『ブラームスはお好き』(新潮文庫)"AIMEZ-VOUS BRAHMS......" 読了

 装画 Bernard NUFFET "LE PAIN ET VIN" ⒸADAGP, Paris, Tokyo, 1970

ブラームスはお好き (新潮文庫)

ブラームスはお好き (新潮文庫)

 

 読んだのは昨年春の米寿刷。図書館にある'60年代や'70年代の版を借りるのがしのびなくて、多少なりとも活字が大きいかと思って新しい版を買いました。多少大きい、のかなぁ。
巻末に訳者によるあとがき。それだけ。解説もありません。1961年のあとがきがそのまま出てくる点に、新潮社の信念を感じました。

あとがき

(前略)

 サガンは自分の属している中産階級ブルジョワジー以外の人たちを描いたことはない、彼女の小説の主人公たちは左翼の闘士であったこともなく、また社会改革や思想についてとうとうと議論する人も出て来ない。 

(中略)

 前にも述べたように、サガンのどの作品にも社会問題がとりあげられていないが彼女は昨年百二十一サンヴァンテアン人の宣言とよばれているサルトル並びにボーヴォワール女史を主流とするアルジェリア反戦運動に署名、これは彼女の親友でもある作家で文化大臣アンドレ・マルローの娘フローランス・マルローも署名している。これに署名した文化人はラジオ、テレビなどの公けの報道機関からしめ出されているが、サガンの場合、仕事の上でも人気の上でもそれが大きな痛手とはなっていないだろう。

ブラームスはお好き」は夫のギイ・シェレールに献呈してあるが、その後離婚し、カストロの政治下にあるキューバを訪れた。

一九六一年三月 パリにて    

                 朝吹登水子

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ブルジョワジーは富裕階級で、中産階級ではないと思うのですが、それはさておき、あとがきでこんな断り書きをつけねばならないほど、革新的な世の中で中庸を守ることが難しかったのかと思います。本なんか読まなければ、関係ないんですけどね。つげ義春闇市かつぎ屋のマンガで、「アンポってなんのこと」という台詞が出ますが、私が聞いた範囲でもそんな感じでした。働かないで食っていける学生のお遊び、みたいな怨念。1961年以降サガンが左右に関してどうなったか、編集部などによる補足文章はありません。勝手に検索さらせ、この文庫本は1961年で閉じとるんじゃ(平成三年六十七刷で改版されてはいますが)、みたいな。

ja.wikipedia.org

朝吹登水子 - Wikipedia

山崎洋子エッセーで、コレットシェリ』と並んで、中年女性と若い男性の恋を描いた小説としてあげられた本。しかし、コレットとはだいぶ違います。コレットは自身四十代後半で五十歳の女性を描きましたが(逆かも)サガンは24歳で39歳を描いています。これ、反則やろうと。

頁172

「シモン、シモン」そして、なぜだかわからずに、こうつけたした。「シモン、もう、私、オバーサンなの、オバーサンなの」 

なぜ訳者がここをカタカナにしたのか。ヘンな原文なのかと思い、原文にあたろうかと思ったのですが、原文を無料で公開してるサイトがぱっと見つかりませんで、その辺の市町村単位の図書館にも原書がなさそうなので、あとまわしにします。てきとうな洋書屋サンか、県や都単位の図書館なら、普通に原書あると思います。あと大学図書館と有料の電子版。

サガンは24歳で39歳の女性を描き、25歳の青年と別れさせていますが、彼女のこの時のハズも20歳年上だったそうで、性を逆に考えたらよいのかなとも思いました。

Guy Schoeller — Wikipédia

しかしどうもそれだとうまく演繹出来ない。演繹の意味知りませんが、えらそうなので使ってみました。コレットシェリ』の場合は、オムツを替えたこともありそうな知己の息子が成長した後誘惑しモノにするわけで、若いツバメと彼女のほかのパトロンとの関係があいまい、というか、元高級娼婦なんだからそのくらい貫禄で捌けるざんしょ、てなもんですが、『ブラームス』の場合、ヒロイン(絶えず新規得意先開拓せねばならない自営のインテリアデザイナー)には歳のさほど変わらないマッチョなパートナー(運送業)がいて、パートナーは老いを気にする年齢にさしかかりつつも、まだまだモテで、非常に浮名を流してるんですね。ヒロインはそれをビョーキだと思うのですが、どうにもならない。その、寂しいかもしれないが余計なお世話状態に、おバカな青年がのぼせあがって勝手に入りこんであげく、という話。

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このシモンという男の子は非常に美男子なのですが、それ以外は、親のスネ齧りで、仕事も縁故なのですが、まともに身を入れて働く様子もなし、十五歳で母親の友人に恋をしてその一週間後に彼女に童貞を奪われ(頁28)わりとだらだらしょっちゅう酒を飲み(頁52)

頁156

(略)シモンは、もうすっかり旅行者気どりになっていた。汽車からとびおりてポールに手を貸したり、あらかじめ十日の約束で借りた自動車にポールを乗せた気分になったり、かれが電報で花束を入れさせておいた一番上等なホテルの部屋にポールを案内したり……。シモンは、自分がまちがいもせずに乗りかえをしたり、切符をなくさずに持っていたりすることが、けっしてできない人間であることを、すっかり忘れていた。かれは夢みていた。かれは夢を見つづけていた。(以下略) 

こんな青年。こんな青年が、陸送かなんかのマッチョな仕事をこなしつつ(だからブルジョワジーの話でもないと思う) 夜遊びに出かければアヴァンチュールの相手を拾えないことはないようなミリキ的な男性と、女性をとりあって勝てるはずもないという… 

ある意味、女性にとっては安心な火遊びというか、彼氏の浮気に悩まされつつ、じゃーこの若い子という選択肢は、ない、それはない、という… 『宮本から君へ』もそんな感じで、彼女は遊び人の彼氏のほうが切れてるはずなのにまだ来るわけで、それがとんでもないことが起こって、宮本のほうに来るわけで、それくらいの天地鳴動がなければ(あっても普通はあんなマンガのようにはならない)普通は頼りない、否、男性的魅力のない男性のほうが振られるべさ、悲しいなあと思いました。私は生活能力がなく魅力もないので、特にそう思いました。

というか、ほんとにこんな感じで振られたことがあります。彼氏のことが忘れられないとかなんとかで。同年代と言ってもいい相手でしたが。よほど頼りなかったのだろう。

ので、有頂天なシモンくん見てると、美男子な点を除けば、いくらでも世にこういう話あるんだろうなあ、あってほしいと思います。映画ではイングリッド・バーグマンと、アンソニー・ホプキンスでしょう。後年ハンニバルになっちゃうのかと思っても、それは杞憂ですよ。あなたは天才じゃないから。私も。…それ以前に、アンソニー・ホプキンスでなくパーキンスだった。それではイブ・モンタンには勝てませんよ。

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そう、それでサガンは、自分より「15歳年上」という設定で、何を現実から小説に仮託したのかと思います。浮気な彼氏に振り回される生活なのか、働かないと食っていけない独身女性の矜持なのか。『シェリ』ほどの毒も現実味もないのですが、その分、ノー天気な落ち着きのない青年鑑賞や、若いうちから、働きつつ歳をとって、彼氏が強引でモテの腐れ縁ってどういうことや、の未来を考える知性のきらめきが、まぶしいようなはんかくさいような小説でした。子どもを作って、ほかの女性からの超越を図るという展開はありまへん。で、甲斐性のない男性はこれを読んでも胸に手をあてて反省せねばならないんだろうな。海でも見てきます(何の解決にもならない)以上