『東京煮込み横丁評判記』(中公文庫)読了

吉田類中公新書に著者が登場するので読んだ本です。 

東京煮込み横丁評判記 (中公文庫)

東京煮込み横丁評判記 (中公文庫)

 
東京煮込み横丁評判記

東京煮込み横丁評判記

  • 作者:坂崎重盛
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/12/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 読んだのは上記中公文庫。光文社単行本との間に、光文社知恵の森文庫版もあります。中公文庫には、単行本のあとがきも、知恵の森文庫のあとがきも、中公文庫のあとがきも入っていて、浅生ハルミンという人の、単行本もしくは知恵の森文庫の解説も再録されています。単行本の装幀は森英二郎という人。中公文庫のカバーデザインは中央公論新社デザイン室。写真を撮った人は佐々木孝憲という人。撮ったお店は神楽坂「トキオカ」という店。最初気づきませんでしたが、ワインだかなんだかのラベルが、単行本の表紙でした。ほかにも何か遊びがあるかもしれません。今並行して読んでいる小松左京のお笑いSF短編小説集で、紙が世の中からぜんぶ消えてなくなって、日本酒の壜が、二級なのか一級なのか特級なのか誰も分からなくなるというくだりと、このラベルが重なりました。

東京煮込み横丁評判記 (中公文庫)

東京煮込み横丁評判記 (中公文庫)

 

 以下後報

【後報】

吉田類中公新書『酒は人の上に人を造らず』を讀んだ時点では、作者を知らないと思っていたのですが、本書頁269で(ジ・)アルフィーの甥っ子の人について注記があり、そうするとなんか昔讀んだかなんかする気がすると思い、本日記を検索すると、2015年酒つまオータケ本感想でこの人の名前を出していて、さらに、2013年ケニチ先生著書で、解説がこの人である旨、この人が誰かの説明なしで書いてるので、昔読み漁った酒關係のエッセーで、この人のことも知ってて、その後忘れたんだなと思いました。

本書に倉嶋某という酒絡みの出版關係の女性が出ますが、その人の名前は覚えてました。職場が近い嵐山光三郎は、冒頭で、東京の極上すし店全店踏破企画を彼の名前で立てて、編集者として同伴して、さんざん経費で飲み食いしたと書いてます。要するにそういう人。

頁11

 いやぁ、よく遊んだ。

(中略)ほぼ二〇年間、とくにこの一五年ほどは、それこそ、のたうちまわるように遊んだ。

 海外のあちこちへも行った。行き先は“知識人”や“文化人”が口裏を合わせたように嫌って避ける、各国の観光名所や有名リゾート。そこでダラダラ、ブラブラと時を過ごし、町を歩き、ご当地の酒と食事を楽しんできた。

(中略)

 もちろん感動などするわけがない。

(中略)旅には旅で、その場その場でのお付き合いというものがある。観光名所は、訪ね先のお国や町が「見せたい」というものなのだから、できるかぎり「拝見しましょう!」と応じたいもの。

「観光名所なんかは絶対に行かない!」なんていうことが、旅上手であることの自慢であるとしたら、その稚気は愛すべきものなのかもしれないが私は愛さない。稚気はしょせん稚気である。通を気取った野暮の見本でしかない。

長い前説なのですが、そうやって旅してり、日本でも一流レストランと訊けば勇躍そこを訪問しないのはナマケモノの所行と考えて動いてきたおかげで、

頁13

 戦後の下町育ちで、コッペパンにジャム塗りが上の部のおやつで、ワインといったら蜂ブドー酒、赤玉ポートワインぐらいしか知らなかった人間が、しょせん付け焼き刃であったにせよ、そこここのレストランに通ううちにブルゴーニュ・ワインを造り手の名で選べるところまで成り上がってしまった。

そういう人に最後に残されたのがモツ煮なんだそうで、それで本書はそれを書くことにしたんだとか。だからなのか、おいしいモツ煮を、イタリア臓物料理のトリッパを例にして語ったりします。本書はイニシャルトークと本名が入り交じっていて、頁17のドイツ文学者I・Oさんなどは、後半、ああ、やっぱその人か、「紀」と書いて「ノリ」と讀んでたんで分かりま千円と思う始末でした。話をもどすと、モツ煮は、自腹で飲む「クラス」の人の食べ物で、接待や打ち合わせで経費で落としてホッピーと飲み食いするものではないと、頁57にも明記してます。それを作者は取材費で落として、昨今は「名店」は開店即満員で閉店までそれが続くだけなので、

頁90

(略)ストレートな性格の私など、店員さんに、「今日、すぐに売り切れになってしまうのは何?」なんてミもフタもない質問をして、もちろん、それも注文するからね。先んずれば人を制す。美味いものは知らない人に食べられたくない。自分と自分の仲間の口に入れたい。

東京にいれば「関西人みたいにガメツい」関西にいれば「東京もんは礼儀知らずであきまへんな」要するにそういう人。下記はザギンの大衆店訪問記。

頁107

「どーだ!」とばかり、「ささもと」の味を自慢すると黙々と食べていた隊長、阿部同志に軽く同意を求める口調で、「ささもと」って新宿にもあるよね、と人が脱力するようなことを言う。

 いいよ、いいよ、もう、あんたらとは一緒に取材飲みはしない。私は白ちゃけた気分で、(略)横尾忠則(略)土方巽(略)たしかにこの店には三〇年ほど昔の新宿の香りがする。BGMもJAZZが流れている。

オレガオレガ。

頁79

 ところで煮込みの話はどうした、と言いたい読者もいるかもしれない。

 だから毎回のように言っているでしょうが。

 私は、なにも煮込みマニアではない。ただ、"美味い煮込みが食べられるような”店のある町、横丁が好きなのだ。

『遊歩人』というミニコミみたいな雑誌に21世紀二年ほど連載した記事がベースなので、連載中はそういうこともあったのだろうと。既にSNSもありましたし、インターネットの掲示板がうるさかったころでしたし。

頁111に「コンパ」が、店のジャンルの意味で出ます。総じて若者言葉の軽佻浮薄な流行語が嫌いみたいですが、頁149で「千べろ」を出していて、がっかりしました。千べろは21世紀の造語だと思います。その業界だから、麻痺してるのかなあ。

下記は、読んでみます。作家ごとの原稿用紙をお出しすることで有名な文房具屋から始まる、神楽坂の話が収められているとか。頁122。

武蔵野倶楽部

武蔵野倶楽部

 

 

巻末の吉田類との対談は、東海大学の広報誌的な小雑誌『望星』2015年4月号の再録だそうで、この年に私は同大学病院に、顎関節症でしばらく通いましたが、少し時期がずれてたのか、この記事を読んだ覚えはありません。院内外来受付だか処方箋薬局だかにも置いてあった気がするので、この雑誌。対談でふたりとも、学生運動やなんかの過去の栄光をえらそうに語る奴が嫌いと言ってて、それはそうですが、吉田類の、語らない若き日々の「筋金入りのアナーキスト生活」や、「道楽として木刀を振り回す日々」も面白そうだと思いました。

頁274

吉田 そうですか。僕は、原稿を書くときには必ず映画を見ています。原稿を一本仕上げるのに、映画を五本くらい見ますね。

坂崎 うらやましい。

吉田 映画を見ているくらいがちょうどいいんです。あまり原稿に集中してしまうと、何かがすっと切れちゃって続かないんですよ。アクションからSFまで何でも見るんですけど、マット・デイモンの『ボーン』シリーズが大好きで、あんなのを見ながら書くんですね。だから原稿を書くのに飽きないというか、原稿に集中しすぎて疲れないようにはしています。 

 手塚治虫も目の前につけっぱのポターブルテレビを置いて仕事してましたが、こういう人はよくもまあそれでコンセントレーションが切れないものだなと。

本書は冒頭で「おとこわり」をつけていて、メニュー、価格などは2008年の単行本刊行時のもの、文庫化の加筆は(*)マーク付き、中公文庫収録時に分かった範囲での追加情報は(現在・)として追記してるが、それとて2015年10月の情報ですよん、と書いてます。

頁284

 閉店の理由は、お店の人が高齢となったり亡くなったりして営業が続けられなくなった場合もあるが、多くは再開発という名の、都市の巨大墓石化計画によって、それまでの人肌の 感じられる界隈もろとも、根こそぎ消えてしまったのだ。

 はからずも、この『東京煮込み横丁評判記』は、半面、「煮込み横丁追悼記」の横顔を見せることとなった。

 まあそういうことで。自分で行く時は、事前に精査するか、ギガタップリのスマホ片手に行くべきと思います。以上

(2020/1/7)