『内藤ルネ自伝 すべてを失くして』"After my Downfall" 読了

 聞き書き 島村麻里(文筆家)装丁・加筆編集 本間真夫(マネージャー) 

すべてを失くして 内藤ルネ自伝

すべてを失くして 内藤ルネ自伝

 

 カバーイラストレーション/内藤ルネ 表紙=薔薇のグランド・ハット、2005年3月 裏表紙=「薔薇族」1993年11月号表紙 編集 鈴木利奈 協力 弥生美術館 プリンツ21編集部 Dollybird編集部

モダーンと書いてアンシエントと読む、近代ナリコさんの本でこの人とこの本を知り、読みました。近代ナリコ著書を読んだ段階では、女性だと思ってましたカッコ笑い。ナリコ本だと、「私の部屋」とインテリアにフォーカスされていたので、ジュニアそれいゆや薔薇族に気が付かなかったです。こうやって裏表紙をつらつら見ると、ほかの誰もがそうなんですが、この人の男性像もまた、多少自身が投影されてると思えます。鼻とか、唇とか、眉毛とか。乳首がちゃんと描いてあるので、男性漫画で乳首をちゃんと描いたのって、ドラゴンボールが嚆矢だと勝手に思ってるのですが、もっと遡れるのかなあ、というふうに思考が飛びます。勿論男性キャラの乳首という意味です。ブルマやチチや18号の乳首は描かなかったんじゃいかな、少年誌なので。

裏表紙の画像がなかなかないのですが、本人が中でかなりアツく語ってることですし、特にここに置かないことにします。絵に関して、ヘタだけど好き(自身のかんばせについては「おへちゃ」)で書き続けた、仕事に就いた当初はそれだけで満足して筆にホコリがつもったが、中原淳一に、なんのために上京したのかと叱責された、と書いてます。原画がほとんど散逸してるので、イキオイ展示会も複製、拡大コピーにならざるを得ないのですが、自身もコピーは重宝していて、晩年、家庭用のスキャンよりコンビニのコピーのほうが鮮明でクリア、と、つい最近私が発見したのと同じ見解を十年以上前に述べておられます。私見ではファミマとセブニレブンが比較的新機種を順次投入してる、だったかな。

未発表の自伝部分の整理など、上記、本間さんという、中原淳一の会社の同僚で、私生活のパートナーだった人がしています。最後に、自分の文章を入れ込んで、ああ書いてるけど、横のモノをタテにも動かさないで、伊豆の集中豪雨で床上浸水の時も、片付けに来ないで自室でテレビ観て笑っていた、とか書いて、それを読んだ著者が、さらに苦笑いしながら破れ鍋に閉じ蓋みたいな弁明書いてるのがほほえましかったです。

頁14、おすぎとピーコと自分との共通点として、すぐ上に姉がいて、姉と仲良しだったという点を、嗜好以外にあげています。

頁22、1944年に東南海地震があったが、人心収攬のため伏せられ、「秘密の」大地震だったそうです。

昭和東南海地震 - Wikipedia

頁53、越路吹雪の目の色がごく薄い茶色で、日本人でそんな目の色の人がいるのかと衝撃にかられた貴重な体験だったと書いています。私もですけど、東海道沿いって、わりとそういう人いませんかね。岡崎のほうはまた違うのかな。

頁73、コレットの『クローディーヌの家』は、その辺の図書館にはないみたいでした。

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001269558-00

頁76

 個人的にもっとも意識し、影響されたのはアンソニー・パーキンスです。あの頃のファンは「トニパキ」って、呼んでいました。

 最近でいえば、一時のブラピみたいにグレートなアイドルでした。アンソニー・パーキンスは背が高くて、細身で顔が小さくて、笑顔が素敵……夢の王子様でしたね。一時期、ジェームス・ディーンも嫌いではなかったけど、あの方はどうも暗めで、ストレートの匂いが濃厚でねえ。その点、トニパキは「こちらの世界」に近いらしい、というか、優しさがあって親しみを感じました。

 ただ考えてみるとあの方、『サイコ』に出たのが命取りでしたね。(以下略)

 小森のおばちゃまとは意見があうのか、あわないとして共存出来るのか。

小森和子 - Wikipedia

https://www.bunkamura.co.jp/fete2014/magots/images/pic3.jpg頁105、ドゥ・マゴには黒い中国の二人の大官が大きな柱の上部に飾られているとあり、検索したら、そもそもそれがドゥ・マゴの意味なんだとか。

フランスの老舗文学カフェ ドゥマゴ|UN éTé EN FÊTE アンネテ・オン・フェット Bunkamura 2014

頁146

 ストレートを恋い慕い、くるわせてみたいというのは、こちらの世界ではだれもが抱いている永遠の願望です。周りに対しての、一種の手柄のような面もありますね。

 ハッピー・エンドは絶対にないというのが、最初からわかっていての願いです。一時期あるいは盛り上がるかもしれないけれど、ハッピーな最終局面を迎えることはこちらがどんなに望んでも、あり得ない。最初から運命は決まっているんです。

 だからこそ、たとえ一瞬でも、ストレートと心身通じ合う。それは永遠の願いであり、醍醐味です。それはそうですよ。

(中略)

 だけど人間関係では、器さえ合えば後はだいたい許せるという場合と、とってもいい人で一緒にいてもいいのだけど、どこかがしっくりこない、という間柄がある。私たちとストレートの人たちの間も、そうかもしれません。 

 職場で見る人間関係で、ここを踏まえて考えるとふに落ちる行動の人がいます。そうか、やっぱりノンケをオトそうとしてるのか、そしてそれはステイタス。基督教圏は同性愛=神の教えに反する、なので何かと大変という記述と、「エイズ前夜」の米国ゲイ文化見聞録、その後、あの人とこの人がエイズで死んだという記述があり、こう続きます。

頁153

(前略)同性婚は日本の場合、昔から養子にすることで、実質的にカバーされてきたのではないでしょうか。吉屋信子さんなど、お相手とたった一歳しか違わなくて養子縁組しましたものね。

吉屋信子 - Wikipedia

彼らも歳の離れた養子をとって、その養子になった人は、バブル紳士にほとんど(知人宅に疎開させていて気づかれなかったビスクドールコレクションと伊豆の土地以外)もってかれて千駄ヶ谷だかどっかを立ち退きの同時期に両人同時入院(著者は心臓、パートナーは腎臓肝臓)の時期に、将来的な介護も見据えて、財産がないので財産目的でないことが公明正大に分かる状況下で弟子じゃなくて養子縁組しています。著者でなく、パートナーのほうのステディだったそうです。スタイリストだったそうですが、二足のわらじがはけず、介護に専念するようになったとか。病院から車いすでデパート行ってウィンドウショッピングが趣味、とかにつきあうのも大変だと。著者はパートナーとの同居でも、スタートから、パートナーの母親とも同居でした。

頁156

 性的な志向でも、まだまだ誤解されている部分があって……。

 男同士はお尻を使うというでしょ。だけど現実には使う人と使わない人がいて、快感を感じる人とそうでない人がいるんです。

 世間の多くはこちらの世界、即ち「後ろ」だと思っているようですけれど、違うの。後ろを使う人は一部です。口だけという場合も多い。要するに個人差なのね。

 好まれる男性像というのも、じつに十人十色です。ジャニーズみたいな美少年を好むのはむしろ少数派。(略)極めて千差万別。(略)

 カミングアウトするかどうか。これも、人それぞれの問題でしょう。(後略) 

 私がわざわざこの部分を引用したのは、私もよく知らないからです。十代の頃に痴漢に遭った程度なので。やー勉強になりました。

頁214、杉森久英『天才と狂人の間』瀬戸内晴美田村俊子石川達三『花の浮草』松本清張『菊枕』など書名が並び、その後それとはあまり関係なさそうな「ルネのベストノベル20」が書いてあります。

バブル終盤に七億円もってかれて、もってった連中(男五人女一人)の名前すら本に書けないのが口惜しいと書いてます。居所は分かってるそうですが、返す意思はあるが先立つものがないと開き直られると、どうにも出来ないのか。その後法改正されてればいいですね。

そんな本です。知識改善にもってこい。別にホントに赤貧イモを洗うような底つきではないように見えるので、それが読みたい人には不向きですが、でも実はお金と健康が同時に累卵の危機に陥るわけですから、それをここまでカラッと書けるほうがすごいと思います。弥生美術館では十回もトークイベントというか「茶話会」をやったそうで、もてなすのが好きな人だったんでしょう。話すのも好き。でも自分本位に話すのかもしれない。が、トゲがないようにするすべを心得てる。その辺が、聞き書き随所に溢れていました。

内藤ルネ - Wikipedia

今、故郷岡崎で大規模な回顧展やってるそうですが、岡崎の関係性も本書で縷々見えますので、知識を得た上で、あー岡崎でやっとるんだらと考えるも吉。

以上

【後報】

ドラゴンボールは乳首というか、乳輪ですね。考えてみれば、明日のジョーとかも乳輪描いてた気がします。むかしから、描く人は描く。描かない人は描かないのかと。

(同日)