『けものたちは故郷をめざす』"Beasts Head for Home" by Abe Kōbō 阿部、否、安部公房作(岩波文庫)読了

オーエサンの『個人的な体験』新潮文庫巻末の既出文庫本広告を見ていて、読もうと思った本。私は、アベサンの小説もほとんど読んだことがないです。伊東純也サンの一件では私も新潮社どうかと思うのですが、それはそれとして、これは広告のまま新潮文庫で読みたかったのですが、近隣の図書館に在庫がなく、岩波文庫で読みました。解説は星条旗の聞こえないリービ英雄NHKの番組で旧満州の阿部公房ゆかりの地を訪ねる番組に出演したリービサンは、奉天日本人街の旧安部邸を訪れ、其処に住む人民解放軍老幹部から、戦後食糧難の時代に日本庭園を畑にしてしまったと釈明されます。その時代をひとことでいうとと問うと、"乱" とのこと。英語の"Ruin"じゃなくてヨカッタデスネ。

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カバー=近藤一弥 装画=筒井萌 岩波は電子版がないので、新潮も置きます。今年三月七日に配信開始とか。

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新潮文庫の表紙写真が何処か知りたくもあり。

本書はリービ解説によると、アベサンの初期作品だからか、めずらしく「大衆文学」を書いた、という、見方もあるそうで、確かにエンタテイメントというか、「ノワールのバディもの」と言ってしまえば、それでFAというくくりの作品でもあります。リービサンは本書に先行する『終りし道の標に』と本書の比較も紹介していますが、『終りし道の標に』という作品は、元は『粘土塀』というタイトルで、「一切の故郷を拒否する放浪の末に、満洲の匪賊の虜囚となった日本人青年が書き綴った、3冊のノートの形式を取った物語」©Wikipediaだそうで、結末だけは一貫してアベ調の「閉塞」を貫いてるんだなと思いました。

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1946年 (昭和21年)、敗戦のために家を追われ、奉天市内を転々としながらサイダー製造などで生活費を得る。同年の暮れに引き揚げ船にて帰国。北海道の祖父母宅へ家族を送りとどけたのち帰京する。以後、安部は中国を再訪することはなく、小説家としても満洲における体験を書くことはなかった[注釈 4]。

4. ^ 満洲を舞台にした唯一の長篇小説『けものたちは故郷をめざす』も体験とはかけ離れたものであり、のちに安部はエッセイ「一寸先は闇」に私小説を書かない理由を記している[7]。

けものたちは故郷をめざす 満州に育った少年・久木久三は一九四五年の敗戦、満州国崩壊の混乱の中、まだ見ぬ故郷・日本をめざす。極限下での人間の存在を問う、 サスペンスに満ちた冒険譚。故郷、国家………………何物にも拘束されない人間の自由とは何か。安倍文学の初期代表作。(解説"リービ英雄)
ソ連軍が侵攻し、国府・八路両軍が跳梁する敗戦前夜の満州―――政治の渦に巻きこまれた人間にとって脅迫の中の“自由”とは何か?

右が岩波文庫カバー折のキャプション。左は新潮巻末広告のあらすじ。「國府」「八路」の言い回しにガツンと来て、借りたというのが真相です。割と一気に読みました。読めた。ラマダンで食事の時間が空くので。

リービサンは本書を「冒険譚」としていて、確かに、結末の閉塞までは圧倒的に、生島治郎船戸与一がタイムスリップしてアベサン名義で原稿を書いたとしてもおかしくないほど、「ふてほど-1.0」感が横溢してます。そして、胡桃沢耕史『天山を越えて』『東干』を読んだ時も思ったのですが、大陸を齧った邦人のセンスが横溢してるとしか言えないと思いました。うまく言語化出来なくて、センスが、としか言えないのですが、横溢してる。それだけは分かる。

壮士、荒野を駆ける

「T市に八路軍の孤児収容所が」(頁23)「油と鼠の小便のまじり合ったにおい」(頁31)鼠の小便のにおいをかいだことのない者は、僥倖である🄫富野由悠季

頁32

(略)山東訛まるだしの中国語で言った。

「これに積むはずの荷物は、どうなったんかね?」

 久三は身をひき、思わずジャケツの下のナイフの柄をつかんだ。別の男が、きれいな標準語で答えた。

「間に合わんので中止だそうだ。」

 山東訛が念をおした。「証明書をたのむよ。おれは正直な人間だからな、おれがごまかしなんて思われちゃ、迷惑だからな。」

山東訛りがどんなものか、なんであるか知っている者は僥倖である🄫富野由悠季 要するにチャオズが標準語でギョーザが山東なのですが、クリリンが北京語で桃白白が広東語かというとそれはちがう(タオパイパイは北京語。ヤムチャが広東語)ピッコロはイタリア語でちいさいおちんちんの意味と聞いたことがあります。

本書の地名は、いろんな人の先行研究によると、主人公の生息地《巴哈林》以外はおおむね実在しているそうで、《昂昂溪》という実在の鉄道駅から南へ二時間ほど南下した町が《巴哈林》だそうです。頁40。読んでみると、彼らの旅のアンドロメダ終着駅、海浜の駅や港の名前、《平水》《沙港》もパシッとハマる場所がありませんでした。

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主人公は満州を制圧したソ連兵の小間使い、小僧さんみたいな下働きをさせられていて、そこから逃げるわけですが、母親が死んだ際の、モンゴル兵との、ことばが通じない中でのやりとりは印象に残りました。頁46。ロシア語は若いのでこき使われるうちに少し覚え、漢語はそれなりに出来るレベルが主人公です。戦前から大陸にいると、それくらいな人間は石を投げればあたるくらいいたのかも。

頁46

(略)旧市街に出る橋のところで、荷車をひきリュックをかついで行進してくる汗だらけの日本人の一群に出あった。先頭に赤い小旗をたて、誰もが胸に赤いリボンをつけている。(略)やりすごして、ふと、見えかくれしながらその後をつけていく十人ばかりの屈強な中国人の男たちに気づいた。しかし声をだすわけにもいかず、黙って見送るよりほかはない。

赤いものを身に着けて、ソ連に恭順の意を示して、ソ連兵からの略奪を免れようという作戦だったようです。でも漢人には関係ない。

頁47

(略)半日走りまわったが、八百六十五人の日本人はどこに行ったのか、もうすっかり消えてしまっていた。(略)恐怖と疲労にうちのめされ、道端の塀によりかかっていると、数人の中国人の青年がやってきて無言のまま彼をおしのけ、彼がよりかかっていたあとに一枚のビラを貼りつけた。

《東北人的東北(東北人のための東北》

頁50に、簡単な1946~1948の略年表が載ってますが、何を載せて何を書かないかを見ていて、すごく分かる気がしました。台湾の2.28事件は書く、國府の重慶から南京遷都も書く。大陸最初の人民政府樹立書く。海外未帰還の邦人総数が4,039,447名であることも書く。米寄こせデモ書く。国共内戦本格化書く。新憲法戦争放棄書く、6.3.3教育体制書く。ガンジー暗殺書く。

逃亡に失敗した主人公はそれでもなぜか、ロシア人たちから送り出してもらえます。日本ファシストにひどい目に遭った復讐に行くと誤解してくれたからです。

頁55

 アレクサンドロフが、幾枚かの紙幣を駅長に払い、その紙片をうけとって、久三にわたした。

「特別旅行者証明書です。」とわきにいた八路軍将校が思いがけないあざやかな日本語で説明した。

「この列車は鉄嶺ティエリンのすぐ近くまで行きます。瀋陽シンヤン市はは国民党傀儡軍が占拠しているから、ずっと東側を迂回してください。解放区はこの証明でどこでも通れます。行先は安東になってますがいいですね……傀儡軍にはこの証明をみせないように、注意しなさい。かえって危険かもしれないね……それ以上のことは、行ってみなければ分らない……」

 二年ぶりに聞いた日本語である。久三は思わずたずねた。「日本人ですか?」

朝鮮人です。」と相手は不愛想にこたえた。

 アレクサンドロフが手まねで証明書をしまうように合図した。

「お礼を言いなさい。」と八路軍の将校がうながした。

「ありがとうスパシーバ」と久三が小声で言った。

本書の北京語ルビは、読売新聞ルール読みとあさっしんぶんルール混在な以外は正確で、一ヶ所、シェンヤンをシンヤンと書いているとこだけおかしいです。さいごまでシンヤン。私はここを読みながら、解放軍の朝鮮族軍人は、だいたいこの後の朝鮮戦争で死んでるんだよなあ、何かでそう読んだ、人の人生ってやつは… とむにゃむにゃ思いました。

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遠藤誉サンは長春で八路の包囲兵糧攻めに逢い、籠城する國府と米軍機の食糧投下なんかも見ています。本書の主人公たちは北満から瀋陽迄直接南下するので長春は通らず、もう少し後に激化する国共内戦下のチャーズは経験せずに済みます。

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ハンバーガーの中にミミズ肉は入っている?DNA鑑定してみた【都市伝説検証】 - YouTube

頁61。この鉄道で主人公はバディとなる汪木枕wangmuzhenと出会います。自己紹介で福建語が話せると言ってる時点で私は彼が國府側の人間だと確信しましたが、明々白々だったはずが、今改めて考えるとなんでそう思ったかハッキリしないです。彼の「寝ようスイジアオバ」”shuijiaoba“は、読売新聞ルールの表記です。

頁63

 ここはハンガリアから中央アジアの高原を横切ってつづく湿帯草原の東の端であり、タクラマカンとゴビの砂漠で切断された黒土地帯がその東端でふたたび姿をあらわす場所でもある。

頁64、白城”baicheng“はイチョンと書かれ、半濁音なので朝日新聞ルールです。以降、だいたいの地名は朝日新聞ルール。シンヤンだけなぞ。頁78のコルロス前旗は下記。

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前郭尔罗斯蒙古族自治县 - 维基百科,自由的百科全书

页96に出てくる地名は、《胆榆》だけ検索で出ませんでした。あとは出た。下記です。

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頁99、汪木枕は複雑な民族混成の血筋であることが分かり、ここから朝鮮系としても通るような高石塔という名前を用いだします。彼は、日本人になる時は手鼻をかまない、朝鮮人になるときは毛抜きでひげを抜くなどするそうです。

頁98

「(略)日本人はいいよ。しかし負けちゃったなあ。(略)」

高はたぶん出方を間違えると、國府側でも漢奸として処刑されてしまいそうな過去の持主だったのではないかと私は思います。だからあれほどまで人目につかないよう行動しようとした。

頁265、日本人密輸団の首領、大兼が鼻をかむ場面があるのですが、「手鼻ではなく、ハンカチを出してかんだ」とわざわざ書いてあります。私も最初に中国に行った時はそこらじゅうで手鼻をかんでいたので、例の唾吐きとコンボで驚いたものですが、唾吐きはなくならないのに、手鼻は急速に見なくなったです。先祖に言わせると、日本も戦前はかなり手鼻をかんでいたらしいのですが、アベサンはまた別の見解なのかな。で、これは私の個人的な思い出なのですが、最初の旅行中、あまりに手鼻が印象的だったので、手鼻を中国語でなんと云うか、絵入りの筆談で中国人から教えてもらい、正しくは〈擤鼻涕〉”xingbiti“なのですが、その時は相互誤解で、〈鼻涕〉"biti"、はなぢるだけ相手は紙に書き、私はそれを「ピーティー」と半濁音でメモしていました。のちに中国語を学ぶようになると、〈鼻〉"bi"が破裂音でないことも理解出来、日本にいた時から台湾人にマンツーマンでコレクトな発音を教授されたような人から、「バックパッカーの語学学習はあてにならないなあ」なんて、半濁音「ピーティー」を揶揄されたりしました。とても懐かしい思い出。

頁163、寶順號"baoshunhao"は検索で出ませんでした。コルチンツゾイチュンチは下記。

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道なき荒野を数日間野宿しながら彷徨った二人は街道に出たのち、路銀交渉をして馬車に転がり込みます。

頁198

(略)若者は道ばたに火をおこして湯をわかし、二人を外にかつぎだした。ゆすっても、なぐっても、目をさまさない。強い酒をふくませると、やっと意識をとりもどした。冷たく凍った煎餅チエンビンを火にあぶり、味噌をぬって食べさせる。にんにくをかじらせ、熱い湯に酒をたらしてすすらせる。二人は半分眠りながら、むさぼり食った。(略)

 ほうっておけば、二人は、いつまでも食べやめなかっただろう。高が三枚半、久三が四枚目を食べておえると、若者は火を消して食糧を入れた柳の籠に蓋をした。若者は親切な心の持主であった。

ですがこの後車夫は國府に捕らえられ、高はこれみよがしに若者をいたぶります。

頁204

「だから、考えているんだ……おれの考えじゃ、そいつらは国府の連中だと思うんだがね、八路は、行儀はよろしいからな……おれの考えじゃ、そうだな……つまり、このことは、大事なことなんだ……」

ホルチン左翼中旗からホルチン右翼前旗までごく近いとして、頁205の避難民行き倒れを葛根廟事件と重ね合わせる考えもあるようですが、重ね合わせるのは問題ないですが、場所は遠いです。ホルチン右翼前旗は白城よりさらに北に遡ってしまう位置です。

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Gegenmiao massacre - Wikipedia

頁210

(略)国府軍はたぶん世界で一番将校の多い軍隊であり、ときには兵隊の数よりも多いことさえある。(略)

このページに出てくる銭家店は下記。

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頁227、日本の密輸船がサッカリン食用油を買いに来るという《沙港》"shagang"は、大連市内とコロ島近くにそれっぽいのが出ましたが、どっちか分かりません。

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頁247、主人公はたぶん瀋陽で、行き場もなく公園に寝泊まりします。戦後焼け跡派ホームレス中学生

令和は平和。

同じ公園に中国人ホームレス中学生もいて、犬をとらまえてはその肉でたつきの道としている中学生なのですが、彼に《日僑留用者住宅》の所在を教えてもらい、なぜか「チャンコロめ!」と気持ちとうらはらに毒づきます。頁247。それまでの立場を逆転してまで感謝するのはむずかしい。

遠藤誉さんの父親も星新一の父親も留用者でしたか。そこの人は何の役にも立たず、けっきょく主人公は日本人密輸船につながって、中文が上手くない彼らにかわって通訳したりしながら、船に乗せてもらって帰国、そして衝撃的な結末、それまでのロードムービーをすべてひっくり返す、アベ的閉塞の世界に突入します。

Beasts Head for Home - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/d/d8/Cover_of_Beasts_Head_for_Home_by_Kobo_Abe.jpg左は英訳表紙。表紙がラストネタバレという…

リービ解説によると、生前阿部公房は本書英訳を「地味すぎる」からノーと言っていたそうで、没後立派な英訳がなされたそうです。

私はこのオチがだいきらいで、もっとマシなオチをつけろよとしか思わないのですが、私が唯一読んだ『砂の女』『箱男からしてもアベサンはこういうオチしかつけられないんだろうな、カストリ雑誌エログロナンセンス家畜人ヤプーと同時代だからしかたないか、という。『箱舟桜丸』も読んだと思うのですが、こういうオチではないかったです。たぶん。時代が違うせいか。

やっぱり引き揚げ者の生島治郎だったかが、日本人の苦力がいるとは思わなかったと回顧してることや、梶山季之だったか五木寛之だったかが、やはり日本で日本人の肉体労働者を見て、半島では肉体労働は邦人のするものではないかったので衝撃を受けたことなどと同類項のことが、結末に向かって主人公に襲いかかります。それは、頁265で、桜をまだ見たことのない大陸育ちの主人公が、桜も焼けてしまったろうかと気を揉む場面と表裏一体で。

ここまで、少年が主人公なのに、衆道っぽい展開がまるでないので、BL好きな読者は本書読んでせっかくバディものなのにツマラナイと思ってたと思いますが、頁293でやっと、「無事に出てきたら、可愛がってやるぜ!」というセリフが出ます。「えっ、それってそういう意味じゃないんじゃん? こじつけやめようよ」と言われるかもしれません。そしたらやめます。以上

昨日でお彼岸も終わり、墓参りも終わってそしてまだラマダンは折り返し前【ラマダンが始まってから十四日目の朝】

人形シリーズ 座間編

戦闘機「雷電」 の部品 1944年 J2M3雷電二一型 工作見本(操縦席前部の外板) 横150cm×縦100cm×最大厚45cm ジュラルミン製 所蔵座間市教育委員会

実物(部分)

引いて俯瞰。

此間肋材間隔400  設計図と、右の飛行機模型の赤い部分がこの部品にあたります。

今朝は、帰宅して、レシートの整理などした後、風呂が空いたので入り、外を見るとしらじらと夜が明けてきたので、ひとしきり畑や納屋の見回りをして、ラジオ体操に行って、帰ってお湯を沸かして、ストレッチして、お茶をあげました。

職場の給湯器が壊れ、牛丼屋のレシート発行機が壊れ、ラジオ体操会場のラジオが壊れました。ISのモスクワテロと関係あるのでしょうか(ない)

昨日は日記をつけた後仮眠をとりましたが、ぐうぐう腹が減って、先祖の女性たちが分配前の供物を前にブーブ―不満を言ってる夢を見ました。したっけ、故人が乾きものを買ってなだめようとしていた。

すき家の、かつて「カレ牛」と呼ばれていた牛カレーの肉2倍カレー。とん汁とおしんこセット。

夜二時半に夜勤を終え、その後朝まで仮眠するとサフール(ラマダン中の朝食。白い糸と黒い糸の見分けがつく時間、イムサック(ファジル)の前までに摂らないといけない。今朝の場合は東京と横浜が04:14、厚木が04:15)がとれないので日中空腹のまま過ごさねばならず、前日も空腹のまま過ごしてキツかったので、午前三時過ぎにこの辺で開いてる店といえばすき家一蘭しかなく、後者は遠いのですき家に行きました。

カレ牛にさらに牛皿並盛を盛ったところ。もちろんハラルフードではありません。なんちゃってラマダンならでは。

とん汁。ポークのハラルフードがあってたまるかという。でもそのうち食糧難になったら、緩和のファトワが出るかもしれない。

おしんこ

紅しょうがと持参の鷹の爪を盛ったところ。

完食

ほかに二組お客が居ました。

繰り返しになりますが、ほかに二組お客がいました。「どこに? 見えないんですけど」 それは霊だから。否、失礼になるのでほかのお客を写してないから。

まだ白い糸と黒い糸の区別がつかない時間であることはお分かりいただけると思います。

ラマダンは明日か明後日に折り返し点を迎えます。そのタイミングで、「ここまでよく頑張りましたで賞&最後までやりきろうキックオフ集会兼大規模礼拝のお誘い」があるかと思っていたのですが、やはり模造記憶で、ないみたいです。

職場にユーチューバーがいることが発覚し、正確には弾き語りをうpしてるミュージシャンなのですが、アイフォンで自撮りしてるのかと尋ねると、所属してるインディーズレーベルの社長さんが手配してくれて、それなりのしっかりしたカメラで撮ってるそうです。プロモートの一環なんですね。チェルみこというユニットや緑黄色やさかいというバンドの動画がムダに凝ってるので、なんでだろうと思ってましたが、請け負ってるカメラワークの人たちがむだに凝ってるのだろうと。

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この事件、一報時のヤフコメは、過去のチェチェン人の地下鉄テロがチェチェンへの大規模攻撃容認につながったように、これを契機に締めつけを強めてさらに動員したいプーチン政権を利するテロなので、ロシアの自作自演ではないかというものでした。成る程。だからIS(名乗ればIS、誰でもIS)が犯行声明してもウクライナとの関係説を情宣。

⑦物価上昇生活支援金という臨時手当が出ます。そのかわり賃上げはないようで。

⑧今日のイフタルは東京と横浜で18:03、厚木が18:04。

練習して、できるようになろう!× 大人だってずっと練習だよ! 今週のお題は「練習していること」です。 なにか新しいことを始めたくなる季節です! 最初は誰でも初心者。練習して、だんだんできるようになっていくのは楽しいものですよね。「練習していること」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「きれいなオムレツを包む練習をしています」「子どもがひらがなの練習中」「久しぶりにピアノを練習してみようかな」など、あなたの「練習していること」にまつわることを、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

今週のお題「練習していること」

ラマダンも練習です。

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ディスカバービーローズでかかってた曲をつべで聴き直して、その次に流れたこれのほうがよかったので、これを置きます。ディスカバービーローズとゴンチチ聞きました。和田唱という人はのだめの宿六なんですね。フミヤが言ってて知りました。

⑪今日は昼まで結局寝てました。それから、読書感想(食事をしないのでその時間読書をすると本は読めますが、集中力がないので感想が書けない)を書いてると雨が降ってきて、耕運機掛けようとか里芋の毛を毟ろうとか思っていたのが、溶けてゆきます。あと一時間で飲み食い出来る。もう頭の中はそれ一色。

⑫蚕豆のシルバーマルチが一部霜で凍っていて、黒マルチに比べ、寒さもアップさせてしまうのかしらと思いました。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

『シンコ・エスキーナス街の罠』"CINCO ESQUINAS" MARIO VARGAS LLOSA マリオ・バルガス=ジョサ 田村さと子訳 Translated by Tamura Satoko 読了

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/8/87/Cinco_esquinas_%28Mario_Vargas_Llosa%29.pngペルーを代表するノーベル賞作家、マリオ・バルガス=ジョササンの小説を、読み続けようと手に取った一冊。ジョササン八十歳の傘寿祝いの時に刊行された小説です。老いて尚盛ん。河出の日本語版は血を連想させるカバーですが、スペイン語版のカバーは左のようにエロティックで百合。実際にそういう内容です。百合とマチズモ、百合と暴力、百合と恐怖政権、百合とテロ。右の、すね毛のない足の人の手が開いている新聞の見出し "EN TODO EL PAÍS TOQUE DE QUEDA" は「全国的に外出禁止令」(グーグル翻訳を修正)

最初の大統領選にはジョササンも出馬し、決選投票の末敗れたフジモリ政権の末期、モンテシノス国家情報局特別顧問*1による反フジモリ派、マスコミへの脅迫、圧力、軍諜報機関内での拷問や虐殺をフィクションとして描いた小説です。フジモリサンはのちの亡命後に日本でお荷物扱いされる風潮があったりで私としてはお気の毒と思ってるのですが、ジョササンにとっては、政権時の腐敗や人権蹂躙見過ごせないワ、てなもんだったようで、肉喰ってる白人の粘着気質と言ってはいけないのですが、先のカタールワールドカップ決勝でも人種のメルティングポット=フランス代表を蹴散らした白豪集団アルヘンティノスをジョササンはキライなのですがやはり同根同種という趣を感じてしまいました。そのあからさまなコンキスタドーレス気質、スペイン礼賛がジョササンが敗れた主要因なのですが、反省する理由もないので、意気軒昂なまま。

The Neighborhood (novel) - Wikipedia

Cinco esquinas (novela) - Wikipedia, la enciclopedia libre

訳者の田村さと子サンは翻訳当時の2019年、ジョササン同様マドリッド暮らしだったそうで、メヒコとスペインでラテンアメリカ文学を学んだ田村サンはペルーには五度も行ったことがあるそうで、本書の舞台になった当時の訪問を回想し、参加した国際シンポ一行でリマ近郊のインカ遺跡を見学した際、大学関係者が「ここで人質になったら国際的なスキャンダルね」とジョークを飛ばすのを聞いてます。その場所も毛沢東派ゲリラ組織センデス・ルミノソとの攻防激戦地で、夜陰に乗じてゲリラが歩くと物音が立って村人に知らせる仕掛けにぐるりと取り巻かれていたとか。私が読んだラテンアメリカ文学の翻訳者野谷文昭サンは『フリアとシナリオライター*2翻訳時の21世紀初頭、やっとペルーを訪ねることが出来たそうで、人によってちがうものだとも思いました。

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装幀 水戸部功 2019年9月初版 センデロ・ルミノソトゥパク・アマル革命運動というふたつの左翼ゲリラにフジモリ政権は苦しめられ、かつ強権的に弾圧したわけですが、フジモリ政権が倒れると、ぱたっと極左テロ勢力も消滅してしまうのがなんとも。やっぱアーモンドアイがいやだったんでしょと白いペルー人に言うと、激烈な反論が返って来そうでイエマセン。

センデロ・ルミノソ - Wikipedia

トゥパク・アマル革命運動 - Wikipedia

私がちょくちょく関係書籍を読んでるスリランカも、タミル・イーラム解放の虎と人民解放戦線、ふたつの反政府テロと暴動に悩まされて来た国なので、どっちも反政府運動がふたつあって、どっちも日系・日本が評価されてた時代(フジモリ政権とサラッチャンドラ『亡き人』『お命日』)なのが興味深いと言い切れると炯眼なのですが、スリランカの日本評価は単なる文学の話ですし、ペルーのトゥパク・アマルスリランカのタミル人民族運動とちがってケチュア語話者の復興民族運動でもなんでもないタダの左翼ですので、旨いこと比較したつもりでレポート書いてゼミや講義で提出したら、AIなら高評価、人間の先生なら0点になるでしょう。

タミル・イーラム解放のトラ - Wikipedia

人民解放戦線 (スリランカ) - Wikipedia

2022年スリランカ反政府運動 - Wikipedia

英語版の表紙がエックスメンみたいな理由は分かりません。「シンコ・エスキーナス」は訳者あとがきによると、インカ時代には神殿が建てられ、スペイン人たちがリマ市を築いた時には城壁を築いてケチュア語話者たちからの襲撃に備えた、ペルーでもっとも歴史のある地区だそうです。20世紀後半になるとスラム化が進み、治安の悪い場所のひとつになったとか。下は往時を住民から街頭インタビューで聴く動画と、グーグルマップ。

Conoce la historia del emblemático "Cinco Esquinas" - YouTube

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私はペルーには食文化に関して興味があるので、その方面の記述を抜き出します。

頁49、「わずかな金でスープに豆入りご飯、コンポートという定食メニューで昼食をとっていたオコニャ大通りの安宿」

頁72、ラ・レタキータというヒロインの母親不在の幼少時、父親と共同ナントカ者が営んでいたエモリエンテという街頭売りの飲み物の屋台の飲み物、エモリエンテは知りませんでした。「大麦やアマニ、ポルド、トクサで作られたこの伝統的なクレオールの飲み物」「大きな瓶を引いていく道中」顧客は朝帰りの遊び人や夜明けに工場入りする労働者たちで、「彼女はナプキンにしていた裁断した紙と一緒にガラスのコップを顧客に渡すのを手伝った」「骨が折れるし危険な仕事だった」「襲われて一日の稼ぎのすべてを奪われたことが何回もあった」材料はたぶんペルー雑貨屋で買えると思うのですが、自作めんどいので、どこかのお店で出してないか聞くとなると、私の「たかり上手の甘え下手」が炸裂するので、あまりやりたくない。

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頁75、「家に着くとキッチンで袋入りのインスタントスープを作り、オーブンの中に入れたままにしていたモンドンゴ(臓物の煮込み)入りのご飯を温め直した」

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モンドンギート。2021年12月。中津

頁108には、「跣足カルメル修道会が、フニン大通りの第八ブロックとカルメン・アルトの交差する場所の聖母カルメル修道院で提供していた大衆食堂」という記述があり、章題も「大衆食堂」なのですが、これ、教会の「炊き出し」ですよね。貧困層への無料配布の。大衆食堂では決してないと思うのですが、こういうところがジョササンの無意識の無遠慮さ、選挙で落ちるポイントなのだろうと思い、かつまた、訳者の田村サンも本気か?と思いました。訳者あとがきには、翻訳に関して会田宣子サン、矢口啓子サン、ミラグロス・ロペスさん、ペルーニスモと呼ばれるペルー特有の表現についてはアルフレード・アレンコートサン、河出編集部の木村由美子サンに謝辞を述べてますが、教会の炊き出しを大衆食堂と表現したら、大衆食堂に失礼やろと思います。メニューもえらばれへんし、無料やし、それを大衆食堂と書いたらアカン。ラマダンの夜の食事、イフタールはマスジッドや街頭で供されるものは無料が多いそうですが、大衆食堂じゃないですよね。

「メニューはほとんどいつも同じで、古くてボコボコへこんだブリキの皿に入れて出された。パスタ入りスープ、野菜の煮込みとご飯、デザートにはリンゴかレモンのコンポート」ここの常連の、詩の朗誦者で、ゴシップ誌のスキャンダル記事で人生を破滅させられた人物は、もう少し肉を入れてほしいと注文をつけますが、叶えられることはありません。

同じページに、ジョークですが、「猫のセコ(肉の煮込み)」が出ます。まずそう。セッコはコリアンダースペイン語でシラントロ、"cilantro")ソースで煮込む料理なので、猫肉でそれをやるのかという…

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牛肉のセッコとカウカウ(牛のハチノスのターメリック煮込み)テイクアウト。2020年秋。厚木。

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2021年冬。今はなき大和の店で。牛肉のセッコとタクタク(冷えた豆ゴハンを焼いた黒人料理)

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牛肉のセッコ。2022年秋。中津。

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同。フリホーレスつき。2022年秋。

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牛セッコとフリホーレス。2023年冬。夏。

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鶏肉のセッコとフリホーレス。2023年夏。伊那。

確か荒井商店の本には、ヤギのセッコが載ってたはずです。

頁117、「ラ・レタキータは毎日つましい朝食を準備した。ミルク入りコーヒーとトウモロコシ粉のビスケット」「そのカフェにはトウモロコシ粉のビスケットがなかったので、ミルク入りコーヒーとありきたりのスポンジケーキを頼むと、チャンカイ出身の給仕が運んできた」

ジョササンの小説にはコーヒーばかり出てくるのですが、実際にペルー料理店で見ていると、インカコーラ、チチャモラーダというムラサキトウモロコシの甘い飲料などで食事をする人ばかりです。カモミールティーやアニスティーなどのハーブティーもあり、コーヒーも、スナックスタンド的な店では大きなペルーのコロッケであるパパレジェーナ、チッチャロンデチャンチョだったかな、炙り豚皮つき肉のサンドイッチ、南米の揚げパイであるエンパナーダ、ソーセージとジャガイモを炒めたサルチパパなどと一緒にコーヒーを飲む人も見た記憶がありますが、当の私がコーヒー党で、ペルーの雑貨屋ではそういうコーヒーの飲み方をしているので、見かけたら私かもしれません。

頁167、「ウィリーはいつも新鮮なムール貝と冷たいビールのある安酒場での昼食に彼を招いた」確かにペルーの海鮮料理には必ずムール貝が入ってます。そういうとこも欧州っぽい。

頁177

(略)バーの主人がニベのセビッチェを作ろうか、と訊きにきた。

「新鮮か?」とウィリーが尋ねた。

「明け方にカジャオから運ばれてきたんだ。海から捕れたばかりだよ」

「じゃあ、うまいセビッチェを二つ。それとビールをもう一本、よく冷えたやつを」

野谷文昭サン訳『フリアとシナリオライター』にもニベが出てきて、二人で二匹たいらげたことになっているのですが、田村サン訳だと、どうも欧州文化として、大皿シェアをしないので、ひとりひと皿頼んでる感じです。いろんな料理が楽しめないし、量も多くなるし支払いも高くなると思うのですが、シェアしない。

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中津の日替わりメニューでニベのセビチェが出た時の写真。2023年冬。

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そのニベのセビチェ。セビチェと書くかセビーチェと書くかに私はこだわっているのですが、田村サン訳はセビチェです。促音キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! マドリード風にはっちょんするとセビチェなのか。

頁192、ラ・レタキータがモンテシノスとじか面談する場面で、モンテシノスはフルーツジュース、コーヒー、ジャム付きトーストの朝食を摂っています。農文協の絵本世界の食事シリーズのペルー編では、ペルー人は朝はパンと紅茶ということになっているのですが、ブラジル人がブラジル風のポンに固執して、ブラジルスーパーでブラジル風のパンをドカ買いするのに比べ、ペルー人は食パンのトーストでもこだわらないのではないかという印象を私は持っています。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

ソパデクリオージャという、夜更かしや朝帰りに食べるカリカリパンが入ったスープに入れるパンも食パンだし。

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Sopa criolla / ソパ・クリオージャ。今年二月。

頁208、のちに写真をネタに脅迫され、暴露されて一大スキャンダルになる乱交パーティで、乾杯して飲み干した後、盃を頭上でひっくり返して中身がもうないことを示すあの儀礼が出ます。スペインにもあるのか。「セコ・イ・ボルテアド(杯を干して引っくりかえせ)」と言うそうで。検索すると、スパニッシュはサルート(東急線の広報誌名)で、この表現はペルー特有のようです。マサカ中国から来たのではあるまいなと。でも中国もおおもとはたぶんソ連からなので、ソ連から来た気瓦斯。キューバ経由かどうかは知りませんが。

Martha Hildebrandt: el significado de “Seco y volteado” | OPINION | EL COMERCIO PERÚ

下はよく分からない動画。ネットラジオ

www.youtube.com

頁216

(略)私を殴ったら記憶が戻ると思わないでください。これ以上お願いすることはありません。私の頭はずいぶん前から、マサモーラ(トウモロコシのデザート)のようなものになっているんです。わかってください。だからお願いします。心からお願いします。私をそっとしておいてください。これ以上殴らないでください」

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右側がモサモーラ。左側はライスプディング、アロスコンレッチェ。川崎。2023年5月。

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226、ミラフローレスの〈ロス・シエテ・ペスカードス・カピタレス〉"los siete pescados capitales"(ロス・シエテ・ペカードス・カピタレス七つの大罪)los siete pecados capitalesにかけている)というシーフードの店も実在するか検索しましたが、よく分かりません。ペスカドは、魚の意味と思います。

www.versaillesrestaurant.com

en.wikipedia.org

https://assets-global.website-files.com/5f9b2a13bc4f61ef6ae5347a/6075e2ece4db66673d65b2b4_4C8A8808-p-500.jpeg右もマイアミのキューバレストラン、エル・ヴェルサイユ

下は、七つの海鮮でラ・レタキータとカメラマンが頼んだ料理。

頁228

 冷たいビールにニベのセビッチェを二つ、フリエタはライスを添えたカラプルクラ(ジャガイモと肉のピーナッツ煮込み)を、セフェリノはやはりライスと添えた辛いアヒ・ガジナ(チリソースで煮込んだ鶏肉)を注文した。

カラプルクラはよく、ただのジャガイモでなくインカのジャガイモと付加価値をつけて書かれます。アヒ・ガジーナはたいてい長音で表記され、アヒは確かに唐辛子なのでチリなのですが、チリソースというと赤い甘辛いあのソースの印象が強く、黄色いアヒソースで作った離乳食みたいな西アジアムスリム料理ハリームのような「ペルーのカレー」アヒ・ガジーナを想起することは出来ません。

maps.app.goo.gl

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カラプルクラ。鶴見。2023年冬。

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カラプルクラとスペアリブ(コスティージャアラブラーサ)のコンボ。中津。日替わり。2023年春。

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カラプルクラと鶏むね肉のカツ(スプレマデポヨ)のコンボ。中津。日替わり。2023年夏。

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アヒデガジーナ。こうやって実物を見れば、「チリソース煮」がえらい語弊を招く言い方であることが分かるはず。2022年晩秋。

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アヒデガジーナとアンティクーチョ(牛ハツタレ焼き)のセット。2023年早春。

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ランチのアヒデガジーナ。川崎。2023年5月。

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アヒデガジーナを入れた春巻。2023年4月。八王子。

頁266

 午後三時近くにテーブルに着いた。実際、セビッチェと鉄板焼きのニベはとても新鮮でおいしかったし、何よりもよく冷えたフランス産ワインのシャブリと一緒だったのがよかった。

ペルー料理店は休日は午後休みしないでずっと開いてる店が多いです。日本でも。鶴見の西側のほうの店は平日もそうかな。

邦訳表紙拡大。

頁89、「いつもストールとネクタイを身に着けていた」脚本家がマエストロと呼ばれていた、という記述を読んで、ストールってなんだっけと悩んでしまいました。スカーフとネクタイなら、同時につけるのはとてつもなくヘンですし、マフラーとネクタイならふつう。さて、ストールは? ケープじゃないだろうし。ストールはマフラーとちがって、上着を外してもつけてるイメージがあるので、ネクタイとの重ね着はよく分かりません。

頁91、「ことわざでは「不幸よ、一人で來るなら来てもいい(「不幸は重なってやってくる」の意)と言うが」の文章は検索しました。"Bien vengas, mal, si vien es solo." というのが出ました。前段の文章があって、ここでは「不幸」という単語は省略されてるみたいです。

【スペイン語の諺 #044】不幸は単独でやってこない【#202】 - YouTube

頁95、お金持ちの家の庭にインドのガジュマル、北米のメタセコイア、一対のアンデスコショウボクが植わっていて、高い木々でいっぱいの庭とある描写は説得力がありました。さすがセレブ。都心で高い木ばっかり植えても日照権の侵害にならない広さ。最近、ヒカキンが豪邸にオリーブ植えたがゾウムシにやられていた木で、数日で倒れたという記事を読み、こういう木を植えればよかったのにと思いました。

ja.wikipedia.org

ガジュマルとメタセコイア同時に植えてるなんて、イカス。

頁115

(略)「デスペタス」を並べているキオスクを探そうと思った。彼とアタナシアがあまりにも清い信心家であったために一度もしたことがない、有名な69をしているその大富豪を見たいと思ったのだ。(略)《69やクンニリングスがどんなものか知らずにおまえは死ぬんだろう、フアニート》ばかげている。彼とアタナシアはそんな奇抜なことをしなくたってあれほど幸せだったじゃないか?

『フリオとシナリオライター』の劇中挿話にもあったのですが、頁125、「警察の大佐」という表現があり、ペルーでは警察も軍隊と同じ階級名称であることが分かります。中国の公安警察と八一人民解放軍以上に、ペルーの両者は親密なのかもしれない。

これも『フリオとシナリオライター』に同じ話があったのですが、先祖に中国人女性と結婚したコンキスタドーレス末裔の話が出ます。

頁157

(略)「つまり、あなたのおばあさんは中国人だったのね。本当の中国人?」

「まあ、ペルーに住み着いた中国人だったのだろう」とルシアノが正確に述べた。「でもまさしく中国の中国人だったと思う。(略)

「理由は愛情でしょ」とマリサが言った。「ほかにはあり得ないわ。大富豪が中国人に恋をした、それでおしまい。東洋の女性はベッドではやり手だっていうじゃない?」

「ああ、祖父は中国の女に狂ったように惚れたにちがいない」(略)

「これからは、あなたをチニート(中国人)と呼びましょうね」とマリサが笑いながら付け加えた。

「黙れ、黙れ、フジモリがそう呼ばれているじゃないか」とやはり笑いながら、ルシアノが彼女を遮った。「チノチョロ(中国系混血)のほうがいい」

(略)

「僕が小さかった頃、農園の年取った作男たちは彼女のことを覚えていた」ルシアノが言った。「乗馬ズボンと乗馬ブーツをはいて麦藁帽子をかぶり、気丈で鞭をもって農園を巡っては、灌漑や種まき、収穫を監視して指示を与え、怠け者や従わない作男を叱り飛ばして鞭打ちさえした」

 しかしルシアノを最も驚かせたのは、七月二十八日の独立記念日の伝統的な祝祭で(略)祖母ラウラが靴を脱いで農園のチョラたちのように裸足になって作男の一人とマリネラを踊ったことだった。作男たちは一般にサンボ(黒人と先住民の混血)や黒人で、マリネラの最高の踊り手だった。家の女主人、大地主の妻が作男とマリネラを踊るのはいずれにしてもあり得ないことで、彼女は何十人という作男や、農民、小作人、運転手、トラクター運転手、使用人などから拍手喝采を受けた。出席者全員を熱狂させた出来事だったようだ。(略)祖母ラウラはマリネラの素晴らしい踊り手だったようだ。(略)

マリネラ大泉町のペルー人たちが、ブラジルにサンバがあるならペルーにはマリネラがあるってことで、取り組んでる民族舞踊で、動画を見ると、ペルーでは白人ばかりが踊ってるイメージですが、当の白人のジョササンが、黒人や先住民と黒人の混血が名手と書いてて、ここはいいなと思いました。この記述はその後、祖父のドン・カシミロが妻の家族の中国人雑貨商一家を蒸発させるというぞっとする話に続きます。妻の出自をうかがわせるものは一切身辺から消す。ルシアノは、雑貨商一家は国境周辺やジャングルに因果を含めて引っ越しさせられたのだろうと推測しています。

頁211

「お嬢さん、あなたは僕の男根、ペニス、またはここの現地の人たちが言うようにピチュラの上に坐りたまえ」とコスット氏は仰々しい礼儀正しさでそう求め命令した。「そしてあんたはこっちに来なさい、金髪娘、ここに跪いてあんたの性器を僕に差し出してくれ。あまり清潔じゃなくてもかまわないよ、僕はそうしたささいなことにはこだわらないから、パルメザンチーズの匂いがするなら、なおいいね、あはは。フランス人がミネタと呼び、スペイン人は下品だからママダと呼んでいると思うが、あんたにしてやろう。ペルー人はなんと呼ぶのかね?」

「チュパディタって言うのよ」とリシアかリヒアが笑った。「反対なら、コルネティタ」

本書は、モンテシノスがなぜフジモリ政権中枢に入りこめて食い荒らせたか、頁193で大胆な説を提起しています。いわく、フジモリは日系移住者の両親からペルーで生まれた生地主義のペルー国籍者ではなく、日系移住者の両親に連れられて幼少期にペルーに渡った、日本国籍者、日本人だった。彼の家族は彼の出生証明書を偽造あるいは購入し、独立記念日に彼がペルーで生まれたことにして、洗礼も受けたことにした。フジモリと反目する海軍がその事実を一回目の選挙と二回目の選挙の間に手に入れ、フジモリはモンテシノスに泣きつき、彼はもみ消しに成功した。海軍高官たちが買収されたのか、弱みを握られて黙らされたのか、それは分からないことにしてあります。なんちゅうかな、巻頭に「展開される出来事は事実とは一致していないし、作者は常に作品においては絶対的自由を有している」と書いてはいるんですが、でもなんだかなあ。確かに暗い時代ではあったのでしょうが、センデロ・ルミノソトゥパク・アマルがいけないのであって、あまりフジモリ叩きをしたくないです、私は。どうにも選挙に負けたジョササンがそれをフィクションでやるというのが、へんな正義感ぶったガウチョイスモという気がして、なんだかなあとも思いました。ウィキペディアを見ると、ジョササンは現在ではフジモリの娘さん(野党政治家)支持だそうですが、どのツラさげてという。

で、これだけやって、中国系は登場人物の祖母の話(ジョササン一族の眷族の話として『フリアとシナリオライター』にも出た)わりに、日系に関するであろう描写は、二ヶ所くらい、乱交シーンで、女性が別の女性に「あなた芸者みたいよ」というだけ。あんまりかなと思いました。確かに『ペルーの和食』という本では、北米の日系移民が、なかなかカリフォーニア社会と同化せず、黄禍論を喚起する軋轢ばかり起こしてるのに、ペルーでは五年住むともう現地人と見分けがつかなくなると、戦前日本外交官の観察として書いてあるのですが、それにしたって。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

ブラジルの日系が勝ち組として敗戦後の北米日系人に「いつかブラジルから連合艦隊が來る」とありもしない希望を与え続けた(そういうチェーンメールがあったとか)のに対し、ペルーの日系人はわざわざ北米に送られて日系人収容所に収容されたとか、そっから大統領を輩出するまでになったのに、そういうのをジョササンが一切書かないのは、この人らしいと思いつつも憎たらしいという。以上

昨日と今日の東京のマグレブは時刻が同じです【ラマダン始まって十三日目の朝】

人形シリーズ 座間編

拡大 かいこのまゆだま細工だそうです。名人の技。

昨日はラジオ体操しました。平熱。またまた一円玉を拾って、交通安全のお地蔵さんへお賽銭にしました。

下に記事にあるように、あったかくなってきたせいか、唇や喉が日中乾いてきました。

b.hatena.ne.jp

まあ、ひとりじゃない一体感をあじわえるのがだいご味でしょうから、ぼっちラマダンはあり得ないと思います。私はなんちゃってなので、今やってますが。此の非日常状態をキープしつつ、毎日六回礼拝してたら、そりゃ宗教的陶酔はハンパないかと。

Ramadan Calendar - 2043 - Prayer Times and Adhan Player

たぶんホントに一時的に改宗して礼拝やイフタール(イザベル・アジャーニ主演映画ではなく、ラマダン中の夜の食事)を分かち合おうとするなら、上の2043年、夏の暑い盛りなんかどうだろうと思いますが、生きてるかどうか分かりませんし、生きてても体力的にどうか不明です。

Ramadan Calendar - 2032 - Prayer Times and Adhan Player

このあたりだと冬至を挟んだ、北半球で最も日中が短い時期にラマダンを行なえるので、トライアルラマダンに最適の時期かもしれません。その時何故か南半球に移住してたら大変ですが。北半球と南半球でラマダンの時期が異なるということもないようですし。

カメラのキタムラで白黒フィルムのプリントを頼もうとしたら、工場送付で一~二週間かかるとのことで、小出で数時間でやってくれたのが奇跡だと分かりました。もう一度小出に行きます。ラマダンのあとに。

路上に犬の糞が落ちているのは、休日後が多いです。おそらく、日常的に犬の散歩をさせている人は、糞をそのままにしているところをもし万が一見られたら、ルーティンの散歩ルートを通る際気まずくなるので、マナーが徹底してると思いますが、「たまのお休みなんだからワンちゃんのおさんぽくらいさせてよ」「おーよしよし、元気か。たまにはさんぽするか」なんて人だと、次いつ通るか分からないので、軽い気持ちでパリジャンなみに落とし物をそのままにするんだと思います。ので、休日後に自転車を走らせていると、あっちにもこっちにも犬の糞。さいていです。

こういう時、イスラム教では犬は不浄の動物で、触った後は泥で体のその部分を清めなければならないという戒律について考えたりします。犬は人間が一番最初に家畜化した生きもののひとつで、番犬として実に有能なのに、なぜその機能を封じているのか。日本の山家でも、中国の山岳地帯でも、夜間道に迷うと、必ず番犬が吠えてきて、時には人が猟銃を持って出て来ます。そういう光景が、回教圏にはないと思うと、不思議。そうして無力化された村に簡単に侵入出来てしまうので、その分人力ほかでの防御力に力が入りますと。

先日もニュースで、レバノン近郊のイスラエルの村がヒズボラに襲われて、廃墟に野犬がうろついてるなんて報道がありましたが、野犬がいるくらいだからユダヤ人の村か、マロン派キリスト教徒のアラブ人の村なんだろうなと思いました。知人がインドネシアで暮らしていた時も、一人暮らしの農園暮らしでぶっそうなので、番犬を飼って友だちにしていたのですが、隣の老人が原理主義者で、ことあるごとに犬を目の敵にしてたとか。別に盗みに入れなかったから腹いせに嫌がらせをしてたわけでもないと思いますが…

この日のイムサックは、東京と横浜が04 : 15で、厚木が : でした。 マグレブは東京と横浜が18 : 02で、厚木が : 。手元に厚木がいつか書いてあるメモがない。

さて。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

お出かけとラマダン【ラマダンが始まってから十二日目の朝】

SZEGED HUNGARIAN HOT PAPRIKA NET WT 5 OZ 142g

人形シリーズ 自由が丘編

今朝は、目覚ましを十分速めて03:50にして起きて、お湯を沸かしながら、白ゴハンにチャンジャとちっさいイワシの圧力釜炊きを載せて、玉ねぎとチクワのおつゆで飲みながらネスカフェのカフェオレとレモンバーベナハーブティーを流し込んで、牛乳飲んで、タイムアップまでまだあと五分。食器を洗って片づけました。

その後歯を磨いて、トイレ一回。お茶をあげて、ストレッチして、トイレもう一回。水分を摂ればお通じがある。水分を摂る時間が限定されてると、なかなかこれがむつかしい。ほんとにこれが難点だと思います。食事が一日一食なんて人はザラにいると思いますが、一日の起きてる時間の3/4くらい水分とらない人はかなりいないはず。

食べれる時間のドカ食いによる肥満を防ぐため、お腹が膨れるサプリを併用する人もいそうな気がしますが、すでにそういうのを戒めるハジーズだかファトワもあるような気がします。が、調べてません。戒められてないかったりして。

昨日は一冊読み終えた本の読書感想を書きたかったのですが、時間的に無理だなあという感じで、はたして無理でした。スペイン語の"EN TODO EL PAÍS TOQUE DE QUEDA"が、「全国的に夜間外出禁止」の意味だとグーグル翻訳したくらい。

七時半ぐらいに寝ればよかったのに、無駄にねばったのでは八時半就寝。昼間、スリランカ料理店にウィクラマシンハサンの本を読んだと話に行ったり、紀伊国屋書店で本の受け取りをしたり、あれこれ動いた後種まきやら寒冷紗外しをしたりしました。畑の、一心不乱にやる仕事ならいいのですが、前半の、あれこれふらふらする行動は、いけない。空腹を意識しがちで、何か食べてもいいかという気にすぐなる。ナントカ欲求と似ています。自助グループのように決まった方向性の場所に行くのならそうでもないが、あれこれふらふらはよくない。たぶん回教徒はだから、マスジッドには礼拝と仲間に会うという明確な目的があるから行くが、あちこちふらふらはしない気がします。この時期。

今日のイムサック(ファジル)は、東京と横浜が04 : 17で、厚木が04 : 18でした。 マグレブは東京と横浜が18 : 02で、厚木が18 : 03。

ねこは中。平熱。明日からしばらく曇り時々雨と聞いてましたが、どの程度なのか。予報はころころ。昨年のように、桜が雨ですぐ散ることになるのか。

さて。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

戦旅とラマダン【ラマダンが始まってから十一日目の朝から始まった一日が終わって】

Magyar-Japán Baráti Társaság

人形シリーズ 自由が丘編 "Magyar-Japán Baráti Társaság"は、「日本ハンガリ―友好協会」とグーグルが翻訳してくれました。

昨日は、ラジオ体操しました。

わさび茶漬けとキムチを買おうと思いましたが、チャンジャを買いました。

またまた一円玉を拾って、お賽銭にあげました。

靴下用のホッカイロが尽きましたが、もう暖かいので買い足さないです。

戦闘員はラマダン免除だと思っていましたが、それを保証する文言が見つけられず、おかしいなあ、アフガンではそうじゃかったっけ? と悶々としていました。しかしまあ、「戦旅」ということばがあるように、ムジャヒディーンは毎日自宅から出勤して戦争してるわけではなく、故郷を離れて各地を転戦しているでしょうから、それは旅行の一種。旅行中はラマダン免除ですので、それで戦士は断食しなくてもよいという理屈かな、と、ちょっと考えています。

ミムラ最近見ないけど、改名したんだっけ?」

「うんそう。吉田羊って名乗ってるらしいよ」

「波留が義理の娘なんだっけ?」

「うんそう。上の娘がそれで、下はあのちゃん」

ファンキーフライデーまで流し聴きして、内容もよく分からぬまま、とりあえず聴き逃しが聞ける時間は終わってしまいました。女性がひとりで畑を人力で耕していて、えらい手間だと思いながら見ていると、男性が来てサジェスチョンしていて、父親かなと思っていたらオシリを触ったりしてじゃれあっていて、よく見ると夫婦でした。中国人。ラオス人のオバチャンが、市民農園の空きがない、三年待ちとボヤいていたのが三年前。公的な農地のマッチング紹介事業みたいのが始まったら、さっと中国の人が、農園のスペースでなくイキナリ耕地を借りていたので驚きました。軽トラとヴァンで来ていた。その辺の情報処理能力というか情報伝達と意志決断のスピード感の違いが、彼らの言う「ウェンホア」(文化)なんでしょうが… 軽トラ持ちの人なので、普段も現場の仕事をしている人だと思うので、今度、いつもはどんな仕事をしているのか聞いてみます。なかなか農民と都市の差は根深いのが中国なので、畑仕事をやる壮年の中国人がどういった人なのかには関心を抱かざるを得ない。《三毛流浪記》の巻末オマケまんがには、作者の陳平(陈乐平)サンが孫と一緒に家庭菜園でチンゲンサイをこさえてニワトリに食われるなどのほほえましい話が収録されてましたが、よく考えると大躍進で、なんでもかんでも耕地拡大の飢餓時代のマンガなので、うら事情を考えると怖かったり。

この日のイムサックは、東京と横浜が 04: 18で、厚木が04 : 20でした。 マグレブは東京と横浜が18 : 01で、厚木が18 : 02。

寝ます。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

ラマダンと花粉症、というタイトルを考えましたが内容が思いつきません。神奈川の無花粉杉植樹頑張れ。でもすぐ苗木盗まれて拡散する気瓦斯【ラマダン開始から十日目の朝】(ラマダンとノウルーズ)

BARACK LOKOR®

人形シリーズ 自由が丘編

今朝も、四時に起きて、ゴハン永谷園のお茶漬けワサビ茶漬けでかっこんで、ネスカフェ飲んで、レモンバーベナハーブティー飲んで、四時二十分東京二十一分厚木のイムサック、ファジルです。夜は十八時ちょうどもしくは一分がマグレブ。めんどくさいからどっちかはしょってもいいような、でも食べないと持たないからやっぱり食べよう的な。そしてドカ食いしてしまい、やっぱよくないな~と思う。

その後お湯を沸かして、ストレッチして、お茶をあげて。読書感想を書いて。靴下用の使い捨てカイロがなくなりました。牛乳も。

ラマダンで昼間水が飲めないのは、水場が敵の多神教徒に抑えられているなどして、耐え切れず日中水を飲みに来たところを襲撃されるリスクを防ぐため、夜陰に乗じてこっそり水のみに行ける耐性を日頃からつけておく意味もあるのかな、と、非ムスリムから、千年以上数百万回以上思われるんだろうなと思います。もう一個なんかそうした気づきがありましたが、忘れた。

ゴンチチピーター・バラカンサンとワールドロックなうと松尾潔サンまで聴いて、ラマダン中に九時間もラジオ聴けるかと思っていた小林克也さんまで聴き始めています。昨日は夕方早く上がって、空腹にも慣れたので、はてな日記を書けるようになったので。

さて。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。