コーヒーニューニュービエンビエンと文藝春秋11月特別号『「親中日本人」の言い分を聞いてみた』

人形シリーズ さがみ野編 布袋さんのマスクももうすぐおしまい。

たぶんこれで十年間継続して日記を書いたと言えると思います。一年三六五日掛けること十年で三千六百五十日。プラス十年間の閏年が最大三回として三日。計三千六百五十三日。このタイミングでまた旅行に行ったので、ほかの方のブログにいきまくろうかとも思いましたが、その暇がなかった。ほとんどなんもせず、とんぼがえり。あともう一泊したかったなあ。旅行割は、県民割の時代に予約して、特にそういうチェック項目もなかったので、ないです。宿はいっぱいでしたが、平日はどうなのかな。また旅行に行きたいと思えど、割引の仕方が分からないので、ほかの人がみんな割引していて、自分だけ実費になると思うと、かなしいです。混むし。

旅行に行ったのでラジオ体操しませんでした。平熱。

麦茶。

唐辛子入れのヒョウタンの口に突っ込む棒が長いです。この方がフタを取りやすいとは思います。

たまごとじそば。海苔やさやえんどうが見えます。

薬味を振ったところ。十一時の開店直後に、もうテーブルが四つ埋まりました。みんなソバ好きですね。

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はてブにも追記しましたが、最近は活字不況なので打開策としてコンビニにも文藝春秋が置いてあって、そうすると今回のように気になる記事があった場合、図書館まで行かなくても立ち読み出来てしまうのでらくちんです。この記事だけ読みましたが、赵萍サンですか、奥さんといっしょのインタビューの受けで、「もし習近平政権が崩壊したらどうしますか」みたいな質問に、考えたこともない、という、"没想到" の直訳で逃げてたのがご愛敬だったです。尖閣諸島問題が盛り上がってた頃に、『中国嫁日記』のゲツと、ジンサンと読んでそれはただ《井上》を遼寧省っぽく北京語で読んだだけだよ、のまんがかに、夫婦ではどういう話になってますか、と振ったひとがいて、二人とも異口同音に「夫婦でそんな話するわけナイデショ!」だったのを思い出します。政治とプロ野球の話は営業ではしてはいけない、相手がアンチだったり対立政党のひいきだったりすると場が凍るから、というのは、国際結婚の夫婦の対話も同じ。倉科遼という漫画原作者も配偶者が中国人ですが、一般人ということで、一切おもてに出てなかったはず。

中国人の奥さんがいて、それで奥さんも体制批判というと、やはりおもてには出てないですが、近藤大介という人がそうだったかと。私はコロナカの初期にこの人が書いたルポを読むまでこの人をちゃんと知らなくて、そしてそのルポの出来栄えにうなったです。①武漢の例の研究所の所長がコネ所長で細菌研究の基本に疎くて、②中国のほかのP3とかの研究所でも、廃棄すべき実験動物の死骸をゲテモノ市場に横流しする事案が発生していた、の二点から、コネ所長の下で実験動物のゲテモノ市場への横流しがあって、そこからコロナが漏れたと考えると非常に状況証拠としてそろいすぎ、こわいくらい、というルポでした。このルポには続報があって、战狼2の女性研究者のデルモとなったという、小学生の男の子を持つケミママ軍人率いる人民解放軍精鋭がくだんの研究所に乗り込んでそこの管理職から実権をはく奪、機関組織を掌握してすべてを自軍の統制下に置き、コネ所長らをお飾りのオモチャにしたという展開でした。日ごろのコンドーサンのエッセーからすると、内部情報があまりに切れ味が良すぎるので、あいだに香港などをはさんで、内助の功があったのではないかと考えなくもないです。この説だと全てが説明出来てピッタンコなので(なぜ初期の初期に海鮮市場を封鎖して消毒しまくったのか、など)私は全面的にこの説の信奉者です。

そのコンドーさんが最近どんな記事を書いてるのか検索したら、内助の功とはあまり関係ない、池袋の中華料理店紹介シリーズでした。

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むかし、広州郊外の、出稼ぎ工員で賑わう衛星都市、东莞に行ったとき、夜になると屋台が沢山出るのですが、工員たちはそれをウィンドーショッピングするばかりで、ろくに食べたりせず、そんなに始末なのかと最初は思いましたが、どうやらそうではなく、先の見えない農民工生活からの一発逆転脱出を狙うおっちょこちょいに、什器一式つけて開業をお膳立てして、なけなしの貯蓄を奪い、素人が屋台出しても誰も食べないので当然のごとく数ヶ月で借金だけふくらんで廃業、するとその什器をまた新たなカモに貸し付ける、みたいなルーティーンの、出稼ぎをカモにするビジネスがあって、本人に貯蓄がなくても頼母子講に頼る場合もありますし、それで見かけ上は屋台が多いけれど、うまくもないので誰も行かない、という状態だったです。横浜の中華街でも、組合などが目を光らせて、そういう短期間に居抜きで開業廃業を繰り返す場所が出ないよう見張ってはいるのでしょうが、まあ管理なんかしきれないので、一本横に入ると、ほかとかわりばえのしない業食メニューを強引な客引きで売ってるだけの店が、ややもするとあったりします。私はそういうのを見たくないので、中華街を目的もなくブラついたりしませんし、池袋も川口もそういったリスクはそりゃあるだろうなと思ってます。素人が甘い考えでやってる店。

牛鞭が珍しいかどうかは分かりませんが、オナクラクンが食べたいかどうか今度聞いてみます。彼が興味があれば池袋のこの店で頼んでみてもいいかも。

文藝春秋は、ほかにあと、なんだろうあやしげのエクストラワイフでもある『世界屠畜紀行』の作者のエッセーも載ってたのですが読まなかった、と書いてから、それはやはりコンビニの棚にあったビッグコミックスペリオールだったことを思い出しました。すぎむらしんいちの読み切り第二作載ってないかチェックして、平本アキラ作画のマンガが載ってたので、よく二本も描く余裕があるなと思ったはず。

話を戻すと、はてブにも追記したのですが、安田峰俊サンの記事は、竹内結子、否竹内亮という人はデコイで、このルポの本題は、富坂聰サンの変質、転向の裏側の理由を、本人は言わないだろうが行間を読んで当てよう、だったと思います。2014年くらいから、消息筋からの情報という言い方をほとんどしなくなったのは、消息筋が誰なのか、知人がローラー作戦で取り調べられるので、もうその言い方が出来なくなった、という箇所がミソで、じゃあもう、西安事件以後の蒋介石のように何か弱みを握られたとか、誰か人質にとられているようなものかで(一朝ことあればしょっぴくゾとかおどかされてる)中国に対し、良薬口に苦しの苦言を呈することが出来なくなったのだろうなと。

富坂聰サンが中国における民主主義を否定したのは、実はたぶん中国学とかやってる人のあいだではよくそういう考えが頭をもたげる、中国はしょせん皇帝独裁の国、の表面化のひとつにすぎないとも思えます。

私も竹内亮センセイの動画は南京と武漢とふたつ見ましたが、南京のは、南京ではこうですと言うべき個所を「中国ではこうです」と拡大解釈で言い切ってるところ、武漢のは、冒頭の航空撮影で建屋の屋上で野菜を栽培してるのが、配給不足に対する老百姓の回答なんだろうけど、それはナレーションつけて言っちゃいけないんだろうな、が気になるところでした。

遠藤誉センセイのニュースのはてブにも書きましたが、前門の中国後門のつるこ教といった趣が現状で、熱心に中国を糾弾してると思ったら、その人は法輪功でなくつるこ教だった、が多いかと。そのつるこ教は北朝鮮とズブズブで、北朝鮮は中国とズブズブなのだから、いつオセロのようにつるこ教が一斉に切り替わって、背面からも襲われる可能性も、そりゃあるよねと思います。どうもその辺、日本の政治家サンは、二世三世なせいか、甘い気瓦斯。政治家の素養はあるんでしょうが、接待マージャンや接待ゴルフで勝たせてもらってばかりで、ガチの勝負をしていないと、潮目を読む力、戦略眼が弱体化するとは思います。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。