『不死鳥少年 アンディ・タケシの東京大空襲』"PHOENIX BOY : Undie Takeshi's Great Tokyo Air Raid." by Ira Ishida 読了

amazonでこの作者の著書をつらつら見ていて、なんとなく読もうと思って読んだ本です。毎日新聞に2016年12月13日から2017年7月31日まで連載。装丁 川名潤

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日系二世というか、ダブルです。シアトル育ち。父親がモリソンという姓のアメリカ白人。母親が邦人。姉はあちらのおもむきの強い顔立ちをしてるのであちらに残り、本人は日系人排斥の風当たりがどんどん強くなったので、九歳のとき母親と日本に戻り、いま十四歳。

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このロゴはあんまし好きでないです。バタアシ金魚ドラゴンヘッドのひとがイラスト書いていて、最新のスニーカーが汚れないドラゴンヘッド、をいまさら言ってもしょうがないくらいの、抑えた筆致のイラストでした。

舞台が錦糸町付近で、最近も行ったばかり(の近く)ですので、感慨もひとしおでした。錦糸町自体は、知人に連れられて行って便當食べた台湾料理の店がさいご。フィリピン人も多いと聞きますが、なかなかそっちまで守備半径になりません。

[B!] 【TOKYOまち・ひと物語】錦糸町から消える「台湾鉄道弁当」 「劉の店」1月末に閉店 店主の劉俊茂さん

最終日には什器のチャリティー販売を予定してるそうで、売上は全額産経新聞基金に寄付されるとか。

この基金を選んだことについて、(略)信頼できる新聞社がしっかり管理する基金にお願いしたい」と話した。

このお店で台湾憲兵の銃剣付き人形を見て、映画「返校」でそれを思い出したのもよい思い出です。思い出のある品でしょうから販売するか分かりませんし、レア物なので、売るとしてもかなりイイ値が付く気がします。台湾の相場知りませんが…

頁235から菊川の梅乃湯という銭湯の詳細な描写があり、去年くらいの記憶ではそんな銭湯なくて、はたして現存してないのですが、戦争で焼けたのかどうかまで分かりませんでした。今、ないことだけしか分からない。舞台となった本所区という地名は、頁392によると、かなり全滅して、その当時のひとは、半分しか生き残れなかったんだそうです。

あとがきがあって、母親がじっさいに東京大空襲を逃げ切れたこと(現在の小松川高校の当時のに通っていたとのこと)から始めて、トラウマというわけでもないでしょうが、この本が読者に爪痕を残して、東京大空襲を忘れないでいてくれれば、としています。

私はけっこう半村良を読んでいたので、半村良がこれを書きたかったという、『むすびのやま秘録』の東京大空襲の場面も読んでますし(本書とちがって、エスパー魔美ななこSOSさながらのテレポーテーション、70年代SFならではの直球で仲間を助けます)その元になった作者の戦争体験、国民みんな被害者だったという一億総ざんげで話を終わらせない、戦災孤児への加害者体験も、『亜空間要塞の逆襲』で読みました。半村良火垂るの墓のような話。自分は親が無事で、かつてのクラスメイトは親も家も失って、防空壕に暮らし、日々の食料にも事欠く状況下。で。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20150211/20150211172129.jpg半村良の場合は、戦後まで書いて、東京大空襲の戦犯、カーチス・ルメイに日本政府が自衛隊建設への助言貢献をねぎらって勲章を授与するところまで書き切っていますが、本書はそこまで行きません。ので、ルサンチマン感は先行する世代にはやはり、及ばないです。及ぶ必要もないんでしょうけれど。どうでもいいけど、戦犯は戦争犯罪者の略称なので、この場合にも使っていいと思うんですが、どうでしょう。連合国側の戦争犯罪者ってのは、裁かれないにしろ、いるかいないかでいったら、いるとしか言えないと思う。

そういうのは読んでるんですが、早乙女勝元とかは読んでないです。二宮の空襲を描いたんでしたっけ?『ガラスのうさぎ』は読みましたが、映画上映時は、ヒロインの入浴シーンのパイオツに興奮する男性ばかりが目についたとは、以前も日記に書いたことです。

頁088、戦争が終わってなんでも食べれるようになったら何が食べたいかの場面。ハンバーグとか焼き肉とか背脂コッテリ系とか当時の少年が言うはずはないので、玉子焼きとかいろいろ工夫してますが、寿司を、「タイにヒラメにマグロを三回転」と言うのは、なぜに回転?と思いました。戦前戦中のシースーは回らないだろうに。

頁174、東西対抗戦になると米国二世は「憎まれ役の西軍」になるという箇所。関が原というより、源平合戦のイメージと思うのですが、どうでしょうか。戦後は吉本芸人の長年にわたる悪魔的な全国区での活躍があり、高校野球も西高東低でない年のほうが珍しいので(ときどき北海道が優勝したりもしますが)そんな信念の人もいなくなりました。

頁200、英語は敵性語だが、工場では工員のあいだで、ラインやレンチ、グリースなどの言葉が言い換えされずそのまま残っていたそうです。勤労動員の場面で出る。

頁286

(略)タケシは焼夷弾にできることがはっきりとわかった。木造家屋という燃料がなければ、一本一本はさしておおきな炎を生むことはないのだ。長さ五十センチの鋼鉄の種火に過ぎない。確かに広い場所に一本だけなら、大勢でとり囲み濡れたむしろや砂をかければ消火も可能だろう。

むかしの戦争は悲惨だった文学では、このような忖度は必要なかったでしょうが、21世紀の新聞連載なので、読者の即時レスポンスも気にする必要があるんだろうと思いました。ネトウヨ気質の読者から再三ツッコミが入ってたのかもしれないです。奥付に加筆訂正したとは書いてないので、新聞連載のまま手を入れてない文章と信じたい。

銭湯の場面では、当時は鍵付きの下駄箱がなく、履物の盗難が多いので、わざとボロボロの履物で行くとありました。脱衣かごで、ロッカーがないのは、これは今でも一部の銭湯がそうですので、長い習慣だなあと思います。脱衣籠式の銭湯は、だいたい番台形式で、番台が目を光らしてるという前提。

また、銭湯で、女の子の方が早く出るのですが、これは神田川の歌詞と同じにせよ、21世紀の現実と逆な気がしますので、実際どうなのか知りたいです。よく若い家族連れが女湯に「ママー、まーだー?」などと聞いているのを見るので。女性のほうが念入りに風呂入るわけではないのかなあ。どうなんだろ。バカみたいに長時間入浴する男性はいますが、ツレと一緒に来て、ツレを待たせるかどうかまでは現状分からない。

主人公のウルトラパワーが発揮させるのが遅いという起承転結のやり方の是非や、その後の主人公について、これでいいのか悪いのかと思いますが、書き切ったのですから、とくに論評は控えます。

以上です。