『1984年に生まれて』《生于一九八四》郝景芳 "Born in 1984" chapter 16. by Hao Jingfang 第十六章 読了

2010年に主人公は再び国家公務員になるための試験勉強を始め、2011年にふたたび統計局で働き始めます。旧友の中のひとりは、部署が今でも住まいを割り当ててくれるのかを気にしていて、答えはノーでした。自力で部屋を探し、動物園近くに同じ職場の若い女性とシェアして借り、安月給なので、家賃を払うとまったく服を買わない状態でなんとか月末まで食いつなげる状態だそうです。そういう時代ということで。

仕事をしながら、北京なので大学に聴講生として通い、「自由」とか「平等」とか「特権」とか「権力」とか「権力が集中する体制」とか「階級」とか「階層」ということばを様々な政治学社会学の研究者たちが弄ぶ、あるいはうまいこと表現してゆくのをじっと観察します。日本で表現するのとだいぶ違うはずで、その差はこの頃より現在のほうが飛躍的に広がってると思います。

2013年に主人公は父親に会いにネパール、ポカラに行きます。父親は米国からネパールに移動し、パラグライダーのインストラクターをしていました。その仕事は六十歳定年制で、父親は来年六十歳になるとのことで、その後のことは考えてないそうです。ここは読んでてびっくりしました。渡米時期ほかから、中国人留学生が客の主流という米国中華料理店経営に難しいものを感じていたんだろうか。でもそれは、ポカラでも同じことではないかなあと思いました。実際主人公は、父親が欧米人観光客と歓談する間、同胞の中国人観光客(若い女性二人連れ)とおしゃべりします。英語で暮らしていける父親ですが、インストラクターのお客の主流が中国人観光客でもおかしくないなと思いました。

なぜか二人は山のホテルのロビーのストーブのそばで、ほかの客が引き揚げた後も、バター茶を飲みながら歓談します。ミルクティー奶茶でなく酥油茶。へえと思いました。チベットでなくネパール。へえ。

さいご、2014年にはもう爆竹禁止だと思っていたのですが、私の記憶がいかれていただけで、禁止は2015年からのようです。

中国が「春節らしさ」を取り戻した、背景に1年前の中国政府“批判記事”あり? | 莫邦富の中国ビジネスおどろき新発見 | ダイヤモンド・オンライン

こういうオチが来てインカ帝国と思いました。

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あと二章で終わります。続く。