はてブが盛り上がってたので読んだ萩尾望都『十時間』の原作小説が収められている短編集ということで読みました。21世紀も五年を過ぎようとする頃から、十年経ったあたりまでの作品が十編収められています。
読んだのは初版。2010年12月刊。
ハードカバー。
英語タイトルはグーグル翻訳。
左は中表紙。
装幀・カバーオブジェ★板野公一+吉田友美(welle design)
私は作者の別名義ブルボン小林も知りませんでしたし、そのまんが評論も自覚的に読んだことないかったです。萩尾望都のほうの感想にも書きましたが。
今の本の装丁は素晴らしいです。目次迄こんなに凝ってる。しかしそれはそれとして、初出の「イルクーツク」とか、「G.B.」の意味が分かりませんでした。東京カレンダーも。いろんな媒体があるものです。
初出/『丹下』…「イルクーツク2」2007年
『穴場で』…「東京カレンダー」2004年7月号
『山根と六郎』…アンソロジー「東京19歳の物語」2005年 G.B.
『噛みながら』…「ぼくは落ち着きがない」非売品カバー裏掲載 2008年 光文社
『ジャージの一人』…ブルボン小林名義「ジュ・ゲーム・モア・ノン・ブリュ」2004年 太田出版
『ファストブレッド』…「小説すばる」2006年5月号
『海の男』…「新潮」2005年11月号
『十時間』…「すばる」2010年10月号
『祝福』…「文藝」2010年秋号
版元河出からは同名の別小説も出ていました。
文庫本はぜんぜん違う表紙。
私が読んだのは上の表紙です。
左は裏表紙(部分)
なんというか、ブログを読んでるかのようなダラダラ感の、「何も起こらない」小説が多くて、それはそれでいいのでしょうが(特にマンガなら)小説なので、メリハリがほし、と思いました。短編の名手なら毎回読者の予想を裏切る驚きがあるのにぃ、とは思いませんでしたの反対。具体的に言うと、『噛みながら』はそれがある。銀行強盗とか日常に起こらないし、人質の反撃もなかなかないこと。そしてその結末は、という。『十時間』も猫がその役割を担っています。両者の共通点は、どちらも異なるジェンダーが主人公で、自身の分身たりえないこと。運動が苦手とか、カップラーメンとか、寄せる必要がない。その分自由だ。
『ジャージの一人』など、さびれた別荘にこもって、よくそこにいた父親(バリバリご存命)を回想する話なので、ほかの、冴えない男子学生ものなどと違って、あまり読者が体験しない実体験かなあと思いながら読みました。それはそれでいいかもしれない。『海の男』は、バスで行くというのがちょっと変わってますが、横浜の中心地の釣り場所というのは、釣りをしなくても聞く話だと思います。これが日産や米軍の敷地内で、コネで入る話ならもっとよかった。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
ダラダラものはぜんぶいましろたかしやすぎむらこういちにマンガにしてもらって、小説としては発表しない、でもよかったかもしれません。このひとのマンガ化シリーズは、どういう傾向の作品が収められているのか。以上