『日本の米―環境と文化はかく作られた』 (中公新書) 読了

 PMSアフガニスタン東部ジャララバードに近いクナール河用水路工事に挑むにあたって、医師が技術ワーカーに読むべしと指定した二冊の本のうち一冊(もう一つは内村鑑三

日本の米―環境と文化はかく作られた (中公新書)

日本の米―環境と文化はかく作られた (中公新書)

 

 厚木にも座間にも図書館蔵書ないのですが、相模原市は全図書館配備。不思議です。相模川東岸の河岸段丘の上に鳩川を拓いた人たちだからか。なので相模原市立図書館の蔵書が来るかと思いきや、県立図書館の蔵書が来ました。

コメ、農業の本かと思ったら違っていて、日本の用水、治水、保水ともいうべき内容の本でした。用水治水の集約的な目的が、稲作による持続可能な発展型社会ですので、間違ってはいませんし、PSMが指定するわけでもあるのですが、もし私が本書を嫁と渡され、感想をすぐ求められたら、書いてあることが難しいっす、自分には、とか言ってごまかすと思います。それくらい、本書は、アジったりこぶしを突き上げる本ではなくて、ながめしせしまに的な、批評の本です。これ読んでやる気になりましたと言ったらうわべだけのうそになる。それくらい、根底からのねばりが求められているのかもしれません。

富山和子 - Wikipedia

KD-1 日本の米カレンダー(2019年版)

KD-1 日本の米カレンダー(2019年版)

 

 本書はまず吉野ヶ里の発見から始まっています。弥生初期から晩期にかけておおいに発展した集落遺構として発見されたここが、なぜ弥生時代の後の時代、小規模集落に落ちぶれて、ついには遺構だけが残って近現代ミカン畑になり、それを潰して工業団地に宅地造成中弥生遺跡が「世紀の発見」されるなんて、何故そのシビライゼーションは滅びたの?誰か答えて卓袱台。作者はここで米倉二郎という学者の人の推論を紹介します。満潮時海水に押されて逆流する淡水、アオを利用した湿田稲作を営んでいた吉野ヶ里は、用水による乾田農業の普及によってとってかわられ、急速に凋落していったのではないかと。

そこから作者の思索は日本各地の用水に飛びます。古代律令制で一度、室町から江戸にかけてがもう一度、日本は列島あげての水利による改造を経験します。秩父の太田に、古代そのままの条里制による田畑を保持した田園地帯があること、山陰の江川(ごうがわ)は別名中国太郎と呼ばれていたこと。坂東太郎がいるんだから、中国太郎もいて当然なんだなあと。

Google マップ

江の川は中国太郎みたいですが、坂東太郎の利根川みたく次郎や中国... - Yahoo!知恵袋

ただ、この本はあくまで稲作前提の日本風土に対するクリティークですので、麦作のアフガンにはまた固有のロジックもあろうかと。同じ中公新書の『肉食の思想』によると、麦作は連作障害を避けねばならないので、そこにまたドラマがあろうと。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

イランのカスピ海沿岸部みたいに、稲作もやってたら、すいません。PSMの稲作写真は見ましたが、現地農家もやってるか覚えてなくて。以上