このまんががゴイスー2024女性篇第一位を買いに大塚の旭屋書店に立ち寄ったら、サイン本があったので買いました。本の中華街神保町ならまだしも、大塚なんて、ガチ中華の街池袋の隣り駅ってだけなのに、どんだけサイン本配ってんねんという。
初出「すばる」2023年6月号
37文字×15行が144ページ。
装画 はらわた ちゅん子
装丁 佐藤亜沙美
作者の著書は大陸でも台湾でも漢訳出版されており、「りさ」の漢字表記は漢語版Wikipediaによりました。それによると、当初大陸では《丽莎》と表記していたそうですが、台湾にあわせて《莉莎》(簡体字がない)に統一したとの由。
「綿」の糸へんが簡体字と正體字と日本漢字でちがうので、そこで区別出来るわけですが、著者サインは、こんなです。「一」でも「小」でも「灬」でもない。まあ日本漢字の「糸」の下半分は「小」じゃないわけですが。
パッキパキの漢字表記はグーグル翻訳の簡体字をそのまま使いました。JOJO第五部のキャラ(スタンドが動かしづらいのですぐ消えた気瓦斯→それはフーゴだった)、レオーネ・アバッキオの漢語表記と同じなので、グーグル頑張ってると思いました。
上の中文告知では、著者自ら「パッキパキベイジン」とのたまっておるわけですが、奥付では「ペキン」という。どっちなの?北京って二百色あるんやで!密航。いい加減にしてよアグネス!学長。
本書はわざと簡体字を混ぜています。ガオティエ高铁(页28)ワイマイ外卖(页40)グオマオ国贸(页47)シャオレイ晓蕾(页52)チャオヤンゴンユエン朝阳公园(页55)イーフーユエン颐和园(页73)ミャオフイ庙会(页76)タンフールー糖葫芦(页76)カイシュイ开水(页76)ミエン面(页82)ルーガンミエン热干面(页82)ラオガンマー老干妈(页82)シンニエンクアイラ新年快乐!(页87)シャオホンシュー小红书(页92)プーティエンツァンティン莆田餐厅(页99)チャイ拆二代(页103)ハングオレンマ韩国人吗?(页126)
完全な中文の文章はまた別にあって、上記は日本語の文脈にわざと簡体字を混入させた例です。日本漢字や日中同じ字の単語に漢語のルビをふってるだけの単語はもっとたくさんあります。が、あえて簡体字にして書く意味と比べれば、どうでもいい。カイシュイとか、よくぞ書きましたって感じ。日本漢字にして「開水」にしたところで、誰がお湯の意味だと思うでしょうか。で、上を見ても、だいたい読売新聞ルールでピンインをカタカナにしています。清音濁音は有気音無気音にあらずの朝日新聞ルールは不採用です。ゆいいつの例外がジャオトン胶东(页15)「東」をドンにしてない。三里屯もサンリードゥンかとこちらがカンチガイしてましたが、〈屯〉は"tun"だった。一顿饭,炖。
カバーをとった表紙(部分)ここ、なんで"bao mai"にせず、日本語の"baku gai"にしたのか分かりません。
上も裏表紙(部分)ここは、本文で、自身のしつけのなってないロシアントイテリアが近づいた人を噛まないよう、注意の中国語を自動翻訳しようと思って忘れる場面を踏まえて、その中文を載せてます。が、転売ヤーの犬泥棒に「後悔するぜ」と言ってる文章のようにも見えます。ロシアントイテリアは知りませんが、フォックステリアは、ギリャイオジサンとかいうウクライナの血も引くロシア人によると、鼠をとらえる名人だそうです。猫より全然とる。不管猫狗,抓到老鼠就是好猫。啥子条老狗也可以叫做好猫。
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ほかに表紙に出て来る単語は下記。
〈臭豆腐〉"choudoufu" なぜかこの食べ物は本文では「しゅうどうふ」と日本語読みでルビが振られています。台湾に忖度してるのかな。
〈小龙虾〉"xiaolongxia"ザリガニ。龙=竜、虾=北陽、否、蝦。本文中には日本語しか出ません。
〈鸭脖鸭脑〉"yaboyanao" アヒルの首、アヒルの脳みそ。脑=脳。横浜橋商店街でも売ってました。前者は池莉の小説で映画にもなった「ションヤンの酒家」にも出て来るツマミで、どちらかといえば長江中流域、武漢や重慶の名菜です。レッカンメンも出て来るし、北京と言いながら微妙に武漢を突っ込んでくる。本文では「鴨の首のジャーキー」
〈鸭舌鸭血〉"yasheyaxue" 同。
〈骆肉海参〉"luorouhaishen" 駱駝の肉とナマコ。ナマコの目といえば鶴見良行ですが、ラクダについて言うと、田中芳樹『青竜伝』西寧編でラクダのコブを食べる記述があります。味の描写はナシ。
〈鸡内脏〉"jineizang" 鶏モツ。鸡=鶏。臓=脏。〈脏〉は一声で、「汚い」の意味もあります。盗品などを意味する〈赃〉は三声、チベットの意味の〈藏〉は四声です。ので、わざと、西藏や藏族の"zang"を一声で発音するキチガイもいます。
〈猪内脏〉"zhuneizang" モツ。考えてみると、牛モツや鶏モツは動物名をつけるのに、豚は付けない気がします。中国語で動物名をつけず、ただ「肉片」や「肉絲」というと、暗黙知で素材が豚肉になるのに通じてる気瓦斯。
〈特辣〉"tela"〈大辣〉"dala"〈中辣〉"zhongla"〈微辣〉"weila"〈不辣〉"bula" 辛さの度合いが、日本とちがっていて、中国はふつうの「辛い」が大辛で、ピリ辛が辛い、と主人公が会得する箇所。これは北方だけの話だと思います。贵州人辣不怕,湖南人不怕辣,四川人怕不辣。
〈血饼〉"xuebing" 血入りのおやきも中国にはありそうに思いますが、どうなんだろう。これ、メニューなのかな。小吃ではないのかもしれない。
①本書に魯迅の阿Q正傳が出て来る(頁121。*1)のを踏まえると、例の、公開処刑の死者の血をマントウに染み込ませて、結核患者に食べさせて治そうと死体に群がる群衆を見て、医学を志していたが、それをやめて社会の啓発に身を投じようと決心したエピソードを踏襲しているわけではないと思います。中国語ではQはキューと読まず、チューと読みますので、アキューアキューと言っても通じません。アーチウというと通じます。ニンシダオメイトウディンダアーチウ!
②中国入国時の隔離期間に生理になったので、隔離を生理休暇だと思うことにした、という描写のメタファーなわけではないと思います。主人公は20歳ほど年の離れた宿六とのあいだで、性交はいいけど出産育児だけはイヤ、とそこは譲りません。ふたりがコロナに罹患する場面や、妻をエスコートしてその辺の庶民的な店に入りたがらない場面などを読むと、男子漢主義というか、それなりにマチズモもある人なんだろうなという。治安の悪い店で妻が絡まれたら守らねばいけないが、守り切れるかコワいのでそういう店には行きたがらない。中国で邦人が絡まれるというと、黒社会とか抜きに、ふつうの人からもそれなり日中戦争絡みでふっかけられるわけで、本書は昨年六月刊行掲載ですので、処理水汚染水ネタで絡まれなくてヨカッタデスネという。宿六の焦燥は一切主人公には通じてません。歳の差婚の再婚でお子さんを作る人は、いしだ壱成やキム兄さんなど、それなりにいますが、本書夫妻とはタイプがちがうとしか。
ビュー。○四年『蹴りたい背中』で芥川龍之介賞受賞。一二年『かわいそうだね?』で大江健三郎賞、同年に京都市芸術新人賞、二〇年『生のみ生のままで』で島清恋愛文学賞受賞。他の著書に『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』『オーラの発表会』『嫌いなら呼ぶなよ』など。
ことほどかように「こじらせ系女子」を書き続けてきた(たぶん。ほとんど未読なので憶測)綿矢サンが放つ今回の矢は、バービーというかなんというか、池上永一小説のヒロインが綿矢ワールドに転生したかのような武骨な女性です。高島俊男サンとの呂明賜論争で知られるあの藤井省三北東サンが今回綿矢サンと対談してるのですが、彼によると、ピャオボーベイジンダリーベンシャオズーシャオジエの系譜として本書は捉えられるそうです。
といってもその系譜は林芙美子と茅野裕城子しか出ないです。前者は怪物なので分かりますし(『浮雲』復員列車で食べまくる場面は圧巻)後者は、藤井省三北東サンのお弟子サン? ちがったかな。代表作、ハンスーインはボジョウの月で桑乾河を照らすも集英社なので、それで出て来たのかも。
上記のほかにも、中国で恋も出世もゲットしちゃる、みたいな『悪女ワル』中華ヴァージョン的小説を書いた邦人女性はいたと思いますが、だいたい上海ではないかと。北京は、安田峰俊サンなんかも書いてますが、ほかに比べて政治色が強いので、一旗組は特にですが、邦人ビジネスマンが少ないです。五道口の韓国人料理店群が一夜にしてお取り潰しとか日常ちゃめしで、ウイグル人街はイタチゴッコでしぶとかったのでエスカレートしたとも。なんにせよ外国人にとって、ほかの街よりビジネスはやりにくいと思います。
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ついでに藤井省三サンの著書の読書感想も載せておきます。
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帯。37文字×15行が144ページなので、一気読みは、それほど難しくないかったです。痛快フィールドワーク小説の具体的記述かどうか分かりませんが、てっとりばやく現地に馴染む方法として、日本に興味のある現地人の友達を作るという方法を主人公もとって(SNSで相手を見つけるのが現代的)相手は日本文学オタクだったので、ビッチ系の主人公にガッカリするのですが、さらにおいうちで、相手の彼氏に主人公がチョッカイ出して、
頁101
(略)すぐWeChatでメッセージがきた。
"イタイオバサン すごく厚かましい 彼氏も迷惑だと言ってます 失せろ!"
(略)仕方なく中国語を調べてこっちからメッセージを送った。
"我没有和你男朋友做爱"(私はあなたの彼氏とセックスしていません)
送信後また電話がかかってきて、てっきり和解できると思い電話に出たらまだ怒っている。(略)
帯裏 そもそも主人公は日本でもステイホームなどどこ吹く風でゴートゥー利用しまくり旅行行きまくり。コロナも二回感染してます。
頁12
(略)後遺症とかも頭がぼーっとするのが半年続いたとか味覚が消えてコーヒー飲んでもアロマを感じなくなったとかそれぐらいで、ノーダメージに等しい。
北京で三回目感染。どうしたらそんなに症状が出られるんだろう。私は一度もリモートワークせずこの四年間接客業で働き続きましたが、まったくコロナに罹らなかった(あやしい発熱が一回ありましたが)今のように保険もおりない薬代もアレなご時世にかかろうとはさらさら思いませんが、ほんと、罹らなくてよかった。
入国時の隔離も北京でなく青島の海が見える外資系ホテルで。
頁18
(略)まずは青島ビールでしょと初日にビールを頼んだ他、ワインもウィスキーも取り寄せて、毎日海を眺めながら昼から飲めて幸せだ。青島ビール五缶とアサヒビール二缶、メルローの赤ワイン。ご飯は中華かと思ったら外資系のホテルなので基本洋風。朝の弁当はゆで卵と柔らかい薄茶色の食パンが二枚、焼いたベーコン、昼は白飯とターキーのロースト、夜は塩コショウして殻ごと焼いた海老、セロリと角切りの牛肉と人参のトマト煮込み、日本人の喜ぶサンマの塩焼きも出た。何度飲んでも何が入ってるか分からないほど具材がミキサーで粉々に砕かれているドロリとした灰色のスープは異様に美味しく、紙カップには結構な量が入っていたが温かいうちにと全部飲み干した。多分マッシュルームとチキンだと思うけど、ドロドロすぎて分からない。
冬至の日の昼食は水餃子だけが紙製のランチボックスにぎっしりと詰まっていて、刻みニンニクの入ったタレをつけて食べた。中国の北の方では冬至の日は水餃子を食べるのが習慣らしい。
黒酢で食べるんじゃないんだとか、いやここでいうタレが黒酢だと主人公分かってないのかも、薄茶色のパンがライ麦パンとか全粒粉とかだと書いてないし。でもターキーは鶏肉でなくターキーだと分かってるんだよなあ。てな感じで、主人公の知識量がどうなのか、ナゾのまま進みます。元ホステスなので、頭よさそうな会話もお手のものですし(自称ザギンのホステスだが、新橋じゃんと後輩にツッコミ入れられる)ただ、「エコじゃん」が口ぐせで、エコなのはいいことという価値観を持っているのが、ネトウヨ寄りでなくパヨクなのかなあという。レジ袋有料化を批判しそうなタイプなので、「エコじゃん」は意外でした。隔離解除後は青島ヒルトンでほら貝の海鮮蒸しや鰆の餃子食べます。今はサワラなんて素材をギョーザの具にするんですね。知りませんでした。味の想像が出来ない。
LINEが使えないのに加え、SNSもやらなくなったとサラリと頁23で書いてるのも頭良さげ。中国にどう適応しようかとちゃんと考えてる。VPN遮断をただたんに不自由と考えず中国批判せず、こうやって躱すのは小説としても考えたなと。
そうなんだなあ、無頼派だからといって、現地にどんどん浸透出来るわけでもなく、むしろ逆にフリクションをおそれて籠ってしまうパターンもあるものなあ、と、主人公の宿六の人の描写を読んで、思います。外国人アパートもしくは留学生寮で三食カップラーメンで、外食では吉野家にだけ詳しくて、吉野家だけ熱く語れる、みたいな。北京にはむかしから吉野家がありましたが、政治の北京だけあって、むしろ居心地が全然よくなく、一刻も早く撤退しやがれと店員も思ってるような店だったなーと。上記、吉野家ばっかり語る邦人には、実は台北で会っています。
紫明通りのワタヤサンと同期の金原ひとみサンのほうが無頼に見えるのですが、北京でこういう振舞いはしなさそう。上記の理由で。ブラジルでは少年ばっか買ってたと村上龍『テニスボーイの憂鬱』で書かれた三島由紀夫サンが、豊穣の海五部作でベトナムのメコン川に行かずタイのメナム川でお茶を濁した点を「ほんまにそれでよかったんかいのう」と言う声が今でもあると思いますが、それも同じ。
頁74、春節の音楽番組や街中のポスター、淘寶にやたら王一博ワンイーボーというアイドルが出て来るのを、ぽっと書いてます。若いのにベテランを抑えて、音楽番組で必ずトリを演ずるのが不思議だったようです。主人公の観察眼は、そういう観察眼。
死んでしまったオヤジギャルに捧げるわけでもないのでしょうが、主人公は性的に男性的な表現が好きです。「恋が発情だと気づくのは、自分の勃ちが悪くなってからだ」(頁13)「既に一月一日の夜十二時を越えた瞬間にイッてしまった私は現在早漏後の賢者モード」(頁88)など。最初は、クリトリスや乳首の勃起のことだろうかとか、女性の射精ってなんだろうとか、読みながら真剣に悩みました。今これを書きながら、実は肉体は男性の女性だった、というオチだろうかと新たな推察。2023年の小説は、性の常識が通用しなさそうなので。
中文は私のレベルが低いので、分かりにくいのもありました。「就算是」を「もし~なら~」の意味で使う箇所など。頁97で、カギの壊れた公衆トイレに入っていたら(今の中国の公衆トイレは個室なんですね、ビックリ!いつニーハオトイレやめたんだろう)ノックなしに開けられて、開けたオバサンがメイヨウ(没有)と言って閉めて去る場面は分かりませんでした。アイヤー、ヨウレン(有人)アーと言うなら分かるのですが、なにがどうモーユーなんだろう。本書によると、個室化してもあまり中国人はカギをかけないようで、その理由は分かりません。
頁106
どうでもいいけど中国でコンドームはすごく買いやすい。コンビニでもスーパーでもレジ前とか目立つところに置いてあって、銘柄は日本でもおなじみのオカモトだしパッケージにはデカデカと〝超薄〟と書かれて日中共通語で読めるしで、買い物してるとき目に入ってきてしょうがない。
中国でイチバンSNSがバズってる男は邦人だった、の竹内亮サンの南京隔離動画同様、ここは「中国で」ではなく「北京で」と書くべきだったと思います。全土に普あまねくオカモトが出回ってるとは思わない。
頁109
「君はなんであんな地元の食堂みたいな所に一人で入れるんだ。外国人からしたら、アウェイなんてもんじゃないだろう。もっと入りやすい店も外卖もあるのに、なんでわざわざ? 日本では食べられない未開拓の味でも探求したいのか?」
夫は驚いた瞳で見つめてきたが、逆に私の方が驚きだ。夫は一体何に迷いがあるのか。近くて便利で面白そうな店なら、入るっきゃないでしょ。
「何も考えてない。入りたい気持ちで入るの」
「いざ入っても、注文のとき中国語が喋れないんじゃ、困るだろ?」
「日本語で喋るから問題ない」
「いやいや、どう考えても通じないだろう」
(以下略)
先日読んだケズナジャッサンの小説で、在日ガイジンのその手の「カンファタブル・アトモスフェア」"comfortable atomosphere"に対する葛藤を読んだばかりですので、邦人が、肌の色も髪の色も同じな中国で味わう同じ苦悩が面白くて面白くて(私も同じ体験をしてるだけに)仕方ないです。ちなみに上のアトモスフェアという単語は、上海の浦江飯店で黒人たちがホテル内の洋食に固執して外食したがらないので尋ねた時、たまたまリクシルかなんかの広告で日本でこの単語が知られていて、滞日経験もある黒人たち(アフリカ人)が、それを言えば日本人にはピンと来ると考えて言ってきた、実際の会話です。
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頁111
「おい、あの係員みたいな人、俺たちに向かって何か言ってるみたいだぞ」
「んなわけないでしょ」
(中略)
私たちが座席に座ると確かに怒鳴り声は止んだ。
「やっぱり俺たちに怒ってたんだ。バスの中では座るのが中国の規則なんじゃないか」
「そうだったんだ、今まで何回もバスに乗ってるけど全然気づかなかったよ」
「なんであんなすごい剣幕で怒られても、君は平気なんだ?」
(後略)
タクらないのは、今いる場所をアプリで中国語で説明するのが困難だからだそうで、手を挙げて止める時代じゃないんでしょうか。また、GPSで向こうに通知出来ないのか。私は昔、中国でポケベル(BP機)を使おうとして、まず自分の名前をどう漢字で書くか中国語でポケベルのオペレーターに必死に話してる時点で、オペレーターに電話をガチャリと切られました。"我是日本人,这是日本名字"って言ってるのに切りやがった。別に邦人を差別してるわけでなく、ただたんに听不懂だったらしい。本書でも予約してるのに満席だからと庶民的なレストランで門前払いを喰らう場面があり、謝罪もなしだったそうで、絶対宿六の人なら被害妄想を募らせたと思います。
下記はネタバレ。
頁112
「ひょっとして君は、どこの国へ行っても同じ感じなのか?」
微弱だが夫の目が不自然に鋭く光る。異常に海外慣れしてる女だ、俺の知らない過去が思ってるよりもたくさんあるんじゃないかと疑ってるのだろう。確かにミャンマーもエクアドルもモザンビークも楽しかったけど、インドはお腹壊したりしてあんまり肌に合わなかった。のを思い出して、
「そうでもない」
と私は答えた。
こんなホステス絶対にいねえ(とは言い切れない)特にザギンには(とは言い切れない)
ただ、この年齢なのかといぶかしんだ箇所があります。ほかにもありますが、頁123で楳図かずお先生について熱く語っている箇所が特に。「グワシ」と中国人から連呼されたらどうしようと、完全に捕らぬ狸の皮算用をしてる(まちがったことわざの使い方かな?)のですが、三十代が知ってるのかなあ、グワシ。もう少し上なのではないか。そしたら宿六ももう少し上か。したら出産にかんするやりとりは、分からぬでもないです。そしてバックパッカーあがり。
以上
【後報】
なにしろ私が行ったのはもう四半世紀も前のことですので、土地勘があるのは頁78の天壇のあたりくらいで、それも僑園飯店にドミトリーがあった頃に陶然亭や永定門、張承志ゆかりのまち牛街、駱駝のシァンツの時代にまで遡れる北京南站あたりまでえんえんとほで歩いて、天津煎餅をかじってたような具合で、本書頁78に書かれているようなふいんきはまったく感じなかったです。のちに、紅楼夢のテーマパークの大観園があのあたりに出来て、大観園というと、日本では暗黒中国を覗き見シマスヨ~的な本のタイトルがそれなので、それで綿矢さんに天壇に先入観があるのかなという気もします。もしくは綿矢さんは京都人なので、京都の同名の焼肉屋で、南大門のライバル店を思い出したのかも。
あと、鼓楼もしくは景山公園のほうの四合院のホテルに泊まったこともあり、本書でも四合院のホテルに泊まる場面があるのでおおっと思いましたが、前門などというウルサイところの観光ホテルだったので、こりゃダメだと思いました。あんなところ、おのぼりさんが行くところですよ。1990年には私も摇滚のカセットテープや解放軍のドテラ大衣を買いましたが… 前門のトピックといえば、王府井にマクドナルド中国一号店が出来る前にロッテリア一号店が誕生した場所、ってことくらいでしょうか。
東城の紅十字会賓館にも泊まったことがあります。仏教寺院が近くにありました。その時はこの近くに広東料理の店もあって、行くと、南方人の溜まり場になっていたのを覚えています。本書の「小区」のくだりを読んで、やっと想像出来るのはその店くらい。本書で、北京はやたらコーヒーショップがあるなんて記述を読むと、茶館すらロクになかった時代(天壇のほうに相声なんかの出し物を見せる観光茶館がやっとあったくらいで、成都ならどこにでもあった、ヒマワリの種をボリボリやりながら、ポットの开水をお茶っぱブチこんだフタつきのカップに注いでホケーと出来るような場所が北京では思い当たらない)からすると、文字通り隔世の感です。
(同日)