『ブラック・チェリー・ブルース』(角川文庫)読了

 キャロライン・ナップの本に、須賀田さんシリーズと並んで登場するので、借りてみたシリーズの三冊目。一冊目は『ネオン・レイン』二冊目は『天国の囚人』

ブラック・チェリー・ブルース (角川文庫)

ブラック・チェリー・ブルース (角川文庫)

 

'90MWA長編賞(エドガー賞長編賞)受賞作。カバーデザイン/菊池千賀子

photo by A.Terashima  巻末に訳者あとがき

Black Cherry Blues (Dave Robicheaux Mysteries)

Black Cherry Blues (Dave Robicheaux Mysteries)

 

 原題"BLACK CHERRY BLUES" 1989年初版 

ジェイムズ・リー・バーク - Wikipedia

タイトルは、刑務所内で野生のベリーから密造する「ブラック・チェリー・ワイン」から。元警官の主人公がハメられて冤罪に陥り、そのまま刑務所に入ると、元警官だけに所内の人間関係を鑑みると生きて帰れないので、必死に真相を探ろうとする話です。最近見た「サーチ」という映画も、隠ぺいの動機は、ひきこもりとかがうっかり犯罪を犯して入所するととても生きていけない米国刑務所模様が背景でした。

作者は主人公同様ルイジアナケイジャンで、その後北部のモンタナで執筆活動に成功した人です。このシリーズの前二作はルイジアナを舞台に進行しますが、今回、ストーリー中、主人公はモンタナまで移動します。作者の土地勘と、北部南部の違いについて分かってることをうまく小説に取り込んでるなと。ルイジアナのフランス系米国人ケイジャンが、モンタナだと、モントリオールとかのケベック出身カナダ人、ケロッグと間違えられるところは、そんなものかと思いました。南部から北部までヒスパニックの少女を連れて旅行というと、ヒュー・ジャックマンのエックスメン最終作「ローガン」もそんなでした。少しはインスパイアされているのか。

インディアン居住地がところどころストーリーに絡んで来て、主人公が、アメリカン・ホースという姓のネイティヴ・アメリカンを探してるのですが、それに対し、居住地内に住む中年ヒッピー(いまさらほかの生活に戻れない)が、この居住地はブラックフィート族の居住地です、スー族はモンタナでなくサウス・ダコタですよ、と返し、主人公が、言ってる意味が分からんが、と言うと、アメリカン・ホースはスー族の名前です、シティング・ブルや、クレージー・ホースと同様、と説明します。インディアンの部族ごとの違いって、ぱっとどうやって分かるんだろうとよく思いますので、ひとつヒントもらったと思いました。

 

これまでこのシリーズは、あまり自助グループについて書いてませんでしたが、今回はそこそこあります。すべてルイジアナのそれでなく、モンタナのそれ。作者の現住地ですから、取材もしやすかったのかと。そして、ルイジアナは遠いので、分からないことは書かなかったのかと。

例えば、頁394で、組織が職の斡旋もしているというくだりがあります。これはそのご当地の話ではないかと思います。日本では、飲酒でなく、薬物の自助グループで、そんな話を聞いたような気もします。

頁171

「あんたも生きざまを変えたほうがいい、早いうちにだ」

(中略)で、なにか“ははん”とくるものがあったかい? いずれにせよ、おまえさんお得意の断酒会AAの済みきった祈りの短縮版とやらを言わせてもらえば――くそくらえってやつだ!」

 頁215、断酒してもう何年も経っているのに、離脱と同じような(と心か体が記憶しているのか)状況に見舞われる場面があり、それまでも本シリーズでは同様のガタガタ悪寒があるのですが、ベトナムで罹患したマラリアの後遺症、というふうに説明されていて、それがこの頁で突然、「AAのひとは、このことを<から酔いドライ・ドランク>というふうに呼んでいる」と説明され、えっ、ドライ・ドランクって、シラフなのに酔ってる時みたいに調子こいてる状態ちゃうん、と思いました。躁状態というか…なら、この頁の状態は、抑うつなのかな? ひたすら耐えてればいつかおさまってゆく描写です。特に服用とかはしてない。

頁283、脳内で複数のキャラが討論会をする場面をミーティングに喩えてますが、ディスカッションミーティングは特殊だと思います。その次の頁で、固い意志と書いてハイヤー・パワーとルビを振っているのも変わってるなと思いました。固いのか。ロケットに乗って別次元に飛んでくくらいだからヤワではないんでしょうけれど。

頁393

(中略)あるいは、すくなくともAAの第十二段階の教えを無視することはできなかったというべきか。“わたしたち同様、悩める者に手を差しのべなさい” 

 ここが職の斡旋のくだりにつながり、相手は、依存症の診断を受けたものでなく、飲酒にも問題があるというくらいの人です(つまり生き方の問題なのですが、本人も主人公も、それはじゅうじゅう承知)第四と第五にはどうしてもなじめないとかそういう会話があります。

頁413

「ミーティングで会った連中のほとんどが吞んだくれあがりだったからよ。酒なんてものは、おれに言わせりゃ問題のほんの一部なんであってね。(中略)このおれもな。アルコールとか麻薬ヤクとは関係ないんだ。人格の欠如なのよ、問題は」

「それも病気の一種だ。それがわかるようになる、ミーティングにでつづけていればな」

 これが何を話しているかというと、音楽の理解のあるマフィアの二世ぼんぼんのふところにもぐりこんでなんとかしのいでいた、交通事故で表舞台から抹殺されたミュージシャンの酒浸りの人(主人公のハイスクールの同級生で偶然再会)を、マフィア告発に突き動かそうとする押し問答です。その前ミュージシャンは資源開発の口八丁手八丁コントラクトにハンコ、否サインさせるセールスやってて、それもまた主人公がなんとか身の潔白を証明しようとする本筋とリンクしてます。ひとを巻き込んだり巻き込まれたりは推理小説の定番で、依存の定番も巻き込んだり巻き込まれたりなので、親和性があるのかもしれません。

このシリーズはあと五冊邦訳があり、その後十一冊未訳があるそうです。Wikipedia調べ。以上