『鴨川ランナー』"KAMOGAWA-River RUNNER" دونده رود کامو by Gregory Khezrnejat گریگوری خزرنجاة グレゴリー・ケズナジャット 読了

これも、済東鉄腸サンの本*1に出て来た本の中の一冊。どういう文脈で出て来たのか、もうまったく忘れてます。

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装画=鮫島ゆい「Ordinary picture(Frame)」(2020年)装丁=川名潤 第二京都文学賞受賞作『鴨川ホルモー』否、『鴨川つばめ』否、『鴨川ランナー』を加筆訂正して、書き下ろし作品『異言タングズ』とともに一冊の本に。

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済東鉄腸サンは日本語で書く外国籍作家サンを二人紹介していて、もうひとりはルーマニア人のイリナ・グリゴレサンです。どちらもグレゴリー。

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グリゴリ - Wikipedia

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ウルドゥーとパルスィーでグレゴリーの綴りがいっしょみたいなので、ウルドゥー語ウィキペディアを載せておきます。ペルシャ語版はないかった。

グレゴリー・ケズナジャット - Wikipedia

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ケズナジャットという姓はどこ系だろうと思いましたが、イランだそうで、でも母親の人は別系なのかな。スペルを見るとアールが隠されているので、日本語の母音過多でやってやるとケズナジャットになりますが、それでダジャレをこさえて揶揄われたらかなんのかもしれません。グーグル翻訳のペルシャ語は、イランが反米のテロ指定国家かだからか、音声対応されておらず、"khezrnejat"を英⇒波翻訳した単語が妥当なのかさっぱり分かりません。翻訳した単語を検索しても何も出ない。音声の出せるウルドゥーやアラビア語に翻訳すると、アラビア語で"خزرنجاة"ということばが出て、これも検索しても何も出ないのですが、「巻貝」にあたる言葉のようで、音声も「カズナジャッ」と言ってくれましたので、これを貼りました。そのうちヒマがあったら、イラン料理屋でも行って、イラン人に"khezrnejat"という姓について聞いてみたいですが、そんなヒマがいつあるか。

グレゴリーは"گریگوری"を貼りましたが、そもそも聖書に由来するグレゴリーをイランの人が人名にするのか知りません。在米イラン人ですので、キリスト教徒のイラン人(バハイやゾロアスター教徒ならともかく、イラン人のクリスチャンは聞いたことないですが、私ごときがイランの何を知りましょう)かもしれませんし、改宗者かもしれません。グレゴリーサンの次の著書、フォークナーだと私が勝手に思い込んでいたT.S.エリオット『荒地』を確実に意識したタイトル『開墾地』の主人公は、イラン人の父親の「養子」だそうなので、養子だから父親の宗教とは別に、自分の名前がもとからグレッグだったのかもしれません。その辺りをさくっと今北産業で聞き出すインタビュアーは日英両言語でまだいないようです。たぶんペルシャ語でも。

米国人の日本語作家というと、『星条旗の聞こえない部屋』リービ英雄サンが超有名ですが、本書は、京都が舞台ということもあり、『いちげんさん』デビット・ゾペティに近いと思いました。邦人女性との性的含めた交流にもなってしまっているのも、似ている。

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そのモテぶりがジェラすぃというか、ひとむかしまえはバックパッカーの邦人がよく「毛唐ガー」と言っていたそれになるわけですが、連城三紀彦サンのような濡れ場(ということもない)のわりに、グレゴリーサンが世界のハルキ・ムラカミのようなご尊顔なのがすばらしいです。『非Aの森』否、『ノルウェイの森』はじめ世界のハルキ・ムラカミ作品には夜空の星の数と同じくらい濡れ場が登場しますが、書いているのがあの顔でアイビールックをこよなく愛す(歳をとってからはあまりアイビーではなく、スウェットとかぞんざいに着てるので残念です)世界のハルキ・ムラカミサンということで、ジェラスに駆られる読者はだいぶ減ってると思います。あれでもててるんだから、そりゃもうしょうがないよな、的な。あれが島田雅彦サンだったら、鼻息荒く多摩丘陵に現れ、「私も登場するオンナのように、抱いてっ!!!」と飛び込んでくる愛読者が後を絶たないでしょうから、だから逆に島田サンは濡れ場をあまり書かないのだと思います。

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上の動画を見て、御芳名はケズナジャットなのにケズナジャッチとスラブ系の名前っぽくも聞こえてしまい、人間の耳はあてにならないと改めて。ホーセイユニバーシティのH音が抜けてるので、字幕がスペイン語と誤認識したのか、"jose university"になってました。法政とセクトと魚たち。

鴨川は確かにランナーは多いでしょうが、それをタイトルにもってくるところだけ、もっとほかによいシーンがあるのに、と思いました。ただ、前述のように世界のハルキ・ムラカミとシンクロニシティーがあるのでしたら、ジョギングむべなるかなです。鴨川バグパイプにすると、あの人はカソリックだから、ケズナジャットサンとあうかどうか。ネバダの故郷の教会が、プロテスタントかどうかは不明。作中の神戸の教会はプロテスタントだったのかな。ネバダの集落の描写は、今にもシャーリー・ジャクスンが「くじ」を手に町のメインストリートに飛び出してきそうな、そんな感じです。

鴨川ランナーの主人公は、交換ナントカだか高校の英語授業補佐だかの「ネイティブの先生」が、もちろん日本語を原書で読めるのみならず河原町の大型書店で買い漁った邦文小説をバンバン本棚に並べるまでになった後、谷崎文学のプロに気に入られ、アカデミズムに再度入門し、東京の大学が外国籍の教員をほしがってしかたないので(でも学長が外国人で黒人だった京都精華大学がそこでも一周リード)東京で準教授にまでなります。非常勤講師もみんな武器を見つけてせいだいきばりよしという。

異言 - Wikipedia

『異言』は、まだおそらく日本文学できちんと書かれていない、ノバやジオスといった、英会話学校大手倒産の波に呑み込まれた外国人教員たちのドタバタを日本語で描いています。作中ではスプラウト英語学校という名称。私の知人の米国人では、日本に来る前はメキシコで英語を教え、ちょっといられなくなって日本に来て、日本でもさんざっぱらやらかした後で、今度は中国で英語を教え始め、日本より稼げるし、日本ではもう古い手でもチャイナガールは赤子の手をひねるようなものなのでウハウハというアメリカ人がいましたが、そういう人がコロナカでどうなったか知りません。不動産不況になるずっと前にスパイ容疑で拘束されてればいいのにとは一㍉も思いませんでした。

ネバダの田舎の教会でトランス状態になって異界のことばをぺらぺらさべる幼馴染の少女と、日本の商売の教会、結婚式をあげる専門のチャーチで、流暢にペラペラの日本語を話すと顧客を失望させるので、わざとガイジンの日本語で、アナタは、スコヤカなるときも、ヤメルときも、カレを愛しますデスカ~? それでは誓いのキスを、お願いシマ~ス💛 とやる仕事を重ねた小説デス。英会話学校倒産後やっとみつけた神父もとい牧師役の仕事にしがみつこうとする主人公の、スラップスティックな遅い青春記が『タングス』

あるあるで邦人女性のアパートに転がり込んでヒモ同然の生活をしばらく送るのですが、そこでオチてノベルを終わらせたくない、在日ガイジン作者のメンツを感じました。そんな骨のある人が現実にどれだけいるかはともかく。この小説の邦人パートナーは、読んでて、ブリリアントグリーンのボーカル、トミー・フェブラリー6みたいだなと思いました。なんとなく。トミーは京都で茶髪で、小説のリリィ百合子は福井で黒髪です。

ランナーの主人公は日本留学前、同棲相手の米国人から、どうせ『お菊さん』やるんデショと言われます。そのせいか、こちらの邦人相手(三条京阪でやってるような国際交流パーティーでのいきずり)は童顔です。

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芥川龍之介 舞踏会

頁11、来日高校生がジャポネーゼ文化は何がなにやら、という場面で、シュラインやテンプルといった英語と、トリイやテイエンという日本語にまじって、「コイポンド」と書いてあるコイポンドが分かりませんでした。なんとなく、鯉が泳いでる池かなと思いましたが、当たった。

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頁44

 すでに五年間京都に滞在している英語指導助手から飲み会の誘いを受ける。(略)

 もう一人はハンナという二年目の英語指導助手だ。ハワイ出身の三世日系人で、日本語は分からないものの日本人としての自己認識は強い。ルーツに触れるためにここに来たと彼女は言う。

(略)

 四人でいろいろな飲み屋を開拓していく。居酒屋、バー、クラブ。木屋町と交差する無数の横道にまた無数の店が点在する。それぞれの小さな空間に存在する世界をきみが想像すると、一つ一つに入りこんで、確かめたいような衝動に駆られる。

 ところがなぜか、英語のメニューばかりを出しているバーや、英語の看板を店先に置いているところなど、たいていはどこかできみたちと見た目も言葉も似た人間が歓迎されそうな店ばかりに行く。実際にそうでない店に断られたことがあるわけでもないし、誰かが明言した好みでもないけれど、出かけると結局輸入ビールとミックスナッツが出て来るようなバーに落ち着くことが多い。

モラさまことマイク・モラスキーはえらかったという話で。ちょっとこのハンナという女性にはあとで同情しましたが、いらん世話かもしれない。京都なので、テリトリーがかぶる同じ英語圏の異文化層、米兵との軋轢は出ません。ギロッポンのようにオンナのとりあいで在日ガイジンと米兵がケンカしない。普天間が琵琶湖に移転すれば、京都大阪でもギロッポンと同じようになるのにな。残念閔子騫

頁48

 ポールはあんなに日本語ができるのに、なぜこうやって新参の英語指導助手と一緒に飲むのだろうか。きみは直接訊いてみると、ポールはしばらく黙り込む。

 ――気分転換かな。たまには母語の話を聴くのも楽しい。それにきみたちの話を聴いてると、いろいろ思い出す。日本がどうこうとか、文化がどうこうとか、あんな話ができるのは今のうちしかない。物事は、本当はそうはっきりとしていないから。きみもじきにわかる。

相対化の海に沈む。沈まないから新参者とつるんでばかりという人もいましょう。中国の留学生寮に、定期的に送られてくるSAPIOがあった邦人留学生を思い出す。断定、決めつけがいつまでもなおらない。

頁61

 ハンナも最近、今年帰国すると仄めかしている。

 彼女はきみより遥かに苦労した。顔はこちらの人と見分けがつかないから、常に目立つきみのようにじろじろと見られ、見た目から変な扱いをされることはないが、フツウの顔をしているのに言葉が通じない、ルールを守らない、ジョウシキが分からない、そんなことが周りの人に分かると迷惑がられる。まるでどこかが壊れている部品のように取り除かれる。ハワイでは胸を張って自分のことを日本人と言えたのに、ここではそのアイデンティティは通用しない。二年も自己認識を否定され、略奪されたことを耐えてきた彼女の顔に疲労が明確に現れている。彼女の決断は正解だ。

白人顔、オリエンタルを比べると一長一短だと思うのですが(中国でリーベンレンとして暮らした経験から)相手の方が、と書くのはグレゴリーさんのやさしさか。黒人だと全然違う話になると思います。コーカソイドでも、インド南方のように浅黒くなるとそちらになる。

頁95、学究の徒になったグレゴリーサンが住んだ下宿のあたり、出町柳の商店街、「豆餅のふたば」にまったく思い当りがありませんでした。ストリートビューで見ても、まったくなにがなにやら。う~ん。出町の市営の銭湯(腰かけがない)や、相国寺そばの、戊辰戦争のさいの官軍兵だけの墓地は覚えてるんですが、う~ん。

グレゴリーサンの本書の書面語の日本語は完璧なので、目を皿のようにしておかしな日本語がないか探して、頁167、「焼き立ての白飯」を見つけ、小躍りしました。ゴハンは炊き立てで、焼き立てじゃないですぅ、やーいやーい、鬼の首をとったように騒ぐ。そのうち、ケズナジャットサンが、自分に陰で「焼き立て」という綽名をつけた生徒を呼び出して殴る可能性はゼロだと思います。私が見つけられたのはこの一ヶ所だけ。この日記でおかしな日本語を探す方が千倍たやすいです。以上

【後報】

宙そらわたる教室 マンション フォンティーヌ 喫茶おじさん 縁切り上等!離婚弁護士松岡紬まつおかつむぎの事件ファ 間の悪いスフレ 神の呪われた子 IKEBUKURO WEST GATE PARK 池袋ウエストゲートパーク

こじゃれたタイトルの邦書小説の数々。『鴨川ランナー』のひねりのなさは、ここではプラスに作用しない。

(2023/12/27)