『知らなかった、ぼくらの戦争』読了

知らなかった、ぼくらの戦争

知らなかった、ぼくらの戦争

高畑勲とアーサービナードの対談で、高畑勲がしかたしん『国境』を映画化しようとしたことについて語ってるとのことだったので借りました。

イラストレーション…川口澄子(水登舎)ブックデザイン…守先正、山原望(モリサキデザイン)編集協力、協力、DTP校閲、制作、販売、宣伝、編集が奥付に記載。

まえがきあとがきそれぞれ「〜にかえて」有。

2015/4〜2016/3に文化放送で放送された番組のうち、23名の戦争体験談を採録し、加筆修正再構成したものとのこと。上記協力者のどなたかがコーディネーターとして暗躍したのだろうな、と思うほど、いろんな人にインタビューができている。本当に多岐。以下後報。
【後報】

頁251
高畑:(前略)
 太平洋戦争当時、中国東北部に住んでいた日本人は、子どもも含めてまったく無意識のうちに、満州族朝鮮族の人たちを虐げて、平気な顔で暮らしていたんですよ。たとえばその地に住んでいる日本人の中学生たちが電車にドカドカと入ってくると、座っていた中国人たちはみんな立ち上がって席を譲る。それを、その時代の日本人たちは当然だと思っていたらしいんです。ぼくは、それをそのまま描きたいと思います。その作品を今の日本人が見て「なんて恥ずかしいんだ」と思ってくれたら、それでいい。植民地支配の「日常生活」を描く作品をつくりたい。なにも考えずにふるまってしまう様子を、あえて悪いこととして描くのではなく。

ここでいう満州族が満人のことだったら、それは漢族ですが、そこはおいといて。『国境』第一部第二部読みましたが、鉄道、どうだったかな。主人公は現ソウル在住のエリート日本人で満州在住でないので、そうゆう現地中学生を見る場面があったかどうか、覚えてません。第三部は終戦直前の話ですので、これまでと違って席を譲らないのでおやっと思う場面などが出るのかもしれません。どうかな。第一部でも第二部でも、長距離移動で満鉄には乗ってますが、学生が日常の延長でどやどや乗るような場面ではなく単独行、あるいは偽装行で、そこで現地学生見る場面は記憶にないです。あるいはここは、小説とは別に、高畑勲が描きたかった故事なのか。

何人か日系人が登場し、そこはもともとのインタビューは英語だったそうで、ラジオではどう処理したのか知りたいです。この本の特徴として、各人インタビューのまえとあとに、アーサー・ビナードによる文章が挟まれていて、それはアーサー個人の追憶エッセーだったり、いろんな情報のコラムだったりします。日系人のところでは、それは当時のアメリカのプロパガンダについてなのですが、

(1)日本人と中国人の外見の見分け方という、どう考えても無理がある記事がたくさんあったということでそれが紹介されており、アーサーは指摘していませんが、ことばの抑揚とか高低とか、態度とかにおいとかの記事ではありません。身体的特徴です。アーサーが指摘してはいない(ということは当時の米国連邦政府及びジャーナリズムもそれを記事にしていない)これらの箇所に、日中双方の、相手に接触経験のある人が考える見分け方があり、それもまた無理があるのですが、そこまで話は広がってはいない。
昔、日本人男性にはスネ毛があるが中国人男性にはない。これはひとつ違うと言いましたが、そういうことは言わないの、 别這样(说)とやんわりたしなめられた思い出があります。スネ毛のある中国人とスネ毛のない日本人に失礼だと。口論ばかりだった中の、珍しく穏やかな思い出。
(2)パールハーバーを以て広島長崎を正当化するロジックを批判する記述が本書のかなり多くを占めています。ルーズヴェルト陰謀説はここでは自明の理となっています。で、逆に描かれてはいないことで、アメリカ人の中でもそれを言う人は多くはないのですが、当時の日本を批判するアメリカ人の中には、真珠湾の前の、南京を持ち出す人というのが、います。これをもって日本人の残虐性を(当然それがあった前提で、何故そんな蛮行をしたのかと)批判する。謝罪がほしいのでもなく、戦争だからと一般化してももちろん追求から逃げられない。なぜなんだと、日本人の国民性民族性を執拗に問い続ける。本書にそういうことの紹介はありません。拡散してぼやけるからか、本題でないからか、気づかなかったか。書いてないので、全米各地での日中プロパガンダ合戦で、英語ペラペラのファーストレディー宋美齢が大活躍して婦人団体ほかで圧倒的な賛同を得て大勝利したことなども、ぜんぜんです。さらにそこ関連で、大陸権益を巡る日米の譲れないポイントにも、触れてません。話が広がりすぎるんでしょう。

沖縄や北方領土には触れています。かなりきちんと書いています。頁59で、ロシアは、北方領土を返還したら、そこに米軍基地が造られたらと恐れているのではないかと書いてますが、じゃあ北海道に米軍基地はあるのかと。

都道府県別の全ての米軍施設規模と都道府県別の米軍施設 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E5%88%A5%E3%81%AE%E5%85%A8%E3%81%A6%E3%81%AE%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%96%BD%E8%A8%AD%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E3%81%A8%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E5%88%A5%E3%81%AE%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%96%BD%E8%A8%AD
Yahoo!知恵袋 2017/5/15 21:15:04
どうして北海道に米軍基地がないんですか? - 大戦後、ソ連が北方 ...
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12174192752

逆にというか、私はタリバンアルカイダの兵士が収容されるまで、共産国キューバの一角に米軍基地グアンタナモが返還もされずずっとあるとは知りませんでした。カストロ毛沢東だったら武力奪還を試みたのだろうか。ぜんぜん関係ないですが、上記Wikipediaで、佐世保長崎県福生横田の東京は分かりましたが、広島や埼玉は思い至りませんでした。そうなんですね。

頁61、毒ガス(日本軍の)の話。私は神奈川県民なので、寒川を思い出します。本書では広島の島がとりあげられています。

頁102、雪風乗組員から話を聞く。地名や山の名前、猛禽類の名前だけでなく、季節や天候に関連する単語を軍艦につける感性について、詩人は考察しています。

頁158、郡山直という奄美生まれの英語詩人の詩をひとつ、英日両文で記載しています。詩なので、引き写すのはどうかと思い、やめますが、日本語があるのでやっと英語が分かり、後天的に英語を学んでも、こういうの書けるんだなあ、すごいなあと思いました。どこかに載ってないか検索しましたら、新浪ブログに、英漢両文で載せてる若者がいたカッコ笑いカッコ閉じる。

東洋大学公式
https://www.toyo.ac.jp/site/news/21718.html

頁170、金馬師匠の落語は数年前、かなり人生が落ち込んでいた時、正月ハーモニーホールで聞いた気がします。浅草の「はなし塚」は見てみたいです。戦局にそぐわない噺を五三話封印した塚だとか。洒落でもあり、洒落でもなし。
公式
https://honpouji.jimdo.com/%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97%E5%A1%9A/

頁180、"Atomic Fireball"という、「甘くてピリピリッとくる肉桂味の飴玉」があるとは知りませんでした。かなりポピュラーだそうですが、日本語検索だと、個人の方のブログで出てくるくらい。ヴィレヴァン東急ハンズ成城石井には売ってないんだろうと。
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/91tMbdyBueL._SX425_.jpg
https://www.amazon.com/Atomic-Fireballs-Candies-Pinata-Filler/dp/B06XGQWJ2X/ref=pd_lpo_vtph_325_tr_t_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=P6TAD7YQXBATKN4076SQ

頁209、愛知県の金子力さんのところ、模擬原爆("Pumpkin")投下訓練部隊第五〇九混成群団は知りませんでしたので、知ることが出来てよかったです。米国でも秘匿で資料がないとか、へー。

頁209
 金子さんは最後に興味深いことを教えてくれた。テレビなどで流れる「広島の原爆投下」の映像に、ときおりマーシャル諸島で行われた核実験の映像が使われることがある。「長崎への原爆投下」のテレビ番組もしかり。要するにキノコ雲を見れば、みんななんとなく「広島原爆」と思い込み、あるいは「長崎原爆」と鵜呑みにして、その勢いで「原爆で戦争が終わったんだ」とまたもや定説の罠にまんまとはまる。

流れよ我が涙、と警官は言った。これを読んで、「だからマスゴミはウソばっかなんだよ」「真実のニュースサイトにもっと広がってほしいよ」という感想を私の周囲で言ってる人がいるかいないか知りません。新疆ニヤの地下核実験の映像を入手してそれをマーシャル諸島映像に代用しようとして中国当局に拘束される邦人はいないと思います。番組編集担当者は「いわゆるキノコ雲」くらいの感覚で、いちばんキレイで見栄えのいいのを選んだだけなんだと思うのですが、風が吹くと桶屋は。

頁97などで、詩人は、「玉砕」「玉音放送」の既存の英訳が、すべてそれが持つ事実の意訳(エンペラーズヴォイスとか)で、「玉」のイメージを伝えていないということに思い当たります。私は「バンザイ・アタック」が歩兵の特攻、突撃だと思ってましたが、"banzai charge"なんだそうで、チャージなのか。エナジードリンク小田実の小説『玉砕』をドナルド・キーンが訳した際、"The Breaking Jewel"としたのを見つけ、さらに市井のひとが、"Shattered Jewels"と訳したのも見つけています。開高健の『玉、砕ける』はどう英訳されたのか。上海ダスカ(大世界)だかの大浴場のマッサージの話なので、まったく関係ありませんが。詩人アーサーは、そもそも玉は砕けるんじゃなくて、玉は散るんじゃいか、と書いてますが、もともと中国世界の「玉ギョク」なら、砕けるんじゃいかと。「散る」のほうが比喩の意味が強いかと。「花と散る」が、「おっちょこちょいなのがタマにキズ」とか「あのやろうふてえタマだ」とかとごっちゃになった気瓦斯。「掌中の玉」とか「艱難汝を玉にす」とか「酒は憂いの玉箒」とか、検索で出てくる「玉」はたいてい漢文の故事成語ですが、江戸期からと思われる、日本語的な用法もあると。

玉のことわざ - 故事ことわざ辞典
http://kotowaza-allguide.com/keyword/ta/tama.html

以上
(2018/9/4)