『マルチ考爵の海外放浪記』"Multi (Consiousness) Duke's Overseas Wanderings." by Gaku Shinya 岳真也 読了

"からっぽ”からの脱出 したたかな体験 "豊かなる日本” の中に真の<自由> はあるのか―― 未知の国への旅を通して 現実の様々な矛盾を糾弾する 著者21才時の問題処女作! 本書は、1970年11月に仮面社より「ばっかやろう」という題名 で発刊となりましたが、現在は絶版となり、今般、読者のご要望により一部改訂を致し出版したものです。 マルチ考爵シリーズ 第2弾! ビジネス社刊 ¥580

マルチ考爵の海外放浪記 (ビジネス社): 1973|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

装幀 イラスト 重松英二 写真 佐藤秀美 

これも、ボーツー先生と福田和也の書評対談に出て来た本。どういう文脈で出て来たのかは、さっぱり覚えてません。

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1970年に仮面社から『ばっかやろう 生きて、旅して、考えて』というタイトルで出た本をかなり訂正して、「マルチ考爵」というシリーズの二冊目として出した本だそうです。しかしこの後マルチ考爵の続刊はなし。マルチ考爵には、多重意識、"multiple consciousnesses"という意味合いを込めたそうですが、マルチ商法のマルチと考えられてしまったのか…

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「マルチ」とはなんですか。:農林水産省

「マルチ」とは、畑のうねをビニールシートやポリエチレンフィルム、ワラなどで覆(おお)うことで、英語の「マルチング」を略(りゃく)したことばです。

Dual consciousness - Wikipedia

「マルチ考爵」 由来の記 「アッシは多意識・・・ マルチコンシャスネスの持ち主」―― 現代のように情報過多の時代において、 多情多感な若者たちは、少なからず多意識 マルチ・コンシャスネス たらざるを得ないのではないか。 ミソもクソもいっしょくたにして考える―― 「マルチ考爵」。 実に、このヘンテコリンな時代に生きるヘンテコリンな男に ぴったりの仇名ではないか。 生きて 旅して 考えて…… 岳真也 28.6.'73

著者直筆サイン本で、ビニルカバーがかかってました。持ち主は大切にしてたんでしょう。日本の古本屋で、¥1,130円送料別で買いました。最初、平成28年6月13日のサインかとカン違いして、そのお年になっても1973年の本の在庫を抱えて、時おり誰かに売ったり贈呈したりしてたのかと妄想をたくましくしました。よく見ると13と思っていた箇所が73で、6月73日なんてあるわけがないので、1973年6月28日のサインなんだなと考えを改めたです。奥付によると同年同月10日に印刷して、15日に初版として売り出したそうです。なぜ六月をJun.と書かなかったんだろう。

羽仁 進氏評 常人の想像を絶する生真面目人間の息吹き 岳さんの「海外放浪記」を読んでいると、書いた人の、に おいというか、息吹きというか、とにかく生きた人間の、カ いっぱいに動きまわっている感じが、伝わってくる。 岳さんは、もの凄く、というのは、つまり、ほとんど常人 の想像を絶するくらいに、生真面目な人なのではないかと思 うが、その真面目な人が、真面目いっぱいにぶつかることか ら、とんでもないものが、どんどん飛び出してくる。「海外 放浪記」は、最初の著作ということで、そのにおいも、特に、 新鮮に感じられた。 ”ぐうたら”な私を慚愧せしめる書 ・・・・岳さんの神出鬼没の活動 と、恐れを知らぬ冒険心には、 ただただ、脱帽せざるを得ない。 この本は、そういう岳さんの 姿があらわれていて、ぐうたら 私を慚愧せしめるに十分である。 遠藤周作 大きな夢と 小さな倖せとに引き裂かれ 引き裂かれつつも なお もがき もとめつづける姿が 「青春」なら 「青春」に終りはない 誰よりも真剣であろうとするが故に 冗談みたいに生きざるを得ない それがぼくにとっての 常に未完の「青春」である

どういうつながりか考えたくなる広告文人脈。遠藤周作は[广K][广O]つながりと理解しますが、羽仁未央のパパとのつながりは、なんだろう。放送業界がらみか、本書にあるような海外がらみか。

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羽仁進 - Wikipedia

『新装版 わたしが・棄てた・女』(乃木坂文庫)(講談社文庫)読了 - Stantsiya_Iriya

著者の岳真也という方は、著書百何十作という多作な方だそうで、[广K][广O]の修士まで行ったそうで、在学中に学生作家としてデビューしたんだとか。

岳真也 - Wikipedia

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若いということは さ・迷うことだ たえず揺れ 動き 迷いつつ 放浪する 空ゆく雲に思いをはせ 気ままな風の往来に憧れて 明日はまた一人 旅立とう 挫けがちな心に向かい ばっかやろうッ! と戒めながら 生きて 旅して 考えて・・・・・・・ 心の旅ははてなくつづく

六十年代後半、本名井上ユウサンは、[广K][广O]ボーイのバックパッカーとして、ナホトカからサイベリア鉄道、東欧、ギリシャと巡って、イージプトからイシュリー(イスラエルは《以色列》”yiselie“なのですが、倦舌音でない音まで倦舌音にしてしまう御仁に引っかかったせいか、私はイシュリーイシュリーと覚えてしまいました)まで旅をして(その後帰国したか旅を続けたかは知りません)、本書はその中の、ギリシャ、エジプト、イスラエルの記録です。[广K][广O]ボーイのバックパッカーは私も会ったことありますが、やっぱり洗練されていて、冴えてるナァ、てなもんでした。英語も堪能で、おうらやましいことこの上ないかったです。住所交換したら、帰国後旅先で知り合ったもの同士を集めた合コンまで主催されてしまった。

<目次>

まえがき ――マルチ考爵からのメッセージ TALK TALK TALK ー何よりもまず「人間」として ベトナムビートニク青年に逢った ある日/10 望郷の思いにかられた ある日/23 熱い血潮を感じた  ある日/20 不毛の砂漠に花園をー「絶望」を超えて「希望」を カイロの路地裏をねり歩いた ある日/46 オイハギに襲われ砂漠を逃げまわった ある日/55 現代エジプトの〈心臓アスワン・ダム〉に感動した  ある日/70 負けてたまるか ピラミッドー 「生きる」ということの意味をたずねて 南ア連邦のゲリラ隊長と逢った ある日/85 三等列車に乗り一等ホテルに泊った ある日/98 ピラミッドの下をさまよった ある日/116 Run to the rising-sun――本当の 「愛」 本当の「平和」 本当の「人間」 『国際青年都市』に参加した ある日/128 フランス青年とあやうく殴り合いそうになった ある日/143 インドの〈平和闘士〉の決意を聞いた ある日/158 旅に出てはじめて男泣きした ある日/178 イスラエルの空は蒼い空ー「戦争」の中側にあって からくも〈爆死〉を逃れた ある日/186 イスラエルの空が黒かった ある日/197 〈中東問題〉の難しさを肌で感じた ある日/ 205 ボクの恋人モナムールの童べうたを聞いた ある日/217

TALK TALK TALK ー何よりもまず「人間」として

最初のギリシャ編は、まあこういうふうに西洋人バックパッカーの中で東洋人が孤独になったりハブにされたりするので、「金の北米、女の南米。耐えてアフリカ歴史のアジア。なんにもないのがヨーロッパ」などと邦人バックパッカーが「あのブドウは酸っぱいに違いない」的減らず口を叩いたり、前川健一サンが絶対行かないとムキになったりしてたんだろうな、という感じで(それだから前川サンは、コロナカ前年にチェコに行ったんなら行ったで、過去の自分の発言にも責任持って説明した方がよかった)出て来るオリエンタルは彼と、スウェーデン人の彼女連れのフランスで育った南ベトナム軍人子弟の二人だけ。野宿予定だったベトナム青年と金髪美女のカップルを慶應ボーイユースホステルに案内すると、白人の若者たちは「一斉にオシャベリをやめ」「その視線はなぜかひどく冷たい」「敵意さえも感じられるほどに」「暗黙の挑戦」(頁20)

だいたいこういう展開になると「そとこもり」はこうなるかなあという感じで、アテネからデルフォイまで、ユウサンは公共交通手段もヒッチハイクも使わずに、全行程徒歩旅行を始めてしまいます。その途中で、日本に半年いて、ことばも少し覚えたというドイツ人女性二人組と会い、彼女たちは、ユウサンがせっかくの得難いヨーロッパ体験をボロクソ否定しまくるのをしばらく辛抱強く聞いた後、ユウがそう感じるのは、胸襟を開いて、自分から、相手がうわべだけの返答を続けても、粘り強くカンバセーションして、若者のカマン・ランゲージ(共通言語)=「心」を駆使して、色眼鏡を外す努力をしないからではないか、そうすべきではないかと主張します。

こういうのは私も聞いたことあって、けっこうそれは、自分は差別なんかしてない、白人は平等だよ、と言いたい人の自己弁護な感を受けるのですが、この場合、ふたりのドイツ娘は、半年の日本滞在期間、それを実践して、少しもいやな目に遭わなかったと、真顔で言うので、ある程度うなづかないわけにもいかないだろうと思いました。六十年代の日本。二人は日本で何をしていたか、アルバイトとか口を濁すのですが、長期旅行者なので、まあ金を稼いでいたんだろう、白人向けのラウンジとかカジノあたりで、と推理してます。ギロッポンあたりの。そういうところで働いてるオージーホステスなどが、ストレスもあって、これまたボロクソに日本をけなすのを知ってるので、「少しも厭な思いをしたことがない」とキッパリ言い切るのは、それなりの気持ちの整理があった上でのことだと思います。ので、虚心坦懐に聞いてもいいかと。

頁34

「とにかく、その疲れきった顔はいただけないわァ。ネッ、アンタ、ソウデショウ」

 ぼくは驚いて、彼女の顔をみつめた。彼女がかなりまともな日本語を喋ったからだ。

「ふふ……アナタ、ビックリシテマスネ。アタシタチ、ニホンゴ、スコシ、ハナセマス」もう一人のサングラスをかけた鼻のやけに高い少女が言った。

下は、再会場面。

頁41

「きみたち、ここで待っていてくれたの……ぼくのこと……」

「やい、ヤマトダマシイッ」ギゼラーの口からまたもとびだした日本語。「キニスンナッテ!」

「せっかくあなたがアテネからデルフィまでのオール・ウォーキングをなしとげようとしていたのに……かえって悪いことしちゃったような気もするんだ、あたしたち」とブラィエットはその頬を指でこすりながら言った。

不毛の砂漠に花園をー「絶望」を超えて「希望」を

負けてたまるか ピラミッドー 「生きる」ということの意味をたずねて

エジプト編は、バクシーシ、バクシーシ、バクシーシという、AV男優の名前じゃないよ、それはここからとったんだよ、というバクシーシ攻撃が大半です。イスラミック・ステイトに誘拐されて首切られるような時代ではないので、それは本当にいいです。エジプトじたい、「アラブ連合」と表記されます。ベトナム戦争については米帝を批判するのに、なぜパレスチナ問題について同様に米帝批判をしないのかと、黒人やアラブ人からユウサンはビシバシ批判され、ユダヤ人も苦難の歴史やホロコーストがあったわけなので、お互い寛容に会話で解決出来ないか、とユウサンは何処まで行っても自説を曲げないので、そこは読んでて驚きます。相手に話を合わせてお茶を濁さないなんて、邦人らしくない。ユウサンはなので、「ピース・ラバー」とか「パシフィスト君」という綽名をつけられます。どこでそんな会話をしてるかというと、安宿だけではなく、回路在住の邦人イスラム教研究者の家だったりします。

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三等列車でドロボウ一味や警察に囲まれて移動した後、自分へのご褒美とばかり、ヒルトンホテルに駆け込んで、フロントに聖徳太子を叩きつけて一泊する場面は、けっこうある種のバックパッカーあるあるじゃないかと思いました。私も上海の錦江飯店泊まったことがありますし。享楽的でないバックパッカー、めんどくさいバックパッカーの典型。ようするに万券持ってる。

下は、その研究者のお宅で、日本食会食パーリーで、十人ほどの多種多様な人種民族の人々とセッションする場面。

頁97

 その時だった。今までずっと黙りこんで、ただひたすら不器用にハシを動かしていたビルマの青年が、

「しかしネ、ミスター・K……ぼくは生まれながらの回教徒なんですが、その実、宗教というものについて学べば学ぶほど、懐疑的になってきちゃうんです」と前おきして、

「真の世界平和を築くためには、すべての人々がその盲目的排他的な宗教を捨てさり、それにとってかわる、新たな〈精神的支柱〉をうちたてなけりゃァならないと思うんですが……」

「あ」と短く呟いて、ぼくは思わず手をたたいた。

(……おれと同じことを考えているじゃァないかッ)

 ぼくは彼の意見をひきついで、言った。

「その通り……その〈精神的支柱〉こそ《平和指向》ということそのものみたいな気がしますネ……ぼくは盲目的なマルキシズムナショナリズムもひとつの宗教みたいな気がするし、それらもすべて捨てさり、人類が存続し得るか否かという危機にさらされている核時代の今日、世界中の人間が共通して《平和指向》を自らの心のカテにするべきだと思うんです……」

ロヒンギャだッ、と思って付箋付けたんですが、思いもがけず長い引用になりました。ミスター・Kは、南アの、反アパルトヘイト地下闘争の、軍曹とか曹長とかくらいの指揮官クラスの職業的ゲリラの人です。

イスラエルキブツの描写が福田和也やボーツー先生の気を引いたんだと思いますが、後述します。

Run to the rising-sun――本当の 「愛」 本当の「平和」 本当の「人間」

イスラエルの空は蒼い空ー「戦争」の中側にあって 

【後報】

イスラエルでは、「国際青年都市」という政府主催の、各国から青年を集めて交流するイベントに参加します。参加邦人は六名。慶応ボーイがもう一人いて、その人だけアダナで登場します。こうした催しが当時あったか、今でもあるのか検索しましたが、さっぱり分かりませんでした。下記は、"Israel"と"International youth city"で検索して出た結果の一部ですが、イスラエル国内向けの活動のようです。

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ユウサンが参加したのは、ソウル五輪の時に北朝鮮が開催した青年のナントカとか、人間の盾とかみたいなもののイスラエル版かと(ちがう)参加した青年の大半はヒッピーというかフリーセックスというかナントカで、当時、まだそんなヘビードラッグがなくてヨカッタデスネとしか。今は合成麻薬とズーエイがあるので、もう絶対こんなふうにはならず、陰惨な趣が強くならざるを得ない。売人も比較にならないくらいいるだろうし。

目次にあるようにフランス人と殴り合いそうになったのは、セックスを邪魔されたフランス人が挑発してきたからです。割り振られたテントに六人ぐらいずつで住むのですが、あっちでもこっちでもやりまくり。

ユウサンはそれで、まじめにやれみたいなポスターを張り出して、遊び好きな半分の連中からにらまれ、もう半分のサイレント・マジョリティー、まじめな連中から支持を受け、代表選挙でもまじめな方が当選します。しかしこのポスターは、アジア・アフリカ連名としたら、アフリカ人参加者(黒人かアラブ人かは不明)がアフリカの字を消したそうで、複雑だったようです。アフリカ黒人の中で、ひとりだけ白人とやりまくってるガーナ人男性がいて、彼が顔役みたいなツラをしてたのですが、実体は総すかんで、蹴落とされます。

頁163

 自嘲的に喋りつづけながら、ふとぼくは、アロビンドが初対面の時ぼくに洩らした、彼の〈世界共同体〉なるものの構想を思いだした。

(アロビンドは、そのワン・ステップとして、アジア諸国相互の共同体というようなことを言っていたっけ……)

 それと同時に、ぼくはいつかギリシァで出会った中年のフィリッピン人教師が言った、

「私は、日本がかつて唱えていた〈大東亜共栄圏〉の構想そのものには必ずしも反対しない」という意見も頭に浮かべた。

「問題は、ただその方法さ」

 彼はそう言ったのである。

ここは福田和也サンが好きな部分なのかどうなのか。中国が、わが国ならもっとうまい方法で〈大東亜共栄圏〉を実現しますと言っても、信用する人はそんな居ないと思いますが、分かりません。

イベント終了後、ユウサンは、知り合ったイスラエル人女性兵士に逢ったり、キブツで働いたり、知り合った白人女性(イベント参加者中いちばんの美少女を射止めたという展開で、信ずる者は救われます)と会って、彼女の前の彼氏はイスラエル人で、戦死もしくはテロ死したことを知ります。また、ユウサンは、街の食堂で食事をして、カバブとナンだけなのに出て来るのが遅くて、おかげで店を一歩出たところの爆弾テロ遭遇を間一髪でまぬかれます。

下記はイスラエル人女性兵士との会話。

頁187

「私は愛しているわ、この国を……自分の生まれた国ですもの」

 熱っぽい口調でエミィはそうくりかえした。彼女は、両親もまたイスラエル生まれという生粋のイスラエル人。そして、父親を一九五六年のスエズ戦争で失っている。

「……パレスチナはすべてのイスラエル人にとって、終着駅ラスト・ステーションなの。ユウ、あなたも見たでしょう。この国の人々の腕に刻まれた痛々しいイレズミの跡……六百万もの同胞が、意味もなくあの恐ろしいナチスの毒牙によって殺されたのよ。私たちは二千年もの間、放浪をつづけ、やっと辿りついたのがここパレスチナなの……」と言って、彼女はふと言いよどみ、やがて空の碧と競うかのように青い地中海の海に、

「……もう他に行くところはないの」ポツンと言葉を捨てた。

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https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/64/Bundesarchiv_Bild_183-B0716-0005-014%2C_Oberstes_Gericht%2C_Globke-Prozess%2C_Zeugin%2C_Eva_Furth.jpg/250px-Bundesarchiv_Bild_183-B0716-0005-014%2C_Oberstes_Gericht%2C_Globke-Prozess%2C_Zeugin%2C_Eva_Furth.jpg「いいから出てけよ」とは誰も言わないと思いますが、しかし1970年当時、まだまだイレズミの入った人がたくさんいて、袖まくりすると見えるわけですから、イスラエルで暮らしてるとわりかし目撃する機会も多かったのかなと思いました。

Number tattoo visible on the arm of camp survivor (and, in this photo, 1963 courtroom witness) Eva Furth.

ユウサンは彼女とやろうとして拒否られ、イベントナンバーワン女性が彼女のクセにという感じのことをやんわり言われますが、それ以外に、たぶん異教徒と結婚はないわーという理由があったんだろうと思います。

頁187

「(略)……時計の針がいつか必ず止まってしまうように、私たちの命も止まる時がくる。だけど……だけどネ、ユウ、その日のくるまでは私は祖国のために精いっぱいこの小さな命をささげるつもり……」

「それがぼくには理解できないんだ。そりゃァ、エミィ、ぼくだって自分の国を愛していないわけじゃァない……けど、ひとつしかない命、しかも次の世が保障されているということもない……そう簡単には捨てられるものか」

 エミィは悲しげに首をふって、

「あなたには判らないのネ。あなたの国と私の国はちがう……それだけのことなのよ。それだけのこと……」

「それってあなたの感想ですよね」というわけでもないのでしょうが、こんな感じで。以上

(2023/2/28)