『続・片翼だけの天使』読了

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片翼だけの天使 (続)

片翼だけの天使 (続)

装丁者 山野辺進Wikipediaによると、文庫が改題で「片翼だけの恋人」との由。読んだのは単行本。正編は20刷を読みましたが、今度は初刷でした。正編はスポーツ新聞連載が初出と明記してあったのですが、こっちは初出の記載が有りません。
前作ではほぼ源氏名「赤城」でしたが、本作は通名だか本名だか忘れましたが、ほぼ「景子」です。浪費癖がさっそく出て、部屋代と当座の生活費二百万円が家具等で瞬時に溶け、帰国時に渡した二十万円も即電話加入費で溶けます。ナムドンセンが来日して越路を観察に来ます。頁101で、前夫が韓国に仕送りしていなかったことが明らかになる、という場面があり、景子のプーソーの稼ぎからも前夫は仕送りしてなかったということなのですが、読者は彼女と距離が置けますから、まあ割り引いて考えると言うことで。あと、前夫は韓国で失敗した貿易業者ということですので、肩を持ちながら読む人も多いかと。
だいたいこうやって猜疑心と疑心暗鬼が、生まれるんだなということで、でもそれをあらいざらい書くまでまだあと四冊もあるのか。五冊目で一切合切らしいので。
小人閑居して不善を為すですので、ヒマにしとくと危ないということで、だいたいこういう時の思考は一緒で、学校(語学学校とか手に職とか)はどうかと言うと嫌だと言い、美容院は下働きが嫌ですぐ逃げ出す、不衛生で不潔で云々と声高に言う、で、水商売で働こうとするが、まーだいたい面接で断られて、在日コリアンのママが貼紙出した五反田の店で、

頁118
「でも、あたしはお客を店にむりに呼ばなくてもいいって、ママがそう言うんだよ。ただチマチョゴリを着て、店でお客の相手をしてくれればいいんだって」
「ははあ」
 越路はその店はいわゆる『キーセン・ハウス』というやつだなと思った。客がくれば、チマチョゴリの民族衣裳でサーヴィスし、酌をしたり料理を食べさせたりする。あるいは、客の前で踊ってみせたりもする。そういう店が新宿や赤坂だけでも何十軒とあるという噂を聞いていた。
 越路はそういう店へいっぺんも行ったことはないが、いろんな筋からその噂を聞いていた。格式のある店では、それこそ韓国のしきたりどおりにサーヴィスするだけだが、そうではない店もあると言う。
 要するに、日本の観光客が韓国へ乘りこんでやらかす、悪名高いキーセン・パーティを日本国内でやっているというのだ。そのために、韓国から女性を運んでくる一種の密輸ルートさえあると聞いた。

(中略)
「もし、そこがキーセン・パーティをやるような店だったら、景子も客を取らされることになるんだぞ」
「そんなこと、ジェッタイにないってば」
 景子は大きくかぶりをふった。
「あたし、好きな人がいて、そういうことできないって、はっきりマダムに言ったよ。ソしたら、しなくていいって。チマチョゴリ着て、お客にリョリ食べさせたり、おサケついだりすればいいって。韓国のお客さんも多いから、韓国語しゃべれるホステスが欲しいんだって。ダイジョブだよ。そんなことしろって言ったら、あたし、すぐやめるよ」

頁122
 韓国語の場合は、日本語とちがって、景子の発音にもおかしなところはないのであろう。店には韓国人や韓国系日本人、あるいは日系韓国人の客もたくさんくるので、景子の歌は評判がいいらしい。だから、店ではけいこをホステス兼歌手のように扱ってくれる。
「でも、あたしはいいけど、カワイソな人もたくさん、いるよ」
 と景子は彼女には珍しく、やや辛そうな表情で言う。
「韓国から働きにきているホステスは、とてもォカワイソなんだよ」
 韓国から来ているホステスというのは、表向きは芸能人ということで来るらしい。ショウのときに民俗舞踊を踊ったり、民俗音楽を演奏したりする。しかし、それだけでは金にならないから、客の接待もする。中には、国に家族がたくさんいて、その貧しい家族のために金を稼がなければならない人もいる。そういう女性はこっそり客とホテルへ行ったりもするらしい。
「そういう人は、六畳一間に八人も住んでるんだよ」
 景子は眉をひそめた。
「あたしも行ってみたけど、みんながいると、坐る場所もないよ。あたしのカジョクよりせまいところで寝るんだよ」
「六畳一間に八人か」
 越路も暗澹たる気持ちになった。日本でも戦後すぐには、そういう暮らしはいくらも見られた。しかし、さすがに最近ではそういうことはない。
 彼女らは出稼ぎに来て、一円でも多く家族に送金してやりたいばっかりに、そういうせまいところで共同生活を送っているのであろう。
「それじゃ、手足を伸ばして寝ることもできないな」
「でも、夜には寝ないらしいよ」
 と景子が言った。
「みんな、そこに寝るのがイヤだし、お金にならないから、お客とホテルへ行くんだよ。そうすればゆっくり寝られるし、お金ももらえるでしょうが?」
(哀しい話だな)
 越路は胸がしめつけられる気がした。
(彼女たちにとってみれば、それが一挙両得のわけか。そういうようにしなければ、手足を伸ばして寝ることもできないのか……)
「あたしはシアワセなんだよ」
 ぽつんと景子は言って、越路の手をぎゅっとにぎりしめた。
「あたしはあんたのおかげで、こんなジェイタクな広いところで寝られるんだよ。ホントにアリガトね。ああいうとこにチュトめてみるお、あんたのありがたさがわかるってば」

NARUTOと関係はありません…、と思います。1985年出版の本ですので、世間は、バブルと知らずにバブル突入、ホイチョイの見栄講座でテニスラケットの網の真ん中を焼くテクとかが既にあって、もう少しすると、地上げと、中曽根民活留学生十万人計画が発動するんだな、という時代かと。韓国人白タクがホステスの客引きしあったり屋台(トッポギなど)が乱立した赤坂のコリアンパブ全盛期と、ここに書かれたうらぶれた描写は少し違いますが、時世の変遷なのでしょう。
何系何国人とかの記述は作者が頭をディンディンさせながら(景子用語)創作したのだと思いますが、私は、猪飼野少年愚連隊が簡潔に言い切った、(コリアンの)オールドカマーとニューカマー、という言葉でよいかと思います。

頁138に、景子の祖母の、飲酒して自傷する嗜癖と、それが彼女について与えた影響についての記述がありますが、ナムドンセン側から見た描写が併記され、景子とふたり暮らしの時に祖母にはそういう吞み方が現われ、景子の親や景子のヌナ、ナムドンセンと暮らしだしたのちは、自傷とゲロまみれの狂気の沙汰はなくなり、飲酒じたいあまりしなくなったということです。なんだろう、これ。まあここでは、生島治郎は飲めない人なのでヨカッタデスネ、という話ですが。
この本の最後は彼女と、ありわらのなりひらをもじった後輩作家青年と三人での東南アジア旅行です。そういえば、いねむり先生とマージャンする場面が頁47くらいにあった。頁214で、ドンムアン空港を、ドンマン空港と書いています。そう呼ばれてた時代があったんでしょうか。大韓航空コーリャンエアーと呼ぶ人には会ったことあります。コリアンエアーとは、断固呼ばなかった。なぜか不明。

頁287
「ペキン・ダックはバンコクに限るんだぜ」
 と越路がわけ知り顔で、景子とナリヒラに説明する。
「おれは北京でも本場のペキン・ダックを食ってみたが、バンコクの方がうまかったような気がしたな」

(中略)
 岩田さんはうなずいた。
「というのは、ペキン・ダックという料理は本来皮だけの料理だというんですな。一番うまい皮だけを食べて、あとは召し使いに下げわたす。しかし、人民中国には召し使いなどいようはずはない。だから、皮にやや肉がつくようになった。それで少し脂くさくなったというんです。しかし、香港やバンコクでは昔ながらのペキン・ダックの料理法で、皮だけを出す。だから、今や本場の味は香港とバンコクだと言う人もいます。日本ではどうですか?」

1985年出版の本の記述です。この時代もう下放はないと思いますけど、都市の清掃なんかは、召し使いというよりは、ペナでやらされてるとか押しつけられてるだったかもから、北京ダックの残りのアヒルで作る、ネギのスープなんか食べさせてやるものかみたいな感じだったのかもしれません。私も中華料理店で働いてた頃は、宴会で北京ダックが出ると、知ってて始末な客は身もスープにして出してとチャンと言ってくれるけど、知らない客や、知ってても、あのスープあまりうまいもんでもないからいらんわ、となった時には、賄いは当然ぶつ切りのアヒル肉と葱のスープになりますので、連日連夜食べて、食べ飽きました。 ベイジンカオヤーなんて、今はバーミヤンで七百円で食べれますし、いい時代になりました。
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なんか全然飴色でない烤鸭で、これは、安いのでワザと写真写り悪くしてるんだろかと思ってみたり… 最近台湾映画観に、旧新宿昭和館の近く歩いてみたら、全聚徳の支店があって、何でも今は全世界にあるなと思いました。
景子の日本語ですが、「ツ」が「チュ」になったり、ザ行がジャ行になるわけですが、サ行がシャ行になってるところはぱっと思い出せず、語頭の濁音が半濁音になったり清音になったりしているところもないかったように思います。実際、八十年代に来日したニューカマーが、それまでのフォークロアとか、空手の人みたいな日本語の喋り方をするかというと、しなかった気がします。いしいひさいちの地底人とは違う。また、こういう話題って、ふと、つげ義春のマンガに出てくる、下宿屋のオバサンと駆け落ちした同僚漫画家の話で、九州出身を指摘されたオバサンが「わたし津部氏あの人すかんわ」と言う場面を思い出したりもします。
このシリーズ、なんとなく読み続けようと思ってますが、韓国のどこ出身なのかとか、いろいろ、おいおい語ってくれないと、落胆しそうな気がします。書いてくれるといいな。以上