銚子編
昨日は、ラジオ体操しました。平熱。
円相場が1990年8月の水準まで逆戻りということで、要するにサダム・フセインがクウェートに侵攻した時点まで時計の針が戻るのかと(戻りません。私の年齢も戻らない)
今日は降らないはずが、よく降っています。
ガッテンの後継番組? のMCがまだ石原さとみで、驚いています。出産育児初司会業。よる六時のNHKの首都犬くんニュースで、以前七時の全国版ニュースのアナウンサーだった、肩岸みたいな人を見るようになりました。
ウクライナにしてみれば、もうあれだけ瓦礫の山にされているのだから、今さら核攻撃追加されてもたいして変わらん、やるべきことをやり返すだけ。その気持ちは寸毫も揺らがないだろう、との勝手に代弁者なコメントを読みました。その気持ちにどれだけ欧米が伴走出来るかがカギだそうで、まあそうかもしれません。
ファミマにあった、井村屋の焼芋アイスモナカはなぜ再入荷されないのでしょうか。円安による原材料高騰の影響でしょうか。ウクライナへのロシア侵攻で、ウクライナからサツマイモが輸入されなくなったのでしょうか。
入力言語をハングルに切り替えた際、使ってたソフトキーボードが出なくなり、IMEパッドでじかに書かなくてはならなくなりました。ハングルの配列とか覚えられないデスヨ。日本語のかな入力だって覚えてないのに。日本語はローマ字入力、中文もピンインベタ打ちで入力してます。(だからめんどくさいと繁体字のほうがいい時も簡体字のまま。繁体字のばやい、日本語で打って旧漢字にしてるのですが、それだと中国語を打ってる感じがせず、気が乗らないことおびただしい)アルファベットのキーボードで日英漢三言語そのままやれるのですが、ハングルを筆頭に、独自文字の場合、文字の配列を覚えんければならないので、なやましいです。PCのキーボードでなくスマホで指打ちする流儀が、言語を越えて世界を席捲したのは、ダテじゃない。そのほうが覚える手間が減ってラクだから(たぶん)今はなきパキスタン料理店のインテリおばさんが、ウルドゥー入力に際して、スマホなら打てるがキーボードは㍉、と言っていたのをたびたび思い出します。
上の記事を読んで、そういうスキルを身に付けられる生育環境、家庭環境の有無も関係してくるみたいな箇所に、なんか引っかかりを感じて、ブルデュー的な文化資本の抽象概念で話を終わらしていいものだろうか、と少し考え、階層でそういう文化の有無が発生したと考えなくてもよくて、近代によってその継承が断絶される例が生じた、と考えてもいいかなと思いました。私たちは「カギっ子」世代というものがもう親になって孫もいるような時代に生きているわけで、そこも考えたいと。両親共稼ぎですれ違いだと、親はちゃんと食事の支度とか、調理とかが出来ても、その作業時間を子どもと共有していないので、子どもに受け継がれにくいということもあるんじゃいかと。特に、子どもだけだと、ボヤ起こされたらかなんので、火の扱いを禁止されている家もあったと思います。そうした場合、見よう見まねでおかずを自作する場合も、火の通ってないおかずしか作れない。中居正広の水ごはんのエピソード(ごはんに水をかけて食べる、夏のさっぱりメニュー)を聞いた時思い出したのが、カピカピのごはんはあるがふりかけひとつない状況。
水
ガドガド
バクソ
この店は、ローストダックやティラピア、ナマズの揚げたのもあるのですが、おなかに入りそうもないかったので、ガドガドとバクソを頼みました。
全景。
調味料。
サンバル。
バクソにサンバルを載せたところ。バークソ、バクソ。バークソ、バクソ。バークソバクソで高収入。
厚揚げに肉が挟まっていたのでパチリ。こんな小細工があるとは、猪口才な。
ねむいです。寝るか寝ないか。
今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。