『蓮の道』විරාගය Virāgaya (Devoid of Passions) "The Way of the Lotus" by Martin Wickramasinghe මාර්ටින් වික්‍රමසිංහ マーティン・ウィクラマシンハ 野口忠司訳 නොගුචි ටඩාෂි හේතුව(スリランカ・シンハラ文学)読了

サラッチャンドラサンと抗争を繰り返したシンハラ文学界の巨匠、ウィクラマシンハサンの作品が、大同生命国際文化基金の三部作以外に邦訳されていると知ったので、借りて読みました。結論から言うと、ガンペラリヤ(変わりゆく村)より全然面白い。サラッチャンドラサンが世田谷区奥沢を描いた『亡き人』『お命日』は『蓮の道』の次のベストセラーだったそうで、ということはこれもベストセラー。

蓮の道 スリランカ・シンハラ文学:南船北馬舎

カバーデザイン・井竿真理子 南船北馬舎という出版社は、神戸の出版社だそうで、スリランカ関係の本もそれなりに出しているようです。しかし小説はこれだけ。あとはエッセー、ルポかな。上智大学の第13回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞した『スリランカ学の冒険』や、「お気楽コマダム紀行」のキャッチコピーの『恋こがれてスリランカ』とその続編の子連れ旅行の本、スリランカカレーの本その他。ウィキペディアに項目もないし、公式に概要経緯がないので、出版社の成り立ちは分かりません。

原書も英訳も出ませんでしたが、音読は出ました。

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映画化もされてるとか。

スリランカ映画特集「蓮の道」

下はアレな動画投稿。後半の面白いところ。テレビドラマ「ヤサ・イスル」のように、スリランカ公式が配信すればいいのにと思う。

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下は日本語版著者ウィキペディア。数日前に見た時より、更新されてる気瓦斯。

ja.wikipedia.org

英語版シンハラ語版は本書の項目もあります。あらすじもそこに。

Viragaya - Wikipedia

විරාගය (කෘතිය) - විකිපීඩියා

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/3/3e/Viragaya_novel.jpg左は英語版に載ってた原書表紙。

アーユル・ヴェーダ医の息子として生まれた主人公が、解剖や血を見るのが嫌で医学の道に進まず、父親が急死、公務員試験に受かって公務員になるまでが前半。ここまでは面白くないです。姉が守銭奴で、嫁ぎ先から毎日実家に帰ってきて子どもと自分とでタダ飯食って夕方庭の果樹のココナツなどをとって新婚家庭に戻るなどの描写はありますが、なんだろうなあ。

姉が父親の後をついでアーユル・ヴェーダ医になればよかったのではと読んでて思いました。それくらいなら母が夫の後を継ぐ方がすじが通ってると本書にはあるのですが、そのロジックが分かりませんでした。頁89。父親は別のアーユル・ヴェーダ医の内弟子として薬草の知識などを身に着け、実戦に入ってからサンスクリット語を読めるようにしたそうです。本書も日本の少女漫画同様、娘による母殺しの一面があり、父親の死後、実家に夫と引っ越してきた姉とそりが合わない母親は家を出て借家に引っ越し、息子からの仕送りなどで生きます。

頁38、父親は村中で尊敬される名医との声がある一方、「あらゆる悪徳商法に手を染めたジャヤセーナ旦那だが、やっとひとかどの人物におなりに」などの記述があり、逝去の後、惜しむ声や名声があっても、だれでもひととおりは言われるもの、二巡三巡ずっと語り継がれてやっとホンモノ、みたいな辛辣な客観評価も出ます。そういうのがウィクラマシンハサンの考えなのでしょう。

頁134

 姉の食事は速くすむ。彼女は指先で皿のご飯を少しかき回す。カレーの煮汁をかけない姉は大半の人がやるようなご飯とお菜のカレーを捏ね混ぜることはない。ダルマダーサはカレーとご飯を捏ねくり返し舌鼓を打って食べる。彼の食欲は旺盛である。食が細い私はカレーを少し口にしただけで、グラスの水を一気に飲み干し、彼らが席を立つまで我慢して待った。

カレーの煮汁をかけない人がいるんですね。こういう描写に興味があります。人々の暮らしの細部が分かる。このページは、アーッパを作るのには早起きしないと姉が使用人をしかりつける場面もあります。注釈によると、アーッパにはムフンという酵母を使うそうで。ムフンが何かは分かりません。

頁171

 ある時、父が衣類専用の棒状の固形洗濯石鹸を数本買ってきて、まず小さな四角形に切り刻み、ナイフで角を削って石臼の上で球形になるまで転がし、着色を施してからウェサック提灯用の薄い色紙にこれらを包んで売っていたことがある――とメーナカーはつい最近になって私に話してくれた。またある時には、内側には磁気を帯びた鋼鉄、外側には真鍮をあしらった指輪を手に入れ、硝酸に浸し〝ラサ・リング〟と銘打って売り出した。その指輪を嵌めていれば全身の痛みが消えると父は信じていた。父は何か新しいものを創造しようとする情熱が旺盛な人だった。

上が悪徳商法の一例。テラワーダ仏教の人にとって、チベット仏教密教はやはりあやしい、おどろおどろしいイメージなんだなと思いました。しかしここは、如何に故人を想起する場面であれ、なぜ息子は父を糾弾せずヨイショしてるのか不思議です。その辺がシンハラ社会しいてはインド社会に通底するおかしな点、カーストが上なら悪行も許容されてしまうダメなポイントのような気瓦斯。だから一神教ムスリムに改宗する人が後を絶たないのでは。

主人公は幼馴染と互いに憎からず思っているのですが、結局薬局、煮え切らないので、成金の友達のアタックで彼女はとられます。実は俺も好きだったんだとは言えない主人公。主人公は何不自由ない高給取りの公務員になったのですが、姉夫婦との同居がやはりあれなので実家を出て、借家暮らしをします。近所にやはりチョンガーの独身貴族の郵便局長がいて、親交を深めます。

頁169

(略)このような孝行息子が中年をすぎて社会からつま弾きにされるような人間になろうとは、両親は夢にも思わなかっただろう。

 私と同様、彼はさほど友達付き合いを好んだ人間ではなかった。彼が酒を口にしたのはわずか結婚式の当日だけだった。そして彼は私のように信心深い側面を覗かせていた。しかし現在はどうかといえば宗教に対しても全く無関心そのものである。(略)

 彼は両親や道徳家が口にする人の踏み行うべき正道を歩んできた。しかしメーナカーまでもがクラスーリヤを道義的な社会から逸脱した放浪者扱いをしている。

主人公と郵便局長の違いは、家政婦を雇うか自炊するか。郵便局長が言うには、家政婦を雇うと、炊事洗濯のあれこれをやる気が無くなり、その人の作る食事の味に慣れ、家政婦を解雇しようとしても出来なくなってしまう。ひとりでやるに限ると。主人公はその予言通り、家政婦の娘にあれこれやってもらうことに慣れ、パパと呼ばれ、近隣から陰口を叩かれまくります。寡婦の家政婦とデキて、さらにはその娘と… という。

娘はそうした空気に敏感で、思春期になると反抗的な態度を隠そうともせず、パパでなくだんなさん、マハッタヤーと呼ぶようになり、近所のトゥクトゥク運転手かなんかの青年と恋文を交わし、逢引きを重ねます。二転三転ののち、主人公は彼女の持参金に新車一台までつけて、娘を彼に嫁にやります。ほんと持参金問題って、難しいんですね。それがないと結婚出来ない大変な社会なのに、よく人口で中国を抜くまでになったなインド。この小説はスリランカ、シンハラ小説ですが… 考えてみれば中国も持参金はあったのですが、共産化したのでチャラに。

頁187、阿婆擦れ娘という表記が出ます。一発変換出来るのですが、ふつう使わないかな。野口サンは1944年生まれなので、『亡き人』『お命日』もそうでしたが、むかしふうの口語がウマいです。それがお堅い小説、『変わりゆく村』三部作になるとどうにも退屈なのですが、このようなラブ・ロマンスの軟派な小説だと、とてもいきいきする。

父親もさいごは姉が献身的な介護をしますし、主人公もまだ五十代くらいでしょうか、病に倒れ、娘と婿に献身的に介護されます。ここが本書の要諦かと。人の一生の幸不幸は、介護してくれる人がいるかいないかにあると。私はそう読みました。善行を積めば、その人が恩に感じて介護してくれる。現実はそうでもないのでしょうが、だからこそファンタジーとして、手厚く介護される結末が支持されると。

『お命日』の解説では、ウィクラマシンハ對サラッチャンドラの抗争と、高関税による紙価高騰の煽りを受けて、シンハラ文学は壊滅的状態にあるとあったのですが、2002年の本書解説時点では、「若手作家の台頭で文壇内も多様化し、今では先の危機は回避されていると思われる」そうです。そのわりにさっぱり邦訳紹介されないのは、①邦訳しても売れなさそうな作品ばっかり②邦訳したくない作品ばっかり③邦訳する人がいない。さてどれでしょう。

訳者あとがきで縫田健一サンへ謝辞、野口博志サンへも謝辞、南船北馬舎の陰山晶平サンへも謝辞、マーティン・ウィクラマシンハサンの四男で記念館館長のDr.H.R.Wickremesingheサンへも謝辞。本書刊行の2002年は日本スリランカ外交関係樹立50周年だったとか。それで本書の映画も東京と福岡で上映され、本書もそこでは完売だったそうで。

この小説は、後半、ナボコフ光源氏かみたいな展開がおもしろいので、その人が日本人女性とスリランカ人が付き合う小説のサラッチャンドラサンを攻撃したのが、さっぱりさっぱりです。たんじゅんに、嫉妬のパトスだったのではないか。以上

イフタールの料理を日中作って味見して終了の事故案件ってどれくらいあるんでしょう【ラマダンが始まってから九日目の朝】

人形シリーズ

自由が丘編

Pecsétes 45%
Ó-SZILVÓRIUM
Slivovitz-Plum,brandy
HUNGARIA
GOLDEN PEAR

今朝も、四時に起きて白ゴハンに生協で40%引きだった無添加明太子を載せて、ブラジルのリングイッサとキャベツのみそ汁とレモンバーベナハーブティーネスカフェエクセラ二杯で流し込み、イムサック(ファジル)の04:21(東京と横浜)04:23(厚木)となりました。ちなみに日没は17:59(東京と横浜)18:00(厚木)

一寸計算してみましたが、今回、ラマダン最初の朝の日、3/11の断食時間は東京で04:33から17:52までの13時間19分、最後の日4/9の断食時間は同じく東京が03:48から18:16の14時間28分。日が伸びるので、1時間9分も断食時間が延びるんですね。前回はもっと伸びたろうし、次回はもっと減るでしょう。これから数年はラマダンの断食時間は毎年減って、冬至ラマダンが重なる年からあとは、また増加に転じると。大変デスネ。私は一年でいいや。エジプトなんか、人口三割のコプトキリスト教徒は断食しないんですよね(するのかな)レバノンの人口半分近いキリスト教徒マロン派も断食しないだろうし、シリアにもマロン派はいるし(イスラエルにもいますがそれは別の話)みんながみんなムスリムでもないそうした地域は、断食しないアラブ人もそれなりにいるんだろうなと。イランには拝火教徒がいるそうですが、隠れているので分からないはず。あとバハイ。バハイはラマダンやるのかやらないのか知りません。

Iftar - Wikipedia

安倍総理大臣主催による「イフタール」の開催|外務省

岸田総理大臣主催による「イフタール」の開催|外務省

dancyu.jp

日没後の食事はイフタールというそうで、日没後すぐあたたかい食事を食べたいのは、日中飲まず食わずなので、誰しも同じだと思います。ということは料理は日中の断食期間中に行うわけで、味見やつまみ食いしたら終了なので、どうやってんだとナゾです。

朝四時起き三時起きでシーメタイムの関係上、すぐ寝たいので弁当は日中創ろうかなという時が多いのですが、その時うっかり何かを口に入れそうになってアブネ!というタイミングが実に多い。もうすでに一回、サラダほうれん草を洗っている時に、流れてゆく一枚をもったいないと口にレスキューしてから、あっしまった!というのをやってます。料理作る人危険ですよ。主婦など、家庭では女性が料理を作るケースが多いそうなので、女性が危険ということになる。レストランなんかだとどうなんでしょう。時々、ハラルレストランのシェフが、ヒンディーのインド人だったりするのを見かけますので、ノンムスリムが雇われて炊き出しの調理に勤しんでる例もあるのかもしれない。

モルトンブラウンから、生産終了のスマジンセンが期間限定数量限定で一時的に復活しているので、是非!というメールが来ました。でも、販売終了時ザギンの阪急百貨店で買ったのが、まだたっぷりあるので、今回は見合わせます。五年後くらいにたぶん今のを使い切るので、その時また限定販売してくれたらラッキー。

【数量限定】スパイシー&アロマティック コレクション 300ml×2 – MOLTON BROWN

今日は風が昨日ほど強くないのですが、それでも吹いていて、苦土石灰の粉が飛ばされるから土づくりやめようかなと思いましたが、よく考えたら粒状の苦土石灰使えばいいので、あれこれ撒いて、トラクターかけました。空いた化成肥料の袋に、トラクターが跳ね飛ばした小石を詰めながら耕耘していて、ふと、故人も同じことをしていたのに気づきました。どうりで小石の袋がひとつでなく、あっちにもこっちにもあったわけだ。袋が空いたら目についた小石を放り込んでいたら、そうなる。ちょっと、暖かい気持ちで冷たい風に吹かれた午後でした。

午前中はお墓参りのアテンドで私鉄を乗り換えてお墓に行き、手を合わせました。ここも卒塔婆が更新されてないかった。花はたくさん添えられていましたが… で、タスク終了と思いきや、昼食がとりたいとのことで、付き添いの私は食べられないのでテイクアウトを頼んで、席に座るだけすわらしてもらおうと思ったのですが、もう季節が終わりなので鍋焼きうどんが食べたいとのオーダーが入り、スマホがあればそば屋なんかちょちょいのちょいで調べられるのですが、ないので、勝手にどこかに行ってもらい、私は先に帰りました。今、ショッピングモールにそば屋うどん屋の入ってるとこ、まずないと思います。相鉄ジョイナスくらいしか思いつかない。で、街のおそば屋さんの場所は、スマホがないので分からない。今検索したら、あと少しJAの健康管理センターの方に行けば、あった。まあ今回はしかたないので、今度夜どこかで鍋焼きうどんを奢ろうと思います。

もう少ししたら寝ます。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

『個人的な体験』"A Personal matter" by Ōe Kenzaburō 大江健三郎著(新潮文庫)<SHINCHO BUNKO> 読了

大江健三郎サンの『万延元年のフットボール*1が、今はなきビッグコミックオリジナルのオリジナルコラムで、地元商店街しかなかった寒村に突如現れた在日コリアンオーナーのスーパーマーケットに対決して敗れる四国の青年たちの物語として紹介されていて、そんな話なら読んでみるかと読んでみて、そこの解説で、『日常生活の冒険』*2『個人的な体験』『レインツリーを聴く女たち』を読まないと本書は語れないと書いてあり、その書き方が、この三作も読んだらエモさ百倍、やったねパパ明日はホームランだ!エモさ爆発カメラのさく~らや~、と書いてあったのか、旧世代オタクに典型的な否定から入る知識開陳芸、読まないで語るなんてバカなの? タヒぬの? ry 草生えると嘲笑してたのかは忘れましたが、順次読もうと考え、これも読みました。

私が読んだ判は表紙が異なります。下記の表紙。

わが子が頭部に異常をそなえて生れてきたと知らされて、アフリカへの冒険旅行を夢みていた鳥バードは、深甚な恐怖感に囚われた。嬰児の死を願って火見子と性の逸楽に耽ける背徳と絶望の日々・・・・・・。狂気の淵に瀕した現代人に、再生の希望はあるのか? 暗澹たる地獄廻りの果てに自らの運命を引き受けるに至った青年の魂の遍歴を描破して、大江文学の新展開を告知した記念碑的な書下ろし長編。

カバー 山下菊二 デザイン 新潮社装幀室

読んだのは平成七年(1995年。バブリー!)五月の二十五刷。みんな読みますね。というか、読もうと思う。

個人的な体験 - Wikipedia

日本語版のサマリより、英語版のが簡潔です。しかしそれは、キリスト教社会のがダブルアスタリスク以降にエンパシーがあるからではなく。

A Personal Matter - Wikipedia

It tells the story of a young father who must come to terms with the fact that his newborn son is severely mentally disabled.

(グーグル翻訳)

この作品は、生まれたばかりの息子が重度の知的障害を持っているという事実を受け入れなければならない若い父親の物語です。

英訳を出版したグローヴ・プレス社の社主は山岡否オーエサンに対し、ダブルアスタリスク以降を削ってはどうかと問うたとか。その人は、チャタレイ夫人の恋人ホキ徳田宿六の解禁に尽力した、開明的な人物だったそうで、そうすると逆にそうなるのかもしれません。先駆的ウォーク。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/2/23/Kojinteki_na_taiken_%28%C5%8Ce_Kenzabur%C5%8D%29.png左は英語版ウィキペディアに載っていた、昭和三十九年に、最初に出た、新潮社単行本表紙。

子どもに障害があると分かった時、インテリほど脆い、と、学校の教育学のセンセイが未来に親になるであろう学生たち(そうでない人もいますが)に語っていましたが、光君のお父さんというと、どうしてもそれを思い出さずにはいられません。本書は解説がなく、オーエサン本人の《かつてあじわったことのない深甚な恐怖感が鳥バードをとらえた。》という題のあとがきが収録されています。そこではダブルアスタリスク以降の描写に対して集中的に批判を受けたとあり、その詳細は日本語版ウィキペディアで読めます。ようするに背徳的虚無的な結末が時代の希求する善であり、こんな明るい優等生的なビルドゥングス・ロマン、教養小説的結末は誰も求めていないという批判。しかし、そうでしょうか? 河上徹太郎だけ本書に全面的に賛辞を寄せたそうで、河上徹太郎サンといえば酒にまつわる吉田ケニチ先生作品の常連キャラでもあり、酒害といえば、今のアルコール飲料には必ず飲酒が乳児胎児に与える影響を書くよう義務付けられているわけで、あいだをすっ飛ばしますが、河上徹太郎サンがこの結末をよしとしたのは、私にはとてもよく分かる気がします。

《かつてあじわったことのない深甚な恐怖感が鳥バードをとらえた。》私はインテリでなく、インテリもどき乞食ですが、自分が立っているという感覚がなくなったり、ふつうに歩けているのがふしぎなくらいのあの感覚は、いまでもありありと思い出せます。京都の夏の日差しが照らしていて、左京区の下り坂道だった。

こういう自助グループもあるそうで、しかしけっきょくは、自分の体験したことは自分だけの体験で、同じ境遇の人間はひとりもいない、という結論に辿り着いたという人の話を聞いたことがあります。しかし、それを知ることは逆によかったと。"A Indivisual Experience"『個人的な体験』

頁17

(前略)アメリカ人向きの香港ホンコン土産めいた金銀あやにしきの竜の刺繍をしたジャンパーを揃って着ている若者たちが群がっていて(後略)

ロカビリー時代はまだこれをスカジャンと呼んでないかったのでしょうか。髪型まで書いてないので、リーゼントだったのかなんだったのか分かりません。オーエサンが当時リーゼントを知っていたのかどうかも。主人公は彼らにカツアゲというか、線路脇の土手で囲まれるのですが、其処に走って来るのが蒸気機関車で、そんな時代なんだなと。ただ、「大時代な蒸気機関車」と書いてあるので、当時(1964年)でも珍しかったのかもしれません。「猛然と火の粉をまきちらして進んできた」(頁24)

頁56にジョニー・ウォーカーが出てきて、ジョニ黒でなくジョニ赤であることが示されますが、そこにもコメントはありません。頁62に深紅のMGが出て来ますが、国産車が珍しかった時代で溜池に中古車ディーラーがいたような時代ですので、後年付加された、英国車、オープンカー、故障しやすいのでオーナーは自分である程度修理が出来なくてはオーナーを名乗れない、のイメージを感じさせる文章は皆無です。エンストもしないでよく動く。エンジンベルトの代用にパンストが要るのだが火美子はストッキング履かないナマアシ派だったとか、そういう描写はだから、ありません。(私はその辺の知識を『シャコタン・ブギ』⑪「入門 ブリティッシュライト ウェイト スポーツカー」で得ました。パンストも。今表紙を見てもいい時代だったなと思う。彼らが現代に生きていたら、今は悪いツールがなんぼでもあるので、このように純な部分を保持し続けられなかったことは論を待ちません)

kc.kodansha.co.jp

頁34、主人公のパートナーが出産した産院の院長は、ちょっと21世紀の基準からすると、信じられないほど失礼です。産後父親と対面時クスクス笑いしてるとか、読んでて吃驚した。説明の仕方もヒドい。こういうことが日常ちゃめしだったのかもしれませんが、それにしたって。

頁59、主人公は、大学時代の同級生の女性のヤサにシケこんで、酒と睡眠薬に逃避します。主人公が作者と同じなら、東大ということになり、東大を出た女性、それも地方出身者は、学歴ナンバーワンなのに皆不幸になるように書いてあるので、それもヒドい話だと思いました。他人事だからそう書くのなら、そこにいってお互い初体験のアナルセックルする(頁130)とか、めちゃくちゃ。オーエサンは、だから企業が下宿の女子大生を忌避して、自宅生ばかり採る風潮が後年生まれたことを知っていたのかどうか。火美子という熊本出身のその女性の名前の由来を風土記からと見抜く博識の持主が主人公と頁59にありますが、それより、白人の血も引いているので大柄(記載個所忘れました)とのくだりが印象的でした。

頁103、「囲繞」と書いて「いにょう」とルビを振っており、正しいのでしょうが、IMEはそれでは変換しませんでした。「いじょう」でないと変換してくれない。

cjjc.weblio.jp

漢語にも同じことばがあるようで、あちらでは声調が近現代のあいだにも時代によって変化したようです。〈繞〉が、三声から四声になったとか。

頁119、ここは、日本語版ウィキペディアの要約にある、「医師を介しての間接的殺害の決意」の箇所です。むろん日本ではそんなことは出来ません。よくミルクを飲む、生命力横溢のあかごに、砂糖水を与えて弱ってもらうなどの間接的手段が語られます。ここ、一人っ子政策時代の中国の、《少生优生》だったら、ちがうだろうと、地壇医院を思い出して、思いました。本書のウィキペディアに、中文はありません。

頁149にもそのことが書かれ、さらに、主人公の連続飲酒の過去が書かれます。

頁149

 鳥バードは、昼夜しじゅう酔っぱらっている感覚、火照った頭と乾いた喉、疼く胃、重い体、無感覚な指、アルコールを吸いこんで弛緩した脳の感覚を思いだした。ウイスキーの壁に閉ざされた数週間の穴ぐら生活。

頁153に、進駐軍の機関であろう、「CIE」というセクションが出て来ますが、検索しないと分かりませんでした。

民間情報教育局 - Wikipedia

頁161、二日酔いで予備校講義を途中で放棄して早退した主人公は、高学費に見合った対応をしない教師を糾弾する地方出身生徒から密告されます。予備校の理事長は禁酒同盟の文京区支部長なんだとか。ここ、めずらしいと思いました。断酒会ってことですよね。清野とおる東京都北区赤羽』とこれと絲山秋子『ばかもの』*3くらいしか、私は断酒会が登場するマンガや小説を知りません。AAは米国の小説、ジョン・アーヴィングなんかには空気のように出てくるのですが、世界のハルキ・ムラカミや映画「ペルフェクト・ダイズ」で写真館店主を演ずるシバター元幸どんが、なぜかそれを曖昧にしか訳してないことに、この日記を書き始めてから気づいた自分がいます。それはそれとして、ローレンス・ブロックの須賀田さんシリーズの『八百万の死にざま』は傑作と今でも思う。

頁179に『やし酒のみ』で知られるナイジェリア人小説家の小説が出ます。頁7でも主人公は西アフリカと中央アフリカ南アフリカミシュラン地図を洋書専門店で求めていますので、整合性はとれています。ルワンダモザンビークフレディ・マーキュリーの生地マダガスカルに憧れているのにナイジェリア人作家だったら、へんなのと思ったでしょう。あるいは、ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』があるので、東アフリカをアウトオブ眼中にしたのかも。

エイモス・チュツオーラ - Wikipedia

頁182に付箋をつけてるのですが、理由をもう思い出せません。月面に置き去りにされる我が子の夢を見る主人公が胎児帰りを起こして、オギャーオギャーと泣きながら寝ている。

頁200、エゴイスティックと今なら書くところを、「イゴセントリク」と書いていて、たしかしと思いました。英語圏ネイティヴが、エゴを「イーゴー」とはっちょんするのを聞いたことがあります。

上記チュツオーラサンの小説は『ブッシュ・オブ・ゴースツ』の邦題でちくまから90年代初頭に邦訳されているそうで、その中には欧州の妖精の取り替えっ子にも似た、幽鬼が胎児に入れ替わる話があるそうです。頁208。入れ替わった幽鬼は生まれた後病気になり、病気を治すため母親が捧げものをすると、供物を隠匿して貯め込み、最後に赤ん坊は死んで、供物の財宝を強盗幽鬼のまちに持ち帰る…

ダブルアスタリク以降の記述に対する批判は、ウィキペディアによると三島由紀夫に端を発するようで、三島ならさもありなんと思いました。三島サンは開高健『輝ける闇』に対しても、まったくのフィクションで脳内構築したのなら素晴らしいが、ベトナムに現地取材してその内容をただ書いただけなら意味がない、としています。本作に対しても、我が子の状態に対して作者がどう寄り添おうとそれはオーエサンの勝手、しかし主人公の名前を鳥と書いてバードとルビを振ったり、セフレの名前を火見子にしたりと、カリカチュアした作品で、最後だけストレートに作者の辿り着いた心境を書いてしまうのはどうよ。そういうことだと思います。フィクションで、ギミックを凝らした作品なのだから、結末迄完遂すべきだった。

しかし、オーエサンにとって、虚構が現実に侵食されるのなら、されるがままになろうというのも、ひとつの真実です。偶然読んだのですが、下記パレスチナ人作家の小説解説をオーエサンは書いていて、それはぜんぜん解説じゃないです。日本・アラブ文化連帯会議東京集会でオーエサンは司会だったのですが、親イスラエルで反ソ連のエジプトが集会に参加したので、松田政男というムチャクチャな左翼紳士をはじめとする日本新左翼集団が糾弾糾弾糾弾、会議は踊る、されど進まず状態となり、主賓のパレスチナ人作家さんも、アラブは一体、一枚岩である、エジプトが否定されるのなら我々パレスチナも退場しよう、と言って帰ってしまったという。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

そういう人なんで、別にダブルアスタリスク以降がああであっても、それはそれでいい、と私は思います。

頁198

――カフカが父親への手紙に書いている言葉ですが、子供に対して親のできることは、やってくる赤んぼうを迎えてやることだけです。きみは赤んぼうを迎えてやるかわりに、かれを、拒んでいるのですか? 父親だからといって他の生命を拒否するエゴイズムが許されるかね?

 鳥バードはすでにかれの新しい性癖となってしまった激しい紅潮に眼も頬もみまわれたまま黙っていた。(略)

――ああ、この可哀そうな、小さなものジズ・プア・リトル・シング!とデルチュフさんがささやくようにいったので鳥バードはびくっと震えて顔をあげると、デルチュフさんは赤んぼうのことをではなく、鳥バード自身のことをいっているのだった。(略)

鳥と火美子がアフリカに行くオチだったら、架空のまま小説は終わったでしょうが、なんの余韻もなかったと思います。このオチでいい。責任を果たす。養育費バックレは別の話ですが、やっぱり爪の垢を煎じて飲んでほしいな。以上

しょっぱい味つけはラマダンの敵【ラマダン開始から八日目の朝】

明りをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花

人形シリーズ 自由が丘編

今朝も、四時に目覚ましをかけて、起きて、白ゴハンとみそ汁と何かありあわせの、なばなのおひたしなどを食べました。トイレに行って、それからはてなブログを書いて時を過ごしました。六時半にラジオ体操に行き、帰ってから出荷の準備をして出荷に出かけました。その後ストレッチしたりはてなブログを書いたりした後、畑の土つくりをしようとしたのですが、風が強かったので、引っこ抜いた唐辛子を整理したり、大根畑と葱畑の草をむしったりしました。その後、里芋の毛毟り。夕方お墓参り一件。

www.youtube.com

いとうせいそくサンのワールドロックナウでかかってた曲。ワールドロックナウの前にはディスカバービーローズ聞きました。ワールドロックナウの後に聞いたピーター・バラカンサンの番組で読まれた読者おたよりによると、ワールドロックナウの後番組はないそうで、しかし私はだいかんけんしょう、否おおぬきけんしょうサンといとうせいそくサンの新番組が同じ時間に始まると聞いていて、バラカンサンの番組スタッフも当然それは知ってるはずなので、フォローしよしと思いましたが、何も補足情報言ってませんでした。仲悪いのかなこの二つの番組。

www.nhk.jp

町田はアウェイでコンサに勝ち。1-2。相模原はホームで琉球と引き分け。0-0。湘南はホームで浦和と引き分け。4-4。!!!!!!!湘南サポは好みの打ち合いゲームだったのである程度ご満悦でしたでしょうが、浦和サポは苦虫を噛み潰したような顔ばかりだったのではないかと。

生ワカメの塩抜きをしないで切って盛って醤油ドレッシング振りかけて食べたので、辛いです。塩っ辛い料理はラマダンの断食時間に喉が渇くので、気をつけよしとわかばマーク向けラマダン講座に書いてあったので、あちゃー、やったった、でした。

ラマダンの最中、くちびるが乾くのだけ、カンベンというネットニュースのコメントブログのラマダン体験記at熱帯を見ました。私はそこはそうでもないです。何度か断食時間中に弁当を作ったのですが、味が決まってるかどうか、味見出来ないのがさびしかった。いちど、サラダほうれん草を洗っていて、一枚その辺に飛んだので、ひょいぱくしてから、あっ口の中に入れてはいけないんだった、と気づいてがくぜんとしました。

この日のイムサック、ファジルは、東京と横浜が04 : 23で、厚木が04 : 24でした。 マグレブは東京も大阪も京都も17 : 58でした。

寝ます。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

『骸骨乗組員』"SKELETON CREW" Stephen King short stories スティーヴン・キング短編傑作全集1⃣(サンケイ文庫〈海外ノベルス・シリーズ〉)読了

ビッグコミックのズージャマンガ『ブルー・ジャイアント』で、結婚式で演奏する仕事、ウェディング・ギグの話があって、検索すると、キングサンが同名の小説を書いてたので、読みました。

en.wikipedia.org

カバー表(部分)

カバー・アートディレクション+デザイン 松永 真(装丁も)

イラストレーション 矢吹申彦

短編集のタイトルはスケルトンクルーなのですが、スケルトンクルーという作品は収録されてません。邦訳は、原書を三冊に分けて出版されています。

骸骨乗組員 - Wikipedia

神々のワードプロセッサ - Wikipedia

ミルクマン - Wikipedia

この後たぶんサンケイ文庫がなくなって、扶桑社ミステリーになって、そこからまた出たみたいです。そうウィキペディアに書いてありました。

スティーヴン・キングはいう―― 「短編小説は暗がりに見知らぬ人から受ける、つかのまのキスのようなものだ」 シカゴのやくざたちの結婚式で演奏したジャズ・バンドの災難『ウェディング・ギグ』、三百年前の鏡台の鏡の片隅に映る謎の影『死神』、奇怪な霧に閉じこめられた人々の動揺と冒険を描く中編『霧』など、恐怖小説の王者が贈る、全米ベストセラー第一位快走の最新短編傑作集『骸骨乗組員~スケルトン・クルー』からの第一弾!

カバー裏の作品紹介。

カバー折の著者写真。若い。まだラリってた頃でしょうか。

『書くことについて』"On Writing : A Memoir of the Craft" Stephen King translation by Yoshinobu Tamura スティーヴン・キング(小学館文庫)読了 - Stantsiya_Iriya

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後年の自伝表紙に使われている写真。大けがもしたのですが、あざなえる縄をよってよって、そして、祝福される人生ではないかと。

最初に饒舌な序文。1984年4月15日。メイン州バンゴル市にて執筆。矢野浩三郎訳。長いです。この短編集に収録されている作品には、学生時代大学の文芸誌に掲載されたような古いものもあるのですが、その文芸誌の名前が"Ubris"で、キングサンは"Hubris"(傲慢)のコックニー訛りだと思っていたとか。今検索しましたら、ラテン語で「胸」の意味とありますが、分かりません。メイン大学の文芸誌だそうで、メイン州コックニー使いが多いんでしょうか。

頁14「序文」

「減量で痩せるのと、お金持ちになるのは、どんなに過ぎても行きすぎってことはないのよ」

キングサンはこの一文を真理としていますが、お金はともかく、摂食障害とかいろいろある21世紀からすると、前段は昔の話だと思います。

以下まあまあネタバレ

握手しない男』 - "The Man Who Would Not Shake Hands"(1982)訳:山本光伸

呪いにかけられた男の話。コロナカならまたちがった展開を見せていたでしょう。なにしろ触るものがみな…という話なので。

ウエディング・ギグ』 - "The Wedding Gig"(1980)訳:山本光伸

身内のブサイクをけなされたギャングが冷静さを失って抗争相手の罠にはまる話。バンド活動をしていると、いろんなことに巻き込まれるという話。

カインの末裔 』"Cain Rose up"(1968)訳:松村光生

合衆国で時々起こる、上階の窓から外の人間を無差別に撃つ事件、ランダムシューテシングの話。なんでこういうタイトルなのかは分かりません。内容はとても分かりやすいです。大学の学生寮を舞台に持ってきています。

死神』 - "The Reaper's Image"(1969)訳:松村光生

鏡が死神なんです(棒)!!!!

youtu.be

ほら、虎がいる』 - "Here There Be Tygers"(1968)訳:松村光生

現実の虎なのかもしれませんが、時代的には、観念の実体化みたいな感じ。小学生が小学校の校舎で見て、せんせいが食べられます。いや校舎じゃないか。

』 - "The Mist"(1980)訳:矢野浩三郎

映画化もされたけっこう長い作品。

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映画になった作品なので、ほかかも出てます。文春のはウィキペディア未記載ですが、ハヤカワのは本書より先で、本書の方がちょっとだけ結末など変えられているとか。作者がやったことですが、好みが分かれてしまうのかな。

霧 (小説) - Wikipedia

頁145、シェイモアという地名が出て、地元ではシャイモアと発音するとあります。メイン州で、お隣はケベックなので、そうなるのでしょうか。もう一つの隣りのバーモント州バーモントカレーはないと、娘がバーモント州に留学してる人から聞きました。

maps.app.goo.gl

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もしこの話の霧が、バーモントカレーだったらと考えてみるのも面白いかもしれません(うそです。おもしろくない)

以上

お彼岸とラマダン【ラマダン七回目の朝】

人形シリーズ 自由が丘編 トルコのバービー。

エケコがあったので、「これもペルーですか」と訊いたら、トルコのバービーとのことでした。例の邪眼の反対、魔を払う目、ナザールボンジュウが上と下についてるバービー。

昨日は、ラジオ体操しました。

今日のイムサック(ファジル)は、東京と横浜が04 : 24で、厚木が04 : 26でした。 マグレブは東京と横浜が17 : 57で、厚木も17 : 57。前日と同じ。夕方六時前に白い糸と黒い糸の見分けがつかなくなるまで暗くなるとも思えないので、リアル日没と思うのですが、どうでしょうか。あるインドネシア人はイムサックと呼ばずファジルと呼んでいるとか。やっぱりファジルかなあ。

昨日は、300円拾ってお地蔵さんのお賽銭にしました。よく百円玉を三つも落とす人がいると思いました。その道の前の家の郵便受けに入れようかとも思ったのですが(その家の人が家の前で落としたのかもしれないから)郵便受けが庭の向こうの建屋だったので、敷地に入るのもなんなのでやめました。

おとついから、いきなりフォルダの見出しのフォントが小さくなってしまい、困っています。直し方が分からない。ファイルのフォルダの見出しの字もちっさくなっている。マクドナルドのシステム障害と関連があるのでしょうか(ない)

今日はつきみ野マックスバリューでネスカフェエクセラ詰め替え用180g本体458円を二袋買いました。いちいち瓶で買わなくてもいいだろうと。なぜか瓶で買わないと不興なのですが、瓶再利用してないし。

仏花を買って、親族のお墓参り。やっとお墓が分かりました。故人の名前を訊いておいてよかった。あわせて、今さらですが、ホームセンターでじゃがいもの種芋買いました。インカの目覚めとかインカの夜明けとか、紫色のじゃがいもとか、そういう変化球でもよかったのですが、ベーシックなものしかないかったです。そりゃそうだ。

もうなんちゃってラマダンも一週間やったので、終わりでいいじゃいかと思うくらいアキアキしていますが、まだあと三週間やっても終わらない。つくづく回教徒は、こういた精神状態で信仰心が昂まっちゃうんだろうなあと思いました。眠い中ムリクリ起きて食事終えて礼拝、飲まず食わずで四回の礼拝。やっと食事にありつけて、満ち足りた状態で〆のもう一回の礼拝。就寝。

昼間煮炊きしないことになるので(夜の食事の支度は出来るはずですが)やはり多神教徒との戦いの日々で作られた戒律だからかなと勝手に思いました。炊事の煙から居場所を探知されないように。夜なら煙があがっても見えないし。

昼食べないと、礼拝の時間はあるでしょうが、その分働いたりしますので、使うほうからしたら効率がいいような気もします。重労働や頭脳労働はむりですが、坐ったままの軽作業の単純労働などなら、逆に水を飲んだ後のトイレもないし、タバコ休憩もないので、生産効率があがるかも。しかし夜は仕事をする気にならないので、よなべや残業はない気もしますが、其処も働かせたりするオーナーがいるのかな。

セクシー田中さんの感想書いてバッタリ寝たので、翌日この日記を書きました。

今日も、明日も、明後日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

『セクシー田中さん』"Step of Sali" 【第15幕 底なしの優しさ】前編〈ACT 15: BOTTOMLESS KINDNESS〉front part. by ASHIHARA HINAKO 芦原妃名子(姉プチデジタル 2024年1月号)ANE PETIT DIGITAL 読了

⑦巻の感想をまだ書いていませんが、続きが読みたかったので、電子版を買ってみました。したっけ、これ一冊でおしまい(著者絶命)でなく、2月号にも載ってるようなので、517円をあともう一回投じなければならないようです。

csbs.shogakukan.co.jp

「姉プチデジタル」は、紙版の「姉系Petit Comic」をデジタル専用に再編集し、紙版の1号分の作品を2号に分けて、毎月8日ごろ配信中です!

私は、田中さんが三好さんとつき合う展開より、三好さんの配偶者の設定が大いにアレで、「なんだよ、『セクシー田中さん』が『東京都北区赤羽*1になっちゃったよ、中延とか荏原とか品川女子とか目黒女子とか世田谷女子とかやってるからだよ」と毒づいていました。不倫じたいはレディコミ(死語でしょうか)の華なので何も言えませんが、ぼかしてはいるけど婚姻ビザ目的のようにも読める点はどう読んでも、だめだおとしかいえない。編集なぜ許したとまで思ったです。

フットボールネーションでよく分からない整体だかストレッチだかヨガだかの動画サイトが取り上げられていた時とどっこいどっこいのニオイがしたです。

あるいは、海外の日本人を取材したビッグコミックの連載で、単行本に唯一収録されなかったベトナムホーチミンドラえもんカカという店。おそらく無断でドラえもんを使ってる店の件。連載時は編集も深く考えず掲載したが、単行本化に際して、ヨゴレなので掲載見合わせの件も思い出しました。小学館に限らずですが、ときどきこうした、現場の編集者は良かれと思ってやって、読んで( ´_ゝ`)フーンなことがあります。ホーチミンの件は、単行本時に収録されてないかったので、なんともいえなかった。私は何故かこの店のオープン時サイゴンにいて、当初の店名「ワッカンカウ(飲み過ぎて勃たないの意味)が公安にロックオンされて営業許可が下りず、「クアンカカ」という名前でオープンしたのを覚えています。あんなおやじ(北関東のマンションオーナー)よく取材して載せようと思ったなと。

…話を戻すと、やはり続きを知らずに一方的に断定するのがはばかられていたので、それで⑦巻の感想を書いていなかったです。続きの連載を読んでみると、はたしてその件の深掘りが、これでもかとまでは描いてませんでしたが、まあまあ描いてありました。

①進吾はこの回も出ません。

ノンブル12のOLが、ダーティ松本エロマンガキャラのようにムチムチで驚きました。

三好と付き合うことに決めた田中さん。彼は私の「踊る理由」の全てだから。だけど… これってやっぱり不倫!? 

上は、カラー見開きの編集煽り文句。連載時のレイアウトを見ると、編集さんを見る目が変わります。愛があると思った。

Step of Sali

毎回表紙に英題入れてたんですね。ちょっとここは泣けた。

③突然会社同僚(初登場)の不倫経験がどばーと語られるわ、田中さんも事務仕事でケアレスミスするわで、素晴らしいと思いました。「クズは皆そう言うんだよ」(17)は我が意を得た思い。

24 クラハシのデート指南

あの…
もしかしたら余計なお世話かもしれないんですけど
こういうのって
流されても流されなくても
どっちでもいいと思うんですけど
「もうお互いいい大人なんだから」とか
「なんとなくそういう空気になったから」とか
「断ったら嫌われちゃうんじゃないか」とか
そういうの 考えなくていいですよ
どんなに好きな相手でも
自分が「何か今は違うな」って思ったら
「ノー」と言っていい

⑤頁33から34で、私も危惧してることを三好さんの友人の弓岡さん(このキャラもOL同僚同様初登場)が田中さんに忠告します。ペルシャ料理のシェフ「オムさん」(この人も初登場)に一度三好さんは裏切られていて、別居中の妻も「やたら結婚したがってた」

関係ありませんが、ベリーダンスの先生(名前が出ないままでしたが、いずれ出て、実は愛子先生の娘でしたとか出たらそれはそれでと思ってます)と三好さんって、ツーショットの画面が一切ないと私は思っていて(記憶違いかもしれませんが)過去に悪い意味で何かあったのか、いい意味で何かあったのかと思っています。でも同じ業界で同じ空気を呼吸しているので、スルーで生きていくしかない。誹謗中傷合戦で互いに疲弊して窮しても意味ないので。とある女子会とケサル馬鹿一代の人の抗争を見て思ったこと。

⑥三好さんは味オンチなんだとか。喫煙者でもないのにな。

⑦街の画像からギロッポンのどのへんか推定出来る人は出来るのでは。

⑧三好さんは裕福なのではないかと、日銭商売の飲食業なのに毎日飲み歩けたりする点や、マンションにパラサイト夫婦の居候がいるあたりから類推推理。だからオーナー店長やれるのでは。仕込み等は、オムさんというペルシャ文化圏の人に、裏切られて店の金持ち逃げされても一任。一見美談ですが、弓岡さんの指摘の通りなので、三好さんがいない時間店の空気がすごく悪くなってたりするかもしれません。よくある話なので。南林間のパキスタン料理店(すでに閉店)もそうだった。インド人の料理人だけの時間と店主滞在時の落差が大きく、かつまた、女性店主とインド人男性の料理人二人っきりの時間が長いのもそれはそれでどうかという。

実は私は、三好さんがお金を持っていて、しかもその金は元は配偶者から出たもので(三好さんもちょっとは増やした)配偶者が、別れるのなら返せとか言ってる説をとったらどうかと思ってました。つまり、裕福な配偶者とかつては若かったツバメ説。こういう想いがつのると原作を改変したりするのかなあ(ちがう)

⑨①進吾はこの回も出ません。

いよいよクライマックス突入! 芦原先生書きおろしのドラマオリジナルストーリーも見逃さないで! ドラマ大ヒット放送中!

これも表紙の、編集者の煽り文句。単行本⑦巻での作者のドラマ告知の一文、〈まだまだ連載半ばの作品なので、賛否両論あると思いますが キャラやあらすじ等、原作から大きく逸れたと私が感じた箇所はしっかり修正させて頂いている〉〈物語終盤の原作にはまだないオリジナルの展開や、そこに向かう為の必要なアレンジについては、あらすじからセリフに至るまで全て私が書かせて頂いてます。恐らく8話以降に収録されるはず。〉を踏まえた煽り文句であることは論を待ちません。

10月15日初刷の単行本⑦巻(12月8日発売の一月号はそれを踏まえた番宣アピール)で上記のようにハッキリ経緯が書かれているのに、12月24日に脚本家が自らのアレンジに起因する事態であることをおくびにもださずに「過去に経験したことのない事態で困惑」「残念ながら急きょ」「苦い経験」「どうか同じことが二度と繰り返されませんように」とインスタかなんかでおくめんもなく発信したのはとほうもないと思います。

周知の事実として、1月26日に原作者はSNSであらためて経緯を説明してるわけですが、ここで致命的なミスというか、10月15日初刷の単行本⑦巻で、8/31付で、自分がさいごのほうの脚本を書くこと、そしてそれは何故かを、もうすでに説明してることを一行も書いていない失策をおかしています。ここで書いておけば。

脚本家がクリスマスに文章をあげてから、一ヶ月経ってようやく反論したのも、単行本迄読んでくれればおのずと分かると思っていたのが、誰も単行本に言及しないので、再度公言する必要に駆られた迫られたわけで、単行本のエッセー欄ですでに言ってますという一文を抜かしたのがなにより残念です。そして自裁

逝去後少し経った2月8日に越川美埜子サンでもある脚本家が「初めて聞くことばかり」「言葉を失った」とSNSで発信した同時タイミングで編集部が下記をあげて、八月時点、十月時点で情報は既に出ていたと言ってくれていて、助かりました。私もそれを読んでいろいろ知ったです。マンガも読んでみようかと思った。

作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ | プチコミック 公式サイト|小学館

下記は全く同感です。

b.hatena.ne.jp

「『初めて聞くことばかり』というのは、あんまりじゃないか」

(略)

単行本も読んでなかったのかもと思うと、力が抜ける」

以上

【翌日追記】

(1)

編集部の2/8発信は、なぜか叩かれたりもしていたのですが、私としては、10月15日初刷の単行本⑦巻で、8/31付で、作者がすでにこのように述べていたんですよと江湖に周知させた意味が大きい、功績大と思います。私は自裁のあたりで本件がようやっと視野に入って来たのですが、これで、読んでみようと思った。編集部としては、作者と二人三脚で作品を作って来た人が、ここでその想いをようやく吐露出来たと思う。なぜ誰も単行本⑦巻読まないんだと。読んで作者の公言に触れないんだよと。よくここでそれを指摘くれた、ありがとうと赤心の謝辞を呈します。

(2)

私は脚本家の人は、山本おさむ赤狩り』に出てくる実在の米国脚本家のように、別名義で仕事する、あるいはほかの脚本家の作品として自作を発表するしかこの窮地をしのげないと思っていたのですが、もうすでにそうしていたそうで、其れもネットにあがっていて、アーソウデスカと思いました。

www.youtube.com

(翌日)

【後報】

41の冷蔵庫のビールが、すべて麦芽100%のラガーなので、麦芽100%というとモルツかエビスだが、どちらもラガーかどうか知らないので検索しましたが、どちらもあまり前面に出して歌っていなくて、しかもプレモルとモルツでちがうようなことを言ってるサイトもあったので、分かりませんということにします。しかし、狩撫麻礼の伝説の冷蔵庫みたい。

また、電子版2月号収録の話が、同じ15幕だったので、感想タイトルを前後編としました。

(2024/3/25)