ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
第八話ーシシ鼻の女は名器だ "A Woman with A Snub Nose Is A Masterpiece."
小見出し:ささらのごときワザモノ / ハゲはほんとに助平か / セックスで一生が左右される / 万国共通の四十八手
「朝マラのたたぬやつに銭は貸すな」(頁74)現代では、ED差別と言われかねない、のかなァ。
南喜一サンに言わせると、四十八手なぞと言っても、基本は四手のみとか。本手(ほんまて)=正常位、茶臼(ちゃうす)=騎乗位、松葉くずし=側臥位、うしろ=背後位(ママ)だそうで、あとはこの変形があるにすぎないそうです。横からが入ってるのだなと思いました。あと、茶臼は私の認識と違いましたが、また私の模造記憶でしょう。対面座位だとばかり思ってた。後ろや横は、雑魚寝でも出来るから便利と書いてますが、現代では、真似して捕まる人が出ないことを祈るばかりです。
それとは別の点の指摘ですが、尾崎士郎は女性の扱いがヘタで、小説と実践の乖離が大きかったそうで、彼自身、「生兵法は怪我の元」と認識していたそうです。あんまり豪語する人の真似をしても、ろくなことはない。ガマサンの忠告は「こちらが一つ満足するときには、相手には最低三つの喜びを与えよ」
あとはからだの相性の話で、ノミの夫婦の例が出ますが、ガマサン的にはそれはネガティブな例だったようです。また、相性が悪い=離婚増加に対しては批判的で、イカせられないのを相性のせいにするなと言いたいらしいです。
どこまでも藤城清治の無駄遣い。
第九話ー一盗・二婢はもう古い "First Prize: Married Woman, Second Prize: Servant is Old Values."
小見出し:女は三回めにはモノにせよ / タダほど高いものはない / 南式女のベスト・ファイブ
一度目は偶然の出会い、顔見知りになる、二度目は判断決定、二度目でいやだったら三度目はないので、三度目があるということはというロジックだそうです。二度目では何もしないのがテクだ何だ書いてますが、ロクなことにならなかった男性の例(ねんごろになったが、以後タカられる)をひいて、
頁88
もっとも、おれも相当なツラのまずさだが、この男はもっとひどい。豚があくびをしているようなツラで、金でもなければ女がついてくるはずなどないのだ。が、そこのところがわからないんだな。だから、いまでも相変わらず、同じ轍を踏んでいるわけだ。タダほど高いものはないというのにな。
ヒドい話。タイトルの一盗二婢を批判するだけあって、南式ランキングでは、メイドと主人みたいな、地位を利用したセクハラパワハラはランク入りしてません。圏外。細君は三番目です。いちばんが「カタギの女」だそうで、モノにした後は美容院をやらせたり洋裁店を開かせたりして、それなりに自活もさせてるとのことですが、四位メカケにスライドさせただけにしか見えません。二位がふるっていて、「苦労した女」だそうで、経産婦は出産によって性交時の男性恐怖からフィジカルに解放される面があるので性感がどうのと、いろいろ自説開陳しています。五位がくろうとですが、あとの章を見ると、ここではおだててるだけな感じです。
ガマサンが「苦労した女」の実例としてあげてるのは三島由紀夫『宴のあと』裁判で有名な有田八郎の畔上輝井で、『永すぎた春』は出ません。
革新陣営だったから小説になったのかどうかは知りません。
頁90
(略)彼女の献身的な奉仕ぶりは、相手方の自民党の連中にも感動を与えたほどだったからな。
カルト信者はこういうことに動じないので、感動せず、結果、現代の選挙事務所では旗幟を越えたエンパシーの発現はあまりないかと思われます。
下記は、ミスリードさせて売ろうとしたと思われてもしかたない経済書の邦題。
筑摩書房 宴のあとの経済学 / エルンスト・フリードリヒ・シューマッハー 著, 長洲 一二 著, 伊藤 拓一 著
帝人社長の大屋晋三は、財界人には珍しく賢妻に恵まれたとガマサンはほめてますが、要するに大屋政子です。本書にはほとんど実名の女性が出ず、前述の畔上輝井は珍しい例で(あとは陰毛が六十センチあった楊貴妃とか、夫の仇敵の平清盛のセックスに溺れさせられた常盤御前とか、そんなのばっか)ここも大屋晋三サンしか出ないのですが、当時の人はみな「うちのお父ちゃん」の、1950年略奪婚のしとか、と分かったはず。
ガマさんの女性観がよく分かった気がしました。大屋政子は激賞。褒め殺しのお提灯かもしれませんが…
頁92
帝人の大屋晋三などがそうだな。彼はジャーナリストが家にたずねてくると、
「キミ、奥さんに会いに来たんだろう」というぐらいだからな。じっさいにマスコミ関係者は、亭主より女房に会う目的でくるのが多いというんだ。
彼の女房は、マスコミだけでなく、どこでも評判がよいようだな。先妻の子どもの面倒もよく見ているし、三十も年のちがう亭主が、いつ会社をやめてもよいように、アパートをつくったり、ゴルフ場を経営したりして、まったく後顧の憂いがないようにしてやっている。
第十話ー死が近づくと助平になる "Become Lustful When Death Approaches."
小見出し:結婚は相性を選べ / プラトニック・ラブの悲劇 / 中気になると、しつこくなる / 腹上死に気をつけよう
相撲取りが多く出る回です。いわく、性器が大きい少年は、いくら相撲がうまくても、マワシを締める人生には向かないので、新弟子にはとられない。女泣かせの関取は、下位力士の幕下十両に多い。こう書かれると、信ぴょう性がすごい。
また、阿部定は、からだのつくりが、エクスタシーに達しにくい構造になっていて、それで「掻痒性淫乱」という状況に陥って、何度も男性に要求し、あげくはということになったそうです。本人の意志の力ではどうにもならない。これも、まことしやかだなあ。阿部サダヲの話でないことに、21世紀は注意しなくてはなりません。
中気(脳溢血)になると生殖ホルモンの分泌が盛んになるそうで、戦前国勢調査で目撃した、向島のいろは長屋在住、六十代男性が中気になって、もらいっ子の娘の工員を… というひどい話を書いてます。
最後は腹上死の話で、玉ノ井で頻繁に出っくわしたが、検死前に勝手に上の死体をおろすと係官に怒られたそうで、私娼廃止運動の南センセイが警察にその件で一筆啓上、もの申したので、以後、ガマさんの息がかかった範囲ではおかみのとうちゃく前に重たい死体を腹の上からおろしても警察から文句言われなくなったとか。死ぬ人は、役人の定年退職組や、年輩の軍将校ばかりだったそうです。当り前というか、妻の人はまず絶対に腹上死遺体の引き取りに来ないそうで、だいたい孫が来るそうです。オジーチャン。
で、冒頭と円環のネタになっていて、もし力士が腹上死したら下の人間も圧死するのではないか、という展開になり、力士は若いうちから糖尿とかになるので、性交中に死亡するような元気は…というオチになっています。その前に、取的はふつう上にならないと思うんですが、まあ講演なんかで面白おかしく話してるだけですので。
ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。
著者ウィキペディア
(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)
(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)
カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。
杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会
http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf
いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット
まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。
奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。
神吉晴夫のベストセラー作法十か条
1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ
右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川のアメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦、関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。
以上