『いまなぜ青山二郎なのか』読了

いまなぜ青山二郎なのか

いまなぜ青山二郎なのか

いまなぜ青山二郎なのか (新潮文庫)

いまなぜ青山二郎なのか (新潮文庫)

読んだのはハードカバーです。

坂本睦子 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E7%9D%A6%E5%AD%90

上記の女性について大岡昇平が書いた小説*1で、
この人をモデルにしたキャラがヒモみたいな扱いで、
白洲正子がこの本で反論したというのと、
私自身も、どんな人だったんだろと興味あったので借りました。

結論から言うと、私は、上記小説講談社文芸文庫版解説の
"童貞力"小谷野敦と同意見、です。大岡寄り。
でもまあそれほどシリアスに言い合ってる感じはしなかったです。
言い合っても死んだ人は帰ってこないからか。
んーでもWikipediaのむうちゃんにも書いてないむうちゃんのこと書いてあるのは確か。
別にいらなかったけど。

頁20
青山夫人に聞いた話によると、ジィちゃんの日記には、毎日のように「白洲正子泣く」と書いてあるそうで、私はそんな泣虫ではなく、泣上戸でもないのだが、ぶたれる方がましだ、と思うことはしばしばだった。では何をいわれたかというと、ほとんど何も覚えていない。たまに覚えていると、「言葉で覚えるなんてつまらんことだ。忘れてしまえ」と取り合ってはくれぬ。あんまり痛めつけられるので、三度も胃潰瘍になって血を吐くと、「精神病だ」と馬鹿にされ、病院へ見舞に来てくれたのはいいが、ウィスキーを持ってくるという始末であった。

この、精神病という表現については、新潮社のウェブサイトの対談で、
白洲は重ねて語っています。http://www.shinchosha.co.jp/books/html/137910.html

頁47
「私の周囲といへば総てこれ酔漢でした。私は物を売ることを否応なく覚えさせられました。だから、物を買った時の喜びとそれを売払って飲んだ時のそれと、何処がどう違ふのか、この年になつて今だにはつきりしません。美を手に入れた喜びの方が、果して酒の味を知つた悪習より高級でありませうか。私は極めて自然に、一個の茶碗と一夏のヨット生活を交換しました。」
 その頃私は銀座で「こうげい」という店をやっており、毎日夕方になると和子ちゃんといっしょにタクシーに乗って現れたが、タクシー代にも事欠く始末であった。まして飲代においてをや。それを払うのが私の役目だったが、ジィちゃんの態度があんまり自然で堂々としているので、当り前のことのように思っていた。月謝と考えれば安いものだが、そんなことを考えるのさえケチな根性のように思われた。ふつうの男には中々出来ることではない。だが、出来ないというのも一種の虚栄心で、酒とともに美を吞みつくしてしまったジィちゃんには、とるに足らぬことだったであろう。

でもいささか心苦しいから人が見たら蛙になれと念じていたのではないか、
と思ったりします。

青山二郎 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E4%BA%8C%E9%83%8E

この本にはとびとびに、四回結婚したことや、親から勘当されたことなど出てますが、
Wikipediaでは未整理のようです。
小林秀雄絡みで語られる箇所で目を引いたのは、
青山の原稿に小林が赤鉛筆で訂正する際、
「利休」も、「利久」と書くので(頁63)いちいち朱を入れた、という箇所。
それで泣かされてんだから世話ないですね。
白洲正子の酔い方は下記。

頁125
私が一番酔っており、突然泣き出したという。泣きながら人と問答するのが私の特技だそうで、だから好い気持で酔っぱらったことなんか一度もないのである。

この本、いろんな人が出てくるのですが、細川のとのさまとかはいいんですけど、
河上徹太郎が出てくるのに、吉田ケニチ先生が出てこなくて残念でした。
似た者同士だから出てこないのか、なんなのか。
あと、洲之内徹が出てきたので、積ん読のままになっているの思い出しました。

頁148
この度訪問して知ったのは、たとえば愛蔵していた書物の表紙などは、みな自分の手をかけて別物のように美しいものに変え、中の文章にまで手を加えている。文庫本に至るまで、見違えるようなものに変っていることに驚嘆した。中にひとつ淡彩の美しい装幀の本があったので、よく見ると、それは借金した相手の名前を、円のまわりにこまかく書きこみ、それが模様になっているのだった。中身は借金帖ともいうべきもので、借金した相手の名前と金額が克明に記してある。
「借金を質に入れても借金を買ふこと」が信念だったという人は、借金まで愛していたことをそれは語っていた。よほど暇がなくてはこんなことはできまい。青山二郎の「生活」とは、時間と鑑識眼と抜群の趣味によって創造された一つの境地、――もしかすると、此世では実現することの不可能な、「浄土」のような別世界を表徴していたのではなかろうか。「俺は日本の文化を生きているのだ」といったのはそういうことであったのだ。

私のような凡人はやはり、小谷野敦の意見に組します。くみします。おえん、やれん。以上
(上記「くみします」2014/11/27訂正)