図書館蔵書を「ラマダン」で検索して出てきた本。サンプラザ中野(現・サンプラザ中野くん / 63歳)が『半日ラマダン』というエッセイを書いているので、それで出ました。2002年に発表されたエッセーから日本エッセイスト・クラブが精選した66編をまとめた本。単行本は2003年7月文春刊。2006年文庫化。文春文庫なのですが、カバーが安野光雅なので、ちくま文庫のような印象を人に与えます。
うらやましい人 (文春文庫. ベスト・エッセイ集 ; 2003年版) | NDLサーチ | 国立国会図書館
「うらやましい人」といえば「あこがれられたい」
橋本高知県知事(当時)が神木隆之介否牧野富太郎サンのことをそう書いてるのですが、長野智子サンのご先祖のほうがうらやましかったです。幕末遣米使節団のひとりで英語ぺらぺら、性格は軽佻浮薄でアメリカの行く先々で熱狂的に歓迎されたが、国恥と思われたのか正史からはかなり抹殺されたチョンマゲの人物だったとか。
第一部 うらやましい人
『視覚障害者との一期一会』安原みどり(主婦)「わいふ」12月号
『大統領と戯れ絵』山藤章二(イラストレーター)「文藝春秋」5月号
『三十人の「きせきの人」たち』矢吹清人(医師)「時代」35号3/10刊
『突然消えてゆく』坪内祐三(評論家)「文藝春秋」6月号
『一〇人の女性ノーベル賞受賞者』小川眞理子(三重大学教授)「學鐙」3月号
『コンビニの繰り言』池永陽(作家)「青春と読書」7月号
『無常ということ』平野啓一郎(作家)「新潮」1月号
『「平安の気象予報士」が見た空の色』石井和子(フリーアナウンサー)「東京新聞」12/19夕刊
『仏具店の燕』吉岡紋(「九州文学」同人)「話の小骨」11/20
『草津の重藍房』加賀乙彦(作家)「文藝春秋」10月号
『韓くにへ』黛まどか(俳人)「文藝春秋」9月号
『「点と線」が生んだ金メダル』長田渚左(ノンフィクション作家)「文藝春秋」12月号
『和讃から『女人高野』へ』五木寛之(作家)「オール讀物」11月号
『産褥棟』小池昌代(詩人)「新潮」2月号
『役を勤める』松本幸四郎(歌舞伎役者)「文藝春秋」11月号
『うらやましい人』橋本大二郎 (高知県知事)「文藝春秋」12月臨時増刊号
第二部 イカの足三本
『水に敬礼』井上ひさし(作家)「オール讀物」2月号
『仁慈の心 保科正之と松江豊寿』中村彰彦(作家)「文藝春秋」12月臨時増刊号
『ジャーナリズムから見た科学・技術と社会』高橋真理子(朝日新聞論説委員)「學鐙」3月号
『私、サンタクロースです。』パラダイス山元(ミュージシャン)「銀座百点」12月号
『トミーという名のひいおじいさま』長野智子(キャスター)「文藝春秋」3月号
『天文台と地域振興』尾久土正巳(みさと天文台長)「學鐙」7月号
『二十四歳の遍路』月岡祐紀子(三味線奏者)「文藝春秋」10月号
『羊群声あり』篠田増雄(歯科医師)「医家芸術」1月号
『嫁姑は、いつの世も戦国時代』諸田玲子(作家)「婦人公論」2001年12月22日・2002年1月7日合併号
『父の「幸福の限界」』竹内希衣子(フリーライター、作家・石川達三氏長女)「文藝春秋」4月臨時増刊号
『別世界より』穂村弘(歌人)「文藝春秋」8月号
『高円宮さまと「週刊朝日」』川村二郎(「週刊朝日」元編集長)「週刊朝日」12/6号
『薬屋の女房』田所勝美(自営業)「随筆春秋」第17号
『澤田美喜氏と「戦争の落し子」たち』埴原和郎(東京大学名誉教授)「文藝春秋」12月臨時増刊号
『拝啓・初代・水谷八重子さま』水谷八重子(女優)「暮らしの手帖」2-3月号
『水のありがたみ』橋本龍太郎(衆議院議員・元首相)「銀座百点」10月号
『イカの足三本』十勝花子(タレント)「東京文芸」第19号7月刊
第三部 半日ラマダン
『ゴンタ』田辺聖子(作家)「オール讀物」12月号
『名医の中の名医』浅田孝彦(テレビ朝日社友)「凩の声」第47号6/29刊
『いやー、役に立つものです』鹿島茂(フランス文学者)「本の話」11月号
『卑怯を憎む父・新田次郎と武士道精神』藤原正彦(お茶の水大学教授)「文藝春秋」4月臨時増刊号
『モノのあり方』中島誠之助(古美術鑑定家)中日劇場・中村玉緒特別公演「夢の淡雪」カタログ9月
『言葉のこと、さまざま』平岩弓枝(作家)「文藝春秋」3月号
『奇妙な男、石原莞爾』南篠範夫(作家)「文藝春秋」12月臨時増刊号
『なかじきり』池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)「新潮」7月号
『本の山から『発禁本』』城山三郎(作家)「小説新潮」1月号
『洋書店文化の黄昏』奥本大三郎(仏文学者)「銀座百点」4月号
『最古で最新の手話を人類共通語に』志賀節(元環境庁長官)「産経新聞」5/17
『美しい邦題をふたたび』眞淵哲(パリ左岸シネマズ代表)「文藝春秋」12月号
『からだで味わう動物と情報を味わう人間』伏木亨(京都大学教授)「學鐙」11月号
『北の国から』倉本聰(脚本家)「文藝春秋」11月号
『皮算用 』六田きよ子(主婦)「随筆春秋」第17号
『半日ラマダン』サンプラザ中野(ミュージシャン)「文藝春秋」7月号
第四部 いらぬオマケ
『長谷川平蔵のこと』逢坂剛(作家)「オール讀物」2月号
『私の遇った革命家』柴田翔(作家)「新潮」10月号
『ぼくはホシだった』久世光彦(演出家)「小説新潮」1月号
『自由への翼に乗って』佐藤雄一郎(日本水晶デバイス工業会広報委員会アドバイザー)「水晶デバイス」第3号10月刊
『日印泰中を巡る鐘の音』田村能里子(画家)「文藝春秋」10月号
『仁義なき闘い』林望(作家)「青春と読書」5月号
『受け身あいまいその力』杉山平一(詩人)「朝日新聞」6/28夕刊
『寡黙と饒舌』浅田次郎(作家)「小説新潮」1月号
『『阿弥陀堂だより』を書いたころ』南木佳士(作家・内科医)「本の話」9月号
『二十四分の一秒の相撲』高橋治(作家)「文藝春秋」8月号
『いまを"ときめく"人たち』高見澤たか子(ノンフィクション作家)「青春と読書」9月号
『四百冊に達せず』笹沢佐保(作家)「文藝春秋」7月号
『天井裏、天井男、幻の同居人』春日武彦(精神科医)「本の話」12月号
『クリスマス嫌い』岩城宏之(指揮者)「銀座百点」12月号
『江戸の富士山』高階秀爾(大原美術館館長)「文藝春秋」6月号
『私の東京、原点』田丸公美子(イタリア語通訳)「銀座百点」2月号
『いらぬオマケ』赤瀬川原平(作家)「文藝春秋」9月号
国立国会図書館の細目に本記載の著者職業と初出をつけました。赤瀬川源平って、作家かな。
以下、てきとうに感想。
ボーツー先生。二十年スパンで変貌を繰り返す東京の、こたびの変化についていけまへん、というエッセー。石原都政下の、タテに集約され、限られた土地面積を上に上に伸びてゆく東京のことを言ってるのかと。この頃大崎でちょっとだけ働いたのですが、駅ごとにドアツードアの高層オフィスビルが林立していて、京都帰りで浦島太郎状態の私はかなり驚いたのを覚えています。それまでと昼間人口が比べものにならなくなった、かなあとは思いました。雨でも濡れない出勤。ただこうした悲嘆はあとから読むと往々にして笑い話にしかならず、ボーツー先生が消えてゆくものとして挙げた中の早稲田松竹は復活してるしなあ、と。昭和館はケーズシネマになったし、小田急美術館は記憶にありませんが、ロマンスカーミュージアムにでもなったんでしたっけ。東京都近代文学博物館は漱石山房? 向ケ丘遊園とドリームランドは、まあ別に消えてもというか、サマーランドとよみうりランドはまだ残っていて、としまえんは消えて、後楽園はよく分からない。銀座のイエナ洋書はほかの人も言及してました。
頁46 『コンビニの繰り言』池永陽
コンビニは圧倒的に男性客が多く、女性客は少ない。(略)コンビニは誰がなんといおうと男たちの世界なのだ。
(略)
男たちは女性客のいない店内で黙々と週刊誌を広げて、
「ふふっ……」
と笑みをもらす。大抵はマニアックな官能本を手にしている客だ。これが案外多い。(略)
これは絶滅した風景だと思うんですが、どうでしょうか。スイーツなどをじゅうじつさせてコンビニは女性客を増やそうとしましたし、エロ本も「マニアックな」ものはコンビニに置かなくしてると思います。
松本幸四郎サンのエッセーでは、「役を勤める」とは、「演じる」ことを「続けること」として、「ラ・マンチャの男」は難解なので、初演の26歳時は再演あり得ないと感じていたそうです。それが、ブロードウェイで演じる幸運に恵まれ、そのハクたるやすさまじく、凱旋公演から一気に33年、1,000回公演を数えるまでになったとか。ただ、「役を勤める」は仏教の勤行に通じると言ってるので、学会の人デスカとも思いました。ちがってるか合ってるか知りません。
パラダイス山元サンはグリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロースのアジア第一号に合格したそうで、その試験格闘記。その年の合格者はたった一名で、それが山元サンだったとか。公認サンタは毎年夏に北欧で開かれる国際サンタクロース会議への出席が義務付けられるそうで、その条件から応募をあきらめる人も多いそうです。山元サンは北欧マスコミからサンタクロースを日本の文字で書いてくれとリクエストされ、カタカナでさらさら書くと、ガッカリされ、「それじゃなくてもっと複雑な…」と漢字表記を要求されたとか。それは中国人に云えよという。
『嫁姑は、いつの世も戦国時代』諸田玲子に出てくる、『レベッカ』はそういえば読んだことないので、これを機に読んでみます。
諸田サンは、藤沢周平サンの『寒い灯』という小説にも触れているので、それも読んでみます。
穂村弘(歌人)はスタバに入るとおどおどするそうで、それは2003年のお話で、私の場合2023年まで日本のスタバは敷居が高かったです。中国の《星巴克》はそうでもなかった。穂村サンは昭和四十七年の相模原市相模台二丁目の社宅について触れていて、おお近いと思いましたが、そこから河原までエロ本拾いに行くというと、けっこう相模川までは遠いだろうし、小学生同士の校区の縄張りを冒してる気がしました。境川なのかな。
お聖さんとカモカのおっちゃんご愛用の湊川新開地のおでん屋は、おでん四つ五つ皿に入れてもらって、お銚子一本つけて千円札でお釣りが来たとか。昭和四十年代と推定。当時の方が今のせんべろより高かったりして。それがデフレ脱却なのか。しかし田丸公美子(イタリア語通訳)サンは昭和四十四年東外大一年生同士の初デートで日比谷公園近くの屋台でコンニャク串2本で七百円と言われ、ボッタと思ったがテキ屋にすごまれて言いなりに払い、バイトの日当が千円なのにくやしい、と思ったとか。昭和四十年代の物価が分からなくなる描写ではありました。ラーメン百円とかヒーコ五十円の時代はその前なのか。お聖さんのエッセーには「台湾禿げ」という単語も登場し、調べると円形脱毛症、十円禿げの別称でした。横浜は中華街、神戸は南京町といわれるその違いを見た気瓦斯。
長崎は唐人街。
藤原正彦サンは例によって新田次郎サンと『流れる星は生きている』藤原ていサンを書いてるのですが、ご両親ふたりとも諏訪盆地の出身とは知りませんでした。高島城から遠い村は近い村から一段低くみられていたそうで、新田サンは一里、ていサンは三里で、母親のほうが低かったそうで、それが夫婦喧嘩で出ると母親は激昂し、なんでも父親に投げつけて怒り狂ったそうです。諏訪のそういうのは知らなかった。怪物、だーれだ。そのうち見ます。うまいこと休みの日に地上波ロードショーでやらないかな。
眞淵哲(パリ左岸シネマズ代表)は映画の邦題をカタカナでなく「黄昏の維納ウィーン」「鉄路の白薔薇」みたいにしたいと頑張ってきた自分の仕事振り返り。《维纳》は北京語で"weina"なのでウィーンの英語読み、ヴィエナに音が近いというところまではご存知かしらと読みながらニヤニヤしたりして。と思ってるとこの人は中国映画「ションヤンの酒家」の邦題もやっていて、原題"LIFE SHOW"《生活秀》"shenghuo xiu"をこういうふうに変えたんだなあと。ションヤンは《双阳》"shuangyang"ですので、シュワンヤンですが、〈生活〉のションHUOとごっちゃになってるのかもしれない。
- 來雙久:來雙揚的弟弟,有毒癮,被送進戒毒所。
私が読んだ池上貞子ほか訳の邦訳では覚せい剤関連の箇所も赤裸々に書かれており、もともとの原書もそうだったんだなと分かりますが、手に入れた中文版はそのへんがバッサリ削られており、大陸おえんと改めて思ったことです。
南木佳士(作家・内科医)サンの書籍の装丁はすべて菊地信義サンが担当されたそうで、へえと思いました。頁310。
吉岡紋サンのようなエッセーを読むとほっこりします。主婦のひとのエッセーが二つ収録されていて、それで一般人枠と思ってるのだろうかと思いました。掲載誌を並べてみると意外と狭い範囲からしか選んでおらず、早川アンソロジーが晴海、否ビッグサイトの同人誌からもバンバン収録されているのとはスピード感が雲泥の差かと。そうでもしないと「派遣」「アルバイト」「自宅警備員」のエッセーまで並録出来ないだろうし。主婦のエッセーを集めた雑誌があったから、主婦のエッセーが再録出来たわけで、でも派遣アルバイトのエッセーばかり集めた雑誌があるわけもなく、そういう「肩書」別の雑誌より、ウェブほかでたまたま拾ったスマッシュヒットエッセーの著者がそとこもりだった、くらいのほうが時代に合ってるなと思いました。けっきょく、そんなこんなでベストエッセイ集の年次刊行は終わってしまったんでしょうけれど。
で、かんじんのサンプラザ中野くん(現)のラマダンエッセーですが、「健康はインテリだ!」の迷言のしとらしく、ラマダンを「食べない」だけだと理解していて、それで健康にいいと言っています。食べないだけなら簡単なんですよ、水分補給も出来ないから大変なんですよ。しかも日の出から日没までの日の出はサンライズじゃないんですよ、白い糸と黒い糸の見分けがついたらもうアウトなんですよ。中途半端な知識の時代が続いてしまって現代まで来た、弊害を以下略
以上