https://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20220318/
下記は、2019年12月にMOMATコレクションを見た時の日記。あの頃は、年明け早々武漢で新型コロナウイルスが発生して世界を席捲するとは、夢にも思ってなかったです。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
その時と同じ絵もあり、違う絵もあり。総体に言って、だいぶ入れ替わってます。
これは入口の前のイス。収蔵品でも展示品でもありません。でもたぶんコロナカ佳境期は撤去されてたと思います。滞留させないように。
これは二番目の展示室。エッチな部屋ではありません。と、ここまで書いて、あらためて検索し、「眺めのいい部屋」と「ナインハーフ」をごっちゃにしていたことに気づきました。
下が眺望の左半分。大手町が見えますが、神田は見えません。右半分は、皇居に沿って、陸の孤島麹町へ、一路。
"看得见风景的房间"って、「眺めのいい部屋」の訳として、どうかなあ、あましロマンがなくない? と思いました。もっと、余韻がほしいだ。
いろいろ辞書を見てひねってみたのが上記。なんでも「眺めのいい部屋」に変換してくれるグーグル、大好き。
これがホントは最初の部屋。ハングルも「ハイライトゥ」としか書いてません。たばこかと。「ジンツァイズオピン」になってしまう中文は、こういう時、ふべんだなと。
出だしは、鏑木清方大回顧展とあわせた、日本画三点で、これと、伊東深水「清方先生寿像」1951年と、山川秀峰「地唄舞「寿」」1942年の三つ。清方先生像は清方展の方に載せ、地唄舞はピンが甘かったので載せるのをよしにしてます。この絵は、ツチダの「ツ」をMOMATはどうハングル訳してるのかメモりたかったわけではないのですが、韓国のハングルにない音「ツ」をハングルにするばあいの、「チュ」にするパターン(ミチュビシ銀行など)と、「ス」にするパターン(東京メトロのミスコシ前など)のうち、MOMATが後者を採用していることは分かり、それとともに、「リンセン」が、なぜか英語とハングルでは、「ガーデン」「庭園」になってる、と思ったら、林泉は広大な庭園の意味もあるそうで、しかし漢語の〈林泉〉にも同義があるかは分からないという結末になりました。
林泉は"linquan"なのに、( ゚∀゚)o彡゜林森北路!!林森北路!!linsenbeilu!という連想をしてしまったわけではありません。
安井曽太郎「金蓉」1934年 よく見ると、英語はピンインの"jinrong"でなく、ウェード式の"Chin-Jung"であることが分かります。
ドイツ人の版画集まとめ買いだったかな。漢語の「父」」ひともじが、えっ、ほんとにこれでいいの? 舌っ足らずと言われない? と思ったので撮りました。「慈父」とか、そういうすわりのいい言葉が、あると思うんですが… ハングルも、グーグル翻訳で検算訳すると、「周期図」と訳されてしまい、なんだか分かりません。
こういう版画の連作。これは、1ドル札みたいなので撮りました。
ポイズンとあるので、反町かと思いましたが、エイプリルフールだそうで。そういう絵の一部分。あちらに洋行した邦人画家サンの絵だそうです。
2019年にも戦争画コーナーあったんですが、だいぶ内容変わってました。戦争画って、たくさんあるんですね。
山口蓬春「香港島最後の総攻撃図」1942年(部分)
「総攻撃」の英文、"Final All-attack"がイカス、とか思ってしまってすみません。
小堀安雄「イサベル島沖海戦」1943年 Naval Battle off Santa Isabel Island(部分)
2019年にも見てるはずで、当初の赫赫たる戦果時代の英空軍相手かなくらいで、深く考えてませんでしたが、まあそんな海戦名知らなかったので、帰宅後検索すると、ガダルカナルでした。大本営発表は発表ですが、なんしかうまくいったのでよかったよかった作戦みたいです。
吉岡堅二「カリジャティ西方の爆撃」1942年
Bombing at the West Area of Karijati Airfield, Java
部分。赤十字ガー。ウクライナじゃないです。これも2019年にもあったかな。
この下から戦後。
間所紗織「女(B)」1955年 ガングロを予見していたわけではないと思います。日焼けしすぎるとしわがよるということを言いたいわけでもないと思います。
馬場檮男「ゲーム コンバット1」1971年 Arcade Game-Combat 1 もうひとつ、アーケードゲーム機の絵があって、それが、ロメロの映画「ゾンビ」でロジャーが遊ぶ、レーシングマシンのゲームです。ゾンビが1978年ですから、だいぶ前からこういうゲームがあったんだと思いました。
岡本信治郎「制服のスフィンクス・スタインベルクの肖像」1969年
学ランやセーラー服を購入する(特に前者)が多いことは、21世紀のインバウンドでも証明されたと思うので、特になんも。コスプレをきどったのに、エーブイみたい、と言われることも。「アブナーイ」
週刊アンポ全冊表紙展示。これは10号(1970年3月23日)片山健|Katayama Ken
ものしらずの私が知っているのは、横尾と赤瀬川と長新太と佐々木マキですが、どれもそれほど…でした。特に佐藤栄作の似顔絵(横尾忠則作だったかな?)はイマイチ。日本は平和だった。
これは踊り場の展示。説明は下記です。
なんのことやらさっぱり分かりません。考えるな、感じるんだ、ばっかし。(私が)ばかなのかなあ。そうなんだろうなあ。
アンリ・ミショー Henri Michaux 墨 Indian Ink Painting 1961年
ヒルコみたいだったので、なんとなく。
立体作品は、順次、人形シリーズとして挙げます。高村光太郎の手は撮ってません。
以上