『横浜駅SF』"YOKOHAMA STATION FABLE" by YUBA ISUKARI(カドカワBOOKS)読了

口絵・本文イラスト 田中達之 装丁 AFTERGLOW

初版は平成28年12月24日刊。読んだのは平成29年1月20日の再版。

柞刈湯葉 - Wikipedia

都留泰作『竜女戦記』⑤の帯(右)にこの人の名前があって、知らない人でしたので、まず一冊読みました。これがデビュー作だそうで、第一回「」カクヨムWeb小説コンテストのSF部門大賞受賞作。

あとがきで、第一回受賞作は賞の方向を決める上で重要な意味を持つので、「それでいいのかカドカワ」の想いが強いと書いています。この賞は、書きたい人、投稿したい人のための指針となる賞なのでしょうから、活字不況ど真ん中の食えない業界に飛び込んで、後で編集が恨まれたらかなん、という感じで、ほかにたつきの道があって、しかしそれでも承認欲求が湧き出て湧き出てコマッチャウ、という人たちが土壌として望ましいと想定されます。そうした人たちのコミックマーケット、否ファッションアイコンとして考えると、作者は学術畑との兼業作家で、しかも理系なのでよって立つ基礎知識も盤石なので、まさに一石二鳥、得難い十年にひとりの逸材だったはずです。

しかし作者ウィキペディアを見ると、任期あり研究員で、任期が切れて筆一本で生きていかざるをえなくなったとあり、その道へ撒き餌をした編集者と、その時どういう会話をして、どういう顔をしていたのか、とっても知りたいと思いました。

ten-navi.com

この人がポスドクだったかは知りません。

任期付き職についてのコメント - 国立天文台

https://www.nao.ac.jp/contents/recommend/researcher/20201207-scj.pdf

右は、巻末にある、文庫や新書のそれ的な宣言。

新文芸宣言

 かつて「知」と「美」は特権階級の所有物でした。

 15世紀、グーテンベルクが発明した活版印刷技術は、特権階級から「知」と「美」を解放し、ルネサンス宗教改革を導きました。市民革命や産業革命も、大衆に「知」と「美」が広まらなければ起こりえませんでした。人間は本を読むことにより、自由と平等を獲得していったのです。

 21世紀、インターネット技術により、第二の「知」と「美」の解放が起こりました。一部の選ばれた才能を持つ者だけが文章や絵、映像を発表できる時代は終わり、誰もがネット上で自己表現を出来る時代がやってきました。

 UGC(ユーザージェネレイテッドコンテンツ)の波は、今世界を席巻しています。UGCから生まれた小説は、一般大衆からの批評を取り込みながら内容を充実させて行きます。受け手と送り手の情報の交換によって、UGCは量的な評価を獲得し、爆発的にその数を増やしているのです。

 こうしたUGCから生まれた小説群を、私たちは「新文芸」と名付けました。

 新文芸は、インターネットによる新しい「知」と「美」の形です。

                        2015年10月10日

                          井上伸一郎

二作目が星海社から出るのも、最初からメディアミックスで新川権兵衛という人がマンガ化するのも、うなづけます。

横浜駅SF | 書籍 | カドカワBOOKS

麿赤児不動産はいいとして、私がなかなか感想をかけない劉慈欣短編集の邦訳責任をすべて自分が負うと大見得を切った大森望サンが、椎名誠の『アド・バード』を引き合いに出しているのは、作者のあとがきとも一致します。あとがきによると、弐瓶勉『BLAME!』のパロディ色も初めは強かったとか。私はどちらも未読です。上ではもう一人、藤井太洋という人が「数行おきに投入されるネタに吹き出し続けた」と書いてるのですが、私はカンが錆びついてるのか、それほどネタが分かりませんでした。ネタという点でいうと、あとがきで謝辞の相手がどんどん分かりにくくなっているのですが、特に分からなかったのが「横浜県立大学の遠藤先生」で、横浜は県ではないですし、県立横浜大学というものもありませんので、経歴詐称の詐欺師が作者の身辺にいるのかと、他人事ながら心配になりました。

神奈川県立大学 - Wikipedia

横浜市長横浜市立大学出身。で、なぜ横浜なのかつらつら考えるに、広島にも青森にも横浜という地名はありますが*1、それとは関係なく、下記のマンガなんかでわりとエスエフ畑では好印象だからではないかと推測しました。

まじめに「JR統合知性体」みたいなものが発生するとしたら、どう考えてもマルスシステムの中枢が鎮座する大宮地下数百メートル以外ありえず、さらにまた鉄道員や駅員の存在も、かつてのユニオン組織的なうごめきが今でも温存されて、旅客列車でスポーツ新聞を輸送するなど、何をどう改革みたいな千葉県がまっさきに思いつくはずです。しかしそういうふうに設定してしまうと、えすえふの範疇を越えて重い、諷刺の色が強くなってしまいますし、鉄オタからの容赦ない、重箱の隅をつつくあらさがしにもさらされかねません。横浜にすることで、翔んで埼玉でも竹中直人だし、しょうがないよね、べつにいいじゃんになったのではないでしょうか。

頁148、「偉い人が文句言わなかったのか」がギリギリかなあ。「脚なんて飾りですよ」の元ネタからどこまで遠ざかれるか。私に分かったのはそれくらいでした。

劉慈欣が、グレッグ・イーガン直系の、かつてSFが好きだったけど離れた人がもう一度手に取る系のSF、台湾系のテッド・チャンを経て、日本風を意識したのかしてないのかの「ケン」を使うケン・リウが触媒になって、中国大陸に移植されたSFなのかどうかは私は《三體》讀んでないので分かりませんが、この小説は、日本がガラパゴス的に進化を続けるミニマムSF、マイブーマーSFと、一般大衆との仲立ちが出来そうでもあり、そもそも活字離れが深刻だから焼け石に水、なのかもしれず、今後のご発展を祈念します、ということで終わりたいと思います。全国版も読んでみます。JR九州の元社員のその後が知りたい。以上