『一人だけの軍隊 〔映画化名〕ランボー』 (ハヤカワ文庫) 読了

一人だけの軍隊 ランボー (ハヤカワ文庫)

一人だけの軍隊 ランボー (ハヤカワ文庫)

読んだのは昭和六十二年の十五刷。
カバーデザインの人の名前がどこに書いてあるか分かりませんでした。
一人だけの軍隊 (1975年) (ハヤカワ・ノヴェルズ)

一人だけの軍隊 (1975年) (ハヤカワ・ノヴェルズ)

映画化される前の表紙はこんなんだったんですね。アマゾンにありました。
First Blood

First Blood

ディヴィッド・マレルを讀もうということで、読みました。
私は、ランボーたぶん観てないです。ヴェトナムに行く2と、
怒りのアフガンは観てるんですが、最初のはないです。
最後のほうの、元上官教官に抱きかかえられるとこ、
佐々木功なんですか?*1 野太い声で日本語で「俺はァーっ、ウォー」
みたいなとこだけ見た記憶があります。パトカーの赤色灯。
そして、詩人のアルチュール・ランボーも、"Rambo"と書くと思ってました。
"Rimbaud"と書くとは… 検索は、してみるものです。
映画の日本語版Wikipediaを見ると、詩人のランボーと、
ジョン・ランボーには関係があるそうですが、どんな関係なのか、
さっぱり分かりませんでした。ランボーという林檎の品種から、
マレルは主人公の名前を決めたそうですが、そのリンゴは何故日本にはないのか。

Rambo apple Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Rambo_apple

あと、原題の"First Blood"は、ビスマルクの鉄血政策に由来すると、
映画の日本語版Wikipediaに書いてあったのですが、
これもよく分かりませんでした。

ビスマルク Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF#.E9.89.84.E8.A1.80.E6.BC.94.E8.AA.AC

映画のWikipediaは、柳の下のドジョウを狙ったパチもん邦題映画、
ランボー者」などにも触れている、熱い記事なので、
よく分からなかったところを、もっと書いてほしかったです。

この小説は、

それぞれの人生を歩んでいる
フィリップ・クラスと
イリアム・テンに捧ぐ

とあり、マレルのエディターズ・スクールの師匠の、
本名とペンネームですが、いきなり予備知識なしに読むと、
チンプンカンプンと思いました。

訳者あとがきでは、ランボーのことを、
アメリカ国内のどこにでもいる一人の若者
としてますが、母親が描かれず、父親の虐待?が回想で登場する、
秩序を守らないことで構ってちゃん振りを発揮する青年は、
どこにでもいるかもしれませんが、ふつうかどうかはどうかなと思いました。

訳は、「選ぶ」を「択ぶ」と書く点が特徴的だと思いました。

あと、ティーズルのスペルが分かりませんでしたが、
"Teasle"なんですね。そして、この小説のリアルな点として、
実に同士討ちのシーンが多かったです。たった一人を、
圧倒的多数で包囲殲滅のラクショー作戦のはずが、
練度の未熟、連携不足、慢心、すべてがたたって、味方のタマで負傷、
死亡、それが引き起こすショックが続いて、そうして消耗してゆく。

ランボーの抵抗は、窮鼠猫を噛む、なのですが、こんなにフラッシュバックしたり、
誰にも理解出来ない理屈やルールで生きてると、そりゃ就職難しいと思いました。
本当にメキシコまでこれで逃げられると、思ってたのか。その後まもなく、
特に反省なく考えを改めるくだりが、ヤヴァい人に見えました。
グリーンベレーにしては、規律無用の長髪ヒッピースタイルな時点で、
どっち側の人間なのか周囲に判断させない、政治的に玉虫色の共感得られるような、
人間に設定されているのかもしれないと思います。しかも全裸でバイクに跨っての、
脱走ですし。そして見知らぬアウトロー地域住人からの善意で、いい銃をゲットして、
武装逃走と思いこんでる警察に対し、圧倒的優位に立ちます。

コウモリが恐水病を媒介するという知識は、ビッグコミックの新連載、
しっぽの声にも出てきたので、タイムリーな気がしました。
ようするに狂犬病

私が数日前打ち身した時も、被害者なのに、その場から去ってしまって、
ランボーの影響と思いたいですが、そんな大したもんではないですね。

面白い小説でした。スラスラ読めました。以上