『風のベーコン・サンド 高原カフェ日誌ダイアリー season1 』(文春文庫)読了

他の方のブログを見て読もうと思った本。読んだのは同年同月25日の二刷。 

解説・野間美由紀(この六年前に一家揃って軽井沢移住した縁もあって解説とか)

野間美由紀 - Wikipedia

巻末に特別収録「髙山かづえさんが作るカフェ「Son de vent」のレシピ」

(ベーコンサンドと淡雪羹の二点)

イラスト・中島梨絵 デザイン・上楽藍 DTP制作・エヴリ・シンク

全六話。最後のみ書き下ろし。ほか四話が初出「オール讀物」2012年と2013年。五話めのみ「小説宝石」2014年に文春から単行本刊。

風のベーコンサンド 高原カフェ日誌 (文春文庫 し 34-19)

風のベーコンサンド 高原カフェ日誌 (文春文庫 し 34-19)

 
風のベーコンサンド 高原カフェ日誌 (文春文庫)

風のベーコンサンド 高原カフェ日誌 (文春文庫)

 

 この人の本を読んだのは初めてです。柴田ヨクサルの別名ではないと思いました。

柴田よしき - Wikipedia

ツイッターライブドアのブログは見れましたが、公式のサーバをご自分で持たれてたのかな? 公式がアクセス出来ないですが、12時間前に仕事用メインマシンシステムがタヒんだとツイートされてました。FBもあるようですが私はFBのアカウント作ってないので見れません(作れと言うポップアップが記事の前に出て妨げる)

このように電子媒体も縦横に使いこなしている方だからなのか、文体が、新しいと思いました。ひとりひとりのせりふが、中身がぎっしり詰まっているんですよ。情報量が多くて、それが整理されていて、よどみがない。まるで誰かネ申が前段で「今北産業」と言ってそれに応えているかのように、トロくつっかえつっかえ同じことを何度も重複しながらキャッチボールをするということがない。

原稿だから推敲されてるのは当たり前なんですが、ひとむかし前の、一行改行の会話や文章をつらねていくことが、読者にも読みやすいし(でも情報量は極薄)原稿料的にもWin-Winであるといった思想はここにはありません。実際にこんな流暢にぺらぺら自分が高原にカフェを開くに至った経緯や不妊や農業情勢を語れるわけがないですが、小説ですし、タブレットに入ったパワポがそこにあるかのような整然とした情報の開陳は読者の理解を助け、この情報過多時代に於けるスムーズな意思伝達意思疎通は時間の効率的運用につながりストレス軽減にもなる。ただでさえまとまった時間活字を追うことは一日の雑事の中では贅沢な時間なので、そこで情緒だけの一行改行読むよりは、サクサク要点を整理して読めるものを読む選択もありなのではないか、そういうものを提供しています、というロジックを感じました。

で、それで第一話が、カフェは定食屋ではないのでテレビはないけれど、ティールームみたいな大部屋にテレビを置くのならいいのではないか、冬も閉鎖しないで暖炉燃やして(地域の住民が冬季にガソリン炊いて外出するリスクはまた別で)という話なのが暗示的だと思いました。

頁23「風音」

 カランカラン、 とまたカウベルが鳴った。入って来たのは、くたびれた作業服を着て赤黒い顔をした男だった。

こういう描写があるとすぐ、肝臓かな、と思ってしまう私がいますが、それは作者の意図するところだったようです。

頁24「風音」

 奈穂は最初、男が酔っぱらっている、と思った。そのくらい顔が赤黒かったのだ。年齢はどのくらいなのだろう。五十代にしては老けているし、(中略)

 してみると、この人、地元の人ではないのかしら。でも。

(中略)

このあたりで、土木工事をしてるとこってあったかしら。

(中略)

「おい、ここテレビ置いてないのか」

 意表をつかれて言葉を吞み込んでしまったが、落ち着いてにこやかに返す。

「申し訳ありません。テレビは置いていないんです」

「なんだ」

 男はがっかりしたように肩を落とした。

「このへんでテレビ観ながら飯食えるとこ、ないかな」

「農協通りの『百合そば』なら観られますよ」

 南がなんとなく不機嫌そうな声で、男の方を見ずに言い、小さな声で独りごとのように付け足した。

「ここはカフェなのよ、テレビなんかあるわけないじゃない」

蕎麦屋が休みだったんだ」

 男は言い訳するように言って、そのまま店を出る素振りをした。

「あいすみません」

 奈穂が頭を下げると、男は一瞬奈穂の方を見て、躊躇うように店内を見回した。

「飯、食えますか」

「ランチメニューでしたら。お豆のカレーか、チキンのコ……チキンのお料理になります」

「カレーは好かん。チキンでいいです。ご飯つけて」

「あ」

 チキンのコンフィにつくのはパンだったが、奈穂は頷いた。

 別にこの男性がDV振るうわけではないです。ここでこの人はカレーは好かんと言ってますが、頁102「夕立」ではそのお豆のカレー食ってます。牛乳つけて。ナゾのミステリー部分は今北産業にはなりません。緩急メリハリがあるということで。

頁63、あさまベリーが分かりませんでした。下記かな?

ja.wikipedia.org

 頁117、ロケットが分かりませんでしたが、検索すると、英語ではルッコラをそう呼ぶとか。

ルッコラ - Wikipedia

 この小説はBLTサンドに真っ向から勝負してるわけですが、私がBLTサンドに言及、というかBLTサンドに言及してる本を読んでそれをメモった感想は下記です。開高健はプレイボーイの名編集長島地という人に教えられるまでBLTサンドを知らなかった。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

stantsiya-iriya.hatenablog.com

最後の話で、いい感じの男がもう「君」呼ばわりになっていて、接近はえーと思いました。おとなだから(棒 カフェスクールって、そんなにみっちりしごくんですかね。いいところで学ばれたなと。虎の子の開業資金棒に振って終わらないために、講師も生徒も必死な学校がある、という気がしました。戸塚ヨ…富士山いっしょうけんめ…もし宅配業者がカフェスクールを開いたら。

とまれ、シロウトが開業して店が継続する説得力(マジックに頼らない)は、いくらあってもあるにこしたことはないので、次巻も読んでみます。あと、DVする人はそれの対象をみつけるのもうまいというおそろしい現実があるのかなとときどき思いますが、そういうわけでもない現実も多数あるのだろう、この小説はそっちのほうの反映、と思うと気も楽ですし、それが肩が軽くなる読後感につながると思いました。以上