『ウィルシャー通りのバス』"Wilshire Bus" 『ヒサエ・ヤマモト作品集 -「十七文字」ほか十八編-』"Seventeen Syllables and Other Stories." by Hisaye Yamamoto. Introduction by King-Kok Cheung. Revised and expanded ed. 読了

Wilshire Boulevard - Wikipedia

Primary Source : Pacific Citizen 23 Dec.1950 : 17,22

傷痍軍人の主人というか復員後も戦場の傷が思わしくないハズが入院する病院まで、ロスのダウンタウンから太平洋まで続くウィルシャー通りを、長い長い乗り合いバスに揺られて毎週見舞いに通う日系人女性が、同乗した中国人夫妻が酔漢から侮辱されるのを、黙って見過ごしてしまうという話。

酔漢は乗車時先ずバスの運転手に絡むので、バスの運転手と言えば黒人で、だからかと、なんとなく思っていたのですが、よく読むと特にそういう記述はありませんでした。白人の運転手だったかもしれない。1950年といえば、公民権法がまだどうのこうで守旧の時代ですが、白人バスの運転手はどっちだったんだろう。(追記:路線バスは前部後部で白人黒人分けてたんでしたっけ?2021/10/11)
とまれ、この堂々たる押しの強い、お洒落な酔っぱらいが次第に中国人夫妻に目をつけ、わりとヒドいことを言います。

頁110
「さあ、中国へお帰り。そこでクーリーのように裸足で田んぼに出て働いたらいいじゃない。お下げ髪だって結えるんだよ。しかしです、オクサン。ヒキカエ券ない。シャツわたせないです。どうだい、わたしの中国人のまね、なかなかうまいもんだろう。ヒキカエ券ない、シャツわたせないです!」
P36
"Why don't you go back to China? Where you can be coolies working in your bare feet out in the rice fields? You can let your pigtails grow and grow in China. Alla samee, mama, no tickee no shirtee, Ha, pretty good, no tickee no shirtee!"

日本語で田んぼと言っても日常語ですが、英語でライスフィールドとわざわざ言われるとなんしかエグみが出るというか、さらに、邦訳では「お下げ髪」ですが、要するに辮髪で、それを、例の、豚のしっぽ、ピッグテイルと言っていて、さらに弁髪を「伸ばす」のでなく、成長のグロウをふたつ重ねて表現するなど、相当だと思います。この前段で、気に食わないなら中国へカエレ!が始まるのですが、よくある話で、自分のぶつくさあてどもないひとりごとの罵倒を聞かされてキモいと思ってるんだろ、「気に食わない」と思ってんだろ、が、もまいらアメリカが「気に食わないん」だろ、に、混同、転換置換同一視され、それでそういう非アメリカな相手にはどんなにか言ってもいい、「カエレ」に正統性が付与された、と本人だけが思い込んでいます。本当によくある話だ。

この後も、トリニダート・トバコならチンクが牛耳ってるから、トリニダート・トバコへ行ってもいいとか、目じりの吊り上がった子どもたちも全員連れて帰れ("So clear out, all of you, and remember  to take every last one of your slant-eyed pickaninnies with you!")とか、ムチャクチャです。

で、主人公は、いごこちの悪い思いをしつつ、自分は日本人だから関係ない、ここで責められているのは中国人だからと安心し、そして、白人から中国人が好ましくない民族扱いされることにひそかなまんぞくと優越感を感じ、はっとします。
強制収容所からロス市内への帰還と就労が許されて間もないころ、彼女は路面電車に乗っていて、七番街とブロードウェイ通りの交差点の停留所で、東洋人の老人を見かけ、オリエンタル同士のよしみで親しげな目線を送ると、視線の先の老人は、「I AM KOREAN」というバッジを大きく胸につけていて、その瞬間、彼女は、
「頭に血が上った」(頁111)'Heat suddenly rising to her throat'(P36)
となり、彼らが「私は中国人です」「私は朝鮮人です」バッジをつけてくるなら、自分も「I AM JAPANESE」バッジをつけたい、ほしい!、と渇望したことを思い出したのです。

このことを作者は「重大な不作為の罪」と表現しており、原文は"a grave sin of omission" です。グレーブバイングレーブシンは「大罪」で、シンノブオミッションは不作為の罪らしいので、「未必の故意」みたいなことかなと思いましたが、また違う概念のようです。

grave sinの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

sin of omissionの意味・使い方|英辞郎 on the WEB

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Weblio和英辞書 - 「未必の故意」の英語・英語例文・英語表現

なぜかラテン語が出ます。法律用語だからか。

ヨッパライのならず者が下車すると、別の男性(眼鏡の初老)が、罵倒されていたシナ人夫婦に話しかけます。

頁113
「わかってもらいたいのですが、私たちがみな、あの人と同じだということではないのです。あの人とは違った考えをもっています。」
"I want you to know, " he said, "that we aren't all like that man. We don't all feel the way he does. We believe in an America that is a melting pot of all sorts of people. 

この男性は、酔っぱらいが喚いている間、自席からヤレヤレとキタイスキー夫妻に首を振ってみせていたのですが、ふたりのギャミは罵倒にさらされた過緊張のあまり、気づいていなかったのです。私のような英語が不得手なにんげんに、ネイティヴが語りかけるときの英語ですね。ちなみに、メルティングポットは、この四十年後、前世紀末にはかなり否定され、モザイクという言葉がひんぱんに使われるようになります。夫妻は菊の花束を抱えており、季節は秋と知れます。バスの中にふりそそぐ、おだやかなひざし。
こういう話です。何が理由でこのアルコホリック米国人が反中感情持ってるんだっけ? 朝鮮戦争は1950年の橋幸夫、否、ユギオ(六月二十五日)開戦でございますが、1950年12月発表の小説でもう、影の策謀者朱毛匪がそこまでQannonに意識されていたのでしょうか?それともこの男性は、台湾に一掃された國府支持者だったのでしょうか?それとも、単なる伝統的なイエローペリラー? とまれ、作者は、主人公のエスター・クロイワに、本で読んだという、下記のことばを思い起こさせています。

頁114

酔っ払いの人のいうことなど気にするなと世間ではいうが、おそらく酔っ払っているときこそ、その人にもっともよく耳を傾けなければならないのだ

P37

People say, do not regard what he says, now he is in liquor. Perhaps it is the only time he ought to be regarded.

なぐさめ理性マンの男性は乱酒バカの隣の少女(おそらく白人)にも声をかけて、変なのの隣で災難でしたねと言うのですが、主人公エスターには声をかけないです。ツレでないと分かってるからか、夫婦の娘だと思っていたからか。空想の余地を残してあげてるんデスヨということかと思いました。

この小説はオチも秀逸で、大和撫子ステレオタイプをここで使ってくるアイロニーのすばらしさにうなってしまいます。原文を読むと、入院中のハズは、日本語だと「会えなくてさびしかったの?」くらいのタンパクなことばが、"You've been missing me a whole lot, huh?"になってしまっていて、歯が浮くような自意識過剰かつ犬も食わない新婚のアツアツぶりが伺えて、そこで彼女が笑うのに<bravely smiled>意志を強く持って(なんでもないように)笑わなければいけないと書いてあって、そして彼女はそれを遂行して、最後のせりふを言うんだ、ともう一度感じ入ってしまいました。

最初彼女の宿六の名前、「ブロウ」"Buro"がぜんぜん分からず、『祝婚歌』のようにイタリア系と結婚でもしてるのかと思ったですが、冒頭、彼女の姓がクロイワとあるのを思い出し、ソウデスヨ、高市サンも死守を広言してるように、日本は夫婦同姓ですから(このころの欧米もそう)ブロウは「武郎」かな、と思いました。

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For Paul, Kibo, Yuki, Rocky, and Gibert.

英語版にあって南雲堂フェニックスの邦訳版にない、冒頭の献辞。おそらく彼女のお子さんにあてたものだと思います。ポール、きちがいのキー坊もしくは希望、ユキ、ロッキー、そしてギルバート。ウィキペディアでは彼女のお子さんは四人ですが、献辞は五人。彼女の婚姻相手はアンソニー・デソトという名前ですので、非オリエンタルな気がしますが、分かりません。

ヒサエ・ヤマモト作品集 : 「十七文字」ほか十八編 (南雲堂フェニックス): 2008|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

ヒサエ・ヤマモト - Wikipedia

Hisaye Yamamoto - Wikipedia

以上