なんだろう、スカッとする話ではないですが、この巻は作者の本領発揮なのか。繊細というビーンボール。
安部公房『けものたちは故郷をめざす』を読み*1ので、五木寛之『青年は荒野をめざす』*2を読み、これも読むという。
マーガレットコミックスの表紙は頁4、61年9月号カラー見開き表紙の左半分が使われています。うれし恥ずかしレタリングシート*3のマンガ転用。流行ったなあ。労多くしてみのり少なし。ひと文字ひと文字配置をカンで決めてコシコシこすってる時間が楽しいってだけ。こういう柄の服は、英字新聞そのまま使いますたと並んで、服飾のザデインとしては今でも現役と思いますが、今のデジタルまんががどこまでこういう柄を描いてるのかは、不明。
ぜんぜん関係ありませんが、鹿内月子というキャラは松苗あけみがモデルと私は勝手に思い込んでいて、それというのも松苗あけみのウィキペディア*4に、有閑倶楽部に登場するアケミというキャラのモデルが松苗あけみとあったからです。アケミって誰だっけ?主人公は髪が立ってるし、そういえばオカッパのキャラいたなあ、それか、と勝手にかんちがい。アケミはペットの鶏で、オカッパは白鹿野梨子というキャラで、ぜんぜんちがいました。なんだか知りませんが、内記でチラシを見た松苗あけみ展*5は弥生土器美術館でなく、ダルバートの街豪徳寺でやってるそうで、隣町経堂はうな丼を奢る男狩撫麻礼の店があったと、内記の音楽まんが展で原画を見ながらひとしきり黙考。
左もうれし恥ずかしナゴム*6MILK。頁14。この次のページで、腰まで届くほどの髪の毛を持ちながら女の子っぽくない狩野を、失恋で髪切ってボーイッシュになった海棠ちゃん(その前はソバージュの中学生という、ある意味ありえないキャラだった)が女の子っぽい恰好をさせようとあちこちお店を連れまわすのですが、これ、新宿西口ですよね。左が小田急ハルク、正面が小田急百貨店、右が京王百貨店。今はなき光景で、「小田急は複々線化事業でお金がなくてホームドア設置工程も遅れてるくらいだから、新宿再開発の費用が捻出出来なくて、東急共同開発になったんだよ」としたり顔で説明されてるのが21世紀の現状。ここまで書いて、実はこの絵は新宿でなく錦糸町ですた、と言われても知りません。
ぶ~けコミックスの表紙は上。たしか集英社には、狐の仮面をかぶった無口な少女を育てる、縁もゆかりもないOLのマンガがあったはずですが、このまんがよりかなり後のまんがですし、狐のお面自体はつげ義春からあるギミックですので、単なるシンクロニシティーかと。
ねじり鉢巻きの小林少年は裏表紙に。考えたら、これまでのマーガレットコミックスの表紙も、それぞれ連載時の見開きを使ってる気がしてきました。
読んだのは1990年2月の5刷。61年9月号(西暦ではありません)から62年1月号までを収録。エヴァをさること約二十年前の「気持ち悪い」が頁11に出ます。
この巻は京兄です。頁89から四ページもカラーで(連載時)京兄。復刻版だとここカラーで読めるんでしょうか。高いんだから、それくらいはしてくれて当然のはずですが、どうか。
当時の読者は、主人公が有名人だからこういう目に遭うのであって、一般人である自分たちとは別世界の話として読んでいたはずです。まさか30年後、誰でもストーカー被害の可能性があるSNS全盛時代に人類が突入するとは、夢にも思わなかったことでしょう。少なくとも私は予想出来なかった。有名人あいてのストーカーや現実と夢想の区別がつかなくなった人はいつの時代もいますし、桶川ストーカー事件*7のようにナンパされて無理やり顔見知りにされてあげくの事件もありましたが、だいたいふられた相手を未練がましくつきまとうのは、身近な相手で、それと有名人あいてのつきまといの2ヴァージョンしか人類には存在しなかった。JCがウッカリ本名もしくは特定可能な名前で画像(プリなど、加工済み含む)を挙げたとたん、検索ワード上位に自分の名前が入って、遠方から同世代を名乗るなりすましジジイが雲霞のように群がってくるなんて事態、誰が想像出来たでしょうか。この点に関して言えば、確実にテクノロジーの進歩は人類を不幸にした。
偏執的につきまとったり脅迫手紙を送ったあげく、刺そうとして阻止されてるのに、「ごめんなさいごめんなさいもうしませんから許してください助けてください許してくださいごめんなさいごめんなさい」で、今度は黄身島陸の腹を刺して胃にまで到達する。凶器は鋏なのに、そこまで貫くか。刺した後も「ぼくじゃないぼくのせいじゃないあいつが…あいつが」警察に確保されて連行中も「ゆるしてくださいもうしません」
[:300]主人公狩野都は事件のショックで初潮を迎え、生理が始まります。また、これがもとで小説原稿を落とすのですが、この状況下でなお連載継続執筆させようとする編集者菅野兄はヤバいと思いました。昭和であっても不適切なのでは。
左はカバー折。この少女が誰なのか、実は私には分かりません。京兄に狩野は髪を切られるので、その後の狩野なのかなあ。
ここまでの京兄は、吉野サンのところにも赤い手紙が来ていたということなのかどうか、現実がフィクションを侵食した例ですが、本作のすごいところは、ここからふたたび創作世界が現実をがぶりよりにしようとする点です。
狩野をかばって刺された傷でインターハイを棒に振ることになった黄身島陸は病院を抜け出し、「外を歩きたかったんだ」という理由だけで傷口は開くわ消息不明になるわで死にかけます。こんな高校生いるか。私はこの展開の必然性のなさに舌を巻きました。これぞフィクション、ザッツ創作。現実を下敷きにした、「事実は小説より奇なり」ではこんな展開は望めない。吉野さん力技。
頁132、夕闇の情景を描くのに、作者にしてはめずらしくスクリーントーン二重貼りをやってますが、それほど効果があるようにも見えません。全然関係ありませんが、日夏雄高サンの車のナンバーは「浅葱 33 ら 14-15」です。頁134。「ら」ナンバーですが、レンタカーではないという。
頁179、貴久鳥子サン(黄身島の年上のジョーカノ)が黄身島母に入れ替わる夢が出ます。これすごい直球だと思いました。とてもありそう。頁154では、私が現実だと思っていた「狩野が陸を刺す」が夢だと説明されますが、どうも私は納得いかない。夢でこんなのないんじゃないか。作者が読者を巻き込んでなにかやらかそうとしてるのではないかと疑心暗鬼。
頁45、狩野本棚が出ます。橋本まりという人と、書名「おじいさんといっしょ」等の著者が、誰か分かりませんでいた。作者についていけなかった。以上
*1:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*2:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*3:
レタリングシートは「文字」や「記号」などを擦る(こする)だけで、金属板、フィルム等
に簡単に転写できるものです。
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