あたたかい日です

人形シリーズ

桜ケ丘編

ネパール料理店のガネーシャガネーシャオウム真理教以降、すっかり日本ではイメージが悪くなったと店の人に言ったら、でもこれは日本人からもらったんですよとのこと。誰やねん。

今朝も、ラジオ体操に行って、ストレッチして、朝食。

平熱です。

宇能鴻一郎の小説を買って、中を見てないせいか、紙に書かれた文章は純文学なのに、著者の残留思念(中勘助は晩年『犬』を書きましたが、死後も書いてたら、みたいなはなしで)で、木の芽時の人が読むと官能文学にしか読めない本があって、なぜ自分が読むとエロ小説になるんだ、レビューや版元のあらすじだとぜんぜん違う清いブンガクなのに、と、苦悩する夢を見ました。そんな春でインカ帝国

金子光春『金花黒薔薇艸紙』や、『ガマの聖談―南喜一の風流夜話』みたいな感じでいければよかったのですが、こればっかりは、いかんともしがたい。

その後さび止め塗って(二回目)平塚に行って、帰って明日のしたくをして、寝ます。

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カンボジアチャーハン。右上の、ゴマアブラとお酢を混ぜたようなものを、お好みでどうぞとのこと。

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サンバルみたいなチリソースをかけたところ。このお店は「バイチャー」という名前でカンボジアチャーハンをメニューに書いていて、クメール語だと「បាយឆា」かな? わりと検索で出るのですが、ふと考えて、町田のカンボジア料理店では、「バイリン」という名前でメニューに載ってるなと思いました。バイリンというと、ふつうはクメール・ルージュが実効支配してたタイ寄りのルビーが採れる地域の名称で、なんで町田のカンボジア料理店ではそれを焼き飯の意味で使ってるのか、今度聞いてみようと思いました。

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牛肉の胡椒炒め。ラックロック「ឡុកឡាក់」というのかな。町田のカンボジア料理店でも、カンボジアの胡椒は胸張って取り上げてますので、まあ、そういうことなのかな。ただ、ケッパーみたいな実胡椒がチラホラ見える牛肉ごろごろではなく、町田で牛肉と玉ねぎ炒めとして出してる料理に似てるのかなと思いました。

町田のお店は、安田奈津紀サンの本によると、クメール・ルージュが落とす前の国費留学生の方で、家族はポル・ポト政権下で行方不明になってるそうですが、このお店も、あまりに日本語が流暢なので、相武台前だし、愛川から座架依橋渡って、集客の見込めるほうに来てるんだろうかと思って聞いてみると、大和から来ているとのこと。う~ん。英語が流暢なら相武台前は座間キャンプがあてに出来ると思いますが、う~ん。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

「បាយខ្មែរ」という店名は、グーグル翻訳すると「クメール米」なのですが、お店の人に聞いてみると、「クメールごはん」という意味だそうで、食卓とか食堂的な意味を込めたかったとか。同じ稲作民族だからというわけでもありませんが、分かりました。"rice"="meal"という発想はまだAIにはないということで。ご飯食べた? パプモゴッソ? 饭吃了吗? 

それと、料理についてあれこれ言いたいことは全く別なのですが、放言しません。タイ料理だとプロがいるけど、カンボジアは、私はUNTAC時代に一週間かそこら、ちょろっといただけですので、その後の、カンボジアミポリンと言われたベトナム人女性の屋台も(ようするに進出したベトナム人屋台がローカルより市場を席捲した)、児童買春のメッカも、何も知りませんで、ほかのなんもかんもが一度壊滅した中で、外食文化もまた例外でないイメージしかありません。うかつにいうせりふがないです。プロの洗練された料理とでもいうべきものをどう出そうか町田も苦心して、カンボジアカレーのルーをカレールーの容器に入れてたりしますので、悩ましいとしかいえない。

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これで、相武台前は、生協でもまいやんでもないシライシが来てたと噂される店も含め二軒のインド料理店と、フィリピン料理店、ナイジェリア料理店、そしてカンボジア料理店というレアな展開です。以前はスリランカ居酒屋や、ジャカルタラーメン、インドネシア人スタッフを擁しながらラーメン屋という、在日コリアンオーナー?のお店もありました。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。