『模範郷』読了

 書庫本を出してもらうまで、暇つぶしに開架式の棚を見て歩ってたらあった本。読んだのは単行本ですが、文庫と同じカバー写真。しいて言えば、文庫は題字の配置に、帯のスペースを考慮してる。写真は、母親の遺品整理中に出て来たと思われる、台中での六歳の筆者ともうふたり、誰か。リービ英雄は國語はさべれるですが、閩南語や客家語はアカンので、両隣の子どもたち(説明なし)も外省人子弟なんだろうなと。

模範郷 (集英社文庫)

模範郷 (集英社文庫)

 

 カバーを外すと、表紙には1956年の台中市街写真を使ってるらしいのですが、図書館本なので外せません。文庫本はそんな手間かけてないだろうし、単行本で、誰か表紙本体の写真揚げてないか検索しましたが、見つけられず。集英社公式ですら連携不足からか、カバーとった写真をあげてません。

books.shueisha.co.jp

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何故か私の頭の中で、ぜったいこのタイトル宮部みゆきの『模倣犯』と間違って買わせようとする作戦だよ、との声が止まないのですが、「もほうはん」と「もはんごう」、否、「もはんきょう」ではわりと音が違うので、まちがえないですよね、普通。でもなんしか《模范乡》と《模仿犯》が重なって見えてならない…と思ったら、「模範」と「模倣」はどちらも北平語でははっちょんが「モーファン」で、前者が前鼻音、後者が後鼻音の違いだけであることに気づきました。じゃー間違えるのはチャイ語齧った奴だけかorz

 この人は頁26でも書いてますが、アメリカ人ならたまたま飛行機で隣の席になった初対面の相手にも「実は私、眼下に見える台北グランドホテル、宋美齢の指示で建てられたというあれに八歳か九歳の時、母と弟と泊まったことがあるんですよ」と言えるのに、日本人だと云えないので、そういうものが積もり積もって、日本語で私小説を書くようになった(この人のゼミ生がブログで本書を取り上げていて、エッセーなのにヤービ英雄センセはノベルだとゆって譲らないと書いていて、大爆笑しました。そうとも考えられますよね、この多様化の時代)そうで、たぶんツイッターやブログ、インスタの時代だったらこの人は文筆業にならなかったかもしれません。

頁21、"glimpse"の意味が分からず、検索しました。

ejje.weblio.jp

グーグル翻訳はもっと簡潔に「垣間見る」と訳してました。一见钟情はひとめぼれ。

そういえば、この本を借りた図書館には、本を抜き取っては抜いた場所と別の場所に戻す老人が複数いて、認知症の問題もあるのか、館員も強く言えないみたいで、その意味では、館内利用制限で開架式の本棚が使えなかった時代は、かえって平和だったようです。この人たちはほんとアクティヴに、抜いては別の場所にせっせと戻してる。当然のように。

前川健一『東南アジアの三輪車』に台湾は登場しませんが、本書のリーウェイ先生、李维英雄先生は幼少期、國語ペラペラの米軍人の父と足漕ぎ式のに乗った思い出があるそうです。が、それを英語でペディキャブ、「脚のキャブ」と書いてます。たぶん、子どもなので漢語名称を知らなかった。頁25。戦後台湾に残った「おしぼり」を「布のホットタオル」弁当箱をボックスランチと呼んでたそうですが、それはまた別の理由で(外省人もどう呼んでいいか当惑してたのでは、特に前者)漢語名を知らなかったのだろうと。

本書は、すばるに発表した四つの短編からなっていて、2014年8月号「摸倣郷」が台中の幼少期住んでた日本家屋を訪ねる旅。リーウェイ先生はめんどくさい人なので、長いことそこには行かず、どうせ台湾も変化激しいからそんなとこもう残ってないよ、大陸の奥地に行けばまだ似たようなふいんきが味わへる、そうだろ? てな具合で、韓国に行かず延辺朝鮮族自治州に行って古きよきコリアを味わう的なことばっかしてたのですが(奥地といっても西北や西南の少数民族地帯まで行くと、彼の考える、外省人眷村が微妙な台湾ではないので、河南省の南の果てなどで満足する)なんしかアテンドしてくれる台中”の”大学で奉職する日本人がいたりするので、臺灣文學最前線シンポジウムみたいのでシャマン・ラポガンやノリス・ワカン、否、ワリス・ノカンら原住民族作家と交流したりしながらその日本人が建てた新生活区画の跡地に行きます。

ヒデオ坊ちゃんのママは、首狩りのことをヘッドハンターと呼んでいたそうで、カッターでなくハンターなのは、首の持つ神秘、生命力を知っていたのだろうかと思いました。ポーランド系だそうですが。

この区画は本書刊行後に行ってみた人のブログなどでもっといろいろ分かったことが書かれていて、昭和十七年、戦局がアレな時期にガンバって作ったが、三年で光復、KMTと米軍に接収されたとか。でも今はそこの道路に民進党が「大和路」なんて名前をつけたりして、なんというかかんというかだとか。

Google マップ

この話のクライマックスなのでネタバレですが、孫立人将軍が幽閉された一軒だけ、それの歴史的価値を理由に取り壊されなかったので、行く人はそこをランドマークにすればいいし、間取りはリーウェイ先生ん家といっしょだそうです。そういう文化住宅だったと。

travel.taichung.gov.tw

stantsiya-iriya.hatenablog.com

思い返すと、上の本は他館本リクエストで、愛川町から来たのでした。

上は、今とスタイルが違う日記。なんだったかな、オードリーの、閲覧回数ナントカなブログを目指せ! みたいなテレビ企画で、一行ごとに改行しないと見やすくないので閲覧回数が増えない、みたいな自称ウェブマスターの指南を見て、ほほうと思ったのでそのようにブログを書いてた時代。一行改行は、まだるっこしくて、ムダだと分かってたし、特にいろいろ読んでもらおうとも思ってなかったのですが、世の潮流に忖度したつもりになって、そう書いてました。温又柔がリーウェイ先生の生徒とは知りませんでした。「おんようじゅう」だと思ってましたが、「おんゆうじゅう」だそうで。「又」の音読みは「ゆう」なんですね。外省人子弟か内省人子弟かも知らない。本人ちゃんと書いてるかもしれませんが。このふたりの描写はエロいのですが、あまり書くとよくないので書きません。イヤンジみたいにいろいろ背負うふいんきを作らない、作らせない、深く考えないをモットーに日々ハゲんでほしいです。ツイッター見てると、ハングルやらタミル文字やら、いろんな文字で自分の名前を書いてるので、のびのびやってると思いました。

「おんゆうじゅう」なら、溫柔のほうがいいと思うのですが、どうでしょうか。マタよりクマ。

www.youtube.com

なんしか、台中で、ヒデオのママが好きだったか、もしくは近所から聞こえてきた歌。エルトン・ジョンバージョンではないですが、なんとなくここに載せるのならふかわりょうの別名ロケットマンでいいかなと。新井一二三『台湾物語』頁114は、エドワード・ヤンのクーリンチエ少年殺人事件で、台北のやはり日式住居に住む外省人婦人が、近所の本省人が大音響で橋幸夫潮来笠」を流すのに耐えかねて、「日本人と八年も戦争して、どうして日本人の建てた家に住み、日本の歌を耳にしなくてはならないの!」と絶叫するセリフを日本語に訳して載せてますが、私はたぶんVHSビデオでも新宿K'Sシネマでも寝てたと見え、その場面覚えてません。

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やー、ヒデオママの近所からも「イタコのいたろ~おお、ちょっといなせな」が聞こえてくればよかったのになー。橋幸夫の聴こえない部屋。

リービサンの台中訪問をアテンドした笹沼俊暁という人とリーブ、否、リービサンの出会いは、笹沼サンがリービ英雄のクリティークを出版して、それをリービ英雄に贈ったことから始まったとか。そのくだり、頁23を読むと、まるで自費出版をおくりつけたかのようですが、論創社から出版だそうです。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

なんで東海大が出て来るんだろうなあと不思議に思いながら読んだのですが、日本の東海大でなく台湾の東海大でした。韓国にもあるんだろうか、東海大

ㄅㄧㄢㄔㄨㄟˊ biān chuí. 

kotobank.jp

頁47、帝国にティグオとルビ振ってますが、ディグォの誤植だと思います。この人は清音濁音は有気音無気音に非ずルールを使わないので。

頁51、墓地に塹壕を掘る発想は日本軍にない、と言ったザオダオティエンの院生S君は、まためんどうな作家さんに聞かれて小説に使われて、難儀でしたなと思いました。沖縄戦では亀甲墓をトーチカや指令所にしてなかったっけ、と突っ込まれてローカルに終了するはずが、ブンガクにされて永くさらされ続けることとなる。リベラルに恥をかかされるとネトウヨになり、ネトウヨに恥をかかされるとひきこもる、という図式があるのかどうか。

この話はこれでしまいで、次の、2015年7月号掲載の「宣教師学校五十年史」は、台中で作者が通った伝道学校の話。ロバート・モリソンなんとか学校というような名前で、ほかに外国人子弟が通える学校がないので通ったが、そこで聖書の、古い英語、空ならスカイでいいのに"firmament"、「穹蒼おほぞら」というような言い方を六歳のガキがそらんじてしまい、ユダヤ系とポーランド系の両親が目を白黒させ、その蓄えは後年、万葉集を英訳するにあたって、古英語をスラスラ出すのにとても役立ち、さらに、例の河南省のよく行く田舎、リービ英雄中共に単身潜入した米帝のスパイ説なども疑われたがそのうちほっとかれた田舎で、かつての租界白人の避暑地の残骸があることを知り、それが、台中で通った学校の、自分より少し年齢が上の人たちの回顧文集を読んでいて、その河南省のかつての「中国の軽井沢」にあった宣教師学校が、国共内戦の結果、臺灣に落ちのびて六歳のリービ少年が通った学校になった、ことを知ります。ここはおもしろかった。

Mount Jigong - Wikipedia

鸡公山国家级自然保护区_百度百科

Google マップ

"Rooster Mountain"

この卒業文集の抜粋和訳が、とにかくおもしろかったです。ネイティヴなのに英語の文法が不確かな「白人田舎者」の文章、と始めて、途中で、彼らが、大陸出身のデラシネであることが分かる。やはり国共内戦の敗北で「マオ」に追われて台湾に来た、アジアの白人。

次は2016年1月号の「ゴーイングネイティヴ」 このことばは、白人なのに土人ぶる、という意味の、ネガティヴなニュアンスのことばであったはずが、ホンコンのシンポジウムで、肯定的にとらえられていて、アカデミズムの歩みの速さにう~んとなり、そこで、先人パール・バックに想いを馳せる、というか、共産中国で『大地』は禁書のはずが、北京の外文書店に、彼女の英語の評伝が売られていて、はっとなって、毛沢東のピンクの100元札を三枚出して買ってしまう、という話。ナントカペイで払えばいいデスヨ、どして現金デスカ、足つくコワイ? みたいな。

川本皓嗣という人がリービ英雄を紹介して、本邦初の西洋人日本語作家(『いちげんさん』のデビット・ゾペティはリービの後かな? アーリア人=イラン人のシリン・ネザマフィは明確に後)と言ったあと、イギリス人がヒンズー語で小説を書いたか、フランス人はベトナム語で書いたか、とアジるのですが、アメリカ人が日本語で書くのって、それと同列なの、って思いました。そういうのがザッツ自虐史観ではないでしょうか。

川本皓嗣 - Wikipedia

中国語でエッセーを書く新井一二三(『新井・心井』というダジャレ題名には笑いました)は微妙としても、ハングルで書く戸田郁子なら、ヒンズー語やウルドゥー語ベンガル語で書くイギリス人作家と比べてもいい気がします。

で、この話は、オチてるようでオチてないです。思索はまだ続いてる。

さいごの、2016年3月号「未舗装のまま」は、新宿区内引っ越し人生が、引っ越せる家屋の老朽化によってジリ貧になって、母親のアルバムを整理していたら表紙写真などを発見して、という話。特になし。

全体を通して思うこと。又ウェンロウさんに是非諫言してほしいのですが、「日本人」に「ルベンレン」とルビを振るのは、ガイジンのハンユィーっぽくなるから、やめてほしい。リーベンレンでいいじゃないですか。「ルベン」って、ほんと、外佬腔特别浓。就是了。

以上

【後報】

英雄ママの写真のなかに、ママだかパパと、蒋家の軍服の人とバタくさいかんばせのワイフと三人の写真があったとのことで、あっ、ニコラだっ、と思ったのですが、ニコラではなく、次男とその妻、エレンでした。

ja.wikipedia.org

引用しても問題なさそうな、エレンのいい写真は見つかりませんでした。実の父はたいきとうで、母は日本人って、そらごついですな。

(2020/8/24)