『さよなら・再見』(アジアの現代文学―台湾)再読

版元公式
http://www.mekong-publishing.com/books/ISBN4-8396-0006-6.htm
表紙画は作者自身による。

表紙左下のサインは、読めない数字と、「耕作社」?「胡作社」?「奇岩新村」?

装丁 力石行男

読んだのは五刷。

訳者のおふたりはおふたりともWikipediaありません。田中宏さんは1937年東京生まれ外語大中文卒。福田桂二さんは1932年台北生まれの引揚者。

下記の本をそのうち読もうとメモっていて、で、たまたま図書館検索で黄春明の本が出ましたので、うっかりまた読んでしまいました。

『再見東洋色鬼(サヨナラニホンノイロオトコサン)』
 1983/1刊、筑波孝 著 ズーム社

裏表紙煽り文句
黄春明(ホアン・チュン・ミン) 台湾でいま最も愛され最も畏れられている作家。それは、彼が民衆の真の代弁者だからである。彼はいかなる権力にも屈せず、勇敢に、巧妙に闘う。タフ。エネルギッシュ。そして、やさしい。『さよなら・再見ツァイチェン』は台湾では空前のベストセラーとなり、すでにアメリカ、韓国、ドイツで翻訳された。1939年宜蘭生まれ。二児の父。

めこんという出版社自体がなつかしい。公式があったので、今でもあるわけですが。タイ人はリポビタンDで割って飲むと聞いて、新宿小滝橋通りのタイ料理屋で得意がってそんな注文したら、そんな飲み方するのはタイでも田舎もんだけどすと言われた思い出。めこん違い。<収録作品と原題>
さよなら・再見ツァイチェン 莎喲娜拉・再見 1973年8月発表
りんごの味 蘋果的滋味 1972年12月発表
海を見つめる日 看海的日子 1967年11月発表

表題作の東方書店検索結果
http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=413826&bookType=ch
「見」を簡体字の"见"にして検索したら、大陸側の出版も出るかもしれません。

表題作の舞台が礁渓温泉というところなのですが、イキナリ「チャオチー」とルビが振られていて、「渓」はシーだろうと思いました。まんいち台湾語だと「チー」になるならそれはそれで、と思いましたが、不明。日本語版Wikipediaの礁渓温泉は、台湾語は分かりませんが、國語のカタカナ表記は別の個所が誤記です。「ジャオシー」の点々が取れてシャオシーになっている。

礁渓温泉 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%81%E6%B8%93%E6%B8%A9%E6%B3%89

「渓」をチーと読んだりするのか、念のため邱永漢直木賞受賞作『濁水渓』の漢語発音をWikipediaで見ましたが、やはり「シー」でした。

濁水渓 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%81%E6%B0%B4%E6%B8%93

客家語だとどう読むのかなあ、そもイーラン客家いるんかなあ、新竹ならいるだろうけど、と思い検索すると、"福佬客"という概念が出てきました。李登輝蔡英文も、そして私は連戦外省人だと思ってたですが、連戦も"福佬客"だとか。

福佬客 Wikipedia
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BD%AC%E5%AE%A2

で、「ポン引き」という言葉が頻出するので、原文ではなんと書いてあるのか知りたくなりました。むかし、在日華人社会で、"拉皮条"という単語を教わりましたが、それなのかなぁ… 

拉皮条の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典
https://cjjc.weblio.jp/content/%E6%8B%89%E7%9A%AE%E6%9D%A1

表題作は、頁59にも、炎竜を「イヤンロン」と読ませていて、イエンロンだろうと思いました。

発表した時代が蒋繼國總統の經濟起飞 期までカウントダウンあと何秒の時代なので、表題作のインテリ主人公は、日本語話者ですけど、中国人意識をしっかり持ち、國語で話そうとする人です。

川の流れに草は曹操みたく、草過ぎて読めない作者のサイン。

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%98%A5%E6%98%8E
ウィキペディア見るまで、鹿港ルーガンから来た男と同じ作者とは気づきませんでした。そうだったのか。

りんごの味は、悦南もとい越南時代の美兵絡みの話で、五十年代の反美運動とは違う話だと思いました。蒋介石が台湾で核開発核武装しようとして止められたころ。

May 24 Incident Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/May_24_Incident

海を見つめる日は、なんとなく張惠妹の聽海を思い出しました。さよなら・再見にはアザのある女の子が出てきますが、これはモンガに散るを思い出しました。

上の動画は、一瞬若い頃の民族衣装の彼女が映るのがミソというか、それしかないと言われると寂しいが、という感じ。

あとはなんだろう。日拠時代日治時代から「光復」への変遷は、よく、イヌが去ってブタが来たと言われるそうですが、なぜ日本人が犬なのか、人間でないのか。ホウシャオシエンの戯夢人生でも立ち小便をやめない日本人を主人公が殴る場面がありますが、まず第一点がそれ。この小説でもそこに眉を顰める場面があります。21世紀の日本人は相当立ち小便しなくなりましたけどね。公衆便所の普及と、誰のものでもない空地が激減して、それっぽいスペースがあっても、うっかり人目を気にせず小便ひっかけられなくなった事情が大きいのかと。松田道雄の『花洛』で読みましたが、戦前の京おんな(粋筋)は辻々にある立小便用のコエタゴを跨いで、立ったままおそそをあれして用足して、近在のお百姓がその肥タゴを担いで帰っておいしい聖護院大根とか九条葱とかのこやしにしてたとか。そして、チャウ・シンチーが今世紀発表した映画、少林サッカーで、ン・マンタ(「ン」から始まる潮州系だか広東系だかの素晴らしい名前だと思います)がサンミゲル飲みもって立ち小便えんえんとする場面で、私は実は、何か日本人が救われた気がしたのです。周星馳に。もう一点はエロですが、これは、私は、中国人のムッツリスケベの陰湿さのほうが好きではないので、特に同意しませんでした。
以上