『お菊さん』"Madame Chrysanthème" by Pierre Loti ピエル・ロチ作 野上豐一郎譯 translated by Nogami Toyoichiro(岩波文庫)読了

グレゴリー・ケズナジャッサンの小説『鴨川ランナー』*1で、来日前米国人の主人公が恋人から「お菊さんやりに行くんでしょ」と言われる場面があり、『お菊さん』を読んだことがないかったので読もうとして、本書を読みました。

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読んだのは2003年(平成15年)の二十三刷。初版は昭和4年(1929年)ですが、その前に、大正4年(1915年)に新潮社から初版、大正12年(1923年)に再版が出ていたとか。岩波文庫改訂版出版に際し、訳者あとがき「ピエル・ロチと日本」で、野上サンは新潮社社主佐藤義亮サンの厚意に謝辞を弄してます。

日記と小説の差分については、日記の翻訳者船岡サンが有隣新書のほうに書いていて、事実は力車引きが女衒だったのに別人の周旋屋を登場させているとか、その辺の往来の縁台の下から、子守りのおんぶをしながら腕を伸ばしてロチサンの舎弟のくるぶしをぎゅっと握って来たオキクサンの場面の後、眠くなったオキクサンとその弟をロチさんがまるごとおんぶして帰路につくところは小説上の作為で、事実は五歳の弟をおんぶしたオキクサンがとほで帰ったとかが分かります。ロチさんは手ぶら。

以下後報

【後報】

頁54
 その上また、日本人がよく彼等の花瓶の上に描く女の型タイプは、彼等の國では殆ど例外のものなのである。此の軟かい紅で塗られた大きな青白い顔と、間の拔けた長い首と、鶴のやうな樣子をした人たちは、殆ど上流の階級に於いてでなくては見出し得ない。此の上流の型タイプ(マドモアゼル・ヂャスマンはそれを持つてゐた、それは私も承認する)は稀である、殊にナガサキでは。
 市民社會ブルヂョアヂと下流社會の人たちは、寧ろ愉快な醜さを持つてゐて、たまには可愛らしくさへなり、目だけはいつも非常に小さく、殆ど開かない位であるが、顔はずつと圓く、褐色も强く、また一段と生き生きしてゐる。女に在つては、どことなくぼんやりしたところが其の顔附にあつて、子供らしい或るものが一生の終りまで殘つてゐる。
 さうして非常に笑ひつぽくて、非常に樂しさうである。日本の此の小さな人形ブウベたちは、皆んな!――その樂しさは、少しあつらへ向の樂しさである。實際、少しわざとらしい、時としてはうそにさへ響く樂しさである。併しとにかくそれには心を惹かれる。
 クリザンチエムは例外である。何となれば彼女は憂鬱であるから。(以下略)

ロチサン含め四人の士官が現地妻を持ち、うち一人はスウェーデンの北欧パツキン士官だったそうですが、それと円満な結婚生活は無関係のようで、だいたい金だけの関係でしたので、そういう感じだったそうです。バンコクやマニラでそういう生活をした邦人もいっぱいいるので、同感者には事欠かないだろうなと。

頁11で和船と書いて「ヂョンク」とルビを振り、頁17、艀舟と書いて「サンパン」とルビを振っていますが、チャンコロ小舟等の和語を知らなくてもしかたないかと。

頁64、オスヴァ(お諏訪)が出て、また別の箇所で、ムスメ(mousmé)が出ます。船岡末利サンによると、ロチさんの後、欧州でも「ムスメ」という日本語が広く知られるようになったんだとか。

頁200で、ギタールguitareと書いていた単語を以後シャメセンchamécenと呼ぶと宣言し、同時に、クリザンテエムChrysanthèmeもオキクサンと呼ぶと、改めています。それまで和訳は、三味線と書いてギタールとルビを振っていた。まあ、琴でないことは分かったので、大丈夫でしたが。

頁172に、Otokésオトケたち(彼女の先祖の佛靈)ということばが出て、hotokeと書いてフランス語はH音を発音しないのでオトケと読むなら分かるのですが、最初からotokeと書いてオトケと読むのはへんだなあと思いました。
とんびの鳴き声をロチサンは「ハン!ハン!」と書いていて、「ピーヒョロロ」じゃないのと思いましたが、長崎ではちがうのかもしれません。
オキクサンは夜寝る時に行燈の明かりを消さずに寝ます。火事怖くないのかと思いました。また、浪費家な気もします、そこは。それがすべての日本人の習慣と言われると、商家の、しかも花街の人だからとしか。そんな農家はいないので。

頁69
 ああ! 近来のをかしな一つの思出がその夜のことを想起させる。歸り道に、私たちは二人ともつひ道を迷つて上等でない女たちの大勢住まつてゐる通にはひつてしまつた。私は今でもあの大きなイヴが、年の頃十二から十五位な全く小さなムスメたち、脊はやつと彼の腰の所まできりない娼婦たちの一群に取り捲かれて、彼の袖を引つ張つて彼を惡い事に連れて行かうとしてゐるのに反抗して爭つてゐた樣がいまだに目についてゐる。彼は彼女等の手から逃れると、『おお!ひどい!』と云つてゐた。彼女等がそんなに若く、そんなに小さく、そんなに赤ん坊みたいなくせに、既にそんなに恥知らずになつてゐるのを、此の上もなくあきれ憤つて。

ソウルのミアリコゲ、女性市長が潰した街でそういう体験をしました。ホントに袖がビリッと破れる音がするまで引っ張るという悪乗りを、客引き女性がする。

頁165
『雲よ、止まれ。彼女の通るのを見るために』〔天つ風、雲の通ひ路吹きとぢよ、乙女の姿しばしとどめん〕

上のように、すっごくポピュラーな日本の詩の仏訳が載ってると、イイネ、と思いますが、ここだけです。大家サンだかオキクサンの母親だかは、神道系ののりとを毎朝唱えます。拍子木叩きながら。この長い文句も載ってます。

頁102

 『手と足とを洗ひ淨めた後で、(聖典には斯う記してある、)日本帝國の力の王なる大いなる神、アマ・テラス・オオミ・カミに祈願します。その神の正統を受けたすべての亡くなられた皇帝たちの靈に祈願します。その次にはその神の最も遠い初代までの先祖たちの靈に祈願します。空氣と海の神神にも。秘密と穢の場所の神神にも。根の國の黄泉の神神にも。等、等……

『わたしはあなたを拝んでお願ひ申します、(マダム・ブリュヌは唄ふ、)おお、お、力の王なるアマ・テラス。オオミ・カミ、國の爲に一身を犠牲にしようとしてゐるあなたの忠實な國民をいつまでもお守り下さい。私もあなたのやうに神聖になれるやうに、さうして、私の心から有らゆる暗い考を遂ひ出せるやうに、私をお惠み下さい。私は臆病者で、さうして罪深い女でございます。私の臆病と罪深さを、北風が塵埃を海に吹き拂ふやうに、洗ひ淨めて下さい。私の有らゆる穢をば、人がカモ〔加茂〕川水で穢れを洗ひ流すやうに眞白く洗ひ淨めて下さい。――世界中で一番の金持の女になれますやうに私にお惠みを垂れて下さい。――私はあなたの光榮を信じて居ります。あなたの光榮が、絶えず全世界に擴がり、さうして私の幸福の爲に世界中を照らすやうになることを信じて居ります。私の家族の健康が保たれますやうにお惠み下さい。――わけても私の健康が保たれますやうに。おお、アマ・テラス・オオ・ミカミ、私はあなたより外に拝むお方とては一人もありません。等、等。』

下記は、あちこちに出て来る、ロチサンと舎弟とオキクサン三人の写真を撮りに写真館に行き、でっくわしたモノホンの上流日本人女性からオキクサンが蔑視される場面。

頁177

 丁度その時撮してゐたのは身分ある二人の婦人(母と娘らしい)で、二人一緒に坐つて、ルイ十五世時代の小道具と共にかびね形に取らせてゐる。私が斯んなに近間で見た中では、この國で一等立派な婦人たちである。かなり珍しい一群で、上流社會の長い顔の、米のせゐで、靑白い貧血症の、無氣力な色をした上に、純粹の紅で心臓ハート形に塗られた唇をしてゐる。さすがに併し爭ふべからざる育ちといふものが、人種と既得想念の深い溝渠があるにも拘らず、私たちを壓迫してゐる。

 彼女等は明らさまな侮蔑の目でクリザインテエムをじろじろ眺める。クリザンテエムの服装だつて着附だつて彼女等と同樣上品であるにも拘らず。さうして私はどうかと云ふに、私はその二人を眺め飽きることが出來ないでゐる。彼女等はこれまで見たことのない不可解なものか何ぞのやうに私の心を奪つてゐる。彼女等のなよなよした身體と異境エキゾチクな美しさをした姿が、こはばつた着物と脹らんだ帶の中に埋まつてゐる。さうしてその帶の兩端は、疲れた翼のやうにだらりと垂れてゐる。(以下略)

色魔。フランスということで、なんとなく、『クレーヴの奥方』とかclette"Cheri"を思い出したのですが、なにもそれを四海でやらなくても、という気はします。

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女性ばかりの本書ですが、たえず隊内に舎弟を置いてるロチサンですので、男性的な箇所も、ひとつあります。オキクサンに手切れ金を渡して、日本で買ったスーベニアをたくさんの行李に荷造りして何台もの人力車で船に運んで、乗船したあと、日本記念に刺青を入れようと頼んでいた文身師たちが船にロチサンを尋ねてきます。日本記念に日本の刺青を入れるという、インバウンドでもまま見られる現象の原点の一つといえるかもしれません。図案はガイジン向けのものも含まれていて、水兵好みの米国国旗と仏国国旗を組み合わせたものや、ゴッドセイブザクイーンの歌詞を入れたもの、西洋女性の絵迄あったさうです。ロチサンはたぶん唐獅子緋牡丹を彫ってもらいます。ロチサンは薔薇と書いてるのですが、獅子とあわせるんだから牡丹だろうと訳者の野上さんが判断。彫る場所は、そこがぜんぜん西洋人なのですが、日本でいきなりそこ行くかねという、胸です。ハート(心臓)と向かい合わせに入れたかったと。

頁227

 疼みと苦しさの一時間半。私は寢臺の上に寢ころんで、この人たちの手に打ち任せ、彼等の極微な針痕の爲に身體がこはばつてゐる。若しかして少しでも血が滲み、一筋の赤色でその繪がよごれると、その中の一人が急いで唇でその血をとめる。――さうしてこれが日本流であつて、醫者が人間や動物の傷口を塞ぐ時に用ひる方法だと知つたから、私は云ひなりになつた。

池上遼一のマンガで、そんな、刺青ものがあった気がします。谷崎原作ではなくオリジナルだったと思いますが、どうだったか… 

以上

(2024/1/25追記)