「劇」の簡体字は"剧"ですので、「虍刂」という字は、日本の略字だと思います。
逝ける映画人を偲んで2017-2018 | 国立映画アーカイブ
原作は二年前に読んでいて、しかしまさか映画が見れるとは思いませんでした。
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縁があったから見れたとしか言いようがないです。7/4に偶然前を通ってこの上映がある事を知り、一日違いじゃん、ちぇっ、で見れずに終わるはずが、翌日見れた。
原作に忠実な部分といえば、津川雅彦の主人公は、「竜馬」という名前なのですが、仲間内では、リューイチとかリュウちんで通ってます。その一方で、特急こだまで逝く神戸ではオジサンから、ロンマァと官話読みで呼ばれています。津川雅彦の二重瞼がよく役に合ってました。
神戸のオジサンは「そんいっせん」とかイキナリ言ったりします。孫逸仙。孫文のこと。中山樵とはさすがに言わないか。現孫文記念館の建物に行くところも忠実に原作をなぞっていて、やーここは眼福でした。
陳舜臣が世に出した中華料理探偵陶天文の故郷は甘粛省で、顧頡剛以外誰がいるんだみたいな西北を設定したのは、彼自身大学ではインド史をやったという、オルタナなものへの憧れだったと思います。そういうのを獅子文六が酸いも甘いもかみ分けて作品にした。終戦直前、八月十五日以前に日本国民より先に日本国のポツダム宣言受諾を知り得たことにより、どうせ焦土と化すんだからと捨て値しかついてなかった不動産を買い占めてウハウハ(京都の南座の川を渡った先のイギリス建築の菜館とか有名ですね、そこから斜め向かいは加藤登紀子のロシア料理、その向かいは交番とぽんと町)の「三国人」、既得権益の特権でバナナの輸入割り当て免状を持ってる戦勝国民、そんなんをやいやいあれこれ言うのでなく、フラットに眺めえる視点を養えれるかが問われたと思います。
青ブクの歌を歌う岡田茉利子も、主人公の尾上松綠も、欲望という名の電車も、よかった。菅井きんかと思った(うそです)「あなた、おいしいわ、おいしいわ、これ、ほんとにおいしいわ」煮凝りみたいなフrンス料理の前菜をほおばりながら、和装の欲望という名の電車がのたまうせりふ。尾上松綠が、自分も情報戦を制して一世一代の博打に勝ってそのまま後はおいしいものを食べて日本人の奥さん(年上)と暮らして、という人生なのに、バナナみたいな特権で儲けるのは商人でもなんでもない、とくさすのが最高でした。
国府と中共のあいだを綱渡りしてあわよくばみたいな感じの、実にうさんくさい苦学生が、なめしたイタチの皮だかぬこの皮だかがたっくさんぶるさげてあるところに住んでるのは、小道具暴走したのかと思いました。映画なので、ビジュアルが豊穣です。小説なら、行外でしかない描写も、小道具が頑張る。
尾上松綠が洋式リビングの一角に函入り線装本を積んでるのも印象的でした。読まないだろうに。しかし百科事典を豪勢な書棚に並べたりするのと違い、いきなり積ん読。江戸時代の日本人なら、線装本のセットは木の箱に入れたりするんですが、そこがまたちょっとちがうんだなあと。
国産車がロクにない頃の溜池の自動車展示場とか、新幹線でない「こだま」とか、いろいろ見れます。まーどんな映画でもその時代のなにがしかが見れるわけですけれども。
国立アーカイブの上映初めて行きましたが、520円と破格でかつフィルム上映?なせいか、すっごくたくさんお客がいて、しかし、ずうたいのでっかい長髪でリュック背負った若い奴がトイレで老人を「立ち止まってるんじゃねーよ」などと威嚇していて、なんじゃこりゃと思いました。こういう設定の映画だからネトウヨが来てたのかな。こいつは終わった後も館内うろうろ、入口うろうろ、粘着だった。平日昼間に映画観れる境遇の奴が(シネコンでなく安い値段)集まる場所で、出し子や入れ子でも探してたのか。以上