『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』"The Story of Eating a Princess : Koichiro Uno Masterpiece Short Stories"(新潮文庫)"SHINCHO BUNKO" 読了

ビッグコミックオリジナルれんさい漫画『前科者』に出て来たので読みました。カバー装画 九鬼匡規 画集『あやしの繪姿』(アトリエサード刊)より デザイン 新潮社装幀室 英題はいつもどおりグーグル翻訳。中文訳にすると、《吃公主的故事》になります。スンナリ二大言語に変換出来るので、意外とよくあることなのかもしれません。

宇能鴻一郎が「純文学業界」で活動していた時期と、女性一人称文体の官能小説で一世を風靡した時期の間には十年の開きがあり、その間に本書に収録されたような傑作群がある。/そもそもがデビュー作「光りの飢え」から「地獄銛」「菜人記」に至る初期作品にしても純文学の檻(枠ではない)にはとうてい収まらない。ストーリー性とテーマ性、迫力ある描写を併せ持った大きな作品群で、宇能鴻一郎は今、再評価されるべき作家なのではなかろうか。 篠田節子(「解説」より)

解説の篠田節子という人は、ウイキペディアに既視感があり、検索すると、相鉄瓦版からの線で、一冊読んでました。この本の解説をまかされたのは、七北数人という編集者がちくまで編んだアンソロジー『猟奇文学館(1) 監禁淫楽』に、本書の一編と篠田サンの一編がなかよく収められた縁からだと思います。篠田サン自身は、やはり一編が収められた皆川博子サンと電話し「監禁淫楽なんてタイトル草」とか言ってたらしいです。個人的には、今そのアンソロジーのリストを見て、式貴士がいるので、ああそうですかという感じ。

『愛逢い月』めであいづき(集英社文庫)途中まで読みました⇒読了 - Stantsiya_Iriya

篠田節子 - Wikipedia

七北数人 - Wikipedia

明石散人という名前は聞いたことありましたが、七北数人という名前は初耳です。篠田サンの解説で、教えられたのは、表題作の原典が、平安後期に書かれたといわれる春本『小柴垣草紙』ということ。歴史上の有名人を主人公にしたエロばなしでなく、創作系オリジナル・エロなんですね。

小柴垣草紙 - Wikipedia

信実/小柴垣草紙 文化遺産オンライン

こういう、古典のエロ本って、どういう本があるのか、知りたいです。どこかに、全集のようなかたちでまとまってるとは思うのですが、探したことがない。これもちくまの、山田風太郎忍法帖短編全集に、エロ漢文とエロ古文を嫁入り前の娘に読ませて、みんな真っ赤になるのに、ひとりだけ明鏡止水でスラスラ読んで、みたいな話がありました。楊貴妃安禄山と、弓削の道鏡孝謙上皇カップリングだったかと。もっとそういうの読みたいのですが、どこにあるんだろう。

ウィキペディアの「日本のポルノグラフィ」には下記がありました。

壇ノ浦夜合戦記 - Wikipedia

建礼門院徳子と源義経カップリング。

袋法師絵詞 - Wikipedia

創作系。

ja.wikipedia.org

ズウツズツズツニ、チユツチユチユツ、ズウツズウツ、フゝゝゝウ。アレ、にくいたこだのう。

この新潮文庫は、ポルノ作家になる前の作品を集めたということだったので、そんなにエロじゃないだろうと思ってたのですが、エロでした。

ただならぬ小説が、ここにある。 官能の巨匠か、 文芸の鬼才か。 戦慄の表題作をはじめ、 鬼気迫る芥川賞受賞作「鯨神」など、 人間の深淵を容赦なく抉る至高の六編。 新潮文庫の話題作

帯の煽り文句は、「官能」と「文芸」は二項対立じゃないじゃんと思ってしまいます。本書にそって区分けするなら、「官能」と「猟奇」にするか、「ポルノ」と「カルト」にすればよかったんじゃん、と思います。

白状します。今まで読まずにいたことを心から後悔しました(担当者)

上は本書のアマゾン特設サイトから。別に読まなくてもそれほど後悔しないと思うのですが、「〇〇チャン、ブンゲー部で働くんなら、あくたがー賞とった作家の作品くらいぜんぶ読まなきゃダメじゃない」みたいなパワハラがあったのかもしれません(ないでしょう)あれやそれやで舌っ足らずなコピーになってしまったのかも。

官能の巨匠か、正統派文芸の偉才か。芥川賞受賞作を含む六編。本物の文学がここに。

www.shinchosha.co.jp

上は新潮社公式。下っ足らずな部分を継ぎ足して、サマになるようにしています。担当編集者が成長したということか(ちがいます)

姫君を喰う話』はそんな感じです。初出「小説現代」1970年3月号。頁38、日本にも白丁という身分があったとは知らず、検索しました。

白丁 - Wikipedia

ウィキペディアには「はくてい」とルビ振られてましたが、本書頁38では「はくちょう」です。

鯨神』初出「文藝界」1961年7月号。芥川賞受賞作。表題作もそうですが、途中で文体を二転三転させる、東大生の才気煥発みせびらかし臭があります。そのわりに悪人が、悪の道に入った契機、人をあやめたのは、相手が先に銛を持ち出して来たからだ。と告白してきたりして(頁103)、なんかブレてるな~とも思いました。そういうあれやこれやの批評(もしくはイチャモン)に嫌気がさして、作者はエロ小説にひきこもったのかもしれません。

花魁小桜の足』初出「小説現代」1969年11月号

 

以下後報

【後報】

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MORINAGA Disney Princess パックンチョ™ チョコ プリンセスがいっぱい! 期間限定絵柄入り MORINAGA Disney Princess パックンチョ™ チョコ プリンセスがいっぱい! 期間限定絵柄入り MORINAGA Disney Princess パックンチョ™ チョコ プリンセスがいっぱい! 期間限定絵柄入り MORINAGA Disney Princess パックンチョ™ チョコ プリンセスがいっぱい! 期間限定絵柄入り

(2022/3/31)

花魁小桜の足

頁141

 日本の芸能には世界一卑猥なものが多い。自発的であることでかろうじて自尊心を保つ。これで江戸二百五十年の平和が保たれたのだが、その規範である武士道を韓国人は自発的奴隷制だと評している。まったくそのとおりで、この民族的自虐志向は日本謝罪党(消滅した)や指導的新聞にもみられるが、天皇の命令ということで自殺攻撃をやったり、天皇の命で降伏し一切反乱しなかったり、理不尽にソ聯に抑留されながら、スターリンをたたえる行進をしたりしたのも同じ自発的奴隷根性だ。ソ聯を侵略したのにドイツ兵はもっと堂々と行動していた。

とうとつに韓国が絡んできたので、おや、と思いました。日本謝罪党という政党は、UFO党とか雑民党のように、実在した政党だろうかと思い、検索しましたが出ませんでした。作者のジョークで、改名して発展的解消された某進歩的政党を指しているのかもしれません。この話は長崎の話で、やはり唐突にシベリア抑留の例に連想が飛び、ふと、ソ連でなく中国相手だとそうでもないんじゃんと、長崎のデパートの国旗事件や清国水兵暴動事件を思い出しましたが、でもまあ撫順だと中帰連があったし、いっしょですね。

kaichosha-f.co.jp

長崎国旗事件 - Wikipedia

報道されてないだけで、相武台前でも、ポン刀片手にキャンプに切り込んで、その後の行方はようとしてしれない人がいたそうですが。

頁147

(略)和蘭陀商館員は日本の女の写真を欲しがった。とくに遊女、それも盛装の花魁の写真を土産にしたかったのだ。

 最高位の日本行き花魁は十数名しかいず、すべて日本人しか客をとらなかったので、絶対に不可能だった。次ぎの位は唐人行きで、清人を客にする女だが、清人は女を大切にせず、手当てもケチで、下手をすると唐婢トンピーとして下女兼用にコキつかわれる。だから女も年のいったスレッカラシが多い。

 和蘭陀行きは何も知らず、いきなり蘭館にゆかされたウブが多い。(後略)

解説によると、『花魁小桜の足』は、短編集に収められるたびに加筆修正されていたそうで、そういうのはマニア泣かせで、マニアが減る一因な気もします。そこまで執着するファイトがなくなる。逆に言えば、その時その時手に取って読んでの一期一会でいいんだよ、と言われてるのだろうと。

頁159

 出島の和蘭陀人たちはこの絵踏みもマルチリも知らんぷりをきめこんでいました。おなじ耶蘇基督の信者でも隠れ切支丹とは宗旨が違い、それに和蘭陀人の神は金もうけで、毎年一回甲比丹カピタン(商館長)は江戸にお礼言上にゆき、将軍を拝礼し、滑稽な踊りを披露し、しかし宿舎に帰れば教えを求める日本の知識人達がつめかけているのに尊大な態度で応対する。シーボルトのように禁制の地図のたぐいを求めることもあったでしょう。朝鮮通信使の場合にも、将軍代替わりのときだけですが、同じ光景がみられたようです。

この話で「マルチリ」と書かれている単語は、検索では「マルチリヨ」殉教の意味だそうです。殉教者が多く出ると、その教区責任者であるイルマンの地位が、全東洋内で、フランキ(仏狼機)に対し格があがるんだとか。なら自分が率先垂範して殉教しろよし、とはならないのは、宗教や思想の垣根を越えて不変のにんげん原則。この箇所も唐突に、朝鮮通信使にも邦人は教えを乞うていたんデスヨ、という記述があったので写しました。

kotobank.jp

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西洋祈りの女』初出「新潮」1962年3月号

宇能鴻一郎 - Wikipedia

和歌山と奈良にほど近い三重の山奥の、戦後まもない時期の話。著者の自伝的作品かとも思いましたが、各地を転々としていたそうで、その辺の、尾鷲の奥のほうとかにいたのかどうか、分かりま千円。寡婦の祈禱師というのはいつの時代にもいたんだなあ、それが戦後、それまで信じていた常識が「ゆらいだ」時期には、男女の人口比もあいまって、続発したんであろうことはなんとなく想像がつきますが、この話のように、メリケンかぶれがそのまま異界につうずる巫女、シャーマンの武器になってしまう話は初めて聞きました。

ズロース挽歌』初出「問題小説」1969年10月号

いわゆる強姦系のポルノ小説というものは、実は間が抜けているというか、模倣犯が出たら未然に即タイーホ確実な手法を、えんえんと練った上に実行しているので、分かる人はありえねーと思うことで常識の安全弁をかけつつ読めて、分からない人は以下略で、そういう、客観的に見るとシュールなギャグみたいな光景を、いかにありえるように、息詰まるエロのように擬装して描くかがエロ作家の腕の見せ所なんだろうなとも思いますが、それとは別に、模倣犯が出にくそうな飛び道具、スーパーマン的な、拳銃持ってるとか、空手の有段者であるとか、そういう人がそういうことしたらあかんがな的設定作品もあり、その系譜が、たぶんスタンガンの登場以降閾値が大幅にさがり、それでまあ、世の中の犯罪者を見るにつけ、自分はちがうということで草食化が進み、ハードな作品は絶滅寸前、もうすぐ絶滅して、ラノベふうのエロばかりになるんじゃいかというふうにエロ小説出版社の編集者が言っていたとかいないとか聞いた認識のまま生きていましたが、どうも最近、また隆盛しているようで、背景に、レイプドラッグのまん延があったらおそろしいです。ありそうでいやだ。パパ活やギャラ飲みとの関連は知りません。

この小説も、渋谷から鵜木まで、タクシーで移動とか、くつべらとか、安心出来るようになっています。まちがってもそこで、俺ならアルベル系レンタカーとかアホなこと考える必要ありません。

頁288

(略)(嚙め、嚙みきってみるがいい。ほんとに厭なら。女学生の、外見通りの純潔さを保ちたければ、いま嚙み切ってみるがいい。まだお前の純潔は、本当の意味では汚されていないのだから。いま嚙み切れば、お前は少なくとも、(以下略)

ほんとに嚙みきる小説も読んだことありますが、現実には知りません。その小説も、自分の力でなく、また別の人が、ショックでアゴ、上下の歯がガチンととじるように以下略

リソペディオンの呪い』初出「問題小説」1970年9月号

(2022/4/1)