1958年初版で、読んだのは1996年の41刷。訳者あとがきによると、昭和15年にも訳しており、岩波文庫は改訳だそうです。
昭和三十三年一月の訳者あとがきでは、ぜひどなたか腕に覚えのある方、改訳新訳求む、でした。今世紀、光文社から新訳が果たして出てましたので、上につけておきます。
前川健一のアフリカの本の写真を担当してる田中真知という人が中部アフリカの、川下りやなんかをやった時にずっと読んでいた本で、19世紀アフリカ中部を舞台に、これをもとにコッポラが舞台をインドシナに、登場人物を商社マンから米兵に置き換えて地獄の黙示録を撮ったので、それら、戦争の有無などの差分を抜くと、内容はアポカリプス・ナウです。
難しいむずかしいと云うが如く、やっぱり難しいです。何も考えず頭をからっぽにして、ただ字づらだけを追いました。映画の東南アジアより、アフリカのほうが、白い魔術師の崇拝が、リアルな感じです。賃金が金銭でなく針金で、それを近隣の村落で生活物資と物々交換すればよいという雇用主の考えなのだが、交易路周辺の村落はすでにして度重なる略奪と殺傷、拉致等により荒廃し、廃村になっているものも少なくなく、そして交易隊が近づくと徴用されなかった残った村人は身を隠して逃散。なので使役人はたえず飢えている、などの描写があります。前世紀末。
訳者は、暗黒を、「闇黑」と書いています。壁を、「墙」と書いたりするのは、わたしから見ると中国語的な気もしますが、そうした漢文調の漢字が、訳者の日常遣いだったのでしょう。「黒奴」ということばの原語が恐らくニガーなのでしょうが、自由人、商人、使う側の会社の人間などは、注意深く、「ザンジバル土人」や「黒奴のむすこ」などの言い方がなされています。「土人」が多いかな。原語がなんなのか知りたいところ。"nowhere"が、「無可有」という漢字であてられ、そこに「ノーホエア」とルビが振られています。イギリス人のビートルズもノーウェアマンでしたが、元ポーランド人のコンラッドがそう読んだのか、訳者的にはノーホエアなのか。以上