『トラジェクトリー』グレゴリー・ケズナジャッ "TRAJECTORY" by Gregory Khezrnejat مسیر پیمایش,  گریگوری خضرنجات, 読了

百姓ユニオン(仮称)の検査機関に人間ドックに行った時に読んだフリーペーパーにケズナジャッサンのエッセーが載っており、それで検索すると、新刊があったので読みました。エッセー集もあるようですが、読んだのは小説。

装画 NASA月面探査の計画図(1969年) 装幀 中川真吾

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勘定奉行弥生会計の違いみたいなものでしょうか。

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『トラジェクトリー』は「文學界」2025年6月号掲載、『汽水』は「三田文学」2025年春季号掲載。前者はまたまた英会話学校の話(舞台は中京圏)で、後者は某大学国際部に勤務しだしてからの話。主人公の名前は前者がブランドンで、後者がチャーリー。ブランドンはブルース・リーの長男ブランドン・リーとは関係ないと思います。

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『トラジェクトリー』とらじぇくとりぃ。

頁4

 夕方になるとマルシェヌーヴォーが賑わってくる。帰宅中の人たちが駅からやってくるバスを降りて、このショッピングセンターを囲む住宅地へ解散していく。中にはこちらに寄る人もいる。夕食の買い物を済ませたり、クリーニングに出した衣服を受け取ったり、あるいはただ家に帰るまでの時間を少しでも延ばすためにカフェでコーヒーを一杯飲んだり書店で雑誌を立ち読みしたり、当てもなくフロアをうろついたりする。

もうどんどん書店は消えてゆきますし、立ち読みするよりスマホを見てる人しかいないわけなので(立ち読みすると雑誌が汚れるし)昔の話なのかなあと思いましたが、さほど昔でもないようです。今世紀になってから、インターネット社会になってからの話ではあるようで、そこで英会話学校がさいごのあがきを(今でもあがいてますが)した頃が舞台でしょうか。ティッシュ配りをする場面もあります。日本語で書くより英語で書いた方が、往時の文化をなつかしむガイジンサンたちなどにウケる気もしますが、すでにそうした英語の著述物はたくさんあるのかもしれません。

私が中国語会話教室で会ったような中高年たち(私もそうですが)が、英会話学校の目論見とは別に、斜陽の英会話学校インポータントカスタマーになっていて、特に、アポロナントカ号通信記録の原文音読と翻訳だけをえんえんやりとげようとする退職老人が、専門用語とジャーゴンに満ちた記録の解釈に苦しむ主人公に対して「あんたホントにネイティヴか?」「アメリカ人なのに英語が分からないなんて」とマウントとりまくる痛快!OL通りな小説です。第二言語で汚い言葉を連呼するとネイティヴから猛反撃されることを知っているケズナジャッサンは非常に筆致を抑えていて、とにかくフラットにフラットにお話は進んでゆきます。

私が何度でも取り上げるネタですが、かつて三島由紀夫開高健の『輝ける闇』について、空想であれだけ物語を構築出来たならたいしたものだが、現地にルポ、取材してそのまま書いただけならたいしたことないと評したそうです。この小説も、学校に来なくなった老人が残した大量の英作文の宿題、face2faceで接する彼のがさつさ、ゲスさとまるで違う繊細な筆致の英文の数々が邦訳されて読者の面前に供されるのですが、それが創作物なのか元ネタがあるのかで、評価はおおいに変わると思います。さすが、ブラジル少年漁りを完璧に創作から切り離した三島サンの言うことはちがう。

たしか、『鴨川ランナー』に収められた小説でもケズナジャッサンは英会話学校や英会話サロンを舞台にしていて、かなりイエローキャブとの赤裸々な日々が日本語で描かれていたです。しかし本書ではそういった描写は陰をひそめ、非常に性を意識させない展開に終始します。キッズクラスを担当するスチュアート、来日ン十年のベテラン英会話教師が登場し、シニアクラスは生徒がションベン漏らさないからいいと言い、日本から東南アジアに流れ、そこで介護士がケアマネになるように、英会話教師たちを統括する立場になりますが、これが江國香織の小説だったら、同様に抑えた筆致ながら、実は奴はオリエンタルペドだった、くらいのことは書きそうに思います(書かないかも)…エンタメを目指した小説ではないにしろ、何か「仕掛け」を凝らして起承転結、読者の度肝を抜いてやろうと思うか思わないか、その辺ケズナジャッサンは淡白なのかもしれません。

私の知ってるある米国人英会話教師は何度も結婚離婚を繰り返しながらメキシコから日本、日本から上海へと流れましたが、もし小説で彼を登場させるなら、トラソプとキンペーチャンのはざまで翻弄される民主党シンパor共和党シンパ、にしか出来ないかなあ。もっとも、『トラジェクトリー』の主人公も、ある程度時間が経ったのちに、オバマじゃないや誰だっけに負けたトラソプサン連邦議会襲撃事件を起こすくだりを日本で知って呆然とします。鹿をとこ、あおによし。ただここは、かなり勇気を奮って書いた気もしました。ネガティヴに何か書かれた対象の反応、フリクションにも気を使わねばならない時代状況と、社会的立場(法政大准教授)が反映されておられましょう。複雑化する現代に鋭いメスを入れるナイトスクープの恋人。

『トラジェクトリー』の英会話学校支部長的邦人は、国際化社会にはばたく即戦力の若者のチカラになれる英会話学校を夢見てますが、そんな人間は街の英会話学校コーカソイドっぽいネイティヴ教師との会話授業なんか選ばないと思いました。もっと英検とかTOEICとかTOEFLとかに実践的に役立つ勉強方法をチョイスすると思う。あるいはその先の現代にある、ハイテク機器を駆使したカンニングとか替え玉受験を狙う。その空気を読んでか読まずか、英会話学校の教師は十年一日、ぽっと出でも勤続ン十年のベテランでもいっしょ、スキルが向上することも地位が上がることもないという現場の冷めた分析が出ます。要するにモラトリアム。だから教師は年をとらない。年相応の服装が出来ないという… 村田紗耶香サンの『コンビニ人間*1のようだと思いました。いやでも教職はそんなことない、教え続ければ気づきもあるし、教えるスキルも向上するはず、なのですが、そういう人は英会話学校でなく、高等教育機関の英文科であちらの滋養に満ちた書物の原文講読とかを受け持つようになるのかもしれません。まさにケズナジャッサンの辿った道。軌跡。

ただ、英語版ウィキペディアの"Trajektory"の日本語版は「弾道」になっちゃうんですね。「軌跡」にならなかった。中文版は〈轨迹〉"guiji"になるんですが、なんしか、〈迹〉は昔は一声だったが今は四声という辞書サイトの解説まで見つかる。蛇足としかいいようがない。そして、数学でいう「軌跡」は"trajectoria"でなく"Locus"になるんだとか。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Cycloid_animated.gif

軌跡 (数学) - Wikipedia

上のgifは日本語版にしか出ません。英語版だと下記。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Locus_Curve.svg/960px-Locus_Curve.svg.png

Locus (mathematics) - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Inclinedthrow.gif

Trajetória – Wikipédia, a enciclopédia livre

『汽水』

頁145

「何にしようかな」と岩田さんがメニューを眺めていた。その間にチャーリーは店員に合図をした。テーブルにやってくると、チャーリーは次から次へと食事を頼んだ。フライド・キャットフィッシュとレッド・ビーンズとソーセージとグリッツとコラード

「ビスケットはありますか」

「いや、コーンブレッドしかないです」

「じゃそれもください」

ケズナジャッサンはどうしてもデビット・ゾペティサンやリービ英雄サンと比べられてしまうと思うのですが、リービ英雄サンは中文も出来ますので、まずこのタイトルで、日本語では淡水と海水が入り混じった入江や河口を指す言葉が、中国語では炭酸飲料を指す言葉でしかないことを、面白がれてしまうと思います。そしてそこに温又柔サンが… 

汽水 - ウィクショナリー日本語版

対するケズナジャッサンは、ニューオリンズを舞台にした話ですので、"Brackish Water"ブラッキッシュ・ウォーターみたいな意味でなく、バイユー"bayou"を意識してこのタイトルを持ってきてると思うんですが、どうでしょう。

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英語圏、欧米から来た一世が日本語で創作するという、実にハードルの高い作業に比べ、邦人の場合だと、誰だろう。多和田葉子サンは有名ですが、私は新井一二三サンが頭に残ってます。香港で漢語で書き、尖閣諸島問題などで愛国者から脅迫を受け台湾に脱出し、そこでも中文で書く。このくらい書けたらいいなあ、とは思いますが、「ならやってみなはれ」でしかないので、あまり愚痴りません(グチってるかwww)

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私の考える南部の食事というと、ガンボ(オクラ)スープとフライドチキンですが、黒人料理なのか別の理由でか、上の場面では出ません。キャットフィッシュは要するに鯰(ブラジルだとバグレ)なので、それでザリガニ(クレイフィッシュ)を出さないのかもしれません。コラードというのが何か分からず、コラーゲンみたいなラードみたいな名前なので、脂身か何かだろうと思ったら、外れました。ケールとかブラジルのコウビみたいなものかなあとも思ったのですが、写真を見るとまた違う感じ。かき菜に似てるとすごく思うんですが、さてどうでしょう。

この話は、知り合いのツテで日本の大学国際部で事務仕事をする主人公が、世界各国の大学同士で交換留学生を送り込みあうためのイベント、イクスチェンジスチューデントフェアというのかイクスチェンジスチューデントワールドというのか、のブース参加のためニューオリンズに行く話です。私はフォークナーは、読んだような読まないような感じで、たぶんスタインベックと混同してますので、その程度です。アブサロム、アブサロムはサローヤンだと思ってたし。メルヴィルの白鯨とヘミングウェイ老人と海が違う話なのはだんだん理解しましたが、世の中まだまだ混乱することがある。サキとアンブローズ・ピアスの違いとか。ジムノペディはエリック・サキ(ちがう)七人岬は吉田拓郎(ちがってない)

話を『トラジェクトリー』に戻すと、トラットリアに似てることば、否、カワムラサンというアポロにとりつかれたへんくつじじいが失踪するだけでなく、三日後に復活するところまで書いてくれるともっと良かったと思います。カワムラサンの人魂がひゅ~っ、ストンと落ちる。以上