『美食探偵 BISHOKU TANTEI』読了

美食探偵 (講談社文庫)

美食探偵 (講談社文庫)

Kindle版もあるようですが、はまぞうだと「?」になるので削除。
美食探偵

美食探偵

読んだのはこの講談社版です。あとがきあり。装幀 奥村靫正

よんばばさんのブログ読んで読もうと思った本。

よんばば つれづれ 20171222
日本初のベストセラーグルメ小説の作者村井弦斎が活躍する『美食探偵』火坂雅志
http://yonnbaba.hatenablog.com/entry/2017/12/22/170957

村井弦斎という名前は、平塚には弦斎カレーパンがあり、
https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140407/14031420/
また弦斎祭りもあるので、
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/bunka/page-c_01322.html
ベルマーレの試合観戦でちょくちょく平塚に行ってると、
なんとなく目にする名前でした。
岩波文庫から出ている著書を読むと、神経質な人なのかな?
と思いますし、Wikipediaで晩年の昆虫食なども知りました。なので、
昆虫食の気にしい作家を探偵にした推理小説とか、作者チャレンジャーやな、と。
小説ではけっこう暴漢と立ち回りの場面もあるのですが、
それは無理やろー、そういう人ではないやろー、と。

村井弦斎 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%BA%95%E5%BC%A6%E6%96%8E
2017-10-22『酒道楽』 (岩波文庫) 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20171022/1508655110

作者は新潟出身、弦斎は豊橋出身。
なぜ作者は弦斎を、と思うとともに、そういえば、
作者の名前も平塚のどこかで見たぞ、と記憶をたぐり、
平塚市立図書館の火坂雅志特別展示を思い出しました。

2017-04-15 平塚ゆかりの作家火坂雅志さんを偲んで
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170415/1492274510

火坂雅志 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%9D%82%E9%9B%85%E5%BF%97
タウンニュース平塚版 2015年11月12日号
火坂雅志さん 弦斎の横で眠る 豊田の慈眼寺で納骨法要
https://www.townnews.co.jp/0605/2015/11/12/308202.html

享年58歳、代表作『天地人』奥さんが平塚の方で平塚在住。そうかそういうことか、
と腑に落ちました。いや〜そうなるともう、くさした感想とか書けへんやん。
東村アキコみたく売れ線のグルメ探偵ものにしやはったらよかったのに、
とか言おうと思ったのですが、だめだよもう故人の想いとかもう。
(と言いながら書いてすいません)

初出は「季刊歴史ピープル」という雑誌だとか。

国立国会図書館サーチ 歴史ピープル(講談社
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000094009-00

注記「小説現代」の増刊号
注記 1994年新秋特別号-1997年盛秋特別号 ; 14号 (1998年1月)-18号 (1999年1月)
注記 以後休刊

あとがき
 この連作集を「季刊歴史ピープル」に発表するたびに、公園の石碑の前に立ち、帽子をとってふかぶかと頭を下げるのを自分だけの儀式にしていた。
 先人へのささやかな礼儀と、最後まで書き切る力を下さいという祈りを込めて。

この小説は、弦斎がまだ食道楽であててベストセラー作家になる前、
要人たちの別荘が立ち並ぶ大磯にちょくちょく訪れて、そこで事件が起こり、
彼が解決する。そういう話です。日本に於ける健康のための海水浴習慣の定着に、
大いに寄与したと本書にある松本順の家が高麗山中腹にあって、
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/miryoku/hassyou/kaisuiyoku.html
照ヶ崎海岸の祷龍館から弦斎が松本邸に行って飲んで、
帰ってきて寝て二日酔い、の場面(頁257)で、けっこう遠くないか、
酔って帰って来れるのか、と思ったのですが、調べてみると遠くなかった。
明治の人は21世紀より健脚だから、さらに近かったのかも。

本書は大隈重信の話もあり、ワセダの話で、作者も弦斎もワセダなので、
ここの学閥みたいな箇所は、気楽に読みました。いやこれは、みたいな。

伊藤博文の滄浪閣も出てきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%84%E6%B5%AA%E9%96%A3
私は何故かこれが神戸に移築されて孫文の移情閣になったと思いこんでいて、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8
しかもこの小説のタイトル「滄浪閣異聞」は孫文の話かと思い、
読んだらアタリマエ伊藤博文公の話でしたので、私のアダマはコングリですよ、
と思いました。春畝逸仙、両者の共通点は炉利。それだけ。

下記は、間宮宇山と、
https://kotobank.jp/word/%E9%96%93%E5%AE%AE%E5%AE%87%E5%B1%B1-1111660
弦斎が鴫立沢について会話する場面。
https://kotobank.jp/word/%E9%B4%AB%E7%AB%8B%E6%B2%A2-517776
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/meisyo/shigitatsuan.html

頁280
「あんたは、歌枕というものを知っておるかね」
 急須の茶をそそぎながら、宇山が聞いた。
「ええ、和歌に詠み込まれた諸国の名所のことでしょう。たとえば、白河の関とか、安達ヶ原、化野とか」
「さよう。古来、歌枕を詠み込むことは歌人たちの作法であった。和歌に歌枕を詠み込むことによって、荒ぶる地霊をしずめる意味を持っておったのじゃ」
「地霊しずめ…」
「鴫立沢は、いまは風光明媚な名勝のようになっておるが、土地の古い言いつたえでは、かつてここは賽の河原であったという」
「何ですって」
 弦斎は聞き返した。
「賽の河原よ。ほれ、岬や岩穴に小石が積み上げてあることがあるだろう。幼くして死んだ子供の冥福を祈るため、石積みの塔を築く、アレじゃ」
「一種の霊地ですね」
「さよう。鴫立沢より少し上流では、赤い布のついた青竹を川のなかに立て、お産で死んだ妊婦を供養する川灌頂がさかんにおこなわれたものという。西行法師は奥州への旅の途中、鴫立沢の寂しきさまを眺め、つくづく世の無常を感じたのではあるまいか」
「心なき身にもあはれは知られけり、ですね」

ここですね、読んで、大磯はそういえば、どんど焼き左義長が、
すっごく盛大な土地だったな、と思い出しました。
あれは、子どもの無病息災を祈念する行事ですよね。

大磯の左義長 〜国指定の重要無形民俗文化財〜 大磯町公式
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/matsuri_event/matsuri/sagichou.html

以上