『戦場のメリークリスマス〔影の獄にて〕🎯映画版』"A Bar of Shadow" & "The Seed and the Sower" filmed as "Merry Christmas Mr.Lawrence"(L・ヴァン・デル・ポスト選集❶)読了

前川健一のアフリカの本の写真の、田中真知のアフリカの本で、紹介されてたカラハリ砂漠ブッシュマンの本を読んだら、その著者が戦メリの原作(実話)を書いたというので、読んでみました。戦メリに原作があるとは知りませんでした、ぜんぶバカヤロー大島渚が脳内構築した話かと思ってました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

stantsiya-iriya.hatenablog.com

映画のたけしは「メリー、クリスマス! ミスター・ローレンス?!」と言ってたはずで、

それが本書の表紙では「めりぃ くりーすますぅ ろーれんすさん

たわけたメイドカフェみたいなせりふになっています。ご主人さまぁ、みたいな。

本書の装幀は、アラーキーの写真集でよくご芳名を拝見した、ミルキィ・イソベ。映画にあわせた再版なのだから、原作の訳文でなく、映画の台詞を書けばよかったのに、なぜ売る努力の反対方向に走ったのだろう。訳者が反対したのでしょうか。

本書の原作の刊行は、ビートたけし部分が1954年、まだ捕虜収容所の体験から十年経っていない時期で、その後、坂本教授部分と映画にあんまし使われなかった部分を追加して再構成したバージョンが1963年。

邦訳は1978年にまずハヤカワポケミスみたいな表紙で出てまして、その次にこの、映画化に合わせた、スチール写真を堂々27ページも収録した版が1983年に出て、その後時が流れ、版元が倒産して別会社として出発したのち、まず映画とリンクしない版が2006年に再版され、映画リンク版も2009年に刊行。で、再出発した版元は再度倒産し、その後本書は誰も再版しないまま現在に至る。これだけ大ヒットした、世紀のBL映画。デヴィッド・ボウイ坂本龍一という大スター(少なくとも片方は当時)同士の実写やおい映画でありながら、原作がこの小さな版元のまま留まって、ちくまも河出も再版に踏み切らなかったのは、それだけ原作がエグいからではないかと思いました。映画は御法度大島渚の解釈ですが、原作は、事実としての素材がぽんと放り出してある。

影の獄にて (思索社): 1978|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

戦場のメリークリスマス (思索社): 1983|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

影の獄にて (新思索社): 2006|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

戦場のメリークリスマス : 影の獄にて・映画版 : 原作版 (新思索社): 2009|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

d.hatena.ne.jp

[B! academic] 哲学書「精神と自然」の新思索社、破産決定 - ITmedia NEWS

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/513K2BZ9FSL._SX298_BO1,204,203,200_.jpghttps://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41ZDrb3tVeL._SX298_BO1,204,203,200_.jpg

戦場のメリークリスマス - Wikipedia

 上のウィキペディアによると、映画も最初のほうで、ジョニー大倉演ずる朝鮮人軍属が出て来るそうですが、もうそこは全然覚えてませんでした。原作は、「朝鮮人衛兵」がバンバン出ます。南アの、ブッシュマンやバンツー系黒人に囲まれたオランダ人共同体という多民族社会に生まれ育った作者ら南ア兵捕虜(オランダ語が話せるので、日本軍政下のインドネシアに潜入して後方攪乱の任務を負った)や、アボリジニを見知っているオーストラリア兵からすると、日本人と朝鮮人の区別は、私たちが思うより簡単なのかもしれません。

頁40

ハラは獰猛な朝鮮人の衛兵を配置して彼らを支配し、命令を与え、ハラの顔色や態度に敏感な、熱烈な帰依者に仕立てあげていた。この連中は、当の教祖よりも、もういちだん熱烈だった。ハラは、われわれに規則を設け、これに反するものは処罰した。罰したばかりでない。これに違背した若干の者を、殺すことまでしたのである。

 ハラがビートたけしで、満洲からシナ(ママ)を転戦した歴戦の古参兵で、軍曹で、戦犯処刑時は曹長

頁57

 戦争も末期になって、収容所のなかにさまざまの噂がひろがり、時勢の動きを敏感にかぎわけた忘恩の裏切り者の朝鮮人の衛兵たちが、われわれ俘虜にたいして、急に手のひらをかえすようにおべっかをつかいはじめ、過去の虐待をつぐなおうとし、日本人の暴虐ぶりについての泣き言さえもならべはじめたころ、

 アフリカーンスすらこう見ていたというのは、ちょっと驚きでした。ジョニー原作読んだのかな。あとから誰かが耳打ちくらいはしたでしょうけれど。

頁58

 終戦のわずか三日前に、ロレンスは戦慄すべき騒ぎを起こした。もっとも性の悪い連中のひとりだった朝鮮人の歩哨が、瀕死の男を銃剣で小づきながら、その航空兵を起立させ、敬礼を強要しようとしていたのを、ロレンスが見とがめたのである。とっさにロレンスは両手で歩哨の小銃をムズとつかみ、銃剣を払いのけると、二人のあいだに割ってはいった。 

 ヴァン・デル・ポストは1926年に日本滞在してるので、それも彼の日本観と知識を補強してるといえそうです。

頁49

「天にましますわれらの父よ」、本能的に彼の唇は動いた。「ふたたび、わが牧者とならせたまえ。」

 この祈りを三度、われとわが身にくりかえしたとき、扉が開き、朝鮮人の衛兵が大声で叫んだ。乱暴きわまる言葉、それも日本語ともマレー語ともつかぬ言葉を、尊大きわまる侮辱的な口調で言うのだ。「コラッ! おい、こっちィこい! ラカス!(早く!)」 

 映画では「軍属」なのですが、原作はだいたい「衛兵」です。一ヶ所だけ、「軍属」と訳してる箇所があったはずなのですが、いざ読み返すと見つけられません。付箋つけ忘れました。なんとなく、こうした箇所が、大手から原作本を出す阻害要因になってたら、やだなと思ってます。

頁65

「ろーれんす、君はなぜ」と、ハラはついに激しく叫んだ。「生きているんだ?(中略)君ほどの地位にいる将校が、敵の手におちてなお生きているなんて、どうしてできる? どうして、この恥に耐えることができるのか? どうして自決せんのか?」

「そうそう。そういえば、ハラはわたしにもそう言ったことがある」とわたしはロレンスのことばの腰を折って言った。(略)「実際、ハラはわれわれみんなのことを、よくそういって詰ったものだ。それでひところは、朝鮮人までこのまねをしやがったものだ。君はなんて答えた?」

(略)「ただ、われわれの見解では、<恥>ということは、危険とおなじように、勇敢に耐え、生き抜かるべきものであって、卑怯にも自分の一命を断つことで回避すべきものではないと思う、(略)こういう考え方は、ハラにはあまりに新奇な思いがけない考えだったから、それはまちがいだと言って、なんとか無視しようとやっきになっていたがね。<ちがう、ちがう! 死ぬのがおそろしいからなんだろう>(以下略) 

 いいよなーと思いました。大島渚バージョン以外に、誰か原作に忠実な映画をもう一本作らないかなと。中国企業に企画書持ち込めばすぐにスポンサーになってもらえる気もするのですが、どうでしょうか。それだと余計なオカズが入るか。

頁54

キリスト教など信じていない中国人や、原始宗教のメナド人やマホメット教を信じているジャワ人たちもいる収容所なんだがね。そこへのりこんでいってだ、好きもきらいもない、とにかく、クリスマスを祝え、と強要しちまったんだ。通訳の話では、ハラは実際、シナ人の俘虜長をはり倒すことまでしたらしい。ハラはこの男にむかって、『ふぁーぜる・くりーすます』とはだれかを聞いたらしい。ところが、疑いを知らぬそのシナ人がばか正直にも、ぜんぜん知りませんと答えたからたまらない。(中略)

ハラはぼくのかわりに、あるシナ人を殺し、ぼくを<ふぁーぜる・くりーすます>に免じて特赦にしてくれたのだ。それもね……」

ひるおび!でしたか。トランプの隠れ支持者の傾向例をやってました。民主党支持者は、メリー・クリスマスというと、ユダヤ教イスラム教に忖度してないからアカンので、ハッピー・ホリデーといいませうといい、それは正しいかもしれないけれど、でもなんとなくやだなと思ってる層に、ストレートにトランプは、メリークリスマスと言おうじゃないかと言ってくれて、うれしいけど、でもそれを大っぴらに言えない。こうしたサイレントマジョリティーが選挙ではトランプに入れて、事前調査の意味がない投票結果になる、んだとか。

冨山太佳夫 - Wikipedia

由良君美 - Wikipedia

ハラという人は飛行場建設に俘虜を駆り出して五分の一しか帰還しなかったり(動けない病人は鮫の餌)捕虜の首をはねるシーンも二回あったり、はねてころりんの時、軍刀にくちびるをあてて切れ味にほれぼれしたりと、なかなか中国映画の素材にぴったりなキャラなのですが、処刑は必ず満月の前後とか、処刑によって不浄が清められるかのように晴れ晴れとするとか、だんだん神話の世界みたいになります。

頁43

ハラは生きた神話なんだ。神話が人間の形をとって現われたものなんだ。(略)日本人を一致団結させ、彼らの思考や行動を形づくり、強く左右する、彼らの無意識の奥ふかく潜む強烈な内的ヴィジョンの具現なんだ。二千六百年にわたるアマテラスという太陽の女神の支配の周期が、ハラの内面で燃えさかっていることを忘れてはいけない。古代日本の内に深く眠る民族の魂の、気づかれないほどひそかなささやきに、自分ほど忠実で忠誠心ある者はいないと、ハラは確信しているんだ。(略)昔の神話や伝説をすべて本気に信じこんでいればこそ、なんのためらいもなしに、人を殺すことができるんだ。つい前の日、ハラはロレンスにある体験を話して聞かせたばかりだった。それは、満洲で、シナ軍が線路に仕かけた地雷を知らずに、日本兵を満載した列車が驀進していったところ、突如、列車は宙につりあげられて、ふしぎや、地雷のとどかぬとなりの線路にまた無事におろされたという話で、これも、アマテラスという太陽の女神のご加護だったという。「とにかく、彼の両眼をちょっとのぞいてみることだ」とロレンスは言った。「あの瞳には一点の下劣さも不誠実さの影もさしていない。太古の光を宿しているだけだ。(以下略) 

 昭和天皇がオランダに行ったとき石を投げられましたが、投げた人はただのバカなのか、こういうロジックをいろいろ考えすぎて、脱日本、日本を打破するため石を投げたのか。

f:id:stantsiya_iriya:20201025194513j:plain

対する坂本龍一のヨノイは、映画と違って、死刑にはならず、懲役七年で、その後無事帰国します。私は夜中に坂本龍一が首だけ出して生き埋めかなんかのデビッド・ボウイの髪の毛を切るシーン覚えてないのですが、でもあったような気もする、その髪の毛がもとで、日本兵が白人女性もしくはユーラシアン女性にした所業の証拠品と誤解されて、日本兵収容所でボコられて没収されます。髪の毛は、帰国後日本兵収容所に捜索と返還を求め、受理され、見つかって日本へ送付され、神社でおたきあげされます。奉納することで魂のやすらぎを与えたかった、とか。ここなあ、大島渚はああいうふうに解釈したけど、事実はそうではないかもしれない。

頁229

 この奇怪な行動の衝撃は、想像を絶していた。ヨノイは別として、誰の受けた衝撃がもっとも大きかったろうか。日本兵か、われわれか。

「くそっ、なんという野郎だ!」わたしの後で、オーストラリアの歩兵隊将校が吐きすてるように叫んだ。

 ここでロレンスが真青になって、わたしの話をさえぎった。「あいつ、そんなことまで――」 

 上は、デヴィッド・ボウイがヨノイをハグする場面で、衝撃を受ける白人俘虜たちの描写。スポーツまんがで、スゴイシーンになると、衝撃を受けたり共感したりする観客のショットが入って、ワアアアアアみたいな手書き文字がつきますが、そんな演出。伏線として、ハラが、収容所で検閲をしていて、キスという単語の出て来るページ、キスシーンの写真や絵の載っているページをすべて破り捨てるようにしていたという記述があります。えっち、猥褻厳禁。

ヴァン・デル・ポストは退役時大佐で、CBE勲章という、わりとよい勲章をもらったそうです。

日本軍政下のインドネシアに潜入して後方攪乱の任務ですが、スンダ諸島など、キリスト教の布教が進んだ地域に降下するわけで、しかし意外と住民は非協力的で(既に独立を見据えていた?)、反日だから協力してくれるだろうという読みは外れて、そのうち日本軍に見つかって、投降せよ、さもなくば君らに糧食を売った村人を全員射殺する、という手紙を受け取って、はったりではない、日本軍はヤル、と見切って投降するのですが、作者ではないかもしれません。主要な白人捕虜キャラは、みすたーろーれんすと、キス魔と、あともうひとりくらいいるので、どれだったか忘れました。頁200。

日本はこんだけの敵なのですが、「ニップス」という単語がわざわざルビで出るのは頁288だけです。

原作はビートたけしが第一部、坂本龍一が第二部、白人女性が第三部で、朝鮮人衛兵は主人公になっていません。ヴァン・デル・ポストの著書で、"Jung"がどうこうのタイトルがあったので、「尹」さんの思い出でも語ってるのか、あるいは『飛ぶのがこわい』のエリカ・ジョングユダヤ人だが、鐘チョンさんと結婚したのでジョング姓を名乗る)みたいな人が出るのか、と思ったのですが、ユングと交友があって、その思い出を本にしたそうです。ユングでしたか。残念閔子騫

 以上