『この世にたやすい仕事はない』*1*2を読んで、面白かったのでほかのも読もうと思って読みました。
装画 横山裕一 装幀 新潮社装幀室 読んだのは2012年のハードカバー。文庫本と同じ表紙です。あまりに素晴らしかったからか。グーグル翻訳の英題は"I'm going home anyway. "で、切迫さがあまり感じられなかったので、中文で"我无论如何也得要回家。"と打ち込んでそれをグーグル翻訳しました。
病院からするとせん妄の一種だったのかもしれませんが、夜中に突然起き上がって家に帰ろうとした故人をチューブやマスクを外さぬよう押しとどめながら、なぜこんな急激に悪化してるのか、誰にも説明出来ないのだから、本人はもっと分からないよなあ、これだけおとなしく言うことを聞いてるんだから、いい加減家に帰してもらえるくらい回復してるはずではないかとしびれをきらしてもおかしくないなあ、と、悲しくなりました。病院の治療もベストを尽くしているので誰のせいでもない。そんな、本来は『病院で死ぬということ』でも読まなければいけない状況で本書を読んだので、まるで見当違いの、あらぬ方向に思考を駆られながら読み続けました。
病室で深夜、おとなしく寝ているはずの患者の挙動がふと視界に入ると声をかける、それまでの時間本を読んだりうつらうつらしたりしていると、まるで原田ひ香『ランチ酒』*3の主人公の仕事のようだと思ってみたり、ぜんぜんちがうよと自分で自分をたしなめてみたり。延命治療はしないと最初から医師に明言していましたので、気道挿入でえんえん時が経つあれだけは避けることが出来ましたが、しかし早かった。今朝、NHK第一で七時半前くらいに、アリスの「冬の稲妻」がかかっていて、故人は別に稲妻ではありませんでしたが、病の悪化のスピードは、まさに稲妻のような早さでした。猛暑ほかで抵抗力が落ちていたからかもしれないと、頭では納得しますが、縁切り榎で何を祈ったわけでもないのに、とか、人はこういう時何にこじつけるか分からないものだと改めて再認識。
『職場の作法』"My Workplace's Common Rules."「日本経済新聞社」電子版2010年10月4日から23日まで連載
毎日連載とすると、19日しか連載されなかった新聞小説。なぜそんな短命だったのか、分かりませんでした。作者がネタ切れでギブアップしたんでしょうか。
ある女性事務職の秘密ノートの中身。誰か社員とやりとりするたび、ノートを見て対応を変えているので、彼女だけのシークレット社員評価一覧でもあるのかと勘ぐる同僚。
②『ハラスメント、ネグレクト』"Harassments, Neglects."
ある社員が、ルッキズム的に有名な「美人すぎる地方自治体政治家」の縁戚であったため、執拗に絡まれる話。絡む役職付きは逆に周囲から敬遠され、孤立するのですが、そして。
③『ブラックホール』"Blackhole"
悪気なく文房具を借りパク(他の人が彼の文具を借りる時も彼に断らない)する社員の話。
頁41
(略)十二年前のノートの最後のページに、「会長、先月産まれたギジェルミーナを娘として認知」という記述があって刮目する。どういうことだ会長、ギジェルミーナて誰だ。娘として認知っておい。愛人か。それも外人か。どこの人だ。もしやアニータ・アルバラード的なことか。(略)
Anita Alvarado - Wikipedia, la enciclopedia libre
2001年の事件を2010年になんの注釈もなく書いて、みなピンときたらすごいと思いました。作者は本当に南米に強いんですね。ふつうは「チリ人妻アニータ」というふうに記号化しないとピンとこない。
④『小規模なパンデミック』"A Small Pandemic. "
職場でインフルエンザが流行する話。社会人に学級閉鎖はない、という当たり前を発見。
頁46
帰りにドラッグストアに寄ると、マスクが売り切れていた。店員に尋ねると、連日午後三時までにはなくなってしまうという。それじゃ会社勤めしている一人暮らしの人間はどうするんだよ、と憤りながら
別に長時間行列して買うわけでもないので、普通の仕事ちゅうサクッと抜け出して買いに行けばいいのでは、と思いました。工場のラインとかだと無理でしょうが… コロナカを予見した描写で、コロナカのマスク行列といえば、マツキヨのイメージが私にはあります。
『バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ』"Juan Carlos Molina in Bariloche"「新潮」2011年1月号
"in"でいいのか分かりません。その程度の英語力の私。グーグル翻訳はやさしいので、"Bariloche's Juan Carlos Molina"も"Juan Carlos Molina of Bariloche"も「バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ」と訳した上で、原文について、「スペイン語ではありませんか?」と聞いてきます。
『職場の作法』のキャラを使って、もう一篇書いてみた、という作品。この後もあるのかどうかは知りません。相変わらず南米愛が炸裂してました。南米はスペイン語圏だがイタリア系が多いのは『母を訪ねて三千里』のマルコを見れば分かるとおり。マルコはイタリア人なのにごくふつうにラテンアメリカのスペイン語話者たちと会話が出来てゴイスー。しかしよく考えると、ナポリ等、イタリアの南半分はガリバルディだか誰だかがイタリアを統一するまでスペインの統治下にあったから、もともとの言語の近親性以上に、話が出来て当然なのだ。みたいな蘊蓄は出ません。のびた、否メガネ野郎のスペイン語が"las gafas"であるという豆知識は出ます。
『とにかくうちに帰ります』"Whatever I have to go home. "「新潮」2009年3月号
ディザスターもの。台風直撃でインフラが止まった中を、あやふやな情報を信じて途中までとほで帰宅しようとし、間断なく更新される交通情報に翻弄される勤め人や学童(私立校でなく塾からの帰り)を描く。
途中まで読んでから初出を見て、この話が3.11以前に書かれたことを確認しました。まさか掲載の二年後に、大地震で交通インフラ全停止、しかし託児所から自子をピックアップせんければならんなど、理由ある人々が三々五々、多摩川や荒川や隅田川の橋を渡って、スピルバーグの宇宙戦争のように行列をなして徒歩帰宅を敢行するとは想像も出来なかったでしょう。帰宅難民ウォーキングデッド。
登場人物は一名以外カタカナで書かれます。姓がカタカナで名前が漢字おkルール化と思いきや、「ミツグ」というオウンネームもカタカナなので、ルールが分からなくなりました。ひょっとして、「ミツグ」は苗字でしょうか。
頁130、「営業車らしき黄色いナンバープレート」とありますが、黄色いナンバープレートは軽自動車、営業車の軽自動車以外が緑色のナンバープレートのはずです。軽自動車の営業用は黒。
頁152、「セイロンのウバ」という注釈なしの単語があり、「パラグアイのテレレ」みたいなものかと思いましたが、紅茶の産地でした。
セイロン(スリランカ)を代表する高山の茶産地ウバ。インド・ダージリン、中国・祁門(キームン)と並ぶ、世界三大銘茶の一つとしても有名です。
ひとはそこまでしてうちに帰るのか、という話ですが、生身で帰ってこそです。魂だけが帰っても、せんない。以上
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一ヶ所間違っています。たぶんウィキリークスと混同した。
(2023/11/11)