスケールが大きすぎてしまいますが、北朝鮮くらいの国土だと、また違った展開を見せるのかな、国土のはしばしまで、中國本土十三省だと眼がいきとどかないかもだけど、北朝鮮だと照覧可能だろうかな、と思いました。
頁85「韓国の民族主義反日」、青瓦台に「ブルーハウス」というルビが振られています。関川夏央『東京から来たナグネ』で紹介されてた韓国映画「青くて深い夜」"Deep Blue Night"「깊고푸른밤」を連想しました。

https://www.imdb.com/title/tt0297915/
私は青瓦台はハングル読みのチョンワデと読むことにしてますが、「チョンワデ」という音の響きから、どうしても下記のもろもろがどばっと脳内に出てしまいます。上の映画同様、前にも挙げた動画ですが、どこに挙げたか分からなくなっていたので、また挙げます。消えてなくてよかった。

「Mnet트로트엑스」돌아온 신바람 이박사_몽키매직@트로트X3회
李博士 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%8D%9A%E5%A3%AB
あと思い出すのはNHK大河黄金の日々と、港の見える丘公園のはずれの韓国領事館の青瓦。それをまとめた日記は下記です。これは見つかった。

2017-07-19青瓦
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170719/1500471347
同じ文章の頁87で、韓国人が親日反日かを問うのは意味がない。まずもって反日だから。その中で、どういう文脈とか、反日だけれども表面的にはよかったはずの人がなぜここでは譲らなくなったのかな、とか、そういうふうにつきつめて深く考えてゆかねばいけないが、反日だからで思考停止するとそれが出来ない、としています。反日例としてパクチョンヒ…朴正熙大統領がワシントンのプレスクラブの記者会見で、親日反日の二者択一なら率直な「感情」として反日だお(カギカッコは私がつけました)と答えている例を出しています。著者は韓国側にも、21世紀のネット用語でいうところの、火病らないで、個人的情念の乱舞で、日本の実態を見極め対策を練る国家戦略を夫っ飛ばさないで、と諫言してますが、これは今でもじゅうぶんに通用する提言だと思います。でも聞く耳持たず強引グマイウェイですけど別にさいあくの事態にはなっていないわけで、隣国って不思議です。(北朝鮮は最悪)
このエッセーの頁94に、百済が四百年間中國中南部を統治したというトンデモ説が韓国にあって、国粋学者たちがこれを教科書に載せないのはけしからんと言ってる、正常な学者はこれを一蹴してるが、ファナティックな相手に対し韓国の黒歴史を声高に叫ぶことはためらいがあるとか。こういうこと(ウリミンジョク四千年とか)は知らないというか、私は意図的にシャタウトしてるので、ここでひとつ百済の例を知ってしまって、残念閔子騫です。

頁97「韓国の民族主義反日
(前略)日本の植民地時代、反日であることは命がけの実践であったが、現在の韓国では誰に文句もつけられない極めて容易簡単なことで、精神の停滞を示すことにもなりかねないからである。

どこもこういう問題があるんだなと思います。平和な国では。

頁141「韓国の「反日」における文化的優越意識」には、朴斉家の『北学議』が出てきますが、朴斉家の日本語版Wikipediaを見るだけで、こりゃ大変だと思いました。

朴斉家 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%96%89%E5%AE%B6

頁140「韓国の「反日」における文化的優越意識」
 夷狄に敗北した屈辱感を心理的に補償するためには、相手の文化的劣等性を論じることが近道であろう。清に対する蔑視は深く広く浸透していった。そのような風潮に一石を投じたのは、実学者のうちでも利用厚生派といわれる人びとであった。中国への朝貢使節団に随行した彼らは、進歩した清の文物に接し、自国の停滞と比較して「清=夷狄」観からの脱却を説いた。なかでも朴斉家(一七五〇〜一八〇五)は『北学議』という書を著わし、当時の朝鮮を経済的苦境から救うために、北方の清の文物を積極的に学ぼう(北学)と主張した。その著のなかで彼は、朝鮮人がいかに清を馬鹿にしているかを、つぎのように書いている。
 下等の士は中国にも五穀はあるかといい、中等の士は、中国の文章はわが国より劣るといい、また上等の士は中国には性理学がないという。
 人を試してみようとして「満州の人の声は犬が吠えるようで、食事は臭くて近づけず、蛇を甑で蒸して食べる。皇帝の妹は淫らで駅卒と通じ、しばしば賈南風(中国晋の恵帝の皇后。嫉妬深く淫蕩だった)のようなことがある」というと、必ず大喜びして、そのことを人に伝えるのにせわしない。

『北学議』が書かれたのは、考証学に代表される清朝文化の黄金時代だった一八世紀の乾隆年間である。清に敗北して以来一〇〇年以上が経過している。その間、北京へ赴いた使節団はいずれも大規模なもので、さまざまな文物情報をもたらしていた。にもかかわらず、朝鮮知識人の間に上述のような風潮があったことは驚くべきことといえよう。それは蔑視‐無視‐リアリズムの欠如という知的風土を生み出していた。朴斉家はそうした風潮に警鐘を鳴らしたのだが、その彼も自著の序文のなかで「自分の言がいま直ちに行われなくとも、その心は後世を欺くものではないことを確信する」と実現のなさを語らざるをえなかった。

この後ソンビというかそういう人たちが今度は日本をどう見てきたかという本題になります。全然関係ありませんが、最近IMEパッドがうまく出て来ず、しばらく画面がフリーズする現象が発生しています。上の文章を写す際、「賈」がうまく出なくて、IMEパッドで手描きしようとしたのですが、フリーズしてしまい、あやうくここまでの文章がぜんぶパーになるところでした。別の理由ですが、いままでクスミの「ふらっと朝湯酒」や、吉川忠夫先生の「侯景の乱始末記」の感想をほぼ書き終えの段階でぜんぶ消してしまうということがあり、いまだに後報のまま、ケアが出来ていない状態です。この本もその二の舞にならなくて、よかった。話を戻すと、前にもほかの感想で書きましたが、中華民國と中華人民共和国との国交がチェンジするまで、韓国では民國を明、大陸を清に例えて見る風潮があったようで、清の胡狄を意味する「오랑캐(オランケ)」を用いて「中共오랑캐」と云ったりしていた、と、金文京先生の講談社版中国の歴史04「三国志の世界」で読んだ覚えがあります。オランケを検索すると、スミレのことをオランケの花と言ったりするようなので、必ずしもそんな悪いことばちゃうんじゃいかなとも推測したり。

中国の歴史04 三国志の世界(後漢 三国時代)

中国の歴史04 三国志の世界(後漢 三国時代)

賈という漢字は、下記のどちらかから出しましたが、さてどちらでしょう。

紅楼夢 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E6%A5%BC%E5%A4%A2
賈秀全 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%88%E7%A7%80%E5%85%A8

頁180「異国の知識人に思う」、日本人韓国ウォッチャーは、李光沫をやらねばいかんかな、かくいう自分も、彼のチニルパとしての弁明があまりに俗臭芬芬だったので長いこと喰わず嫌いだった、という文章を書く途中で、話が飛んで、金史良だって、延安脱出前にもし死んでたら、国民総力朝鮮連盟の海軍見学団の一員として朝鮮語で朝鮮大衆に向けて帝国海軍賛美の文章書いてるし、御用小説「海への旅」を一年近く連載してるし、在支朝鮮出身学徒兵慰問団の一員として渡燕だかなんかしたわけなので、脱出しなかったら、朝鮮人学徒兵に尽忠報国をすすめに行った人、という経歴しか残らなかったろう、と書いて、だから履歴書の経歴だけでニンゲンを判断する評論家はダメ、そんなんやめやう、と書いています。

李光洙 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%85%89%E6%B4%99
金史良 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%8F%B2%E8%89%AF

頁247周辺、春香伝とかパンソリのあたりで、広大クアンデという人々を出していて、ネットの嫌韓だと白丁はよく出てくるが、広大というのは見たことないけど、そも私もそういうところあまり行かなかったし、彼らももう普通のところに漏れ漏れやってきたりしなくなってるからなー、と思いました。下記ハングルWikipediaはものの見事に痕跡を消してるので、なんの参考にもなりません。日本語で「広大」で検索しても、広島大学ばっか出るし。

광대 - 위키백과
https://ko.wikipedia.org/wiki/%EA%B4%91%EB%8C%80

韓国の儒教について触れた箇所でしたか、具体的な場所は忘れましたが、朱子学がどうのと書いていて、韓国では、陽明学はどういう扱いなんだろう、盛んではないのかな、と思いました。日本は陽明学があるから、こじれて、楽しい。

尹学準の「オンドル夜話」が旬の頃だったようで、ほかの文章でも触れ、感想も収録してます。オンドル夜話の何がよいかというと、私にとっては、大統領の理髪師とかシルミドとか、一時期の韓国映画にはしょっちゅう「アカ」という字幕でパルゲンイという単語が出てきていて、意味が分からず、今はカタカナでググっても簡単に「빨갱이」と出るのですが、これが紙に書かれているのを初めて読んだのがオンドル夜話だったので、その意味で素晴らしいと思うです。パルゲンイとオランケ出したので、テノム(垢奴)も出さねばならんかなと思いましたが、もう綴りを忘れています。なぜこの単語がはてなキーワードにあるのか。

되놈 - 위키백과
https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%90%98%EB%86%88

頁204「ソウルに触発された断想」
(技術大佐という軍歴の旧友金君が国防省課長時代出入り業者の不正を糺したと、業者サイドからまず話を聞いた筆者が)
(略)「こういう話を聞いたが本当か?」と金君に直接聞いてみた(彼は自分からこんな話は絶対しない)そのときの彼の様子は私の脳裡に刻みついて離れない。しばらく彼はうつむいたまま黙りこくっていた。何か不快を与えるような話だったのか、と私は少し狼狽した。……やがて顔を上げた彼は「なあ君、こんな男が一人くらいおったっていいだろう」という。まるで哀願するような言い方なので、私は言葉に窮した。彼もまた黙ってしまった。
 沈黙がつづくなかで、私には彼の悲しみが惻々と伝わってくるような気がした。彼は声高に不正を糾弾する“正義漢”ではない。自分のできるところから一つ一つなおそうとする誠実さで世に対したのである。だが、それが現実には、蟷螂の斧でしかなかったことも事実である。そうしたことの連続が彼の一生であった。これは孤独という以外に言いようのないものではないか。

こういう随筆のほうが読みたかったのですが、前半固い分析が多かったので、著者の柔らかいエッセー集があれば、それを読みたいと思いました。以上