『終わりなき旅の終わりに さらば、遊牧夫婦』"The end of an endless journey. Farewell, a nomadic couple."(A TRUE STORY of a nomadic couple, PART3: 2007→2008)読了

mishimasha.com

5年旅して「夫婦」になった。
「一生旅をつづけたい」――出発時の思いは、ユーラシア大陸を駆け抜けるなかで、いかなる変化を遂げたか?旅する理由、働く覚悟、新たな夫婦の形…。2人が最後に見つけたものは?

初出はミシマ社という原点回帰の出版社のウェブサイト「ミシマガジン」連載「遊牧夫婦」第66回~第106回を加筆再構成。ブックデザイン 寄藤文平・八田さつき(文平銀座)下は偶然見つけた告知動画。たぶん近況写真より、若いです。そりゃそうだ、ですが、年をとらない人もいるので。

www.youtube.com

バンバカあっちこっち行けていいなあ、と思います。ルート的に。それを、稼ぎながらやれるというのが、ほんと、時代なんだなと。はてなブログでも、グーグルマップを付記して、今ここにいます的にデザインの仕事をノーパソでしながら旅してる人を読んだことがあります。スペインとか、いろいろ。もちろんコロナでそれらは大打撃を受けたはず。で、危険なことに遭わなかったというのも、ルーレットですので、続けてればいつか遭ったかもしれません。どんなに気を付けていても、限界はあるので。ので、取り戻しはしたものの、バックパック盗難に初めて遭って、その後、体験すれっからしになりかけでそれでもまだ感動出来る地点で、人生を引き返すことにしたというのが、印象的でした。

トルコに入るまでは、ほんとにどこもルート的にうらやましいと思いました。モンゴルとロシアをバンバカ移動したくだりは、たぶん私も出来たのでしょうが、語学面で情報量の摂取が雲泥の差なので、こういうふうにすらすら出来なかったと思います。

西寧まで行っておいて、大ブームの天空列車を迂回して、ウルムチまで行って、そこからトルファンなどのシルクロードの観光地を全スルーして、カシュガルとホータンのあいだの零公里というところに行って、そっからさらにンガリカイラスのくだりは、なんというか、やっぱり旅につかれてきてるから、あちこち行かなかったのかなと思いました。確かに高速道路ルートを見ると、トルファンカシュガルもホータンも外したルートで、「零公里」という新しく開発したような拠点に通じてるので、そこへスイスイバスの乗り継ぎやヒッチで行けマスよとなると、チャンスの女神は前髪しかないので、ええい行ってしまえになるのかも。途中でアクスと、あとクチャも通ったかもしれませんが、石窟を高い入場料出して見るだけならいいや、と思ったのかも。

www.google.com

で、カイラスを見た後、ラサに向かわず、また戻って、キルギスタンに入るルートも、カシュガルからキルギスに行けるんだ、いいなあと思う反面(私の知識は、イーニンからアルマトイに行くルートしか中国から中央アジアはない時代で止まってるので)もったいないと思いました。なんでラサに向かわなかったんだろう。ラサからネパールはともかくインドパキスタンは、パートナーの体調や好み的に、NGだったのだろうか。あるいはそっちは検問がげんじゅうだったのか。でもアリまではチェックポストもゆるゆるだったのに… 分かりません。

www.google.com

www.google.com

ガリで旅社を開いたり孤児支援をしている任怀平という人は、2012年の幾つかのチベット旅行記ブログと、2017年に出版された本で見つけましたが、《中国神山志愿者之家》のホムペじたいは見つけられませんでした。

慢拍西藏 - 赵利山著 - Google ブックス

baike.baidu.com

中央アジア諸国は〈走马看花〉で、足早に通り過ぎてった感じですので、もっと落ち着いて見ればいいのに、でも疲れてるんだろうかと思いました。最近ウイグル関連で水谷尚子サンの論文読んで、トルクメニスタンがぜんぜん書かれてないので、なぜだろうと思っていたのですが、本書で夫妻は立ち寄って、バックパッカーのあいだで言われる?中央アジア北朝鮮の異名はダテじゃないみたいに書いてますので(頁164)、なるほどそういうわけかと思いました。キルギスタンがいちばん西洋的で、独裁者追放の革命もあったというふうに書いていて、へー、でも最近の状況になる前のカザフもそれなりに開けていて、スターリン強制移住させたドイツ人がいたから、ルフトハンザが就航したりしてなかったっけ、と思いましたが、カザフは深夜三時くらいに三時間で通過しただけで、う~ん、それは、私がモルドバルーマニア、モンゴルを通過したのと同じだ、お金の心配と、あと、旅自体を急ごうとするとしてしまう人間の心理行動だ、と思いました。青春18きっぷを使っても、移動移動であまり中途下車しないのといっしょ。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

イランは、映画でも見た、深刻な麻薬汚染と、建前とホンネの違いがバンバン出ますが、トルコでも言えることで、これは都市の話だということをちょっと考えた方がいいと思います。私もイランの欧化っぷり、街の真ん中に必ずブールヴァールのあるつくりの美しさに感心したのですが、一ヶ月だけ習ったペルシャ語の先生に、そんなイランになぜイスラム革命が起きたのか聞くと、欧化したからこそ、伝統回帰の声を高圧的に叩き潰せず、急速な価値観の変化に耐えきれない農村部が回教の原点回帰を支持し、農村が都市を包囲したのだ、とのことで、それって現地で外国人に親切な人ばかりと接してると、見えてこない一面だよなと思いました。外国人に寄ってこない人たちも見ないといけないという、アクロバティックな芸風が必要とされてしまう。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

stantsiya-iriya.hatenablog.com

stantsiya-iriya.hatenablog.com

頁204

 タブリーズで泊まった宿の息子と話をすると、彼はこんなことを言っていた。

「イランのイスラムは、イスラムじゃない。イスラムイスラム教徒になることを強制はしない。コーランには、酒は身体によくないと書いてあるだけじゃないか。政府が強制することなどできないはずだ……」

ここも、私は、政府批判とは読まず、『トルコのもう一つの顔』(中公新書)などを読んだ記憶から、タブリーズはもうけっこうトルコに近いので、クルド人など越境的な民族の比率も高く、それでイランを相対化して見れるのではないかと考えました。

私はトルコはイスタンブールしか行かず、あまり親切にしてもらった経験もなく、で、モスクワでシュワルナゼ時代のグルジア人にけっこう未来への希望みたいなことを瞳キラキラで聞かされたので、本書はジョージアになる前ですが、グルジアの治安の悪い、暗いムードの描写はやりきれなかったです。アルメニアアゼルバイジャンは、行ってみたいなあと今でも思ってますが、多分その機会はない。作者夫妻が、ここまでの旅行で行かなかったチベットその他に、その後行く機会があるかどうかより確率は低いです。

トルコから先は、オーストラリア時代のグッダイ、マイッふれんどの家とか、カウチサーフィンというSNSを利用して泊ってたとあり、それにしばられた感じの旅になったこともまた、物価高をはねのけて、行ってみたかった北欧に行かなかったことや、北米まで足をのばさなかったこと(英語バリバリなのに)という結果につながり、旅が生活で、行きたい場所があるなら、トライすればよかったのにと、読んでてさびしかったです。

ただし、ふたりでなければ意味がないと思うので、カイラスのくだりも、奥さんが体調不良になって、旦那さんは「オレ一人ならもっと身軽にふっとわーく軽く動けて」みたいな禁句を言って、マジで深刻な断絶五秒前になったそうですので、何にプライオリティーを置くか考えると、どこでも行けるというのはやはりありえないと思いました。

カウチサーフィンは、まさにソーシャルネットワーキングサービスというSNSの正式名称そのままの性善説なシステムで、SNSってついったやインスタ、FBだけと思われたら困るの典型だと思いました。私も日本でヒッチ俳句をネットで出来るような、あいのりだかのってこだか、シェアライドのサイトを見たことがありますが、お互いの身元保証を登録でしっかりすることや、ヒッチでなく、運転も相互にしてその責任もとってみたいなお誘いが多いこと、あと、女性ばかり乗せたがるやばいのしか目につかなかったので、けっきょく利用してません。カウチサーフィンも、盗難より性犯罪のほうが誘発されるだろうと予測し、ウィキペディアを見ると、身元確認のやりかたとともに、性犯罪の事例が明記してありました。

カウチサーフィン - Wikipedia

メンバーの安全がカウチサーフィンの最も問われていたところである。レファレンス、身分認証などの安全措置の影響である程度の安全が保証され、今まで何百万ものCSによるメンバーの接触がポジティブな評価を受けているが、以上のような不幸な事件の完全予防は不可能と思われる。

作者夫妻は、およめさん、否パートナーの京都でその後の生活を営んでるとのことで、上記のSNSでも民泊でもいいですが、それまで受けてきたもてなし、親切を、返しながら生活するには、京都はまさにうってつけだと思いました。私も、畑とかでそういうことが出来ればと思うですが、実行力がまったくないです。反発やダメだしをくつがえすちからがない。あと、もてなしや親切だけでない、深い知識の伝達をするにしても、卓抜した夫妻の英語力は役に立つはずですし、他者の追随を許さない気がします。京都に長年住んでる、くせの強い外国人社会より、いいものが出せると信じたい。

冒頭のダンドンの北朝鮮国境で、歩いてったら越境出来やん、のくだりは、実はあまり感心しませんでした。トンデモ旅ルポとしてはおいしい、得難い体験だったとは思いますが、どうなんだろう。まだ、二巻目の中国編を読んでないので、中国農村の発育不良世代の北朝鮮ヨメとか、朝鮮族の市場に密境して現れた髪の毛ボーボーで着てるものも真っ黒なコッチェビグループに、アジュマが見つかったら処罰されるのを知りつつ、かわいそうで見て見ぬ振りも出来ないのでタダメシを喰わせて、それを連中がガッツく風景とか、そういう記述があって、ひっくるめてなら、ある程度意味があると思います。夫婦の前に唐突にあらわれた在日コリアン商人が、助けてくれそうでなんだか分からなかったくだりが、深田祐介『暗闇商人』で、ピョンヤンのホテルのエレベーターで乗り合わせた在日コリアン商人たちに助けを求めようとしたが監視があって出来ない、のプチ場面みたいと思いました。あと、韓国映画「黒金星」の初めのほうで、北京で北朝鮮とコネクションをとろうとしたときに、あらわれるけど道化でしかなかった在日コリアンの場面も想起。なんしか、偶然を装ったシナリオがあったとしても、現実とフィクションはちがうのでたいがい機能不全、だったのかもしれません。

母さんお肩を叩きましょう、ダンドンダンドンダンドンドン。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

一巻目の感想でも、チベット暴動に絡んで、それまでの中国人の知人との決別があったことに触れましたが、具体的には、ちょくちょく寄稿してた週刊金曜日の記事だそうです。2008年4月25日号(頁274)今回の冬季北京五輪と同じですが、左派がまったくチベット暴動について北京政府を批判しないので、何故かと週刊金曜日編集部に問い合わせ、”因为我们很忙,没有时间取材。假如你有关心的话,请你写一写!“ つー話だったとか。私も当時、やっと週刊金曜日も記事書いたか、アリバイかどうか知らんけどと思ったですが、それをこの人が書いて、しかもこんなケチョンケチョンの理由だったとは。アホかと思います。よくぞ書いてくれました。(読んでませんが、すいません)

上海で作者はライター生活、パートナーは就職して文員として働いていたそうで、しかしパートナーが、もう一刻も早く中国を出たい、もうダメだーとなって、それは、同僚が彼女の仕事の情報を同業他社に売っていたのが分かったからだそうで、それを作者が、中国人の知人(友人でなく知人)に話すと、よくある話と一笑にふされたので、日本人には中国のそういうとこはなかなか”入乡随乡“にはなられへんだと返すと、何言ってんだ日本人のほうがよっぽどヒドイデスよ、上海の日本人なんて悪いヤツばっかりダヨと具体例なしで言われたとか。一年でそれかというか、まあ同じことをやったら、腐っていくばかりでしょうから、中国を出ていきたいならもうそうするしかないでしょう。

京都でやっぱり動物に関した仕事をしてるのか知りませんが、英語というもう一つの武器を考えると、けっきょく、最初に行ったオーストラリアがいちばんよかったんじゃないかと思いました。ただ、日本に地盤というか、縁戚関係があって、冠婚葬祭をいつまでもおろそかに出来ないちう思いもあったようですから、オーストラリアを拠点にするというのはなくて、京都なのかなと、少し残念ですが、思います。

今後のご発展を祈念します。以上