町田市民文学館ことばらんど企画展「20×20原稿用紙展 & 2😊2😊絵本原画展」ことばらんどお宝紹介第一二弾「三島由紀夫未発表資料初公開」鑑賞

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本当は別の読書感想を先に挙げたかったのですが、まとまらないので。今日は雨で、南町田に置いた自転車をなかなか引き出す機会が伺えなかったので、おいしいコーヒーが飲みたいなあと町田に行って、ついでにこれを見て、家に帰ったら雨が上がりましたが、まだ曇ってましたし、疲れたので寝ました。

原稿用紙展は撮影禁止。原稿用紙にインスパイアされた現代アートのインテリアに囲まれて、いろんな作家りんの直筆原稿の複製を眺めまわせます。一月からの後期は展示替えして、荒井美波『行為の軌跡』で針金臨書した、ダサイの人間失格が見れちゃうとか。公式に載ってる写真を見ると、卯月妙子の直筆にも似ていて、ヒューマンビーイングにそんな違いはないものだと思いました。

そもそも原稿用紙と云うものは、1678年鉄眼道光という人が一切経を刊行する際に用いたのが日の本開祖で、日本における明朝体ファーストもそれなんだとか。その後頼山陽日本碍子、否、日本外史に使われたり、花輪和一、否、塙保己一群書類従に使われたりしましたが、あんまし升目に一文字ひともじ区切って書くというのは、草書でだらっと、上から下へ繰り返し記号を多用して書く日本語には合わなかったとかで、しかし明治になると、編集が判別する必要があるからか、原稿用紙の升目一〼ごと埋めて書くのが主流になっていったとか。原稿料の判定に、原稿用紙一枚幾ら、原稿用紙は一枚何マスで幾ら、と換算していたのも普及の原動力のひとつだったとかで、ソーセキオーガイの頃は一枚幾ら、樋口可南子、否、樋口一葉のころは一枚幾ら、と、原稿の値段もいちいちキャプションに書いてありました。百閒くらいまでの展示でしたか。その後、白洲正子ら、町田ゆかりの文芸家たちの所蔵直筆原稿が別室でお待ちかねの御開帳で、沢野ひとしは読みにくいが赤瀬川源平は読みやすいとか、森村誠一は読みにくいが赤川次郎は読みやすいなど、品評会が可能です。

この、20×20の原稿用紙一枚幾らの原稿料システムというのは、たぶん、中国はちがうと思います。原稿料は知りませんが、あちらは、論文を、何枚でなく、何文字で勘定するので。余白改行分まで払いたくないのでしょう。そんなもの厚みと認めない。したがって、日本で発達した、一文ごとに改行するなどのテクも、あちらでは無意味というか、紙の無駄としか見られないはずです。今は電子化なので、変わってるかもしれません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20141028/20141028115950.jpgただ、中国でも、ラノベで発達した、「らめえええええええええええええええええええ」みたいな字数稼ぎテクはあるかもしれません。読まないので知りませんが、“不行不行不行不行不行不对不对不对不对不对不对不对讨厌讨厌讨厌讨厌讨厌讨厌讨厌你你你你你你呃呃呃呃呃呃呃呃呃呃呃呃呃呃呃谔谔!”みたいな。

また、活版印刷の文選工の職工さん組み組みと、木彫りの一枚刷りとの戦いの歴史も、原稿用紙裏話として欠かせない気がしますが、私はあんまし知りませんので、割愛します。展示もそこはアンタッチでしたし。

町田文学館ことばらんどは、おそろしいことにロゴ入り専用原稿用紙があるとかで、水卜、否三浦しおん『舟を編む』はじめ、村田沙耶、戌井昭人道尾秀介といった人々がことばらんど専用原稿用紙に書きつらねた直筆原稿にお目にかかれます。三浦しおんは、グランベリーパークがモールだった頃に、まほろ赤児がフンドシ一丁で神奈中ジャックする映画を見に行った時、直筆サインを見たのですが、フラガール並みに字が躍っていて、流石高原書店と思ったのですが、今回見た直筆原稿は字がキチッとしていて、こっちがホンイキなんだと思いました。

三島の資料は、本来二月三月に三島展のなかで公開しようとしていたけれど、コロナわざわいでできひんかったものだそうで、三島のボクシングコーチの人が生前町田に住まはった縁で、その人への書簡やスナップ写真、色紙です。不应许拍照。

ことばらんどお宝紹介(1階文学サロンミニ展示コーナー)/町田市ホームページ

三十過ぎるまでスポーツに縁がなかった人がボディビルからボクシングへ進もうとして挫折するわけですが、その辺の事情は上の公式では書き切れておらず、ことばらんどに無料で置いてあるフリーペーパーによると、見学に来た石原慎太郎が八ミリフィルムで撮影した自身のスパーリングを見て、美学的に見苦しいというか残念だったので、以後の拳闘修行ストップを選択したとのことです。要するに息の根を止めたのは元都知事だったと。勿論肉体と肉体が激しくぶつかり合うボクシングへの愛はその後も継続し、観戦と観戦記はその後も書かれ続けたとのこと。

日本全国津々浦々べっかんこの三島展は、緊急事態宣言前の武漢ロックダウンとダイヤモンドプリンセス騒動、社会人は夜のクラスタ感染おkだが学童は休校自粛要請_期間のコロナの影響でたいがいどこも閑古鳥で、東出が番宣した映画バーサス全共闘もあれでしたが、私としては、コロナ下がなくても、そのように一斉に売らんかなでプチレントシーカーが始めたやうな三島ブーム作らうぜ的風潮に踊らされる感が現出するのがいやだったので、その時お蔵出ししててもみいひんかったと思います。その意味で今見れて、瓢箪から駒、否、奇貨居くべし、否、災い転じて福となすは言いすぎ、うまいこと恰当な言い回しが見つかりませんが、とにかくまあよかったです。

 絵本展も、来年の後期はがらっと模様替えするそうで、写真撮影おkで、雨のせいかコロナのせいか、ひとはいませんでした。おぼまこと、わたなべゆういち、中垣ゆたかという三人の方のえほんです。

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好きなお面をひとつえらんでね  変身して展覧会へGO! おめんプレゼント! ふくろごと もってかえってね 撮影コーナー 

こんなかんじ。

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ようこそおばけパーティーへ  おぼ まこと 

自分が映らないように撮るので、何を撮っても似たような角度で似たような虹彩。自分を消す機能とか、そろそろアイフォンでもホアウェイ(滅亡)でも、やったらいいのにと云う気もします。でもまた悪用されるんだろうな。

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比較的ましに撮れたもの。

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比較的ましに撮れなかったもの。

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にんじゃ なんにんじゃ 

ところどころ液晶画面で動画。プラズマではないと思います。

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にんむ その三  原画を見て まきものに 書かれた  にんじゃを さがせ 

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探しませんでした。細かい。誰もいないので、いい年こいたおっさんが、必死に探してもいいと思うのですが、「童心に帰った」とは誰も言ってくれないであろう。

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ねこざかなのおしっこ  わたなべゆういち 

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「もう がまんできない!」 ねこは さかなの くちから でて、めのまえの とびうおに  とびつきました。 「みなさん しつれいしまーす!」 ねこは おしっこを  ジャー ジャー ジャー…… 

そうぞうしてみよう。Imagine there is sea of puke. 以上