閉店した喫茶店(イラスト等多数展示されていたとのこと)の後継とかあればと思って、ほかにじゃらんポイント消化で行く場所もないので小諸に行きましたが、いきなり駅前にこういうものがはためいていて、困惑しました。以下後報
【後報】
昨年、街のそこここにこういうものを設置したとは事前にWebで見ていたのですが、ふたつしか発見出来ませんでした。いや、もう一個、全キャラ勢ぞろいがあったが、図書館と同じだったから、撮らなかったのかな。ぜんぶで何体あって、どことどこにあるのかという情報も見つけられず。ただ、相生町という町の電柱には上の幟がひらひらしてました。こういうイラストだけ見ると、てんとう虫の歌とか、小さな恋の物語と同傾向の作品かと錯覚してしまう。
地元のふるさと遺産に認定されたそうですが、それを契機に看板を設置したりしたのではなく、まずこの人で盛り上げようという機運があり、その成果のひとつがふるさと遺産認定ではないかと思います。右下の男の子にも彼女がいて、メガネっ子と言っていいのか、いつも眼鏡を頭髪にかけている、アゴマスク並みに「それ、意味あるの?」子です。しかし横恋慕した女性がいてそれが上のほうの片目を隠した子で、その子が主人公と同じ頭身で主人公よりワルガキな子とつきあいます。たしか。ちがったかもしれない。
かつての喫茶店はもうポスター等も剥がされてました。右のポスターは、まさに私のようなジジイや、ちくまがわボジョウ的なものに対する、この上ない批評で、とてもよかったです。でも去年のポスターらしく、今年は少女が大人びて図書館やカフェにいる的なポスターでした。なんしかアダルトチルドレンを想い出したので撮らず。昨年の路線を継承してれば面白かったのに、とっちゃん坊やたちから反撥があったのでしょうか。
平日午前中にまちなかをぶらぶらしてると、巨大料亭のあたりのベンチに腰掛けてスマホをいじってるオサーンがひとりいましたが、それくらいかな。最近思うんですが、そういう人はもうオチャケ片手にスマホをいじくらず、エナドリを飲んでいる。
(略)弟のたがみよしひさが代わって、家族の想い出を描いたその短編「欠片の記憶」を描いた。「欠片の記憶」には「小山田いくこと田上勝久も肝硬変で死んだ……」と記されている[8]。
昨年夏。閉業後。外から撮った写真。
水
コーヒー。別のお店で、小山田いくプロジェクトのことなど聞ければと思いましたが、とくにご存じなさげでした。タイ人が多いのは、水商売以外に、農家のヨメや農業実習生がいついたりとかもあるのではと聞きましたが、まあそうかな、的な。あとは信州のはなしをしました。教育県で、茶飲み話の習慣があって(だから新聞を読みに喫茶店に来て、話して帰る人がまだいる)云々。
別の喫茶店でランチ。つきだし二品。もやしやおあげ、きりぼしのおしたしと、青菜のごまみそがけ。
お重で来たのですが、豚丼セット。
豚丼。「紅しょうが載せてもいいですか」とわざわざ聞いてくれました。「のせないで」と言う人がいるんですね。ここでもプロジェクトや、商店街をあげての取り組みなどよく分からず。ここは今の生活になってから最初に小諸に来た時にも食事に来ていて、店内のマンガに小山田いくもたがみよしひさもなかったので、地元はそんなもんかと思ってました。それで油断していて、別の喫茶店がアツかったことに気づかなかった。
それで、観光協会にも行って、いろいろ親切に教わりましたが、核心部分は分からず、割愛します。
私は日曜日に旅行に出かけることが多く、それは日曜日の宿泊料金がいちばん安いから(バカンスはにっちょびに帰宅ですし、サンデー出張はまずない)ですが、それだと翌日の月曜日は博物館美術館がだいたい休館なので、何も見れずに歸えることが多いのですが、今回は珍しく、木曜休館の図書館でしたので、立ち寄れました。といっても、地元の厚木市立図書館も月曜開いてるので、そんなめちゃくちゃ珍しいわけでもないのですが…
ドカンと開架式DVD貸出コーナー。真ん中の白が光ります。この人もプロフェッショナル、仕事の流儀に出てたのか。
自動貸し出し手続き機はあちこちの図書館で始めてますが、予約本の手続きまで利用者扱いに委ねてるのはめずらしいと思いました。ここはNPO法人が運営してるそうで、独創的なアイデアも多いのですが、なにぶん人件費が裂けないようで、カウンターも最少人数で回してました。ので、何か質問というか会話出来るような余裕はなさげでした。楽しいけれど、たいへんそう。
で、予約本をこうやって置いとくと、ほかの客が勝手に借りてかないかと思うのですが、そこのプロテクトをどうやってやってるのか、ちょっと知りたいと思いました。ガードかけてて、予約者以外が貸出手続きしようとしても、ブッブー! にならないと、ダメだと思います。あと、何十人もリクエストしてるようなベストセラーが棚に並んだままで次の人がなかなか取りに来ないと、「来ないじゃないこっちに回してよ」と館員に毒づく人が必ず出そう。
小山田いくコーナーと木村熊二コーナーが混在してるのはよかったです。
左のタテ看はどこぞのお店でも見たかもしれません。右で初めて、こんな顔なのかと確認。肝硬変でなくなるようには見えないのですが、その後人相も変わったのかなあ… 右のボードの左上に、若い頃の執筆姿の写真がありますが、それとは別に信濃毎日新聞の記事の写真もあって、以前はその記事のボードも置いていたようです。グーグルマップにその写真がありました。
私は別にこの人のファンでもなんでもなくて、かつての友人で、背後霊がどうとか言っていた人が、音信不通になる前、『すくらっぷ・ブック』を教えてくれて、非常に面白かっただけなのですが、知人自身も、登場人物たちがあまりに安直にホレタハレタをするので、辟易したようで、そんなすぐ厨房が恋愛したり告ったりするわけねーだろ、という感じでした。で、性交渉やペッティングはなしで、あっても困るのですが、なし。帰り道ふたりでイチャイチャ帰るくらい。この後チャンピオンに硬派旋風が吹き荒れるのも分かる気がするというか。
で、『すくらっぷ・ブック』のそのおかしな傾向は、実弟たがみよしひさ『軽井沢シンドローム』の最初の最初に痛烈に批判されており、みんなそう思ってるんだなあと当時は思いました。友人が、たがみよしひさが実弟であることを知っていたのは今でもナゾですが、ふつうに知れ渡っていたことなのかもしれません。
図書館にたがみよしひさコーナーはなし。軽井沢シンドロームも、一巻、もしくは二、三巻を読んだくらいで、あとは読んでません。初回でいきなり暴走族の総長を引退するという壮大なハッタリで始まるわりに、スケコマシの本領を発揮する以外、よく分からない展開だったので。軽井沢という特殊な地域事情(浅間山麓の開拓地だったりカツカツの農民だったりの地元民と、別荘地セレブのポルカ)の「空気」はあったのですが、解析や考察はなかったかと。
で、私は秋田書店における長野県ご当地学生ものの系譜が、『京四郎』に受け継がれたと思っていて、口を省略した絵など、「オレ流」の系譜でもあると勝手に思っていたのですが、今『京四郎』作者の樋田和彦サンウィキペディアを見ると、出身は上田で(佐久ではなかった)浦安鉄筋家族のチーフアシだった人なので、ちがったです。田上兄弟の系譜ではないかった。
樋田和彦「京四郎」23年ぶりに連載再開!京四郎と緑川の過去描く「少年ヤクザ編」(コメントあり) - コミックナタリー
話を戻すと、『すくらっぷ・ブック』連載時の新聞切り抜きをグーグルマップで見ると、見出しで、月に百通ファンレターが来るとあり、連載中そりゃそういうこともある罠で失恋話もあったので、そうなると一部の読者はもうどうしようもなく「かわいそう」とか「誰と誰をくっつけてあげて」とか要請してくるので、それで連載があんな、恋愛お花畑になったのではないかと推測しました。読者サンビスしすぎた。
棚の図書。一冊書名が分からず。著作のうち、蔵書のあるものないもののリストも上にあり、よく見てないのですが、たぶん、オカルトホラーものや、図書館ではどうかと思われる性描写のあるものが欠本と思われます。あとは、痛んで替えの効かなくなったものもあるかと。
偲ぶ会の同人も所蔵されているのですが、ぱらぱらめくった範囲では、私の知っているファンの寄せ書き本(諸星大二郎のしか知りませんが)と同じでした。
二次創作が幾つか、実話エッセーも、誰が誰かよく分からない書き方だったり、内輪の話なので分かりづらかったり、そして、自己流にアレンジした人物像と、手書きで溢れる思いを元気よく綴った1P寄稿。だいたい世の中こんなものかと。
諸星大二郎の場合、諏訪で孤独死した人が、マッドメンのお下劣パロディを描いていて、著者から、「どうしてこんなものを描くのか分からない(そしてそれをなぜファンサークルの会報掲載というかたちで自分に見せるのか)」と苦言を呈されたこともあったのですが、小山田いく本の場合、偲ぶ会ですので、故人の作品を愚弄するような二次創作があるはずもなく。
私としては、あたりさわりのないエピソードでなく、どこまで書くか、ギリギリで勝負したような回想録や、小谷野敦が降りて来たのではないかと思われるような容赦ないクリティークが読みたいのですが、まあそんなことをしてもと。『マリオネット師』やみやたけしが描いていた頃のチャンピオンは、ともすればルーティンのおざなりな連載が目立っていて、それでいいのかだったようにも思います。『マリオネット師』は私から見ると、背景処理なども気が抜けた感じのルーティンなマンネリ手抜き処理で、画風自体も弟のタッチに似せてると思いました。のー先生の『GET!フジ丸』か『オレンジ』と同時期の連載だったから覚えてたのかな。それとも、かぶってはいなかったかな。
で、まあ、それで終わればそれはそれなのですが、街を歩いていて、タイ料理店がやけに目についたので、そういうのは出て来なかったなと改めて。後の作品読んでませんが、出て来なかったのではないかと思います。
以下、小諸のタイ料理店群(すべてではありません)(前夜撮影含む)
ここで買ったピリ辛ふりかけがおいしかったので、また買いたいのですが、名前聞いてません。神奈川のタイ食材屋にもあればいいのですが。
三つ単語があるうちの、ひとつしかグーグルレンズが反応しませんでした。ふたつは後で教えてくれそうなタイ人探して聞きます。おそらく廃業済。
→20231116後報。仕立屋、オートクチュールのブティック、洋裁店、てな単語だとか。
左の看板のタイ文字はグーグルレンズ反応せず。おそらく廃業済。
右の店はタイ語表記なし。
タイ語部分が読み取れず。下記なのですが、下記もグーグルレンズ反応せず。
2号店が農協のほうにあるそうで、そっちは写真撮れず。
一軒だけあるベトナム料理店。
前のテナント、書店の看板がそのまま残ってるのがなんとも。
で、この街に、インド料理店は現状ありません。それがすごく印象的。上田にも菅平にも佐久中込にも軽井沢にもインド料理店(おそらく回教徒)があるのに、小諸だけエアポケットのように仏教だけ。インドネシア料理店もない。上田にもそれなりにタイ料理店があるのですが、小諸はまさに長野タイ料理勢力圏の真田丸。
この店も、帰国再来日未定の貼紙。それから、TSURUYA東小諸店のほうにも、かなり大規模な店舗廃業跡がありました。ほかにもあるんでしょう。邦人とタイ人はセパレート、モザイクでほぼ交流なさげなので(色街除く)地元民に詳細聞いても分からない気瓦斯。
以上、小諸のタイ料理店群(すべてではありません)(前夜撮影含む)
で、ある小諸の人が、「実は小諸はピンクで有名な街だったんです」と意外なことを言い出して、それだからタイ人ガーと云いたかったらしいのですが、私としては、農業実習生でタイ人を受け入れてた時代も日本は長かったし、嫁不足の農家がタイ人嫁を貰ってた時代もあったのではないかと思うので、色街理由一択で小諸のタイ人を説明したくはないです。タイスーパーに買い物に來るのはたいがい中年以上のタイ人女性で、みな軽などの車を運転してくるので、今さら水商売の出稼ぎのコでもなく、農家の嫁などで自家用車の運転を任されてる人たちではないかなあと思ったのもあります。上田のスーパーでは、その息子や嫁の世代(ダブル多数と思われ)が、親のためにアルベルを運転してテイクアウトを買いに来ていた。
いちおう、その人に敬意を表して、すくらっぷ・ブックがああなったのは、①一部読者がクドかった(小さな恋のものがたりのあとがきでも、スミレの彼女に対しやったら自己中な結末を要求する手紙が来てたとありましたし、一部の読者とはそういうもので、それに負けるとサイレントマジョリティーの読者層は離れていく。だからみつはしちかこは飲まなかった。ご都合主義的な玉虫色の結末を作品に与えることは作者として矜持が許さない)以外に、②色街説 ③宗教説(詳細知らず)をあげておきます。
あんな厨房が入り浸る喫茶店もないわけですが、山の話や、高専に進学するという展開は、長野ならではと思います。神奈川にも高専はあるらしいですが(ロボコンまで知りませんでした)高専に進学するか彼女と同じ高校でいちゃつくかの二択で悩む人物など、聞いたこともないかった。
観光協会 生前小山田サンが寄稿したイラスト。
コミュニティバスのバス停。たぶんこれも著者が生前描いたイラストではないかと。今さら再読もと思ったので図書館でもマンガは開きませんでしたが、タイ人が出て来る話があるなら読みたいです。でも期待を裏切る出来だったら、なあ、という。以上
(2023/10/21まで)